交錯する二つ
敷地内のカラオケルームで、Cクラスの面々は度々散財の放課後を過ごす。
男子も女子も半数以上が集まり、日々のストレスをそこで解いていくのだ。主催はもちろん龍園翔であり、彼の取り巻きや、彼の派閥に属するほぼ全員は固定面子のようになっていた。
しかし、Cクラスには未だに龍園をリーダーとして認めていない勢力が存在し、そういった少数派は一人を除いて表向きな反逆こそしないものの、積極的に龍園の開く催しに参加しようともしなかった。
が、今日の不参加はそれだけではなかった。
というより、龍園以外に誰も来ていないのだ。一人で20人用のルームに居座り、上等な飲み物をかっ食らう。
別にボッチとかいう話ではない、深月じゃないんだから。
部屋の外にはアルベルトが立っていた。とはいえ、龍園の命令によって絶対に中に入れないどころか、覗き見ることすら許されていない。
「……ったく、遅ぇな」
ドリンクの追加注文をしようか悩ましい頃合いだった。
満を持して、ようやくアルベルトが部屋の扉をノックした。もちろん、後ろ向きにだ。
「何だ?」
問うと、扉を微かに開いてアルベルトが、
「He is here」
「やっとか。通せ」
「Sure」
そうして、とある男子生徒がルーム内に招き入れられた。
深月流世は、脚組みをして見下すように待ち構えていた龍園を見やると、辟易するように舌を打つ。
「えー……これって俺と君の二人きりぃ?」
「その方がお前にとって都合が良いだろ」
「俺に配慮してくれたわけですか……」
野郎が密室で二人。何も起きないはずはなく──という冗談はさておき、深月は長机の角を挟んでソファに居座る王様と、対極の位置に腰を下ろした。室内で最も距離が遠い配置である。
「クク、警戒してんのか?」
「そりゃね」
深月には珍しく、警戒を認めた。警戒とは弱音であり、弱音とは弱点であり、弱点とは隙のことだ。通常時のミズキなら決してその存在を認めないだろう。
それだけ、今が重要な状況ということである。
「まず返事を聞こうか。俺と友達になるか否か」
「流石の俺でも、差し出された手は無視しないよ」
「つまり?」
「オーケーだ。友達になろう、龍園くん」
ニマリ、と龍園の口角が上がる。
「じゃ、友情の盃でも交わすとしようか」
「ふざけんな」
「……あ?」
「俺は透明なものか未開封の飲み物しか飲まないんだよ」
「……あー、そういう意味かよ」
グラスを呷り、残ったドリンクを飲み干す。
「龍園くん、俺と君の“目的”は、とりあえず同じ方角を向かせることが可能だ。だが一応確認しておきたい。君が難易度を楽観視していないかどうかを」
「楽観? 俺が? ハ、やっぱ面白ぇなお前」
大胆でありながら厳重に計画を練る龍園は、怖い物知らずの無鉄砲のようでいてそれなりに慎重な男だ。計画性の上で際限なく暴れることが出来る。それは深月も痛みとして承知の所である。
しかし、だ。
「──俺と君が協力するとなると、Cクラスは来年の三月までにAクラスに上がる必要がある」
「そうだな」
「そして、俺は協力の見返りとして、三月末までに君から2000万PP(プライベートポイント)を貰う。これは俺がDクラスに移籍するためのポイントだ」
「あぁ、約束は忘れてねぇよ」
「俺はDクラスに落ちてから、自力で稼いだ1500万ポイントを使って単位を購入。二年と三年の必修課程を全て終え、四月に突入と共に学校を卒業する。これで、俺の『最短卒業』と君の『Aクラス進出』は晴れて叶うわけだ」
一見、理に適った道筋のように思える。
しかし、実際に実行しようとすれば多くの弊害が待ち受けていることは間違いない。
例えば、そう──。
「最大の問題はリソースだ」
「…………なるほど」
少々沈黙してから、納得したように頷く龍園。
「俺もそれについては考えていた。いくら頑張っても、無い袖は振れないからな」
深月が独断でCクラスをDクラスにまで貶め、1500万ポイントで卒業するなら、必要な額は本当にそれだけだ。しかし、龍園と組むとなるとこれが倍増する。
では、どこから巻き上げるのか?
ポイントの源泉が限られている。それが最大の課題と言えるだろう。
「とりあえずはAクラスに上がることを条件に、クラスの連中からいくらか徴収しようと思っている」
「税金か?」
「そうなるな。それなりに反発もあるだろう。だが、もしもAに上がれなきゃ返ってくるポイントだ。担保か積立金と思わせておけば問題はない」
「Cクラスから吸い上げるのは大前提だ。その他の食い扶ちについて考えよう」
まず身銭を切るのは最低限度の方策である。
支配力以外の力量が試されるのはこの先の分野だ。
「優良な食い扶ちはAクラスだ。だけど、彼らがいくら優秀でも所詮は金と贅を覚えたばかりのティーンに過ぎない。節約にはあまり期待できないだろうな。余剰ポイントは精々半分くらいだと考えておいた方が良い」
「お前は一年間でこの学校を卒業したいんだったな。時間的制約もあるって訳だ」
「さっきも言ったけど、一番肝心なことだから忘れないでくれると助かるよ、ソレ」
「……となると、上級生もカモとして考えるべきか」
深月は当たり前のように頷く。
「上級生──特に三年生は俺が食い漁ろうと思ってる。君は一年から順に狩っていって欲しい。二年は共同資源ってことで、互いに分け合いながら絞っていこう」
この提案に龍園は微かな驚きを露わにした。
「俺は構わねぇが……三年から巻き上げるのか? コミュ障のお前が?」
「喧嘩売ってんのか」
部活にも所属していない深月は、上級生はおろか同級生の他クラスとすら接点が乏しい。そんな状況で、どうやって年上と接触していこうと思うのか。
ここで龍園が一つ誤解しているのは、深月のコミュニケーション能力についてである。彼は孤独を飼いならしており、自分一人で大抵のことが出来てしまうから、他人を頼ることがないだけなのだ。その気になれば、敵国の兵士やマフィアのボスにだって取り入ることが出来る……というか幼少期は実際にそんな場面が何度もあったのだから。
「クク、まぁ出来るってんならどうでもいい。勝手にしろ」
三年ならポイントは貯めこんでるだろうし、卒業と共に全て没収されるのだから、使い時を吟味している生徒もいることだろう。大きなハードルを一度超えてさえしまえば、案外美味い金のなる木なのかもしれない。
「じゃあ、そういうことで」
言いたいことだけ言って立ち上がる深月。
「オイオイ、もう少しゆっくりしてけよ」
「友達なら束縛するなよ、キモいぞ」
「友達なら飯くらい付き合え、陰キャが」
「「……」」
罵り合いが交錯し、一時の沈黙が流れた。その様子は犬と猿が睨み合うようでもあり、仲睦まじい友人同士が微笑み合うようでもあり、兄弟同士が見つめ合うようでもあった。
そんな空気を二人は疎ましく思い、ほぼ同時に視線を逸らす。
「さっさと消えろ」
「あぁ、じゃあな」
深月が部屋を出る時、それを止める声はもうなかった。
◇◆◇
休日を挟んで、三日が経過した。
現在、六月後半のまだ太陽の頭半分しか出ていない午前四時。
校舎から離れた並木道は閑散としており、人影は少ない。
放射冷却で適度に冷やされた空気で肌を叩きながら、深月は多きな欠伸をこぼした。
「ふぁあ。……いやぁ、気持ちの良い朝だなぁ。雲が一つも見えないや」
彼は最近、朝の散歩にハマっていた。しかしながら根本の生活力の無さは以前として変化せず、趣味嗜好だがが健康路線に走ろうとしていた。完全に老人のライフサイクルである。
「しかし、最近は色々あったよなぁ」
誰に告げるでもなく、独りでぼやく。
中間テストは先日終わったばかりで、大きな学校行事も表向きには暫く控えていない。羽休めの期間であるからこそ、今までの心労の日々は、思い返すだけで胸に染みた。
──龍園に脅されたり、龍園に殴られたり、龍園に告白されたり。
本当に色々あった……主に原因は一つだったような気もするが。
しかし、当の元凶であるDVロン毛ホモ野郎とは既に友人協定を結んでおり、表面上の確執は解消されている。差し当っては大きな問題として認知する必要もない。逆に他の被害者が増えるのではないかと不安には思うが。
「龍園の件は良しとして。さて、これからどうしたものか……」
現在、深月を取り巻く唯一の問題は大きく分けて二つである。
──第一に、Dクラスの協力者である平田洋介の取り扱いについてだ。
龍園に打ち明けるか否か悩ましい所だ。もしも隠していたのがバレるとなると、余計な不信感を植え付けかねない。だが、私的な利用が出来なくなるのは些か惜しいとも感じる。
少し考えて、深月は決断した。
「……うん、平田くんのことは黙っておこう」
なんか全て打ち明けるのは龍園に完全服従してるみたいで、違う気がしたのだ。
本当にあのロン毛が深月の友達を豪語するのなら、秘密事の一つや二つは見逃してくれるはず。
つまるところ、秘密の堅持は深月の最後の意地のようなものだった。隠す理由はないが、何となく教えるのが癪に障ったのだ。
「そしてもう一つ」
うげぇ、と舌を出して思い出す。
彼の脳裏に浮かぶのは、『天才』を探しているとかいうAクラスの銀髪少女──そう、坂柳有栖だ。
先月、伊吹澪と同伴して食堂を訪れた際に、坂柳が連れ添いの少女と会話をしているのを、深月は盗み聞きしていた。あの時は何も
それもそのはず、『深月流世=次代のL』という情報は誰にも伝えてはいけないからだ。その名の重みを考えれば当然だ。真実がバレれば、何処からか命を狙う勢力が湧きかねない。
坂柳は、深月が入学前に解決した事件のことについて知っている様子だった。その探偵が自分であることは、何があっても隠し通さなければ。
「でもまぁ、俺の秘密を暴くなんて、誰にも不可能だろうけどさぁ」
と、天才チックな傲岸発言を残し、深月は再度欠伸をした。
その時だ。
ゴン、と肩が何かにぶつかる。正面を歩いていた黒コートの男が、突然深月に衝突したのだ。
「?」
痛いとか、ビックリしたとか、そんな感情は特になかった。
現実の事象を淡々と受け止め、深月は男を観察する。
学内で気が散っていたのもあるだろうが、直前まで接近に全く気が付かなかった。横道から飛び出してきたのだろうか、男は額に汗を浮かべ、落ち着きのない様子でズレた眼鏡をかけ直す。
──ミズキの記憶が確かなら、滅茶苦茶見覚えのある顔だった。
「し、失礼。先を急いでいてね」
「……ん~?」
「それでは、これで」
「はぁ、いや、……えぇ……?」
男は
『本日正午、噴水前広場にて待つ』
そこに記されていたのは、一方的な待ち合わせ場所。問答無用で来い、ということか。
……きっと、何か重要な要件なのだろう。
それにしても日本一の高校と謳っておきながらザルな警備である。それとも諜報員としての彼の腕が一流すぎたのか? こんなに容易く部外者を侵入させるとは。
「大胆なことするなぁ」
去り行くジェバンニの背中を見つめながら、深月は三度目の欠伸を落とした。
どうやら睡眠が足りていないらしい。彼は帰って二度寝コースを心の中で決め打ち、本日の遅刻を結論した。
龍園は怒ると思うが、そんなのは豆粒より極小の些細な問題である。
◇◆◇
朝食を終え、歯を磨き、整髪料で髪を整え、身嗜みを男子高校生の平均水準にまで持ち上げる。食事の時間を省けば、総作業時間は7分ほど。この数分が深月には面倒でたまらなかったのだが、今日もなんとか乗り切ることに成功した。
深月が寮を出るのはいつもホームルームの15分前だ。彼の歩行速度であれば、大きなイレギュラーでもない限り12分で教室に到着する。ギリギリだが問題はない。
エレベーター──ではなく、故障の可能性が恐いので階段を選択し、ロビーへと赴く。すると、背後でチーンとエレベーターの開く音がした。そこから飛び出してきたのは明るい髪色の女子生徒で、前方の深月に気が付くと血相を変えて制止した。
「うわ……っとぉ!? 危なっ!? ご、ごめんね!」
「いえ、俺も不注意で申し訳ない」
深月は男子にぶつかれたら慰謝料を要求するが、女子とならむしろ望むところだ。彼は龍園とかいうホモと違い、決して女の子にキレたりはしない。
「ややっ? 初めて見る顔だね! もしかして、いつもこの時間帯に登校してる人?」
会話が続いたことに戸惑いながらも、深月は答える。
「まぁ、そうだね。でもギリ間に合うからさ」
「そっかぁ~、良かった! じゃあ焦らなくてもいいのか!」
「……君は寝坊?」
「うん。そんなとこ」
この学校は、学年ごとに生徒の寮を振り分けしている。逆に言えば、同学年であれば別クラスの人物と遭遇する可能性もあるということだ。
Cクラスでは見たことのない女子生徒。深月は彼女がどのクラスなのか一瞬疑問に思うが、先回りするかのように少女が言った。
「良ければ校舎まで一緒に行かない?」
「構わないよ」
「私はBクラスの一之瀬帆波だよ。君は?」
「Cクラス、深月流世」
端的に答える。
何気にこれが、深月にとってBクラスの人間とのファーストコンタクトだった。
「……C、クラス…」
含みのある呟きだった。同時に、一之瀬は困ったように顔色を変える。
「そうです。俺が『気持ち悪いランキング一位』の深月流世です。死ねばいいかな?」
「あっ、いや! そういう意味じゃないよ!? ……ていうか何その不名誉すぎるランキング。見た感じ、全然気持ち悪くないよ?」
今の反応で深月の中で少女の好感度が爆上がりした。どうやら下世話な噂は耳を通さないタイプの完璧美少女のようだ。しかも何か外見について高評価っぽい発言を残してくれている。
「……じゃあ何? 俺がCクラスで何か問題あった?」
「いや~……ん~……ちょっと前に、うちのクラスと君のクラスで揉め事があったんだけどさ。……もしかして、深月くん知らない?」
「ナニソレシラナイ」
──絶対に龍園の野郎が何か絡んでんだろ、それ。
何かにつけて疑える人物がいるのは、逆に幸せなことなんじゃないかと深月は思った。
「Cクラスが嫌いって訳じゃないよ? でも、やっぱりさ……」
「気にしなくていい。君の反応が正しいよ。俺の仲間が迷惑かけてゴメンな」
思ってもいない呼称を使い、頭を下げる。
一之瀬にとって、深月は警戒すべきCクラスの一員ということだ。そんな相手とうっかり同伴の約束なんてしてしまったら、気まずい感情を抱いて当然である。
深月は更に踏み込んで、少女に気をきかせることにした。
「ちょっと俺、忘れ物しちゃったから部屋戻るよ。悪いけど一人で登校してくれる?」
「あ、そうなんだ。分かったよ。じゃあ、また今度ね」
少しだけ晴れやかな笑みを浮かべ、一之瀬は寮を出て行った。
◇◆◇
「龍園くんさぁ、Bクラスと揉めたらしいじゃん」
「遅刻して早々なんだいきなり」
教室にて。窓際の席でふんぞり返る龍園に深月が詰め寄る。
「やめて欲しいんだよね、俺の知らない所で色々するの。俺は穏便に生活したいからさぁ」
「クク、憶測だけで俺を非難するのはやめて欲しいもんだぜ」
「……例の如く関与の証拠はナシ、ね。あっそ。まぁいいけど」
細かい説明が飛び飛びになっているが、思考レベルが割と近いためか、両者の間では意思疎通が成り立っていた。深月としてはPP(プライベートポイント)の確保を最優先として考えているため、クラス間での不和はあまり好ましい展開とは言えなかった。しかし、今朝の一ノ瀬の反応や、今の龍園の傲岸具合から手遅れと感じ取ったか、深月は諦観の溜息を吐いた。
「え、龍園さんと深月、仲良くなったのか?」
右足を引きずりながら石崎がやってくる。
「オイ石崎ィ!」
「ッ」
「…………いや、石崎くん。俺のことはさん付けで呼ぶように。いいな?」
「は? いや、何で……?」
「当然だろ。龍園くんが『さん』なら俺も『さん』だ」
クラスのリーダーである龍園と対等の役者を演じる深月は、上下関係を厳しく律することにした。いや、実際は先月のリンチでの恨みがまだ残っているので、その鬱憤晴らしのために石崎をいびっているだけなのだが。
当の石崎はといえば、先日まで主人である龍園が敵視していた男からこうも高圧的に言われては、委縮せざるを得ない。ちらと龍園を見やると、
「……り、龍園さん。俺、どうすれば」
「あ? 俺のトモダチの深月がそう言ってんだ。だから『さん』だろ?」
「ええっと、一体、あれから何が……」
「つべこべ言うな石崎ィ」
深月は軽く怒鳴りながら石崎の右足を小突いた。
「痛っ!?」
「どうした? 足の裏に画鋲でも刺さってるのか?」
「はぁ!? な、何でそのことを……!!」
「今朝のはやっぱテメェが犯人かよ」
ふと教室内を見ると、アルベルトと金田も右足を引きずって歩いている。彼らは深月リンチに参加した龍園の下僕たちだ。深月は彼らの部屋に忍び込み、昨晩全ての靴に画鋲を仕込んでいた。深月だってリンチの傷は完全に癒えていないのだから、正当なる復讐である。
「しかしまぁ、俺も鬼じゃない。ギリ出血しない程度に、針は小さかったろ?」
「そういう問題じゃねぇよ。舐めてんのかオイ。……つーかどうやって忍び込みやがった」
「どうやってって……ピッキング?」
「何処で覚えたんだよ」
「感覚だよ。俺にやってできないことなんてないのさ。やらないだけで」
「そォかよ、死んでろ」
龍園の睨みを飄々と受け流し、深月は中指を立てながら自分の席へと帰っていった。
──深月流世が龍園翔と『友達』になった、という話はすぐにCクラス内で定着した。
何よりも龍園自身が深月のことを友人と称したのが、最も大きい。恐怖によって独裁を行うリーダーに対し、不遜にも立ち向かう深月は、これまで無謀なレジスタンスのように思われていた。しかし、その対立構図はいつの間にか解消され、今では和解とも従属とも言えない対等な関係を築いている。
その上、深月はクラスの中心から離れて生活しているため、龍園派の一党独裁体制は依然として変化せず、『独裁』の中に介在した『異分子』が完全に抹消された形だ。それにより、むしろ龍園支配の色は強まっていった。
「どういう風の吹き回しなわけ?」
決して小さくない関係の変化には、伊吹も黙っていられなかったようだ。午前最後の授業中、小声で隣の席の少女が声を掛けてくる。
「争いは何も生まないと悟ったんだよ」
「嘘ばっかり。……ねぇ、本当にどうしたの? 龍園に弱みでも握られた?」
小声を更に潜めて、耳元まで近づいて来る。
──龍園と友人になった以上、監視の任は降ろされている。
──伊吹さんが俺を気に掛ける理由はないはず……。
少し考えて、深月は伊吹の胸中を察する。
大方、以前のリンチについて負い目を感じているのだろう。他人に借りを作らない彼女の性格からすれば、馴染のないソレを何か特別な感情として勘違いしても仕方がない。
「俺のこと好きなの?」
「は? キモ」
「いや、真面目に」
真剣な声音で問うと、伊吹は強張った。
嫌な間を溜めてから、
「勘違いしないでくれる? 困ってるなら、助けてあげようとしてるだけ。ただの善意」
「ふぅん」
全て嘘、というわけではないのだろう。
しかし、言いながら伊吹は決して深月から
思春期かつ強情で律儀な少女の心理を考えながら、深月は目を瞑った。
──席替えとか、やってくれないかなぁ……。
「じゃ、本当に和解したの?」
「和解っていうかまぁ、そんな感じになるのかな」
「何それ、はっきりしなよ」
「少なくとも対立の理由はなくなった。俺はもう、ちゃんとCクラスの一員だよ」
深月は自分の立場を明確に告げる。曖昧な人間は一番嫌われるものだ。深月の帰属意識がクラスにないであろうことを薄々察していた少女は、彼がCクラスと強調路線を走ると明言したことで、幾ばくか肩の荷が下りたようだった。
「……そっか、じゃあ良かった」
「……」
──少なくとも今は、の話だが。
◇◆◇
授業終了のベルが鳴り、昼休憩に突入する。今は11時50分だ。手紙に指定された場所と時間に間に合うか怪しい所である。
深月は得意の隠密移動で気配を消し、まるで影の中を伝うかのように生徒たちの死角をすり抜ける。肉眼では誰にもバレないように校舎を出ると、今朝手にした手紙の文言を思い出す。
「『本日正午、噴水前広場にて待つ』……だったよな」
校舎と寮とショッピング街の、ちょうど中間地点だ。食堂とも職員室とも離れているため、第三者に遭遇する可能性は極めて低い。それでもゼロと言い切れないのが深月的には不安な所だったが、約束の相手としては十分に気を使ったつもりなのだろう。文句を言う気にはなれなかった。
時間丁度に辿り着く。
そこには、変装のつもりなのだろうか、身の丈に合わない生徒の服装をした青年が待っていた。
「その恰好似合わないよ、
「ミズキ! あぁ、よく来てくれました!」
立ち入り禁止の日本領土にて、安堵したようにアメリカの諜報員はミズキの手を取った。あり得てはいけない再会の筈だが、ジェバンニに他国への忖度精神はなく、ミズキには法令順守の心がなかった。
「何で学校にいるの?」
「その話は後回しです! 実は大変なことになってしまって……!」
「大変なこと?」
わざわざ太平洋を飛び越えてきたのだ。よほど大変なことなのだろう。まさかロジャーが死んだとかではあるまいな。
ミズキは覚悟を持って耳を傾ける。
ジェバンニは言った。
「あのニアが、風邪で二週間入院してしまうことになったんです!」
「…………は?」
想像の遥か下のカミングアウトだった。
そりゃ人間なのだから風邪くらい患うものだろう。ミズキは究極代謝能力(自称)があるので病気(糖尿病を除く)と無縁だが、ニアなら不思議じゃない。
「殺菌室で過ごしていたのに、何処から貰ってしまったのか……恐らくは最近流行している新種のウイルスが原因でしょう」
「はぁ、そんなの聞いたことないけど」
「勿論、我々の息のある機関で治療を行う予定ですが、ニアが現在進行している捜査の指揮を降りると言って聞かないのです。何でも、『体調が悪いと推理力が四割落ちるから頭を使いたくない』とかで……」
「ガキかよ」
ニアの社会人にあるまじき体たらくが暴露された。
ミズキの中では多少憧れに近い存在でもあったので、地味にショックである。
「数日で構いません。ミズキにニアの代役を頼むことは出来ませんか?」
「無理でしょ……忘れてるみたいだけど学生だよ、俺」
「しかし、大統領暗殺を企てるテログループの捜査なんですよ! アメリカの有事なんです!」
「……そんなのボイコットするとかヤバくね、ニア?」
アメリカ史どころか世界史に残りかねない大事件だ。ニアはLが死んでから、ずっとその名を引き継ぎ、SPKとしても今まで以上の活躍をしていたようだが、肝心な所で道義心というものに欠けている。
顔も声も名前も知らない、ただの同郷の先輩だが、深月はニアの中に自分以上に未成熟で自己中心的な小僧の面影を見た。
「自覚があるのなら手を貸してください。貴方は──『Lを継ぐ者』でしょう!?」
「────……何だと?」
声。
ジェバンニの背後の噴水の影から、男が姿を現した。
深月流世の記憶の穿り返してみると、その男の顔はともかく声には思い当たる節があった。入学式の日、オリエンテーションで居眠りする深月の耳に届いていた声。
新入生に向けて、壇上で話していた生徒。名前は知る由もないが、肩書なら知っている。
「……生徒会長、でしたっけ?」
言って、ミズキは呆けるジェバンニを睨んだ。
──俺は絶対に誰にも尾けられていない。
──さては最初から監視されてたな、ジェバンニが。
一流の諜報員なら常識として身についている知識だが、例えば単数か複数か不明な犯罪組織を見つけた場合、その場で捕らえるのではなくある程度泳がせるのが上策とされる。犯人が仲間と合流する可能性があるからだ。
そのように、不審者を見つけたら、核心的に不審な動きをするまで接触せず監視を続けるのが、尾行の上級者のやり方である。
生徒会長にそのイロハがあったとは思えないが、恐らく直感で最善手を導いたのだろう。どこかのタイミングでジェバンニを見つけ、怪しみ、直感で追跡したのだ。
「L、と言ったな?
「…………」
黙り入るジェバンニ。
言葉を選んでいる様子だ。不審者感満載である。生徒に扮しているのだから、上手く言い訳すれば疑われず乗り切れそうなものだが。
「いや、それよりも貴様──どこの誰だ?」
「せ、生徒会長。私は一年Cクラスの……」
「馬鹿にするな。入学式から二か月以上も経って、俺が
──
──俺じゃあるまいし覚えてるわけがない。
──騙されるなよ、ジェバンニ~……?
アイコンタクトで合図を送るものの、意味はイマイチ伝わっていない様子だ。ジェバンニは隠せないほどの狼狽を露わにした。
「わ、私は」
「もう喋るな。理解したぞ、不法侵入者め」
「……はぁ」
溜息は深月のものだった。
ここで初めて、生徒会長の意識が深月に──『Lを継ぐ者』に向く。
「さて、そっちのお前は本当に生徒のようだな。一年か?」
「五年生でぇ~す」
「お前が誰かなどすぐに分かることだ。学校の敷地内に部外者を招き入れたのだとすれば、重大な校則違反だ。生徒には外部との連絡が厳しく禁じられている」
「内側から手招きしないと侵入なんてあり得ない、って考えてる所が、まさに学校への過信の現れだよね。常識の中で半端に知恵を得た間抜け、って感じがビンビンする」
生徒会長が眼鏡の下で瞳を怪しく滾らせる。
深月は自制心を意識して、爆発しそうになる本性をどうにか抑え込んだ。深月流世はもうとっくに成長したのだ。以前のような暴悪の徒には絶対に戻らない。
高尚な決意を胸に再度抱くと、深月はジェバンニの前へと進んだ。まるで生徒会長から庇うように。
「──ジェバンニをそんな目で睨むの、やめてくれます? コイツ、いい奴なんだから」
ミズキがメロをボコボコにした当時と同じ精神性なら、たぶん堀北会長もうこの時点で立ててない……。
二章(二巻)では原作イベントをこなしながら、若干オリジナル展開入れると思います。極端に逸脱はしないように心がけます。
主人公と誰を戦わせてみたい?(参考までに)
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綾小路清隆
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堀北鈴音
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坂柳有栖
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櫛田桔梗
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一ノ瀬帆波
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葛城康平
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椎名ひより
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高円寺六助
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堀北学
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南雲雅
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綾小路パパ
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ニア
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メロ
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マット