1937年の南京事件のひとつとして、12月17日に媒炭港で軍民合わせて3千人を射殺されたという話が中国では知られています。
つい数日前に知ったことですが、その媒炭港というのは宝塔橋街の近くにあって、連れ出されたのは保国寺に身を寄せていた難民という話になっているそう。
そうなると尚更、→
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陳漢森の手紙を後世へ残す意味が出てきます。真偽を明らかにする手助けになります。この二人の友好の跡は1937年の南京事件と無関係ではないのですよ。
私がその媒炭港での話を知ったのは、ある中国の人とのここでのやり取りの中でした。彼がやや懐疑的にこういう写真がその話の証拠として→
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知られていると差し出した写真は実際は国民党軍の上海盲爆の時の写真でした。
ここでのやり取りはそういう手探りのやり取りの段階です。申し訳ないなと思うと同時に、直接色々な情報に触れたり交流のできる貴重な場です。大目に見てくださったらなと思います。
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彼らは中国兵で捕虜となった者達です。民間人ではありません。
私も幕府山事件はどういう理由があったとしても、とてもひどい事件だと思っています。お互い命を懸けて戦った相手ですから。
一方。
「捕虜や女性子供が酷たらしく大勢殺された」
こういう一文があったとして、→
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前者があったからと後者も本当にあったとは限りません。
Luckyさんは同じようなテクニックを使おうとされていますけれど、それは日中両国のためになりません。
丁寧に嘘と事実を分ける必要があります。
遺体の埋葬を担当した団体の埋葬記録が残されています(紅卍字会)。女性子供はわずかでした。
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その幕府山事件で、処刑された中国兵の中に子供も交じっていたと笠原さんの本に書いてある。その子供は少年兵です。
救われずに一緒に処刑されたことはとても胸が痛むことです。でも、だからと言って無差別に民間人が殺されたことにはならない。
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手記といいますか、正確には実体験を基にした小説ですね。
GHQにより焚書された書物の中の一冊です。
「敗走千里」というタイトルです。今現在読むことができます。
Jan 20, 2022 · 10:59 AM UTC