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東大刺傷犯 17歳“神童”は授業中に手首を切った

「週刊文春」編集部

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「医者になれないなら人を殺して切腹しよう」。大学入学共通テスト会場の東大で受験生ら3人を次々と襲った17歳。進学校に通う真面目な少年は、なぜ身勝手な凶行に及んだのか。“神童”が変貌していく過程を総力取材する。

 

▶「廊下のゴミを拾い東大合格の学力」志望は東大医学部
▶生徒会長に落選 公約は「スマホ禁止と風紀立て直し」
▶父は大学職員 母はパート 4人きょうだいの長男
▶「勉強が自分を苦しめた」中学吹奏楽部員全員に感謝の手紙
▶同級生女子に告白「僕の賢い遺伝子の子を作りたい」
▶学校の有名人 イベントで熱弁した優等生女優の魅力

 

★Aが書いた「卒業文集」など写真を見る

 昨年の暮れ、愛知県名古屋市内で久方ぶりの対面を果たした2人に、かつての笑顔はなかった。突然、少年から呼び出された少女は、その変わり果てた姿に思わず絶句した。

「成績が落ちる一方で全然上がらない。東大理三、もう駄目かもしれない」

 少年はそう言うと、人目を憚らず大粒の涙を流した。

 2人の共通の知人が証言する。

「その日、彼は会うなり彼女に学業の悩みを打ち明けたといいます。私たちのような普通の生徒は成績不振でそこまで悩まない。でも彼の中で、東大の医学部に進める理科三類に合格できないかもしれないというのは相当のショックだったようで、『もう死にたくなる』って。ずっと切羽詰まった様子だったといいます」

 それから約1カ月後の今年1月15日朝8時半。少年は地元名古屋から約350キロ離れた、東京都文京区の東京大学弥生キャンパスの正門前にいた。

3人が刺された東大弥生キャンパス前

 大学入学共通テストの受験生が続々と集まる中、少年は学生服の内ポケットから包丁を取り出し、豊島区の男性(72)の背中に突き刺した。さらに走りながら、会場へと向かっていた千葉県の女子生徒(17)と男子生徒(18)を躊躇なく背後から襲撃した。

 事件を目撃した酒屋の店主が、緊迫した当日の様子を振り返る。

「消防車が10台ほど来て、火事かと思ったら構内に倒れている女性がいて、青いズボンをはいた足だけがこちらに向いていた。門の左側にある守衛室の前では、上下黒い服で黒縁眼鏡をかけた痩せ型の男が壁に寄りかかっていた。身長は160センチほどで終始無表情。警官が『どこから来た!』と何度も大声で呼びかけていた。そのうち警官3、4人に掴まれて弥生町交番の方に連れて行かれたが、その間も受験生たちはぞろぞろと門に入って行った」

 殺人未遂容疑で逮捕されたのは、名古屋市の東海高校2年生のA(17)だった。

少年A(中学の卒業アルバムより)

 全国屈指の進学校である同校の入試偏差値は73。昨年度の進学実績は東大合格者31人、京大合格者も31人に上る。また、国公立大医学部への進学実績は14年連続全国トップで、昨年度は93人が合格している。

文集の作文の題名は「勉強」

 事件直後、Aは持っていた包丁で自傷するような素振りを見せたが、近くにいた警備員に「落ち着いて」と声をかけられると包丁を捨て、「高校にごめんなさい」とうなだれたという。

事件直後の現場付近を調べる警察官

「医者になるため東大理三を目指したが、1年前から成績が上がらず、自信をなくした」

 逮捕後、そう供述したAは、なぜ参考書を捨て、刃物を握ったのか――。

 名古屋市の中心部から約80キロ。Aのルーツは標高1000メートル級の山々が連なる岐阜県の山奥の村にある。Aの祖父は農協に勤めていた地元の名士だった。Aの父は愛知県内の私立大学を卒業後、母校に就職。現在は事務局で大学の運営などに携わっている。

 04年6月、Aは父と岐阜県出身の母との間に長男として生を享けた。生まれ育ったのは、名古屋市名東区にある家賃約13万円、約80平米の分譲賃貸マンション。Aの両親は、Aの2歳下の次男、さらに長女、次女と4人の子宝に恵まれ、周囲には仲睦まじい幸せな一家に映った。

 14年8月には和歌山県の那智の滝や、日本百景の一つとして名高い三重県熊野市の鬼ヶ城に家族で旅行に出掛け、父は一家団らんの風景を多数、SNSにアップしている。

 中学時代のAについて、同級生の母親が回顧する。

「Aくんは吹奏楽部に所属し、担当はクラリネット。楽器は中学から始めたそうですが、部活の大会にも出場するほど熱心に活動していました」

中学では吹奏楽部に所属(卒業アルバムより)

 学校関係者が言葉を続ける。

「28人いる吹奏楽部の中で、男子生徒はわずか2人。彼はその中でも積極的に輪に溶け込むような社交的な生徒でした。卒業式の時には、部活の同級生全員に感謝の手紙を渡すなど、心優しい一面があった」

 明るい笑顔を振りまく一方、時折顔を覗かせるのは、一つの物事に対する執着心だった。それは時に、同級生の間では奇異に映った。

 中学時代のクラスメイトが証言する。

「Aは中学3年のとき、同じクラスに好きな女子がいて、猛アタックしていました。その年の暮れ、彼女に年賀状を送りたかったようで、しつこく住所を聞いたりしていたけど、その子はAの行動にドン引きして、結局フラれていました」

 そんなAが中学時代の最後に残した卒業文集がある。クラスメイトが修学旅行や部活の楽しい思い出を綴る中、Aの作文のタイトルは「勉強」。行間からは、当時の苦悩が読み取れる。

中学卒業文集に寄せた作文

〈私は3年間の中学校生活で、行事や部活動、その他色々なことを経験しましたが、やはり「勉強」というものが一番長く経験したものでもあり、自分をときに苦め(ママ)たものであり、助けてくれたものでもありました〉

 Aによると、彼が本格的に勉強を始めたのは小学校4、5年生の頃。とはいえ、当時の勉強時間は1日3時間弱だったため、成績は平均よりやや上程度だったという。Aはその後、テストの順位に固執するようになった様を次のように綴る。

〈特に2年生の時、大暴落を受け心が折れかけたことがあります。しかし、逆にそれがきっかけになり、後の学習態度や方法が一掃され、上位に追いつめることができました〉

 Aはライバルの存在が飛躍につながる原動力になったと力説し、最後に次のように締め括った。

〈これから先も「勉強」は続きます。しかしこれからも中学校で学んだ勉強の重要さ、苦しさ、楽しさを忘れず「勉強」をやり続けていきます〉

 Aの中学時代を支配し、常に“カギ括弧付き”で語られる「勉強」とは、彼にとってどのようなものだったのか。

「日本一のところに行くんだ」

 19年秋。その日、3年4組の教室では国語の授業が行われていた。テーマは古文の暗唱。39人の生徒が1人ずつ立って披露し、途中で詰まらずに最後まで暗唱できれば、高評価が得られるという授業だ。

 最前列の席に座ったAに順番が回ってくると、彼は立ち上がり、暗唱を始めた。前出のクラスメイトの脳裏には、その時のAの言動がいまだに焼き付いている。

「Aは途中で噛んでしまい、思うように発表できなかったんです。そして彼が席に座った直後、まわりの男子たちが『おいおい!』と騒ぎ始めた。何かと思って見に行ったら、Aが自分のカッターを取り出し、手首を切っていたのです」

 授業中に突然、リストカットを始めたA。担当教師が「やめなさい!」と叫ぶと、我に返ったという。その腕には鮮血が滲んでいた。

「うまく暗唱できなかったことが、よほど悔しかったようです。Aはしきりに自分の失敗を責めるようなことをブツブツ呟いていました」(同前)

 中学時代は常にトップクラスの成績だったAは20年4月、東海高に進学。同校は1学年約440人のうち、約400人が東海中の内部進学生で“内来生”と呼ばれる。高校受験を経て入学してきた“外来生”の約40人は高校1年時は同じクラスに配置される。Aと親しかった“外来生”の1人は次のように話す。

「彼は入学時、『開成高、西大和学園高、ラ・サール高を受験したんだけど、全部落ちて東海高しか受からなかった』と話していました。だから『大学では絶対、一番を目指す。日本一のところに行くんだ』と。

勉強一筋だった中学時代(卒業アルバムより)

 実は、彼の1学年上の中学の先輩がそれらの高校に全部受かった上で東海高に入学して、1年時に学年1位の成績を収めたんです。そのことで彼は、先輩と今の自分を比較してしまったのでしょう。高校受験の屈辱がきっかけになり、それ以降、彼の志望大学は日本一の難関と言われる東大理三になったのです」

 東大の理系入試は理科一類、二類、三類に分かれる。理科三類は医学部に進学するコースで定員は約100人。2次試験の合格最低点は理一、理二が440点満点の230点ほどだが、理三は約290点が必要だ。全国の超進学校の中でも学力トップの学生が集結する。

 高校入学から5カ月後の8月28日。Aは深夜11時過ぎ、中学3年時の同級生らが参加するグループLINEにこう書き込んだ。

〈すべては理科三類のため 連盟よ、去(ママ)らば〉

Aが中学同級生グループに送ったLINE

 前出の中学時代のクラスメイトが打ち明ける。

「急にグループLINEを退会し、音信不通になったのです。『連盟』というのは同級生のグループのこと。彼が東大を目指しているなんて聞いたことがなかったので、みんなびっくりしていました。でも、彼に突っ込む仲間もいなかった。そこから疎遠になり、今に至るまで一度も会うことはありませんでした」

 東大理三合格という目標を公言したAは、過去の人間関係を切り捨て、目標に向かって舵を切ったのだ。

 入学後、Aは誰もが嫌がる「掃除係」を買って出た。廊下にゴミがあったら率先して拾うなど、生真面目な姿を見せていたが、そこにはある目論みがあった。

「掃除をやっていたら先生たちの評価が上がって、理三の推薦がもらえるんじゃないか」

 当時、Aは周囲にそう語ったという。

「実際、数学オリンピックや物理オリンピックの日本代表レベルにならないと、東大への推薦は取れない。掃除係なんてやっても正直無駄だと思いましたが、彼の理三への執着は凄まじく、他の学校には目もくれなかった。彼が1日の予定を書いたメモを見たことがあるのですが、家に帰ってから寝るまで、ぎっしりと科目ごとに勉強内容が書かれていた」(高校時代の同級生)

 一途に勉学に励んだ結果、Aは高1の1回目の実力考査で54位、2回目で15位という好成績を収め、学内に張り出された。東大や京大、国公立大医学部も十分合格できる学力レベルだったという。

「2年時には10クラスに分かれるのですが、Aは成績優秀者が属する『A群理系』のクラスに入った。彼は誰よりも勉強熱心で、お昼も弁当を食べながらイヤホンで授業(の音声)を聞き、分からないことがあれば、すぐに職員室で先生に質問していました」(同前)

校内の乱れた風紀を心底嫌う

 勉強に明け暮れる毎日を送る一方、Aは意外な一面を周囲に見せていた。学校関係者が明かす。

「普段のAは大人しくて落ち着いた生徒だったけど、人並みに目立ちたい、人の前に立ちたいという欲求が時折、垣間見えたのです」

 東海高は高3になると受験に専念するため、生徒会長を務めるのは高校2年生。それに先立ち、1年の3学期に生徒会長選挙が行われる。Aは「学校の風紀を立て直す」という大きなテーマを掲げて立候補。「スマートフォンの持ち込み禁止」「挨拶の実施」など、10数項目にわたる公約を声高に叫んだ。

「従来、生徒会長に立候補するのは、学校の勝手知ったる“内来生”ばかりだったので、“外来生”であるAが立候補したこと自体が意外でした。彼は不真面目な生徒や校内の乱れた風紀を心底嫌っていましたね。でも、スマホ禁止の公約は不評でした。東海中はスマホの利用が禁止で、高校入学後にやっと自由な利用が許されたため、反発が大きかった。実際、投票前から対抗する候補者が優勢でした」(前出・同級生)

 結局、Aは生徒会長選に落選。だが「スマホ禁止」のスローガンを掲げたことで、“模範生”として彼の存在は有名になった。

 生徒会主催の「ホームルーム講座」というイベントが行われたのは、選挙が終わって間もなくのこと。同講座は1年生の希望者が講師となり、自分の趣味や得意分野について講義を行うというものだ。

 昨年2月、眼鏡をかけた色白の少年が講堂の壇上に立ち、約60〜70人の同級生を前に大仰な身振り手振りで話を切り出した。

「今日は、女優の芦田愛菜さんの素晴らしさについて紹介しようと思います」

 すると、受講生らは一斉に沸き立った。その日、講師を務めたAは、意気揚々と声を張り上げた。

「彼はパワーポイントを使い、『とにかく芦田さんが好きなんだ!』とノリノリでプレゼンしていました。その講義は木曜日の4時間目に、2週にわたって行われましたが、講堂には終始笑いが溢れていた。生徒会長選で生真面目な公約を披露してバッシングされたAが、一転して自分の趣味について語り尽くしたことで、校内の話題を攫(さら)っていました」(前出・同級生)

 Aは周囲に「奇抜な講座を行うことで、注目を集めたい」と意気込みを語っていたという。だが、和気あいあいとした空気は、質疑応答の場面で一変する。

 Aの講義を受けた別の同級生が打ち明ける。

「実は、一部の悪ノリした生徒から、愛菜ちゃんの二次性徴についての質問が出たのです。すると、それまで柔和な表情を浮かべていたAの目の色が変わり、怒号を飛ばし始めました」

 芦田に対し、性的に揶揄するような質問を受けたAは、眉根を寄せ、人格が変わったように発言者を激しくなじったという。

「Aからは自己顕示欲の強さを時折、感じました。彼は数学など理系科目が得意だったのですが、同級生に対してその知識を鼻にかけた、高圧的な態度を取ることがありました」(同前)

 昨年4月、Aは2年生に進級。当時の学校生活について同級生の母親が語る。

「Aくんはキノコや植物に興味があり、2年生の春から生物部に所属。ところが、秋の学園祭を待たずに『塾が忙しい』と言い、辞めてしまったのです」

 だが、そんなAに心を寄せる一人の女性の存在があった。Aの親友が語る。

「中学時代に同じ塾に通っていたB子です。2人は高校進学後、接点がなくなったのですが、彼女はAに対して、ずっと好意を持ち続けていました。でも、高校入学後のAは勉強一筋、東大一直線だったので、彼女に見向きもしなかった」

 そんなAの態度が軟化したのは、昨年6月頃のことである。B子さんの携帯に電話をしたAは、こんな言葉を投げかけたという。

「結婚を前提にお付き合いしてください」

 唐突な告白にB子さんが面食らっていると、さらにAは言葉を重ねた。

「僕の賢い遺伝子と、あなたの美貌の遺伝子が合わさった子を作りたいです」

 2人の関係を知る前出の親友が、事の顛末を明かす。

「当時は、B子が素っ気ない態度のAに愛想を尽かし、恋愛感情が冷めてきた時期。それなのに、いきなりAに子作りの話をされたB子は、『正直、気持ち悪い』と話していました」

 B子さんに袖にされたAは、次第に学業成績にも陰りが見え始める。

「130位に脱落してしまった」

 その頃、Aは周囲にそうこぼし、肩を落とすようになったという。東海高で東大理三に合格するのは、毎年1〜2人程度。上位5位以内に食い込むことが最低条件だ。

 Aが三者面談で「東大理三は無理」という非情な宣言を受けたのは、昨年9月のこと。その出来事は、中学時代から“神童”と目されてきたAが経験した、初めての挫折だった。

ポケットに包丁を忍ばせて

 折しも昨年11月、Aと同じ“外来生”が実力テストで総合1位を獲得。さらに別の“外来生”も数学で断トツの1位に輝くという快挙を果たした。前出の親友は「その出来事が、Aを刺激してしまったのかもしれない」と分析する。

 その後、次第にAは塞ぎ込むようになった。昨年末、藁にもすがる思いで救いを求めたのは、かつて自分に好意を寄せてくれた前出のB子さんだった。絶望感に打ちひしがれたAはB子さんを呼び出し、冒頭のように嗚咽を漏らしたのだ――。

 年を跨ぎ、懊悩を抱えたまま正月を迎えたAの心は、依然として晴れなかった。次の実力考査が行われるのは、1月26日から3日間。高校3年のクラス分けを決めるタイムリミットが刻一刻と迫る。

 Aは逮捕後、動機についてこう述べている。

「東大理三合格はおそらく無理だ。それならば自殺する前に人を殺して、罪悪感を背負って切腹しよう」

 東大理三を諦め、犯行への“助走”を始めたAの行動は、また勉学同様に“一筋”なものだった。

「Aは事件前、刃渡り約12センチの包丁、約21センチの折りたたみ式鋸、約6センチの多機能ナイフを購入。さらに、4リットル以上の可燃性液体を準備し、液体を使って火炎瓶のようなものを自作していた」(捜査関係者)

 1月14日、上位クラスであるA群理系の教室にAの姿はなかった。

「この日、Aは無断欠席しました。実は今年1月に入ってから学校に姿を現さないことが何度かあったのです」(前出・学校関係者)

 同日夜11時、Aは名古屋駅から東京駅に向かう高速バスの車内に滑り込んだ。東京駅日本橋口に到着したのは、翌朝6時のこと。Aは地下鉄に乗り込み、乗客の間に身を投じた。丸ノ内線で大手町駅から後楽園駅へ。さらに南北線に乗り換えたAは、包丁を右の内ポケットに忍ばせ、東大前駅へと向かう。そして、入念な下見を行った。

 午前8時25分頃、Aは東大前駅構内のホームや改札付近、地上出口に向かう階段など8〜9カ所で、火のついた着火剤を次々と投げ捨てた。それはAにとって、破滅の始まりの合図だった。地上に走り、約70メートル離れた場所で冷たい包丁の柄を握ると、右手に力を込めた――。

東大前駅の構内では放火を試みた

「親に迷惑をかけた」

 犯行後、錯乱状態になったAは、取り押さえた警察官にそう話した。

 Aの家庭環境は、一体どのようなものだったのか。

 Aを幼少期から知る母の友人が、一家の子育てについて言及する。

「両親は『東大に行け』とか、そういうことを言うタイプじゃなかった。お母さんは子供をキツく叱ったりすることもない。Aは穏やかで優しく、3人のきょうだいの面倒をすごく見る子だった。親から言われてやるのではなく、自発的にそういうことができる。絵に描いたような幸せな家族だったのに……」

 また、前出の高校時代の同級生はこう証言する。

「家が教育熱心だったかというと、そんなこともなく、親からのプレッシャーを受けている感じはなかった。高1の時は、自ら進んで家の近くの通信制の塾に通っていましたが、彼は親孝行で『塾で費用の負担をかけたくない』と言い、安いスタディサプリで勉強していました。家族仲は良かったと思います」

 昨年2月、大学職員のAの父は、ある小冊子にコロナ禍における家族の姿について、次のような文章を寄せていた。

ショックだった同級生の自殺

〈長男と二男は、ネット環境が整っている自室で好き放題に勉強やゲームに勤しむ生活をしていたと記憶している〉

 さらにAの学校生活について、〈長男は私立の中高一貫校へ高校から入学したばかりだったため、この自学期間が中学校上がりの同学年の猛者たちに追いつく好機と〉なったと記した。そしてパート勤めをする妻について触れ、コロナ禍での不安を次のように書き綴っている。

〈夫婦の不安は、期間中の心配よりも、緊急事態宣言明けに子どもたちが各学校へ行きたくなくなってしまうのではないか、同級生に比べて勉強の遅れが出てしまうのではないか〉

 その文面からは息子を心配する傍ら、世間一般の親並みに期待を寄せる父の思いが滲む。

 時を同じくして、一家は家族6人が肩寄せ合って暮らしていたマンションからほど近い場所に、3階建ての木造住宅を建てた。父の念願だった新居に籠もったAは親の期待に反し、いつしか参考書ではなく、刃物を集めるようになった。

 前出の中学校関係者は、Aの凶行に顔を歪ませ、こう言葉を絞り出す。

「実は、彼が中学1年生のとき、同じ学年の転校生が飛び降り自殺したことがあったのです。彼は他のクラスメイトと同様に大きなショックを受け、命の大切さを感じていたようだったのですが……」

 Aが目指していたものは、果たして命を救う医師という職業だったのか。

「彼は医師になりたかったわけではなく、東大理三という“勲章”が欲しかったのでしょう。自尊心を満たすためのゴールが、最高学府の合格切符を手に入れることだったように思います」(前出・同級生の母親)

 己が直面した閉塞感に苛まれたAは、身勝手な犯行の末に自己完結を果たそうとしたのだ。

 事件から2日後、岐阜県に住む母方の祖父が、言葉少なにこう話した。

「もう本当に、わからへんでさ……。怪我させたりしたのは、本当に申し訳ないですけどね」

 記者が「優しい子でしたか?」と問うと「はい」と頷き、背中を小さく丸めた。

東大の安田講堂

source : 週刊文春 2022年1月27日号

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