前回『むしろなぜ、SNS上で誹謗中傷を繰り返しておいて大学教員の職にあり続けられると思えるのか』を書きましたが、そこでは実は書こうと思って書かなかった話題がありました。別の記事に立てるつもりだったのですが、わざわざ記事にするほどの分量にならないなと思ったからです。しかし、この数日のうちに色々と状況が変わり、やはり書くべきだろうと気も変わって現在に至ります。
その書かなかったことというのは、いわゆる野党共闘に含まれる政党について、誹謗中傷に対して法的措置をもっと積極的にしてほしいという要望でした。なぜその必要があるのか、どうして今回改めてそのことを書く気になったのかをまとめておきます。
さて、北村紗衣氏はどちらかと言えば著名な側に属するので氏への誹謗中傷をトリクルダウンの下層だとみなすのはいささか的外れかもしれません。とはいえ、氏はあくまで市井の学者にすぎないことを考えれば、トリクルダウンの最上位層に位置しているわけでもないでしょう。氏を積極的に誹謗している一部の学者を除けば、大半の人間にとって一介の学者の発言は本来「どうでもいいこと」の範疇にすぎないはずであり、それがああも熱狂的にバッシングされるのは北村氏以外の要因から「叩きやすい」と思われたからでしょう。
では女性差別的な誹謗中傷のシャンパンタワーの最上位に位置しているのは誰なのでしょうか。ネットに慣れ親しんだ人にはなんとなくわかることですが、ここには左派的な女性の国会議員や地方議員が含まれます。蓮舫氏や辻元清美氏、福島瑞穂氏はその代表例でしょう。警察行政を批判したフェミニスト議連が最終的に殺害予告までされたという事例も記憶に新しいところです。
誹謗中傷のトリクルダウンというのは、こうした人々が誹謗中傷され、かつ、加害者がそのことについて(滅多に)責任を取らないことで生じます。つまり、もっとも知名度があり力がありそうな立場の議員を中傷しても何も跳ね返ってこないことにセクシストは調子づき、より知名度や影響力の低い人々への嫌がらせにまい進するようになるというメカニズムです。もっとも、ここでの「力がありそう」というのは本当にあり「そう」というだけに過ぎず、実際には相手が「女性である」という一側面だけで彼らは自分の傍若無人が世間に受け入れられると見越しています。
そして、こうした対処のためには、被害者側の決意だけでは不十分です。被害者はすでに無数の誹謗中傷によってダメージを負っているのであり、この上でさらに訴訟の負担を抱え込むことは困難です。加害者に責任を取らせるには、被害者から外部化されたサポートが必要になってきます。
こうしたサポートを容易に提供できる組織の1つが政党でしょう。法律の専門家を多く擁し資金も豊富な政党は、誹謗中傷に晒された被害者を支援するのに必要なものをおおむね揃えており、政党がバックアップするというかたちは現実的でもあります。
政党が所属する議員を誹謗中傷した者を相手に訴訟を起こすのは表現弾圧であり、行うべきではないと考える向きもあるでしょう。実際、政党が誹謗中傷に対し法的措置をとるのに消極的な理由の1つかもしれません。しかし、このような解釈は一面的なものにすぎないと指摘できます。確かに、後述するような維新の如き振る舞いであれば、表現の自由を狭める行為であると批判されるでしょう。ですが、相手が常習的かつ極めて悪質であり、明らかに誹謗中傷による損害賠償が認められると思われる場合であれば、こうした対応はむしろ表現の自由を守ることに貢献します。
誹謗中傷を放置することで、短期的には被害者がSNS上での発信を妨害されるといった問題が生じます。誹謗中傷を繰り返されれば心身に悪影響が及びますし、議員をこれ以上続けられないと思う人も出てくるでしょう。あるいは、これほど誹謗中傷されるのであれば議員を目指して出馬できないと思う人もいるでしょう。そうなれば、女性が議員になる権利や政治活動をする権利は著しく制約されることになります。このような状態は健全とは言えません。女性の政治活動における権利を保障するために、特に所属する議員を防衛するために、各政党は具体的な対応をする義務があると考えるべきです。
そしてもちろん、長期的には私が指摘したような「誹謗中傷のトリクルダウン」のようなことも起こるでしょう。こうした現象に対し、訴訟以外の方法で対応すべきだというのは理想ですが、それは現状起こりえない理想でしかありません。自民や維新が勢力を強めている状況では、まともな対応策を政府や国会として講じることはできません。であれば、政党単体でできることをやっていく必要があるはずです。訴訟活動はそのなかの1つに位置付けられるはずです。
訴訟による対応の利点は、きわどいラインを探ることなく、明らかに悪質なものにのみ対応することでも一定の成果が期待できる点です。誹謗中傷として損害賠償を求めるべきか微妙なものにまで対応をしようとすれば、それこそ表現の自由が問題となります。しかし、常習的であったり悪質であったり、あるいは誹謗中傷によって利益を得ていたりするものであれば「明らかに悪い」と言えますし、こうしたものに対処しても表現の自由は損なわれにくいでしょう。そして、誹謗中傷の多くが著名な少数のアカウントによって扇動されていることを考えれば、そうした頭を潰すだけでも問題は随分ましになり得ます。
確かに、立憲民主党は過去あるいは現在も何度か、こうしたデマの流布や誹謗中傷に対して訴訟を起こしています。しかし、これまでのものには「女性差別を動機とする嫌がらせ」に対応するという側面が少なく、相手もよほど商業的に行っている者に限られるという点で消極的すぎるように感じます。
こうした言動に対し、あろうことか立憲の馬淵氏は「内容は不適切」と発言してしまいました。彼は過激な表現を好まないというような「常識的良心」を表現したつもりかもしれませんが、問題は維新にそのような常識が通用しないということです。維新の目的は立憲を攻撃しつつこれまで自分たちを「ヒトラー」に例えてきた批判者の口を紡ぐことであり、菅直人という著名な政治家を黙らせられればその下にいる人たちに「トリクルダウン」させられるとの思惑があってのことでしょう。
好むと好まざるとにかかわらず、政党は政治的言論の最前線であり、また頂点でもあります。良識的な立場にある政党が有象無象の誹謗中傷に対し責任ある対応ができなければ、市井の有権者もまたそうした誹謗中傷に晒されることになりかねません。ダメなものはダメだと当たり前の対応を出来ることが、こうした状況だからこそ求められています。
その書かなかったことというのは、いわゆる野党共闘に含まれる政党について、誹謗中傷に対して法的措置をもっと積極的にしてほしいという要望でした。なぜその必要があるのか、どうして今回改めてそのことを書く気になったのかをまとめておきます。
誹謗中傷のトリクルダウン
北村氏に対する度重なる誹謗中傷を見ていて思ったのは、こうした現象が、いわば「誹謗中傷のトリクルダウン」とでも表現すべき側面を持っているのではないかということです。トリクルダウンとは富裕層にお金がいきわたることで、それがシャンパンタワーのように下層へと流れていくという経済学的妄想ですが、ここでは「著名な人間への誹謗中傷が放置されることで、比較的著名ではない人への誹謗中傷も酷くなる」という一連の流れを比喩してのことだと理解してください。さて、北村紗衣氏はどちらかと言えば著名な側に属するので氏への誹謗中傷をトリクルダウンの下層だとみなすのはいささか的外れかもしれません。とはいえ、氏はあくまで市井の学者にすぎないことを考えれば、トリクルダウンの最上位層に位置しているわけでもないでしょう。氏を積極的に誹謗している一部の学者を除けば、大半の人間にとって一介の学者の発言は本来「どうでもいいこと」の範疇にすぎないはずであり、それがああも熱狂的にバッシングされるのは北村氏以外の要因から「叩きやすい」と思われたからでしょう。
では女性差別的な誹謗中傷のシャンパンタワーの最上位に位置しているのは誰なのでしょうか。ネットに慣れ親しんだ人にはなんとなくわかることですが、ここには左派的な女性の国会議員や地方議員が含まれます。蓮舫氏や辻元清美氏、福島瑞穂氏はその代表例でしょう。警察行政を批判したフェミニスト議連が最終的に殺害予告までされたという事例も記憶に新しいところです。
誹謗中傷のトリクルダウンというのは、こうした人々が誹謗中傷され、かつ、加害者がそのことについて(滅多に)責任を取らないことで生じます。つまり、もっとも知名度があり力がありそうな立場の議員を中傷しても何も跳ね返ってこないことにセクシストは調子づき、より知名度や影響力の低い人々への嫌がらせにまい進するようになるというメカニズムです。もっとも、ここでの「力がありそう」というのは本当にあり「そう」というだけに過ぎず、実際には相手が「女性である」という一側面だけで彼らは自分の傍若無人が世間に受け入れられると見越しています。
責任を取らせなければならない
こうした問題を解決するもっとも効果的な手段は、言うまでもなく加害者に責任を取らせることでしょう。できるだけ大事にしたうえで法的な責任を取らせ、誹謗中傷が被害者の人生を破壊しかねないのと同じように自身の人生も破壊し得ることをわからせる必要があります。そして、こうした対処のためには、被害者側の決意だけでは不十分です。被害者はすでに無数の誹謗中傷によってダメージを負っているのであり、この上でさらに訴訟の負担を抱え込むことは困難です。加害者に責任を取らせるには、被害者から外部化されたサポートが必要になってきます。
こうしたサポートを容易に提供できる組織の1つが政党でしょう。法律の専門家を多く擁し資金も豊富な政党は、誹謗中傷に晒された被害者を支援するのに必要なものをおおむね揃えており、政党がバックアップするというかたちは現実的でもあります。
政党が所属する議員を誹謗中傷した者を相手に訴訟を起こすのは表現弾圧であり、行うべきではないと考える向きもあるでしょう。実際、政党が誹謗中傷に対し法的措置をとるのに消極的な理由の1つかもしれません。しかし、このような解釈は一面的なものにすぎないと指摘できます。確かに、後述するような維新の如き振る舞いであれば、表現の自由を狭める行為であると批判されるでしょう。ですが、相手が常習的かつ極めて悪質であり、明らかに誹謗中傷による損害賠償が認められると思われる場合であれば、こうした対応はむしろ表現の自由を守ることに貢献します。
誹謗中傷を放置することで、短期的には被害者がSNS上での発信を妨害されるといった問題が生じます。誹謗中傷を繰り返されれば心身に悪影響が及びますし、議員をこれ以上続けられないと思う人も出てくるでしょう。あるいは、これほど誹謗中傷されるのであれば議員を目指して出馬できないと思う人もいるでしょう。そうなれば、女性が議員になる権利や政治活動をする権利は著しく制約されることになります。このような状態は健全とは言えません。女性の政治活動における権利を保障するために、特に所属する議員を防衛するために、各政党は具体的な対応をする義務があると考えるべきです。
そしてもちろん、長期的には私が指摘したような「誹謗中傷のトリクルダウン」のようなことも起こるでしょう。こうした現象に対し、訴訟以外の方法で対応すべきだというのは理想ですが、それは現状起こりえない理想でしかありません。自民や維新が勢力を強めている状況では、まともな対応策を政府や国会として講じることはできません。であれば、政党単体でできることをやっていく必要があるはずです。訴訟活動はそのなかの1つに位置付けられるはずです。
訴訟による対応の利点は、きわどいラインを探ることなく、明らかに悪質なものにのみ対応することでも一定の成果が期待できる点です。誹謗中傷として損害賠償を求めるべきか微妙なものにまで対応をしようとすれば、それこそ表現の自由が問題となります。しかし、常習的であったり悪質であったり、あるいは誹謗中傷によって利益を得ていたりするものであれば「明らかに悪い」と言えますし、こうしたものに対処しても表現の自由は損なわれにくいでしょう。そして、誹謗中傷の多くが著名な少数のアカウントによって扇動されていることを考えれば、そうした頭を潰すだけでも問題は随分ましになり得ます。
確かに、立憲民主党は過去あるいは現在も何度か、こうしたデマの流布や誹謗中傷に対して訴訟を起こしています。しかし、これまでのものには「女性差別を動機とする嫌がらせ」に対応するという側面が少なく、相手もよほど商業的に行っている者に限られるという点で消極的すぎるように感じます。
維新の愚論と立憲の弱腰
さて、こうした議論をいま改めてやろうと思ったのは、維新の愚かな発言があります。それは菅直人氏が維新の振る舞いをナチスやヒトラーに例えたのに対し、「国際法上不適切」などと謝罪を求めるというものです。このバカバカしさはすでに多くの人が指摘しているのでここでは論じませんが、1つだけ指摘するなら国際法は国家間に適用されるもので、この理屈だと菅直人が国家になってしまいます。なお、国際法を最初に持ち出しのが弁護士の橋下徹であることも添えておきます。こうした言動に対し、あろうことか立憲の馬淵氏は「内容は不適切」と発言してしまいました。彼は過激な表現を好まないというような「常識的良心」を表現したつもりかもしれませんが、問題は維新にそのような常識が通用しないということです。維新の目的は立憲を攻撃しつつこれまで自分たちを「ヒトラー」に例えてきた批判者の口を紡ぐことであり、菅直人という著名な政治家を黙らせられればその下にいる人たちに「トリクルダウン」させられるとの思惑があってのことでしょう。
好むと好まざるとにかかわらず、政党は政治的言論の最前線であり、また頂点でもあります。良識的な立場にある政党が有象無象の誹謗中傷に対し責任ある対応ができなければ、市井の有権者もまたそうした誹謗中傷に晒されることになりかねません。ダメなものはダメだと当たり前の対応を出来ることが、こうした状況だからこそ求められています。