いなくとも想い、いなくとも生きる。
今でもコメントを定期的にもらって嬉しいんですがイマイチ完結した作品の続きはグダグダして納得いかないので没にしたネタとかなんかそんなの置いときます。跡を濁しまくり。
尻切れトンボな没作品であることに特に文句ない人だけどうぞ。
ちな最後のは碁聖寛蓮の話を参考に。
3/9女子ランキングお邪魔しました。並びにコメント評価ブクマありがとうございます。ずいぶん前のシリーズやのに反応早すぎてびっくりしました。また機会があれば。
- 4,568
- 3,031
- 100,818
水の中に沈みゆく彼の人は、きっと美しかっただろうと夢想するが、それは彼にとって不本意かもしれないと、そっと瞳を閉じた。
しかし一度考えはじめると頭から離れなくなり、みのむしのようにうずくまっていたが布団を跳ね飛ばしてベッドから抜け出し、その日初めて彼の死を描いてみた。
何度も描いた顔だ。しかしその顔に苦悶の表情は浮かべさせることはできなかった。
筆は軽やかに動いた。寝顔のような美しい静かな死に顔、現実は無念さに溢れていただろうと思うのだが、ヒカルにとって佐為の苦しむ表情とは想像さえできないものだった。
勝負師としての真剣な表情、ふざけた泣き顔、子供っぽい怒り顔、甘ささえ感じる優しい笑顔も知っている。けれど辛く歪んだ苦しみの表情は知らなかった。
小さなキャンバスに大きな刷毛で胡粉を塗りたくり、乾いたその上に面相筆を滑らせた。もう昔のように指は震えず、薄青い墨が美しい曲線を描いた。何度か胡粉を塗り直し、乾くのを待つあいだに、一つ一つ丁寧に今度は水肥をすり鉢で擦った。絵を描くとき、弾けるような言葉にならない想いが溢れるが、絵の具を作っているあいだは、瞑想するような形で頭の中はすっきりと整理されていく。この時間がヒカルは好きだった。
水肥である程度色彩を整えたあと、最後に岩絵具を手にとった。試験管のような入れ物を眺め、大切に中身を絵皿にだした。どうか神様がこの絵に宿るように祈りながら、筆をもち、色を確認する。
膠によって貼り付けられた宝石たちがキラキラと輝き出し、その死に顔を彩った。
生きているように美しく、しかし決して生命のみなぎる血色は感じさせず、それはさながら神仏のような人とは一線を画す存在が表現されていた。
江戸時代の武士や女性たちを描くものは多くいたが、平安貴族を主に書き続ける画家というのは珍しい。現代において写生が不可能であり、資料もわずかばかりであるからなのだが、それでいてヒカルは誰もが納得する平安貴族を描き続けていた。それらはとても優美で存在感溢れる作品たちばかり、とてもモデルに平安衣装を着せてデッサンさせただけでは醸し出せない空気を持っていて、一部の好事家達には進藤ヒカルは平安へいったことがあるのだろう、などと言われていた。
その何枚もある平安貴族を題材にした絵の中には、今までたおやかな笑顔を持った人物しか描かれてこなかったが、この度今までとはガラリと雰囲気を変えた作品が世に出た。
水と花に埋もれた静かなその人は、きっと生きてはいないだろう。
小さなキャンバスが、柩のように思わされた。進藤ヒカルは何も語らないことで有名であったので、誰も問い詰めはしなかったが、言葉にならないほどの想いが込められているのだろうと皆が察していた。
「oh・・・なんて絵だ!シンドウヒカル、僕知ってるよ、シンドウって神の子って言う意味なんだろ!まさしくこの絵にはゴッドを垣間見るよ・・・!」
「神の子・・・?神童のことか、いやお前違うんだが」
海外での個展をしないかと、誘われてヨーロッパのプロと対局したいしという軽いノリで展示した作品は次々と売却済となっていて、覗きに来たヒカルは驚いていた。そして最後の展示物の前で号泣する白人二人が日本語で話していたためヒカルは脚を思わず止めた。
自分の絵を二人越しに少しみて、描いた佐為を想って小さく深呼吸をした。二人はまるで気づく様子がなかったので、そのまま後ろを通り過ぎる。思わず浮かべたご機嫌な笑みは、誰にも見られてはいなかった。
(佐為の子か、それって最高だな)