アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

57 / 63
リファイン

「堀北」

 

 放課後に入り暫くして、健が鈴音に声をかける。

「何?」酷く無愛想な返事だ。

 

「勉強会のことなんだけどよ。……あーっと、その、なんつうか」

 

 ほんの出だしだけは良かったものの尻つぼみになり、彼は弱ったように後頭部を掻く。

 ついに視線を逸らしてしまった彼と、僕と清隆の目があった。

 清隆は片拳、僕は両拳をあげることで静かにエールを送る。

 

「……この前は断っちまったけど、やっぱり俺も参加させてくれ」

「――どういう風の吹き回し?」

 

「は?」即座に疑問で返され、健から間の抜けた声が漏れる。

 

「もう一度挑戦するにしても、最初の時と同じような体たらくでは越えられる壁も越えられないわ」

 

 ずっとそっぽを向いていた鈴音の鋭い眼光がようやく彼を射抜く。

 

「あなたはどうして、もう一度挑もうと思ったの?」

 

 差し詰め入門審査。鈴音は健に覚悟を、成長を問うている。

 つまり、十全な志を得ていれば答えられる質問。

 なればこそ、結果は瞭然。

 

「……わかってるとは思うが、俺は今まで勉強から逃げてきた。だからこんな状況になってもちゃんと向き合えなかった」

 

 真っ直ぐ、見つめ返して堂々と言葉を紡ぐ。

 

「だけど、言ってくれたんだ。俺を見限ないでいてくれてるって。自分に嘘を吐かないで欲しいって。そこまで言われてまだ逃げるなんてマネ、さすがにできねえよ」

 

 そして――ゆっくりと、頭を下げた。

 

「堀北、俺に勉強を教えてくれ。友達を、自分を、裏切りたくないから」

 

「頼む」という懇願を最後に沈黙が流れた。

 既にほとんどのクラスメイトが退室した室内は――勉強会のメンバーは黙して待っている――深い静寂に包まれる。

 それを破ることのできる人物は今、一人しかいない。

 

「……あの時とは逆ね」

「……そうだな」

 

 鈴音は俄かに起立し、それでもなお上向きの眼が健と近くなる。

 

「テストまで二週間と少し。それでどれだけの抵抗ができるかはわからない。でも――全力で指導するわ」

「――! 堀北……」

「そのためには当然、あなたたちの協力も必要になる。しっかりついてきなさい」

 

 張り詰めていた空気が弛緩する。厳しめな言葉を掛ける鈴音も含め、場にいる全員の表情が和らいだ。

 

「ありがとな堀北。俺らのために」

「勘違いしないで。一度やると決めたら妥協は許せない性分なの」

 

 本当にそう思っているのか単なる照れ隠しなのか、言い放った彼女に続いて、僕と清隆の野次が飛ぶ。

 

「素直に言ってやればいいのにさあ。『あなたたちを助けたい』って」

「自分で勉強会を開いて壊すなんて盛大なマッチポンプを働いた癖に、よく言うよ」

「二人共……?」

「ごめんなさい」

 

 呆れたような溜息と共に、重い空気は完全に失せた。

 一部始終を見届けていた四人――沖谷、櫛田、池、春樹が健のもとに歩み寄る。

 

「よかったね、須藤君」

「ああ。お前にも感謝してるぜ、沖谷」

「ま、精々赤点取らないように気を付けろよな」

「言われなくてもそのつもりだっての。てか池だってそんな変わらねぇだろ」

「何はともあれ、これで全員集合だね。みんなで頑張ろう!」

「任せな櫛田ちゃん。俺が本気を出せば学年トップだって余裕だからさ」

「嘘は良くないよ、山内君」

「嘘じゃないって! 俺、中学では神童なんて呼ばれ――うぐっ、沖谷、その冷たい目はやめてくれぇ……」

 

 活気のある会話が始まり、みんなの笑顔が見える。その微笑ましい眺めに、釣られて笑みが零れた。

 

「耳に障るわ」

「元気があっていいじゃないか」

「猿のように騒がれても困るもの。ここは動物園ではないのよ」

「え? ああ、学校だな」

 

 一方ズレたやり取りに耽る二人。(ほう)ける清隆とジト目の鈴音。うむ、やはり相性の良いことで。あ、コンパス。

 間もなく鈴音が手を鳴らし、僕らは図書館へと向かい始めた。

 

 

 

 

 新生勉強会の幸先は悪くない。

 旧勉強会には一度も参加していなかったので比較はできないが、少なくとも実りのない時間ではないし、かといって雰囲気も暗いものではなかった。

 

「浅川、聞いたぜ? 名前書き忘れたんだってな」

「ん? ああ! そうそう、うっかりだったよ」

 

 池の発言で清隆たちの誤魔化した内容を思い出し、咄嗟に辻褄の合う反応をする。

 

「まさか名前に六十点もの価値があったなんてね」

「ははっ! 何だよソレ。でもそれだったら超楽だよな」

「みんなの点数も上がっちゃうけど」

「あ、そうじゃん」

 

 まあ、存外悪くない。

 どうやら僕が受け容れられないのは異性が絡んだ時の池なようだ。コミュニケーションはこのグループで櫛田に匹敵する上手さではなかろうか。クラスに話し相手が多いわけだ。

 

「二人共、私語は慎みなさい」

「まあまあ堀北ちゃん、俺たち一応テストの話をしてたからさ。な、浅川」

「そうだぞ」

「ほら、コイツもこう言って――」

「真面目にやらないとダメじゃないかあ」

「そっちの味方かよ!」

 

 当たり前だろう。鈴音先生の言う通りだ。黙って勉強できないやつなんて本当どうかしている。

 

「君がそうやって無為な時間を過ごす内に、ほれ、一問先に進んだ」

「あ、ズルいぞお前! ちくしょうすぐに追いついてやるからな」

「そうかい? 寧ろ戻ってみてはどうかな、連立方程式とか」

「そ、それはもう理解できたって。何となくだけど」

 

 何となくなんかーい。

 言い草からは不安を覚えるが、時たま様子を窺う限り特に致命的な要素は見当たらない。着々と力は身に付けているようだ。

 

「それにしても堀北さん、本当にいいの?」

 

 すると少しして、沖谷が声を発する。

 

「何のこと?」

「こう言うのはあまり良くないかもしれないけど、テスト範囲外まで勉強する余裕なんてあるのかなって……」

「それ俺も思った。どうせ無駄になっちゃうんじゃね?」

 

 春樹も彼に賛成なようだ。

 範囲外の学習、これは僕、清隆、鈴音の三人で決めたことだ。

 

「全てが無駄というわけではないわ。ある単元の内容が別の単元の理解を深めることは少なくないし、今後のテストで範囲に入る可能性もある。損はないでしょう」

「なるほど、因数分解なんかは基礎中の基礎だろうしな」

 

 もっとも、表向きでは鈴音一人の判断ということにしているため、清隆は今納得したように相槌を打つ。僕も乗っておこうか。

 

「漢字なんて日常生活でも使うよなあ」

「あなたは黙ってなさい」

「辛辣ぅ」

 

 清隆と比べて扱いがぞんざい過ぎる。慣れてきたようだね、お嬢ちゃん。

 とは言えこの場において彼女よりも指導能力を有している人材はいないため、疑問が重ねられることはなく各々学習に戻っていく。

 勉強会最大の利点とも言える「切磋琢磨」、どうやら良い方向に機能しているようだ。

 

「浅川、これなんだけどよ」

 

 健が至極真面目な顔で質問してくる。先程は鈴音から指導を受けていたが、今は池を教えていて手が空いていないようだ。それどころか彼女、まだ一度も自分の学習に取り組めていない。

 健が指を差した部分を見ると、ある人物と関連する事柄を記号で答える問題だった。

 

「ああ、これね。そんじゃまず、この人が活躍していたのはいつ頃だったのかってところから確認してこっかあ――」

 

 付きっきりで教え込むこと三分。ようやく彼の表情に明るさが見えた。

 

「カタカナ多くてややこしいな……でもちょっとはわかった気がするぜ」

「そりゃ良かった。時系列も把握できたろう?」

「おう――お? あれ、確かにそうだな」

「語句や知識を問われる問題は『紐付け』が大事なんだよ。この人はこういう状況だったからこうしたとか、この年はちょうどあそこがああいう時期だからここではこうだった、とかね。覚えやすくもなるし一度に吸収できるものも増える、一石二鳥さあ」

 

 巷では暗記系だのと言われるらしいが、一つひとつ覚えていくのは地道とは言え面倒だ。出来事や文化などの時系列、人物関係、その他諸々、これで忘れにくくなる。

 僕の助言に、彼は感心するように言う。

 

「あれか、コウリツテキってやつか」

「そうそう、略してコリテ」

「略せんのか!」

「コンパクトイズベスト!」

「コンタクト椅子セット?」

「そこ、静かに」

「ごめん」「悪い……」

 

 コワイ……。

 昂ってしまった声音を抑えて健は再び話す。

 

「お前、教えるの上手かったんだな」

「ふっふっふ、頑張ればもっと高品質な授業を提供してやれるよ。まあリラックスはこのくらいにして、次行っかあ」

「おう、ありがとな」

 

 そうして彼はすぐにノートへ顔を向ける。

 僕も同じようにするが、頭の中にこびりついて離れない疑問が一つだけあった。恐らく解決することのない難題だ。

 ――――コンタクトと椅子がセットの商品って、何?

 

 

 

 

 図書館が閉まり、日も暮れた頃。翳りに紛れて極小の光だけが差し込む寮室。

 この場には、六人の大所帯が出来上がっていた。

 

「おお、誰かの部屋に入るのは初めてだなあ」

「オレがお前の初めてだったか」

「お前ら何て会話してんだよ」

 

 健が真顔で突っ込む。いやホント、正直僕も吃驚(ビックリ)した。他意はないのだろうけど。でも僕まで同じ括りに纏めないでおくれよ。

 

「なあ、マジでやんの?」

「図書館でやる分だけじゃ足りないってか?」

 

 池と春樹はあまり乗り気ではないようだ。

 お察しの通り、僕らはこれから延長戦に突入しようとしていた。

 

「まあ、まだまだ置いてかれてるのは事実だからね」

 

 沖谷が何とかして二人を宥める。否定し難いということは本人たちも理解しているようで、不満な顔をしたままそれ以上言い返すことはしなかった。

 

「だけど堀北ちゃんがいないってなると、そんなに捗らないんじゃないの?」

 

 腰を下ろすや否や、池が疑問の声をあげる。

 鈴音と櫛田は今頃自室のはずだ。鈴音は先の勉強会で最も労力を費やしていた。翌日以降疲れを残してもらうわけにはいかない。男女の割合を考えて櫛田にも外れてもらった。

 それに、僕の算段だと二人には多少精神的負担がかかる恐れがある。

 

「――にしても、何でオレの部屋なんだ」

「だって俺の部屋ちらかってるし」

「俺も」

「俺もだ」

「僕はもてなしすらできないからなあ」

 

 各々が自室を会場にしたくない理由を述べる。

 

「沖谷は……駄目か」

「沖谷は駄目だって」

「駄目だな」

「駄目だろ」

「駄目だねえ」

「駄目なの?」

 

 駄目に決まってる。

 

「ということで、始めて行きますかあ。さっきとは違って授業形式で補強するぞー」

「えぇ、授業かよ……眠くなりそうだな」

「安心しなあ、僕の授業でイビキかけるやつは多分耳にクソが詰まってる」

 

「へ、クソ?」参加者が揃って首を傾げるが、僕はお構いなくノートを広げるよう促す。

 

「よーし、じゃあ……」

 

 僕は目を閉じ、頭の中に理想の『指導役』を浮かべる。

 今こそ、先生から培ってきた『スパルタ教育』を活用する時――!

 

「よく聞けウスノロ共ぉ!」

「――!?」

 

 ()()()の急変した口調に、一同目を見開く。

 

「あんたら落ちこぼれがすぐに物の道理も覚えられない間抜けな猿だってことは百も承知だ。ただそんな頓珍漢共をこのまま教室に野放しにしておくわけにもいかない。だから――完璧に(ココ)に収めるまで終わらねえぞ?」

 

 パラパラと手元の本をめくり、あるページを見せる。

 

「教科書23ページ、とっとと開きな。合わせてこの参考書、57ページも。――こら春樹君!」

「は、はい!?」

「呑気にしてんな! だからあんたはいつまで経ってもウスノロなんだよ」

「ひぃ……」

「いいか、この単元の後半は複雑な癖して他では役立たねえゴミ燃費。だが前半は真面に理屈を理解できなきゃ何も始まらんつう代物さ。まずはそこから叩き込む。良かったねぇ、あんたらこれでようやく始められるよ。――特に寛治君」

「へ?」

「あんた図書館でもここはボコボコだったねぇ。徹底的に見てやるから、覚悟しとけよぉ?」

「あ、はい……」

 

 寮は全体防音がしっかり施されている。隣室に迷惑が掛からない程度の加減をして、あたしは豪語する。

 

「どうせ空っぽな脳味噌なんだ。せめてクソみてえな『常識』くらいたっぷり詰め込ませてやんよ。いやぁあたしったら、何て慈悲深いんだろうねぇ」

 

 一人ひとり顔面蒼白という滑稽な様子が確認できる。清隆だけは動揺から冷や汗を垂らすに留まっているが。

 まあいい、損はさせないよ、現に自分は得をしたのだ。先生の通りにやれば間違いはない。それほどまでに彼女を尊敬している。

 

「おっかねぇ……」

「何か言った?」

「な、何でもないですっ!」

 

 さて、鈴音ちゃんがやりきれなかった分はあたしが埋め合わせをしてやるか。

 

「精々死に物狂いでついてきな。万が一置いてかれそうになっても安心せい。――――引きずってでも連れていくよ」

 

―――――――――――――――――――――――――――――――

 

「今日はここを重点的にやっていくわよ」

「イエスマム!」

 

 未だ二日目の新生勉強会は、早くも初期の面影を喪失していた。

 生徒の忠実を超えて従順さまで感じられる返事に、堀北は開始早々身を一歩引いてしまう。

 そそくさと筆記用具を用意するメンバーたちを訝し気に見つめた後、当然彼女は唯一真面に口を利いてくれそうな少年に話しかける。

 

「これは一体全体どういうこと?」

「……訊かないでやってくれ。こいつらが発狂して注意されたくなければな」

 

 昨夜浅川に教育もとい調教された四人に、綾小路は憐憫な目を向ける。

 あれはまさしく『スパルタ』と銘打つことのできる指導だった。一問解けなければ問答無用な叱責を皮切りに懇切丁寧な解説と説き直し、加えて類題の提示。解けたところで間髪入れずに次の内容を催促される。眠気など訪れるはずもない。一息つく間も許されない一時には、習得すべきであった知識が高濃度に凝縮されていた。

 その効果というべきか被害というべきか、結果的に構築されたのが彼らの目の前に広がる惨状である。浅川の気遣いにより現場を免れた櫛田もまた、動揺を隠せずにいる。

 

「……まあ、(おとがい)にも向上心が備わったと思うことにしておくわ」

 

 一先ず自分自身を納得させ、彼女は昨日のように学習及び指導を開始する。

 

「いい? この問題は――」

「――なるほど。ありがとう堀北先生!」

 

「あなたは多分前の内容が理解できてないわ。後ろに戻って確認してみて」

「あああぁぁ! 嘘だ、昨日あんだけボロクソ言われたのに……あいつにバレたら何されるかわかんねぇ……!」

「……」

 

 一つ事を教える度に相手の反応に違和感を抱く堀北。その光景は面白ささえ感じさせるものだった。

 しかしそれでも彼女が言葉の一つも漏らさないのは、曲がりなりにも各々に成長が見られるからであろう。

 あの体験が余程なトラウマだったようで、伴って昨夜彼らが授かった知識も強烈に海馬に刻まれている。須藤も余裕のない中「高品質って、こういうことかよ……」と嘆きを零していた。

 そんなこんなで通してスムーズだった今日の勉強会は、終盤に差し掛かる。

 終始真面目だった四人に対する堀北の感想を、綾小路は問う。

 

「どうだった?」

「不気味、の一言に尽きるわ。人が豹変するのには一日も要さないという教訓を悟ったところよ」

「態々お前が怒声や罵声を浴びせることもなくなって、随分と穏やかになったものだ」

「私が平穏を脅かしているとでも言うの? 安心しなさい。あなただけは特別待遇でいつも通りにしてあげる」

「普通は特別に優しくするんじゃないのか……」

 

 いつから自分はマゾフィストになったというのか。受け流してもいいが後々否定しなかったからとエスカレートされるのは癪なので懲りずに否定する。

 すると、途端に彼女の表情がしおらしくなった。

 

「……それに、私だって努力はしているのよ?」

「努力って、須藤たちに教えること以外にか?」

 

「ええ」ぶっきらぼうな顔を頬杖に乗せ、ペンを弄ぶ。

 

「『闇雲に怒ることは控えましょう。全てあなたの自己満足に還り、周りには何も生みません』。真偽はともかく試行中よ」

「……殊勝だな」

 

 影なる努力の賜物に感心する。助言というものは聞き入れることはあれど行動に持っていくことはなかなかどうして難しい。蓋し親しみを覚えていない相手ともなればだ。

 そう思ったところで、彼の中で一つの提案が浮かんだ。

 

「なら、今日という日を乗り越えたあいつらに労いの一言でも掛けてやったらどうだ?」

「それは本番を終えた時にすることではないの?」

「頻繁にとなると過剰かもしれないが、お前の場合今まで散々厳しい言葉をかけてきたじゃないか」

 

「む……」心外だと言わんばかりに不快感を醸すが、少なくとも例の書籍を買う以前の彼女が綾小路の言う通りだったことは否定しようがないため、言い返すのが得策ではないということは理解しているようだ。

 

「…………確かに、あの本にも書いてあったわね。『相手の悪いところよりも良いところを探しましょう』って」

 

 やがて渋々了承の意を示し、彼女は学習者に呼び掛ける。

 

「えっと、その、聞いて欲しいのだけど……」

 

 さすがに慣れない言葉を発することには羞恥心を覚えるようで、彼女は少し視線を下げ両手を結ぶ。

 一同が見守る中、徐に台詞を編んでいく。

 

「……あなたたちの今の学力は、本分を怠って来た自己責任よ。でも以前と違うのは、どう向き合うか。教える側の私から見て、今日のあなたたちはとても意欲的だった。欠けているものを取り戻そうとする真摯な努力が見えたわ。現にこうして学習も進んでいる。だから――」

 

 そこで途切れた。厳密には、続く言葉が見当たらず詰まってしまっている。

 あと一言、相手を肯定する精一杯を求め、堀北は脳内に検索をかける。

 そして――

 

「だから……ほ、褒めてあげても、いいわ…………」

 

 沈黙。図書館という場所を考えれば全くおかしなことではないのだが、このグループに流れたそれは明らかに館内全体を覆うものとは異なる。

 誰も何も言わない時間と、つい零したばかりのらしくない自分の言葉に、堀北は徐々に頬を紅潮させる。

 次に声を発したのは、

 

「……堀北ちゃん」

 

 池はうるうると瞳を震わせて、彼女の名前を呼ぶ。

 

「俺……俺、今の堀北ちゃんが仏様に見える……!」

「え、え……?」

「最初は無愛想で取っ付き難いなとか思ってたけど、今はとてもそんな風に思えねえよぉ!」

 

 山内も同じ気持ちらしい。

 

「あはは……二人共、昨日の浅川君が余程堪えたんだね」

 

 二人を見て苦笑する沖谷に、綾小路は同意する。

 堀北の初めて見る照れ顔込みの褒め言葉。その時点で恐らく大半の男子はドギマギしてしまうだろうが(綾小路も驚きに目を見開いた)、彼らに限っては脳裏に鮮明に残る悪魔の如き鬼教師の影が、より堀北の放った淑やかさに拍車をかけていた。

 

「そ、そんなにも嬉しいものなの……?」

 

 彼らの裏事情を察していない当の本人は小首を傾げることしかできない。

 困り果てた顔でこちらを見つめてくるが、肩を竦めることでお手上げの意を示す。

 

「ねえねえ、綾小路君」

 

 すると横にいた櫛田から声が掛かる。つぶらな瞳は愁眉をつくる堀北へと注がれたままだ。

 

「堀北さん、どうしちゃったの?」

「『ツンデレ』の波動にでも目覚めたんだろう」

「ふーん」

 

 無機質な相槌に聞こえたのは、関心が引き寄せられてしまっているだろうか。それとも――。

 慈悲深な先生に群がる少年たちは、なおも涙ぐみながら彼女を崇める。

 その側でひっそりと、そして短く交わされたやり取りは、対照的なまでに冷たかった。

 

 

 

 

 

 

「そういえば、浅川君は?」

 

 途切れかけた会話が、櫛田によって継がれる。

 

「昨日張り切り過ぎたから、今日は英気を養いたいんだと」

「昨日――ホントに何があったの? 気になるなあ」

「男どうしの秘密だ」

 

「えー、何それー」適当に受け流すと、彼女はいつもの調子で頬を膨らませる。

 浅川がどうして欠席なのか。気疲れは事実なのだろうが、恐らく彼はただ自室で独り惰眠を貪っているわけではない。

 綾小路は、人知れずげんなりする。

 ――――オレもいつかは、クラスの壁を越えたいものだ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 小さな一室には、互いに一人として同胞はいない。異色の四人が集っていた。

 それは決して、本日限りの催しではない。それなりに打ち解け合った関係において、既に心の隔たりは極薄となっている。

 その異様かつ温かな空間で――。

 僕は思わず、今しがた突き付けられた衝撃的な事実を口にする。

 

「テスト範囲が、変わったって――?」

 

どこまでやる?

  • 船上試験&原作4.5巻分
  • 体育祭(ここまでの構想は概ねできてる)
  • ペーパーシャッフル
  • クリスマス(原作7.5巻分)
  • 混合合宿or一之瀬潰し
  • クラス内投票
  • 選抜種目試験~一年生編完結

▲ページの一番上に飛ぶ
Twitterで読了報告する
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。