母助け父濁流に、娘悔やむ 「長生きを」願いかなわず

河川が氾濫するなどし、熊本県や大分県で甚大な被害が出た豪雨。両県に大雨特別警報が出てから11日で1週間が経過した。熊本県人吉市では、妻を助けようとした男性が濁流にのみ込まれ犠牲となった。「最後まで立派な父だった」。長女は悲しみつつも、最愛の人を守った父を誇りに思う。
「早く逃げて」「分かった。分かった」。父と娘の最後の会話となった。熊本県南部の豪雨で人吉市下薩摩瀬町、井上三郎さん(81)は電話の直後、向かいの家の男性(70)が投げたビニールひもを妻、節子さん(77)の腕に巻き付け、自身は球磨川の支流にのまれ犠牲となった。
「一番長生きしてほしかった人に逝かれてしまった。何も親孝行できなかったな」。八代市で暮らす長女、なつみさん(50)は悔やんだ。
4日午前7時ごろ、なつみさんはテレビニュースで惨状を知り、すぐに実家に電話すると、節子さんがパニックになっていた。「水があふれてきた。車が水につかって動かない」。三郎さんに「早く外に逃げて、避難して」と伝えた。
節子さんは電話を切り、三郎さんとリュック一つで外に出た。電話した時にくるぶしまでだった水かさは、首元ほどに。「危ない。戻ったほうがいい」。男性が叫んだが、届かなかった。節子さんは自宅前の側溝に流され頭まで水につかった。三郎さんは後を追い、投げてもらったひもを節子さんの腕にくくりつけ、濁流に消えた。
節子さんは向かいの家に引き上げられた。駆けつけたなつみさんと一緒に、水が引き始めた自宅で眠れない夜を過ごし、警察からの連絡で三郎さんの遺体と対面した。4日午後2時ごろ、自宅から300メートルほど下流で発見されたという。
三郎さんは植物を愛し、夫婦で季節の野菜を育てた。なつみさんは父の自慢の大きなカボチャで、涙を流しながら煮物を作った。ひつぎに供え、葬儀の参列者にも振る舞った。カボチャは苦手だが「本当においしかった」。
「なっちゃんに買ってもらったんだ」。なつみさんが父の日やボーナス後に洋服や靴を贈ると、三郎さんは周囲にうれしそうに話した。節子さんは「なつみとお父さんは仲が良かったから」とほほえむ。
なつみさんはあの朝、「家から出て」と言ったことを悔いている。築40年以上の平屋にとどまるのは危険と考えたからだが「そんなにすぐに水位が上がるとは想像できなかった」。節子さんも「私を助けようとずっとそばにいてくれた。先に逃げることもできたのに」と声を詰まらせた。
「母に対する最後の愛情だったのかなと思うと、涙が止まらない。本当に最後まで立派な父だった」。なつみさんは最愛の人を守った三郎さんを振り返り、毅然と語った。〔共同〕