2018年度版 授業案(改善版)
「長く続いた戦争~『戦争をしない国、日本』への転換点~」
              ※単元の後半から違う流しになっています。
       ⇒http://shakainomado.blog.jp/archives/27235203.html









1.

 <写真から、どんなことを感じるかな?>

 ・[原爆後の広島]を掲示・配布→この写真から読み取れることを交流
原爆後の広島

    色んな建物が壊されている

    人がいない

 (広島だということに気づかなかったら→●ここはどこだと思う?(奥に原爆ドームが見えます)


 ・
[原爆後の広島(教科書)]を提示して確認

原爆後の広島(教科書)


 ・
[原爆が投下されるまでの年表]を掲示・配布

原爆が投下されるまでの年表


 ・この年表からわかることや疑問に思うことは?
学習の見通し

    長い間、たくさんの国と戦争をしていた

    たくさん戦争したんだな

 


  実は

  15年中、最後の8年だけでも、

軍人のみで2300000人(230万人)の日本人の死者数を出した。

民間人は800000人(80万人)の日本人の死者数を出した。

    ちなみに、日清戦争:死者13488人(1年間)

         日露戦争:死者88133人(1年間)

 

どうしてこんな戦争が起こったのだろう?

 

 

2.

 <日本が中国で行った戦争はどのような戦争だったのだろう?>

 調べる(資料:日本は、どうして中国と戦争を始めたのか

 

  満州事変(1931)

  原因

   鉄や石炭などの資源を求めて満州へ

  勝敗

   日本の勝ち

  その後

   戦争中止を無視して続けた。

   これに反日運動が始まったが、「満州国」を建国

     

   国際連盟に全面否定され、連盟を脱退

 

   

   さらに、資源を求めて中国へ(資料:[日中戦争の広がり])日中戦争の広がり
    

  日中戦争(1937)

   (決着は付かず)

 

・戦死者 日本軍(軍人のみ):45万人(石川県民 全員と同等の人数)

 

  ・この二つの戦争の始まりは・・・

    満州事変:日本軍が自分たちで満州鉄道を爆破して、「中国軍に爆破された!」と騒ぎ立てた

    日中戦争:「中国から銃弾が飛んできた!」と決めつけた

どちらも日本の虚言だという可能性が高いとされている

 

 そこまでして、資源が欲しかった理由は?

 ・[飢える農村][娘の身売り]の資料と今までの学習を活かして考える(子供たちに配布する資料
飢える農村
娘の身売り

  それほど日本は不況に苦しんでいた。

   そもそも西洋に追いつくには植民地を広げる必要があるという思想があった。

      前の単元より

 

 

3.

 ・日中戦争から世界を巻き込む、アジア・太平洋戦争(第二次世界大戦)に広がった。

<戦争はどのように広がっていったのだろうか?>

 ・[戦場となったアジア、太平洋の地域]を提示し、そこから理由を考えさせ。
戦場となったアジア、太平洋の地域

   きっと、そこに宝物があったのじゃないかな?

   資源があったんじゃないかな

 

 なぜ、日本はそれほど資源が必要になったんだろう?(今までの学習を活かして考える)

  ・日中戦争で、日本が中国の抵抗により行き詰まっていて、これを切り開くために資源を確保したかった。

  ・資源が欲しくて起こした日中戦争が原因で資源不足になった・・・

 

 ・[1942年の日本の占領地]を提示
1942年の日本の占領地

 

 他の国はこの日本の侵略の様子に対してどう感じたと思う?

   もうそろそろ抑えないと・・・

 ・アメリカが日本の侵略行為に危機感を抱いて、日本への石油などの輸出を制限・禁止した結果、日本が窮地に立たされてアメリカを攻撃した結果、太平洋戦争へと進展していった。

これから、太平洋戦争について学習していこう!

 

 

4.ゲストティーチャーに戦争体験の話しを聞く(見送る人側)

 

 

5.

[特攻隊の飛行機]を提示
特攻隊の飛行機

・「特攻隊」を紹介(片道分の燃料しか入れない

             :日本は資源不足(帰るために使うガソリンがもったいない)

・使える爆弾などが全てなくなったら、自ら敵に向かって墜落する(死ぬしかない)

 

<戦争中、特攻隊はどのような思いで戦地に向かったのだろう?>

[植村眞久大尉]の写真※1枚目の白い制服の男性[大石伍長]※2枚目の右上の横を見ながらはにかんでいる男性の写真を提示
植村眞久大尉大石伍長



 ・[植村眞久大尉の手紙](下の写真)[大石伍長・遺書]を配布し、教師が朗読
植村眞久大尉の手紙



 ●この手紙や遺書から、どんなことを感じた?

   かわいそう、さみしい、悲しい、本当は行きたくなかったんだろうな・・・

 

 ・戦争に動員されたのは大人だけではない。1944年からは中学生も動員された。

 

 ●なぜこの特攻隊の人たちは笑顔なんだろう?

   ・政府や報道の「この戦争は『正しい戦争である』」という言葉を多くの国民が信じていたから。(教科書p133より)

   ・学校教育が戦争に協力する教育が厳しく行われていたから。

     (もちろん、拒否すれば罰が下ったからということもあるが・・・)

     ほとんどの国民が国家のために命を捧げることが正しいと信じていたから

   ・家族のために、心配させないように笑顔を作っていた。

 

  [当時の5年生の学級日誌より]で検証




 

6.

[アメリカ軍の飛行機による空襲]を提示
アメリカ軍の飛行機による空襲

 ・誰が何をしているところだと思いますか?

   アメリカ軍が日本に爆弾を落としている所「空襲」という言葉を教える

<日本各地の年は、空襲によってどのような被害を受けたのだろう?>

 [空襲の被害を受けた都市]を提示
空襲の被害を受けた都市

どんなところが空襲の被害を受けているのだろう?(多いところから発表させる)

  ・東京

・大阪  

・福岡  

・沖縄  

 

・どうしてアメリカは東京や大阪を狙ったのだろう?

  経済的にも政治的にもダメージが大きい

  一発の爆弾で殺せる人数が多い

 

・福岡を狙ったわけは?

  八幡製鉄所など、重化学工業の拠点があったから

 

・沖縄を狙ったわけは?

  う~~ん・・・

 

・東京、沖縄、広島や長崎の被害の様子を読み取って感想を書く(教科書p136-139

 

 東京:下町を爆撃したときは一坪あたり10発の爆弾が投下された10万人死亡

(1晩)

同時多発テロ:3025人

 

 沖縄:日本 188,136

(沖縄県出身者122,228(一般人94,000人、軍人・軍属28,228人)沖縄県民の1/4が死亡

             (他都道府県出身兵 65,908人)

    米 12,520

沖縄なんて元々日本じゃなかったからくれてやれ!一日でも長く沖縄に留まらせろ!

 

 

 広島:死者数20万人(当時の人口32万人)5/8・・・36人中22.5人

 長崎:死者数14万人(当時の人口21万人)2/3・・・36人中24人