戦時中の学生、実家は築地本願寺の隣で、和洋折衷の本願寺仏教建築っぽいホテルを経営している。浄土真宗のコネで徴兵されていない。しかし従業員はどんどん徴兵されて行って、開店休業状態。そんな時、母親が病没して、母親の思いでを書き溜めておこうと思って、エッセイに書けば、それを読んだ、ホテルを定宿にしている作家の口利きで、出版されて高評価。しかし「戦時中に母恋しとはなにごとだ!」と憲兵が押し込んできてもう大変。
俺を連れて行かれて父親はおろおろ、しかし、元従業員で憲兵になっていた男が奔走してなんとか釈放。憲兵なんて大嫌いだ!と思って、その援けてくれた男にも「憲兵なんてやめてまともな仕事をしろ」と言ったところ、「坊ちゃんみたいなお金持ちのぼんぼんには俺らみたいに汚い仕事をしてでも這い上がりたい人間の気持ちは分からんでしょうから」と言われてショック。
で、敗戦。
焼け出された人とかが、ホールにいて、どこにいくあてもなくて、坊さんが相談に乗っている。「あれ追い出さないと営業再開できないっすよ」と住み込みの小僧が言うのを、父親が聞きとがめて「おまえよくそんなこと言えるな。うちは阿弥陀様の御導きで商売しとるんじゃ。阿弥陀様に背かんようにやってきたからこうやって焼けずにのこっているんだ」と言ったら、その小僧が「じゃあ、空襲で焼かれて苦しんで死んでいった子供とかは阿弥陀様の御考えでああなったんですか? 阿弥陀様って役立たずじゃないですか」と言われて父親も言葉を失う。
GHQが進駐してきて、ホテルや家屋はGHQに接収されることに。しかしそのおかげで税金の支払いを免れる。敷地内の和風建築に住むことは許されてGHQ向けのホテルとして活動再開。戦前にうちのホテルを定宿にして三年東京にすんでいたカーチスさんがカーチス少佐になって戻って来て、「ここは空襲に遭わないよう手配していました」と驚きの事実を言う。洋風ホテルが少ないので、占領後、使えるようにするためだったと言う。
長い夢だったので記録。