蘭陵王が登場する中国の歴史書「北斉書」、初の日本語訳

テレビドラマや舞台、スマホゲームなどのキャラクターとして人気を集めるハンサムな武将、蘭陵王(らんりょうおう)は6世紀中国の人物だ。彼が登場する歴史書が「北斉書」。北斉(550~577年)と前史である東魏(534~550年)を合わせた約40年余りの歴史を記す。その北斉書の初めての日本語訳が勉誠出版から刊行された。
華北東部を占めた北斉は華北西部の北周に対して優勢だったが、時代の主導権を取り切れず、北周側に併合される。その後、生まれたのが統一王朝の隋・唐だった。もっとも、隋朝は旧北斉地域の統治に苦労し、それは唐朝の支配にも影を落とすなど「北斉は消えた後も存在感を示した」(監修の氣賀澤保規・明治大学東アジア石刻文物研究所所長)。蘭陵王の活躍など、北斉書は埋没するには惜しい北斉の歴史を伝える。
「現代語訳 北斉書」は皇帝・諸王侯などの歴史である第1部「帝室の軌跡」と貴族や武将を紹介する第2部「人臣の列伝」で構成する。蘭陵王こと高長恭は「蘭陵武王」という称号で第1部「諸王侯列伝」に登場する。北周軍に包囲されて危急の事態に陥ったとき、高長恭が兜(かぶと)を脱いで顔をあらわにしたことがきっかけで大勝利を収めたというエピソードが記されている。このとき兵士たちが歌ったのが「蘭陵王入陣曲」。日本の雅楽の一つとして今も演奏される曲だ。「おそらく遣唐使が伝えたものでしょう」と氣賀澤氏。
「玉砕」という言葉の初出も北斉書で、第2部「群臣伝」の「元景安」に登場する。北斉が成立したとき、前王朝の東魏の帝室に近い元姓の者が多く殺された。元景安は改姓を考えたが、親族の元景皓は「大丈夫(おとこ)たる者、たとえ玉として砕け死のうとも、瓦として身を全うするわけにはいかない」と述べたという話に基づく。
「北斉時代には末法思想が流入し、中国仏教というべき新たな仏教が成立する基盤にができました」(氣賀澤氏)。当時の日本は欽明天皇の時代で、仏教が伝来してまもないころ。その後の仏教の展開を探る上でも北斉という時代は興味深い。
(中野稔)