日刊ジャスミン
◆ 映画でよく海賊がアイパッチをつけているのを見かける。大抵の人は、海賊が眼帯をつける意図を海賊特有の独眼か海賊のファッションと考えているだろう(そもそもあの眼帯に深い意味はないと思っているかもしれない)。だが本当の理由はそんなことではないのだ。最近の研究によると、人間の目は暗闇から明るいところに出てきたときに数秒で光に適応するらしい。逆に明るいところから暗闇へ入ると、目が慣れるまでに25分近くかかるという。海賊は船内から即座に出てまた船内に戻るという、光と闇を何度も行き来する必要がある。そのため、暗闇に入らなければいけない時には、片方の目に眼帯をずらしていたのだ。眼帯で覆っていた目は既に暗闇に慣れていたため、すぐに環境に適応して動けるというわけだ。
◆子どもが剣を振り回して真似るように多くの人にとって遠い憧れの存在であったであろう海賊。実際のところは、映画のような相手の船に乗り込んで斬り合うことはあまり無かったと言われる。ほとんどの場合が貧困で仕方なく海賊になったらしい。しかし、そんな現実を知っても世に流通している海賊のイメージはそれとして美しい。パイレーツ・オブ・カリビアンを見て、「現実と違うじゃないか!」と言って映画館を去る人はまずいないだろう。素材を活用してより美しく造形できるのがフィクションの面白さなのだろう。だがそこには落とし穴があるようにも思える。それが先ほど述べた「海賊の知恵の話」だ。一般的に描かれる海賊は「とにかく強く、格好良く、ワイルド」といったイメージを抱かれる。つまり、力で華麗に解決する。もちろん力といっても、筋力だけの話ではなく、瞬発力や持久力といった総合的に高い身体能力を見せる。それが世の子どもたちの強い憧れの要素の一つだろう。その場合、「眼帯の意味」を考える人がどこにいるだろうか。それらのイメージを持ってすれば、眼帯の意味は先にあげた「独眼か、ファッション」といった単純な発想しか生まれない。考えてみれば理由が独眼だからだとして「なぜ片目だけ狙われるのか」、ファッションだとしても「戦いの邪魔になる無駄な道具になるのではないか」といったおかしな点が色々と出てくる。それらは全て海賊にとって「非効率的」だ。
◆だが本当の意味は極めて「効率的」なものであった。イメージが本質から人々を遠ざけるというのは言うまでもない。先の通り「ファイクションは造形」であるのだが、場合に応じて、足し算のアートではなく彫刻のような引き算のアートを生むべきでもあろう。削って美形を生み出していく──そこには本質が残っているのだろう。
■海賊は知恵の塊だ。