その後の共産党政権発足の1949年までは内戦状態で、独裁体制は一休みしたものの、共産党政権自体は毛沢東氏、トウ小平氏という実質的な皇帝に統治されてきており、共産党一党独裁体制というように、まさに党のトップが皇帝だったからだ。だが、1989年の天安門事件以降、江沢民氏、胡錦濤氏という最高指導者は小粒で、皇帝どころか宰相としても力不足だったといわざるを得なかった。
そこで、習氏は「中国共産党独裁政権」という「共産党王朝」が今後、100年も200年も維持できるようにするためには、自身が「皇帝」になって独裁権力を持たなければならないと考えたのではないか(2月27日付本連載記事『中国、習近平が終身国家主席か…2百万人の幹部処分、1千万人殺戮の文化大革命再来の懸念』参照)。その結果、今回の全人代で「終身主席制」に道を開くことで、党トップの党総書記や軍トップの中央軍事委主席も終身化することに成功したのである。
ただ、習氏が本当に「皇帝」のように独裁体制を維持できるかどうかは、習氏の権力基盤が盤石かどうかにかかっている。中国の歴代の皇帝のなかには、生涯死ぬまで皇帝として君臨してきた人物もいるが、力がなく、側近の高官や宦官、あるいは親族に良いように操られて短命に終わった皇帝も少なくない。皇帝制は弱肉強食だけに、隙を見せれば、わずかな油断から「獅子身中の虫」によって内側から食い破られかねない。
その意味では習政権の命運がどう転ぶかを判断するのは、今後の習氏の政権運営能力にかかっていることは間違いない。
2期目を占うエピソード
今回の全人代での習主席再選について、それを占うようなエピソードが伝えられている。それは次のようなものだ。
国家主席や副主席の選挙が行われた3月17日、習氏の国家主席再選や王氏の副主席当選が決まったことを祝うように、北京は朝から季節外れの雪に見舞われた。中国ではめでたいことがあると、天がそれを祝福するため雪を降らせるという言い伝えがある。この日はわずかの2mmほどの積雪だったが、早速、国営新華社通信や人民日報、党機関紙「人民日報」は速報で、「季節外れの吉瑞の雪」と報じた。まさに、主席らの当選を寿ぐための報道である。
ところが、香港の英字紙「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」が報じたところでは、これは中華人民共和国環境保護部が北京近郊の山地の頂上に設置した人工降雪機を用いて降らした雪だったという。同部はこの日、雨が降ると、「良いことも悪いことも、すべて水に流される」という言い伝えがあることから、雨の場合は人工降雪機によって冷気を循環させて、吉瑞である雪に変えようと計画。案の定、その日は朝から雨だったことから、急いで人工降雪機を作動させたというのだ。
習氏の再選は天が寿いだのではなく、ゴマすりの部下が寿いのだ。日本の今流でいうと、同省は習氏の気持ちを「忖度した」ともいえそうだ。
たかが単なる降雪の、どうでも良いようなエピソードだが、なんとなく2期目の習氏の未来を暗示するような話であるように感じるのは私だけだろうか。
(文=相馬勝/ジャーナリスト)