『COMPLEX』は
平成元年だったからこそ成し得た
吉川晃司と布袋寅泰による
奇跡のコラボレーション
『COMPLEX』(’89)/COMPLEX
アフターBOØWYの大本命
メンバーにとって、もしかするとファンにとっても、この言い方をされるのは好ましいことではないのだろうけれど、それを承知で書くと、COMPLEXがデビューいきなりブレイクしたのは、1988年のBOØWYの解散とは無縁ではない。個人的にはそこから地続きになっていたのではないかとすら思う。言うまでもなく、BOØWYは日本ロックシーンにおける最重要バンドのひとつ。BOØWYがいなかったら現在のシーンは今とは違ったものになっていたであろうし、その意味ではBOØWYというバンドは歴史の分水嶺を担ったバンドだったとも言える。
そのBOØWYは1988年4月、東京ドームでの『LAST GIGS』でその活動を終了しているが、実際には1987年12月の渋谷公会堂公演での解散宣言でバンドは終わっている。メンバーが『LAST GIGS』を指して“少し早い再結成、同窓会のようなものだった”と言っていたというのは有名な話だ。BOØWYのGIGの多くはホールクラスであった。『CASE OF BOØWY』等でのアリーナ公演もあったものの、最後のツアーであった『DR.FEELMAN'S PSYCHOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR』にしてもその多くは地方都市でのホール公演。アルバム『BEAT EMOTION』(1986年)と『PSYCHOPATH』(1987年)とで連続チャート1位奪取したあとのことなので、今なら最低でもアリーナツアーを組むところであろう。時代が早かったと言えばそこまでだが、要するにBOØWY解散の辺りの時期は、需要に見合った供給がなされていた状況ではなかったのである。解散宣言をした渋谷公会堂のチケットを100万円出してダフ屋で買った人がいたとか、『LAST GIGS』で用意された10万枚のチケットが10分で売り切れたばかりか、購入者が殺到したために電話回線がパンクしたこととかが、その事実が供給不足だったことの何よりの証左であろう。
氷室京介の『FLOWERS for ALGERNON』(1988年9月)、布袋寅泰(Gu)の『GUITARHYTHM』(1988年10月)と、BOØWY解散の約半年後、図らずも2カ月連続で発表された元メンバーのソロはいずれも素晴らしい作品であったし、バンドが消失した空白を埋めたことは間違いない。しかし、ソロはソロ。誤解を恐れずに言えば、それぞれのソロ作品が連発されたことで、あのヴォーカルとあのギターとが合わさった時に確実にあった何か──バンドの妙味みたいなものがそこにないことが逆に浮き彫りになった感はあったと思う。少なくとも筆者にはあった。これはこれで十分なんだけれども、十分であるがゆえに各々が合わさった時の化学反応を期待してしまう気持ち。今でもそれが強欲であったことは承知だけれども、何しろ直前までBOØWYの熱狂を体験していたのだから、我がことながら無理もなかったと思う。その何か微妙に満たされない空気を、これ以上ない衝撃で埋めてくれたのがCOMPLEX結成の報道であった。
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