法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

日本が勝利したというシナリオは破綻しても、あまり反省にはつながりそうにない件

日本の技術広報を目的として作られた「下町ボブスレー」が、日本代表とは信頼関係を築けず、ジャマイカ代表にも使用を拒否されて終わった。
「下町ボブスレー」夢かなわず ジャマイカ、外国製そりで出場 - 共同通信 | This Kiji

使用するそりを巡って騒動になったジャマイカ代表は、東京都大田区の町工場が中心となって開発した国産の「下町ボブスレー」ではなく、外国製のそりで出場した。

この「下町ボブスレー」は教育出版の道徳教科書に採用され*1安倍晋三首相が乗りこんだ写真も掲載されたが、こうしてシナリオの破綻は明らかとなった。


また、日本軍の慰安所制度をモチーフにした碑が、それを止めようとする日本政府の動きに反して、増えつづけているという。
慰安婦像、合意後に6カ所設置 韓国外、日本政府に焦り - 共同通信 | This Kiji

日韓両政府が慰安婦問題の最終的解決で合意した2015年12月以降、韓国国外で新たに6カ所に朝鮮半島出身者の慰安婦像・碑が建てられたことが外務省の調査で3日までに判明した。日本側は、合意に反する動きだとして各地域で撤去へ働き掛けを強めているが、歯止めがかからない状況に焦りも広がっている。

しかもこの外務省調査ではフィリピンに建立された碑*2は数えられていない。
そもそも日韓合意は、韓国公館前の碑に限定して懸念があることを共有したもの。密約にまで広げても、碑の建立を韓国政府が支援しないことに限定されているだけで、韓国以外で碑が建立されても何の違反にもならない。
むしろどのような立場でも合意に無関係なことを、「歯止め」しようと動いていることから、やはり日本政府こそが約束を軽視して、表現の自由を抑圧しようとしていることが明らかとなった。
従軍慰安婦問題と日韓合意に対して、「約束」の重要性が恣意的にあつかわれていないか? - 法華狼の日記

合意の効力がおよばない民間記念碑の建立や認可まで、日本政府はやめさせる根拠として日韓合意をもちだしている。そこでの日韓合意は約束として用いられているのではなく、約束を破るために用いられているのではないのか。

そして日韓以外の複数地域で日本政府の要求にしたがわずに碑が建立されている*3ことは、国際的に日本が倫理的に高く評価されるというシナリオの破綻を意味するのではないか。


いまのところ「下町ボブスレー」は日本国内でも注目されず、どちらかといえば否定的な意見が強そうだ。
技術が数字で明らかとなるスポーツを舞台としていることや、希望的観測で先走って教科書にのせたことなど、複合的な破綻があるためだろう。せいぜい安倍政権との関係を切断処理しようとする動きを見るくらいだ。
しかしもう一方の外交的敗北は、同じように複合的に破綻しながらも、被害者意識から内政的勝利へ転嫁されている。せいぜい過剰反応もしくは逆に弱腰と外務省を批判して、切断処理しようとする動きがあるくらいだ。
従軍慰安婦問題における内政的勝利と外交的勝利をgryphon氏は混同してないか? - 法華狼の日記

ここで起きていることは、国外と国内の見解の乖離だ。極端にいえば、外交的敗北が内政的勝利によって外交的勝利にすりかわったのだ。

違いとして思いあたるのが、技術広報という建前からすれば契約破棄そのものが失敗となる「下町ボブスレー」に対して、韓国側から破ることで日本側が倫理的に優越することが「日韓合意」の成果になるという主張があること*4
しかして「下町ボブスレー」が違約金を設定していたことから、契約破棄を予想していたと考えられるし、事実として契約の「正当性」*5を主張してオリンピックでの使用を求めていた。
「日韓合意」も被害者救済という建前を持っていたが、忘れられつつある。「下町ボブスレー」も、内輪においては、すでに建前から自己正当化へと目的が変化しているのではないか。

  • s3731127306

    これはあえてたたき台になるつもりで言っているのですが、過去の国体主義の「そのままの」復活とみるべきではないと思うんですね。思い切って言えば、「使い捨てのカルト(カルトヒーロー)に国家主義が結合している」といったほうがより正確ではないかと思うのです。本来、「使い捨て」と「カルト」は互いに矛盾する概念なわけですが。

  • リア

    下町ボブスレーがやりたかったのはボブスレーというスポーツ(ゲーム)に資する性能を持つ道具を作ること=ものづくりではなく「下町の中小企業が苦難を乗り越えて製品開発しそれを使い選手たちが活躍した」みたいな定型的な「ものがたりづくり」だったんでしょう。このような物語が成立するためには他のどの競合製品よりも優れたものを作っていることが当然の前提ですがそうなってない。
    スポーツ選手(プレイヤー)は勝つことやより良いスコア、タイムを出すことを目指している。これはほとんどすべてのゲームが成り立つための条件です。スポーツの道具は性能だけが問題であり大企業が作ろうが中小企業が作ろうが選手からすればどうでもいい。目標に資する良い道具であれば使う。
    (現実を反映しているかはおくとして)良いものづくりがあって、次に選手たちの良い結果があり、そこから事後的に選手たちの苦難や努力、周囲の支援者などの存在がクローズアップされ物語化される。最初から物語を夢想するなど本末転倒も甚だしい。下町ボブスレーはスポーツに対してもものづくりに対しても不誠実だった。シナリオの破綻は当然の結果です。

  • hokke-ookami

    s3731127306さんへ
    >本来、「使い捨て」と「カルト」は互いに矛盾する概念なわけですが。

    ふむ……たとえば幸福の科学において、教組と離婚した妻への評価が180度変わったりと、御都合主義的に人間を使い捨てていくのも、カルトの特色といえるのではないでしょうか。


    リアさんへ
    >良いものづくりがあって、次に選手たちの良い結果があり、そこから事後的に選手たちの苦難や努力、周囲の支援者などの存在がクローズアップされ物語化される。最初から物語を夢想するなど本末転倒も甚だしい。

    そうですね。もちろん、たとえ結果がともなわなくても良い物語になることはありえますが、いずれにせよシナリオ先行では現実と齟齬が生まれた時には失敗するしかありません。

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