「癒しブームを覚えていますか~日本中が本当に癒されるために~」
本日もKM Worldの報告をしたかったのですが、セッション内容が難解であり、簡単に「さわり」をご紹介するという感じではありませんでした。ですので、そちらは別途掲載するとして、いつもの日経BizPlusの最新号を掲載させていただきます。
NIKKEI NET BizPlusの連載・ニッポン万華鏡(カレイドスコープ) 第10回がアップされました。
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/kanamori.cfm?i=20060112c6002c6
以前予告しました北海道取材を敢行した原稿です。
以前も「自殺者3万人」に関連した原稿は執筆しましたが、今回はよりそこに焦点を当てて書いてみました。より、その事態を憂いての内容です。ただ、文字数の制約で書きたいことの1/10も書けませんでした。このテーマはまた機会を見てチャレンジしてみたいと思います。
記事中に「ヒーリング」の事が出てきますが、このストレス社会においては自覚症状がない方にでも有効なセルフメンテナンスの手法だと思います。実際、今回取材にご協力いただいた北海道のヒーラーの方に、私自身半年に一度施術していただいています。お勧めです。
その方のことも別途、改めてご紹介いたします。
-----------<以下バックナンバー用転載>-----------
「癒しブーム」。もはやどこか懐かしい響きを持つようになったこの言葉。景気回復が先行し、消費者指数ベースで見てもデフレ不況からも脱したと言える2005年の今日、もはや「癒し」は必要なくなったのだろうか。しかし、一方で自殺者は3万人台のラインから下がる気配はなく、交通事故の3倍もの人が自ら命を絶つという、日本は異常な国になってしまった。
ブームが去った観のある今だからこそ、あえてそれを見つめ直し、本当に「癒し」が必要な人が癒される方法を今回は考えてみたい。
■「癒しブーム」の時代背景
バブル経済が崩壊したのは1992年。その後1998年頃から"国策"の観を呈したIT化の推進を背景にベンチャー企業が台頭し「ネットバブル」とも呼ばれた景気回復が見られたものの、2000年春には早くも崩壊。同2000年の「ゼロ金利政策解除」を始めとした複合的な要因で日本は本格的な「デフレ不況」の時代に突入していった。日本人の誰もが自分の将来や暮らしに漠とした不安を抱えていた。「癒しブーム」がにわかに起こったのはちょうどその頃のことである。
■「癒し」は商業ベースのブームだった?
実は「癒し」という言葉を引いても該当する頁が出てこない辞書も少なくない。「癒す」で捜さなければ出てこない。「癒し」は本来、「苦痛を和らげる」という意味の「癒す」であり、それが名詞化したものである。つまり、何らかの行為を表す動詞が、「物」になってしまったのだ。
実際に「癒しブーム」とは、実は「癒しグッズ」と言われる商品と非常に関連が深い。上手いのか下手なのか分からない筆致で有り難げな言葉の書かれた書。毒にも薬にもならない何となく流れているだけのような音楽。どこか間の抜けたようなイメージを持つキャラクター等々・・・。しかし、実際に本当に癒されることを必要としている心や身体がひどく傷ついている人にとって、それらの物は効果を持つのであろうか。答えは否だ。
つまり、「癒しブーム」とは先に述べたような、決して明るくない日本の世相を反映して創出されたマーケットであったと言えよう。日本人が皆、どことなく将来の不安や暮らしの厳しさを感じ、心に隙間ができていた。その隙間に巧みに入り込んできたのが「癒しグッズ」であり、実は「癒しブーム」とはそれらのグッズが形成したマーケットの総称であると言うこともできるだろう。
■ブームでは済まない「本当に治癒されるべき人々」
「癒しグッズ」の実際の効果は受け取り手によって様々であるが、「本当に痛みを持った人」は、先に述べたようにそれでは救われない。しかし、「何となく不安」なレベルの人々にとってはある程度の「安心感」を与えてくれるのも事実のようだ。自助努力を伴わない「安心感」はクセになる。かくして癒しグッズが売れ続けるということで、「癒しマーケット」は定着し、「癒しブーム」という名を借りたマーケット創出劇は幕を閉じた。いや、ブームは去ったのではない。一過性の流行ではなく定着したことでブームと誰も言わなくなったのである。
前述の「何となく」癒されたい人々は、今後も「癒しグッズ」で安心感に浸ればいい。しかし、冒頭で述べたように「自殺者3万人」という数字は、耐え難い心の痛みを持った人々が数多く存在することを意味している。死を選択する原因は様々だろう。昨今は経済的な要因が多いのが事実だ。しかし、今のところ日本の貧困は飢えなどで死に至るほどのものではない。飢えて死ぬ以前に「心」が壊れ死に至るのだ。経済的要因以外にも対人関係の悩みも、このストレス社会においては心にクリティカルな痛みをもたらす。そう、本当に癒されるべきなのは、ブームに乗った商品では決して心満たされることのない、心が傷つき壊れかけた人々なのだ。
一説によれば潜在的には軽度も含めれば5人に1人が鬱病であるといわれるほど、日本は鬱大国になってしまった。鬱病は自殺の多くの要因となるといわれている。鬱を自覚し早めに治療に踏み切らせるために「鬱は心の風邪」という名コピーがかつて開発され、広く普及している。しかし、「風邪」もこじらせば死に至る場合もあるのだ。
■一刻も早く自分にあった「本当の治療」を受けよう
では、どうしたら壊れかけた心を治癒できるのか。一番端的に考えれば「精神科に行くこと」であろう。しかし、一般の人々にとって「精神科」という響きは重く、敷居が高い。そのため名称を「精神神経科」としている病院もあるが受けるイメージに大差はない。そのため、内科に属する「心療内科」を選択する人も多い。いずれの科を選択するにしてもためらわずに早期に治療を開始することが肝心なようだ。結局どの診療科目を選択しても、カウンセリングなどもあるが、医師の持っているカードは「薬」だ。抗鬱剤には依存性はないが、同時に投与されることの多い抗不安剤には依存性がある。早期に治療して短期で治癒させなければ厄介だ。抗不安剤の長期使用は依存性だけでなく、瞬時の判断力が低下する場合などもあるという。
そうした薬や病院には抵抗があるという場合は、民間療法ではあるが「ヒーリング」という選択肢もある。「ヒーリング」というと何やら怪しげなイメージを持つ人も多いだろうが、そもそも「癒し」を英訳すれば「healing」だ。日本では正式な肩書として認められていないが、ヒーリングの施術者、ヒーラーになるためには米国では4年も専門学校に通って資格を取得する。ヒーリングにはカウンセリングをメインとする手法や、アロマテラピーの要素を加えたマッサージのような手法を加えたものなど幾つかの流儀がある。通院との併用でより短期に治癒効果が得られる場合もある。
大切なのは、少しでも自分に変調を感じたら、病院でも民間療法でもともかく自分が納得できる治療法を見つけることだ。「癒しグッズ」で自分をごまかして症状を悪化させるようなことは避けなければならない。また、通院を厭うことも同様だ。自らの状態と選択すべき対処方法のアンマッチが悲劇を生む原因になるのだ。「癒される」という言葉は受動態であるが、受け身ではなく積極的に行動しなければ、内在されたネガティブな思考は更に拡大し、自らを蝕んでいく。
「何となく不安」という心の隙間を衝かれ、コマーシャリズムに入り込まれるのはご愛敬の範囲だろう。しかし、その心の隙間が「病」のレベルに達しているのだとしたら、「癒しグッズ」などは何の助けにもならない。もはや日本のネガティブなトレンドと化してしまった「鬱」や「自殺」に捕らわれる人が一人でも減ることを、今回はマーケターとしてではなく、一人の日本人として願って止まない。
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