今回は前回の書評に引き続き、メディアと心理の影響を論じた1冊です。著者はメディア研究で著名なカレン・シャックルフォードであり、ゲーム業界にあまりにも敵視されたために「グランド・セフト・オート」に彼女の名前を揶揄した自動車の名前が登場するに至るほどです。

 「ゲームの悪影響」神話
 本書はメディアが人々に様々な影響を及ぼすという、当然のことを極めて紙幅を割いて書いています。
 著者によれば、メディアに悪影響がないと信じ込んでいる人々が共有している「神話」が存在します。

 それは、悪影響を「人を殺しまくる」と定義し、そうならなければ悪影響は一切ないという認識です。つまり、0から100までの悪影響のうち、90くらいまでの悪影響がなければそれ以下は自動的に0になるという、非現実的な妄想です。

 もちろん、実際にはそんなことはなく、例えば暴力的なゲームをやって人を殺さなかったとしても、ものにあたって壊すようなら明らかに悪影響です。ポルノを見てレイプしなくてもセクハラするようになれば悪影響でしょう。

 この点について、著者はメディアを受容することを食品を摂取することに巧みに例えています。ハンバーガーは明らかに健康に悪い食べ物ですが、それを食べたことが直接の原因で死ぬ人はまずいません。しかし、だからと言って「ハンバーガーに悪影響があるなら、マクドナルドの前に死体の山ができていないのはおかしい!」というのは愚かです。

 暴力ゲームの悪影響
 さて、著者は様々な研究を紹介することでメディアの影響を説いています。
 メディアと暴力との関連を調べた研究の中でもっとも著名なのが、レオナルド・イーロンがニューヨークで行ったものでしょう。彼は1960年に当時の小学3年生全員をインタビュー調査し、さらに彼らを19歳、30歳、48歳と追跡調査しました。すると興味深いことに、8歳時点で暴力的なテレビ番組を見ているかどうかが、その後の攻撃性を強く予測したのです。つまり、子どものときに暴力的なテレビ番組を見ることが一種のリスクとして作用していたことになります。

 これは古い研究ですが、最近行われたゲームに関連する研究では、暴力的なゲームをプレイした直後は非暴力的なゲームをプレイした直後に比べ、制裁行為が強くなったり攻撃的な態度をとったり、あるいは暴力に慣れてしまうため喧嘩の仲裁に入るのが遅れたりするという研究もあります。この辺は『メディア・オーディエンスの社会心理学』で示したGAM長期モデルと一致するところでしょう。

 心理学の常識は、ゲームに悪影響はある、ということです。

 メディアの性的搾取
 もう1つ興味深いのは、メディアが日常的に垂れ流す「性的搾取」です。この辺、著者が住むアメリカは日本より規制が厳しそうですが、いろいろと問題が起きているようです。

 著者が本書で論じているところによると、少女を性的な存在として扱い、あるいは性的に見られることに価値があると思わせるメディアが様々な悪影響を与えているようです。特に顕著なのは少女向けの衣服で、8歳ごろから10代前半の小学生が大学生と同じような服装をしなければいけないほど、過度に露出が多く性的な仄めかしのあるメッセージの入ったような衣服しか売っていないと嘆いています。本書で引用されている「6歳は新たな17歳?」という言葉が、この事態を如実に表しています。

 メディアにおける性的搾取が女性に悪影響を与えることは、フェミニストをはじめとする人々が指摘し、時に表現に抗議してきたことです。しかし、それを指さして笑う表現の自由戦士たちの定型句は「証拠がない」でした。

 彼らにとって残念なことに、心理学はフェミニストたちの味方となり証拠を提供しています。
 しかも心理学者はかなり本気です。なにせアメリカ心理学会(APA:アパホテルじゃないよ)は「少女の性的対象化に関する特別委員会」を立ち上げ、様々な研究を整理することでこの問題に対応しようとしています。

 APAによれば、メディアとの接触は少女の自尊心の低下と大いに関連します。メディアが垂れ流す「理想像」と自分との乖離に気づき、自信を無くすからです。そして、その「理想像」に近づくために食事制限などを行うようになり、健康を害するという悪影響もあります。またその結果として摂食障害を引き起こすことも指摘されています。

 著者が指摘するように、メディアの「理想像」はすべての人が達成不可能であるように作られています。達成されたら消費者の「努力」はそこで終わり、それ以上「努力」にお金を落とさなくなるからです。「理想像」を達成不可能にしておけば、消費者は永遠に「理想像」へ向かって際限なくお金を使わざるを得なくなります。

 体に悪いものを摂取する
 著者はメディアの悪影響を強く指摘しますが、別に表現規制を求めているわけではありません。ただ、著者はメディア業界の自由にしておけば、申し訳程度の制約も骨抜きにしてしまい、消費者、特に未成年への悪影響が強まると指摘しています。

 また著者は、悪影響のあるメディアを一切見るなとも言っていません。人がハンバーガーを食べたいときもあるように、暴力的なゲームをやりたいときもあるのです。
 そのために、著者は提案として、メディアに接触する時間を制限することを挙げています。テレビのような受動的なメディアは積極的にではなく「ついつい」見てしまうことが知られています。その「ついつい」の間にも人は影響を受けます。見たい番組をはっきりさせておいたり、録画したものを見ることでコマーシャルを飛ばせば悪影響を減らせると指摘しています。

 メディアはいまや、我々を作る食べ物と同じです。ひとたび口に入れば影響されずには済みません。しかし、完璧な食事を維持するのも無理です。我々はせめて、我々を作るものの影響をよく理解し、ときには脂身を切り落とすような工夫で悪影響を減らしつつメディアと向き合っていかなければいけません。

 悪影響はない!と意地を張って現実を見ないのは論外です。

 カレン・ディル-シャックルフォード (2019). フィクションが現実となるとき 日常生活にひそむメディアの影響と心理 誠信書房