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山中教授に見るアントレプレナーシップ|三木谷浩史

三木谷浩史「未来」 第14回 

三木谷 浩史
ビジネス 社会 経済 企業 テクノロジー 医療

(みきたにひろし 1965年神戸市生まれ。88年に一橋大学卒業後、日本興業銀行(現・みずほ銀行)に入行。退職後、97年にエム・ディー・エム(現・楽天グループ)を設立し、楽天市場を開設。現在はEコマースと金融を柱に、通信や医療など幅広く事業を展開している。)

 僕がいつも繰り返し語っていることの一つに、「アントレプレナーシップこそが未来を創る」というメッセージがある。

 この「アントレプレナーシップ」という言葉に出会ったのは、日本興業銀行時代の1990年代前半、ハーバード大学にMBA留学をした際の講義だった。当時の僕はまだ20代。日本では「ベンチャー」という言葉も、まだ一般的ではなかった。

 ハーバードのビジネススクールではその頃、「アントレプレナーシップファイナンス」は最も人気のある授業だった。ところが、「アントレプレナー」を辞書で引いてみると、「起業家」と書かれている。最初は「どうして中小企業を立ち上げることが、そんなに重要なんだろう」と素朴に思ったものだ。

 でも、アメリカでの2年間の勉強を終える頃には「アントレプレナーこそが経済のドライブである」という思いを強く持つようになっていた。

 先週号でも書いた経済学者のシュンペーターは、イノベーション理論を実行する主体を「アントレプレナー」と呼んだ。ただ、日本では「起業家」と「アントレプレナー」が、どうしても混同して語られる傾向にある。だけど、実は両者は似て非なるものだ。アントレプレナーは「起業家」というより、どちらかと言えば「実業家」と表現する方が僕にはしっくりくる。

 では、「実業家」とは何か。それは、自らリスクを取り、新しいことを実行していく存在のことだ。

米大統領も就任演説で

 例えば、ビジネススクールの講義でも紹介される有名なエピソードに、こんな話がある。ニューヨークの道路が片側一方通行だった時代、ある女性が「これ、なんで2レーンにしちゃいけないの?」と素朴な疑問を抱いたという。市議会は「そのようなことにバジェット(経費)はかけられない」と相手にしなかったけれど、その時、「じゃあ、俺がぜんぶ払うよ」と一人の実業家がリスクをとった。すると交通が一気にスムーズになって、世界中に複数車線という概念が広がっていった――。

 この実業家のように、リスクを取って世の中を変える人物こそが、どんな時代においても「未来」を創っていく。「アントレプレナー」の社会的な役割だろう。

 アントレプレナーはもともと「entrepreneur」というフランス語が語源で、「仲介する者」といった意味がある。確かに、アントレプレナーは道路を作るための「技術」を開発するわけではない。でも、その技術の使い方や組み合わせによって、これまでにはなかった新しいサービスやアプリケーションを生み出し、世界を変えていくのだ。

 こうした「アントレプレナーシップ」のパワーを最も信じているのは、やはりアメリカだろう。ビル・ゲイツ然り、マーク・ザッカーバーグ然り、一般的には「発明家」と呼ばれるエジソンだって、技術の「使い方」によってイノベーションを起こしたという意味ではそうだ。

 実際に世界の時価総額トップ50の企業を見れば、半分以上はこの30年の間に設立された会社であることが分かる。アントレプレナーシップを発揮してきた人々が、アメリカのエンジンとなってきたのだ。

 だからこそ、アメリカでは大統領の就任演説の時、「アントレプレナーシップ」への言及がほぼ必ずなされる。世の中を変えるのは決して政治家や官僚ではなく、彼らの持つパワーである、と。

 翻って日本ではどうか。政治家や官僚が未だに経済や産業をコントロールしようとしている。だから、少しでも新しい試みをしようとすると、「打率10割でなければ駄目」と圧力がかかって、潰されかねない。株式マーケットも企業に対し、どうしても安定的な経営を求めがちだ。思い切った事業内容の変更も、危機に瀕して初めて行われる。でも、今の時代はそれではあまりに遅いのだ。

再生医療の「OS化」

京都大iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授

 もちろん、日本にだって「この人は本当にアントレプレナーシップを持っているな」と感じる人はいる。

 例えば、ヒトiPS細胞の研究で、ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授はその一人だ。彼とは10年来の付き合いで、楽天メディカルの事業についても「これっていけると思いますか?」と友人として相談に乗ってもらったこともある。

 iPS細胞の研究で知られる山中さんは「インベンション」の人だと思われているかもしれない。でも、僕からすると彼はまさに「未来」を見ている「イノベーション」の人だ。何よりその研究手法には、「イノベーション」の視点を感じる。

 自らが率いるチームの再生医療研究の成果と産業界をつなぎ、様々な形で情報を活用できるようにプラットフォーム化する。その手法は、再生医療の「OS化」と呼んでもいいだろう。その果敢なアプローチには、強いアントレプレナーシップを感じさせるものがある。

 僕は、楽天の仲間によく「山の向こうを見ろ」と言っている。山中さんもそうだと思うけれど、アントレプレナーは「未来」に向かって行動するからこそ燃え続けていられる。まだ見ぬ山の向こうを見るために、新しい道を切り拓きながら進もうという思いが、あらゆるパワーの源泉になっているのだ。

 様々なテクノロジーの分野で革新が起きつつある今は、世界の定義が変わろうとしている時代と言っても過言ではない。通貨の定義、金融の定義、コミュニケーションの定義……。そこに新型コロナウイルスのパンデミックが加わり、人間の価値観も根底から揺すぶられている。

 明治維新、敗戦に続く激動の時代だからこそ、この日本において社会の変革をドライブするアントレプレナーシップの重要性はいよいよ増していると思う。どうやってアントレプレナーを生み出し、育て、彼らが活躍できる国にしていくのか。

 事実上、次の首相を決める自民党総裁選では、そういうグランドデザインを描くような議論をしてほしかった。だけど、残念ながら――。

source : 週刊文春 2021年10月7日号

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