「このままでは今から20年後、30年後に老後破綻する家計が続出するのではないでしょうか」

 こんな物騒な予想をするのは、ファイナンシャルプランナー(FP)の澤木明氏だ。数多くの企業で、50代以上の社員に定年後の生き方を考えさせる「ライフプラン研修」を行ってきた。

「研修に合わせて家計相談も行っていますが、老後に備えた貯蓄は成り行き任せの人がほとんどです。今、自分がどれぐらい準備できているかも整理できていません。皆さん、危機感だけはお持ちなのですが……。まるで真実を知るのが怖いと思っていらっしゃるようにも見えます」

 澤木氏の見立ては、おそらく正しい。60歳を前に、「もし準備不足がわかってしまったら……」と思うと怖くなるのだろう。

 ただし、「危機感」を持つこと自体は正解だ。近年、老後資金をめぐる考え方は大きく変わり、準備しなければならないお金は増える一方だからだ。

 言うまでもないことだが、長寿が進んで「老後」の期間が大きく延びた。日本人の平均寿命は現在、男性で81.64歳、女性は87.74歳。65歳の人があと何年生きるかを示す平均余命で見ると男性20.05年、女性24.91年で、男性は「85歳」、女性は「90歳」が視野に入ってきている。

 このためライフプランを考えるさいも、つい4〜5年前までは「90歳、心配なら95歳まで見ておけば十分」だったのが、今ではそれが「100歳まで」が常識になってしまった。

 ところが、老後資金を準備するお金の原資となる賃金は増えない。経済協力開発機構(OECD)によると、2020年の日本の平均賃金は約424万円。驚くべきことに、この30年で米国が47.7%、英国が44.2%も賃金が増えているのに、日本は同じ30年でわずか4.4%増。ほぼ横ばいなのだ。賃金額ではすでに韓国にも抜かれてしまっている。

 準備すべき期間が延びているのに、資金の原資となるお金は増えない。これでは必要な老後資金が準備できなくなる。

 加えて日本人のライフスタイルの変化が、この流れに「とどめ」をさしつつある。現在の50歳代以下にみられる「晩婚・晩産」だ。

 内閣府の「少子化社会対策白書」によると、19年の平均初婚年齢は夫が31.2歳、妻が29.6歳。1985年と比較すると夫は3.0歳、妻は4.1歳上昇している。また、赤ちゃん出生時の母親の平均年齢を見ると、19年は第1子が30.7歳、第2子が32.7歳で、同じく85年との比較では、第1子で4.0歳、第2子で3.6歳上昇する結果となった。

 老後資金に詳しいFPの長尾義弘氏が言う。

「かつてのように20歳代での結婚・出産パターンですと、住宅資金→教育資金→老後資金と大きな支出は順番にクリアしていけました。ところが、結婚が30歳前後となれば、出産は30代前半、住宅購入は40代前半にずれ込んでしまいます。子供の大学は50代になってからですから、50代は教育資金と住宅ローンで手いっぱいで、老後資金まで手が回らなくなってしまいます」

◆教育費ずれ込み80歳で家計破綻

 最近では出産が30代後半のこともあり、なおさら50代で老後資金は貯められなくなる。こうした傾向から、長尾さんがこのほど上梓した本のタイトルは『60歳貯蓄ゼロでも間に合う老後資金のつくり方』だ。すでに、老後資金は60歳までにまったく準備できないことが前提になっている。

 さすがに「貯蓄ゼロ」の家計は多くはないだろうが、それでも教育費が50代半ばまで食い込んでくると、80歳前後で力がつきてしまう家計は容易に想像がつく。

 例えば、50歳代前半は収入が年700万円、55歳の役職定年で50代後半は3割減の同500万円、60歳以降は65歳まで再雇用で同240万円の会社員がいたとしよう。家族は妻と子供2人で、下の子が大学を卒業するのは56歳とする。50歳で貯蓄は1千万円、60歳で退職金1500万円が入ってくる。年金は夫婦2人で標準的な年280万円だ(65歳以降)。

 一方、支出は生活費が50歳代前半は年400万円で同後半は同360万円、60歳代前半は同330万円とダウンサイズしていき、年金生活に入ると同300万円に抑えるとする。問題の2人の子供の教育費が50歳代前半に年100万〜200万円かかり、住宅ローンは年100万円で60歳で完済とする。また、60歳で500万円かけて自宅をリフォーム、生活の潤いのために3年に1回、海外旅行などの資金として「100万円」の一時支出もできるとしよう。

 教育費がやや後ずれすることを除くと、何の変哲もない一般的な家計、いや収入面では平均よりやや高めのプチリッチな家計のように見える。ところがこれを「家計の長期予想表」(FPの世界では「キャッシュフロー表」と呼んでいる)に落とし込むと、80歳で資産残高がマイナスに転じてしまう。

 家計破綻である。「家計の長期予想表」とは、将来の家計の収入と支出を予想し、それを続けていくと「資産残高」(資産の合計)がどう推移するかを見るものだ。資産残高がマイナスになれば「アウト」である。この世の中、そんな家計にお金を貸してくれる人は誰もいない。マイナスになることがわかれば、収入や支出を見直してマイナスにならないような家計を作っていく。「家計の長期予想表」は、そうした家計見直しをするためのツールだ。

 話を破綻した先の家計に戻そう。プチリッチな家計でさえ80歳で破綻するのだから、ほかの家計は推して知るべしである。

「これからの世代は、自分の親世代などこれまでの世代と同じような老後生活を送ることはできないと思ったほうがいい。過去のロールモデルはまったく参考にならなくなりました」(先の長尾氏)

 ここが、これからの老後資金の新しいところだ。現役時代の準備だけではすべてのお金を用意できない時代に入ったのだ。(本誌・首藤由之)

※週刊朝日  2022年1月28日号より抜粋