自分がアーマード・コアを始めたのはいつだっただろうか。確か、小学生のころに中古で買ったAC2が初めてのタイトルだったと記憶している。
当時は数字の読み方なんかわからなかったから、早々に積んで中学生までは触らなかったように思う。ふと思い出してきちんとクリアして、アリーナを制覇したのは中学2年生のころだったか。アレスを倒して喜んでいたのもつかの間、ランクの下の方ににゅっと出てきたメイトヒースに絶叫した覚えがある。
タイムラインに流れてきたとある記事を見て、そんな昔を思い出しながら読もうとした。
「身体は闘争を求める」
ッ……ハァーーーーーーーーーーーーーー…
……暗澹たる気持ちになった。またか。またお前なのか。俺はうんざりしながらラップトップを開き、このエントリを書き始めた。
はじめに
まず、この記事について断っておこう。俺は、「身体は闘争を求める」とかいうネットミームを心の底から毛嫌いしている。スマン、かなりきつい言葉を使う。正直タンカス以下だと思っている。俺はACVDをひととおり遊んで区切りを付けてから、この6年以上そのワードが目に入らないようミュートワードに指定し、それでも紛れ込んで目に入ったときはブチ切れ、ブログにお気持ち表明してきた。ちょうどまあ今日のように。
しかし俺は、俺がムカつくのでやるな、と言っているのではない。使う場所と相手をちょっと考えてからそのワードを使って欲しい。それだけなのだ。
もしこの記事をここまで読んで「あっ、そこまで考えてなかったけど普段使っちゃってた……」と思ったなら、ほんのちょっとだけ考えて使おうかな、とだけ思ってくれればそれでいい。ついうっかりでやってきてしまった人に対して怒っているのではない。
ただ、(プライベートなブログなら知らないが)あろうことかDeNAの後援を受けている大手プレスが大物ACプレイヤーにインタビューした、などという公の記事で
記事文頭で「身体は闘争を求める」などとのたまい
記事文中でもしつこく「身体が闘争を求めていらした」などと話を振り
文末でも「身体は闘争を求める」でまとめたような顔をしている
恥知らずな行為
に対して頭に来ているのだ。
「身体は闘争を求める」とは何なのか
「身体は闘争を求める」とは、2015年あたりで流行したアーマード・コアのネタポストの一形態である。
風が吹けば桶屋が儲かるよろしく、全く関係ない出来事から「身体は闘争を求める」でこじつけて「アーマード・コアの新作が出る」で締めるといったかたちをとっている。
ちなみにアーマード・コアシリーズに「身体は闘争を求める」というセリフは一切なく、ただネット上に言い出した人間がいたというだけのことである。
もちろん、俺もたかだかツイッターで誰かが言っていたようなネタに最初からキレていたわけではない。ざっくり2年くらいは俺も聞き流していた。
そして2017年、何度目かのアーマード・コア新作情報と銘打ったタイムラインの祭りのあるとき、俺は思った。
しつこい
俺はキレた。というのもただキレたわけではない。「ただでさえV系ACについて解釈が分かれてピリピリするのに、身体は闘争を求めるとかいうのは原作にもないしもういい加減にしてくれ」という旨のツイートをしたら、当時のACクラスタ(今でも言うかは知らないが、あのころのツイッターでは特定のアルファ関係の人々や趣味のまとまりなどをクラスタと呼んだ)の間でおなじくらいうんざりしていたメンバーたちにまあまあバズってしまった。
その程度の始まりだったが、そのさなかでそれを見た「身体は闘争を求めるをオモシロイと思っていてずっと言い続けたい人々」(身体闘争派閥とでも言うべきか)にたいそうやっかまれたのである。「イキりアピールでカッコつけたいだけだろ」みたいな、まあ今にしては詮無い挑発だが、当時の俺は「何故原作にもないクソみたいなしらけたネタを2年もやりつづけているACやってるかもわからんガキにそんなことを言われにゃならんのだ」と大人気なくブチ切れて記事を書いてしまったという顛末だ。
今思えば、それ自体はしょうもないことである。
まあ俺の"身体闘争派閥"への恨みつらみと怨念はそのあたりから始まったということだ。
身体は闘争を求めることの何が良くないのか
ざっくり一言で言ってしまうなら、「俺の身内ネタを面白いと思え!」と圧を掛けてくることにある。
あの、そもそもの話だが、人対人のコミュニケーションで同じ話題を延々としたり嫌がっている人に対して繰り返すのは、言い方がキツくて申し訳ないけれど、人格に難がある。
TPOと言ってしまえばそれまでだが、相手を多少選んでネットミームを使うということは誰しも大なり小なり心がけていると思う。SNSのフォロー・フォロワー関係で淫夢語録を使う人はいるだろうが、たとえばめちゃくちゃ大手の取引先の偉い人に自分の職場の後輩が語録まみれで話しかけたら部屋から蹴り出すくらいはするだろう。
もちろん、アーマード・コア界隈には身体は闘争をうんぬん以前に古くからネットミームはある。「そのとき君は美しい」のようにちょっとゲーム外のミームもあった。そういったミームが「闘争を求める」と同じような暴れ方をまったくしていなかったわけではない。多少はあった。
たとえば、おもに「ゲイヴン」というかたちで、ちょうどその時のガチムチパンツレスリングの時流も手伝いレイヴンのウホネタ(ホモジョーク)が流行ることもかつてあった。LGBTQへの配慮が求められる今にしてみればとんでもない話ではある。しかし、記事文末のこのあたりを読んで欲しい。
最後に…MADなどを含め、二次要素が膨らんだキャラの宿命ではあるが、必ずしもジャックのファンだからといってウホネタが通用するわけではなく、そういうネタが嫌いなジャックのファンもいることを忘れないようにしよう!ドミナントとの約束だ!
こういうことは、最低限共通理解であったように思う。世の中、ゲームをやっていればインターネットのネタを何でも知っているわけではない。俺もSNSでMADのURLを貼ったりすることはあっても、リアルのACをやり込んでいる知り合いにゲイヴンネタを振ったりはしなかった(いや、当たり前の話だが)。
レトロゲームを純粋に好きで遊んでいる人が、思い出深い作品のバグ画面を見せられて「どう?面白いよね??まさかきれぼし脳知らないの??」とか話を振られても「は?」としか言いようがないだろう。
翻って、「身体は闘争を求める」とやらの記事はどうか。
これは短期間で急速に世の中の雰囲気が荒廃し始めたことの現れであり、そんな荒んだ社会に生きる人々の身体は闘争を求め始める。また、先述の通り「身体は闘争を求める」というフレーズはアーマード・コアシリーズに存在しそうで存在しない(強いて言えば「戦い続ける歓びを!」あたりが近い)為、下手にACファンの前でこのフレーズを発すると、彼らの身体が闘争を求めてしまう可能性がある。
は?
この差がつまり、「身体は闘争を求める」が欠いているものだ。ここに身体が闘争うんぬん言っているやつに共通する問題があり、俺がずっと理解してもらいたかったことが詰まっている。
無論、ただ単に記事を書いた人が気が効いてた人か否かと言われたらそれまでだが、ニコニコユーザーが誰でも編集できるこの記事が2016年の初版から「注意書きなんざこんなもんでいい」としてずっとそのまま来ているわけで、そのあたりに俺はとてつもない傲慢を感じざるを得ない。「これは作品中で使われていないワードが独り歩きしている、いわば"言ってないセリフ"だから、使うときは気をつけようね」……と書けば良いものを、なんだか知らないがふざけ倒してなあなあに終わっている。
「面白いだるぉぉぉおおお???ノリで言ってるだけだから許してくれるだるぉぉぉおおお???」
こういうやり口がまさにこのミームを使う人々の全体の態度を体現している。
ふざけるべきところと真面目に振る舞うべき最低限のラインが守れていない。そういう連中が大手を振ってアーマード・コアの代表ヅラしていることに俺はキレているのだ。
ACを取り巻く現状もかなりピリピリしている
百歩譲って、何も心配することなくコンテンツの供給が約束されている余裕のあるコミュニティであれば、ジョークで済ませることもできなくはない。
しかし、はっきり言って今までのアーマード・コアを取り巻く環境は劣悪だ。
ファンたちがいままでアーマード・コアの新作を6年程度待っている中で「新作の情報」と言われたものがたくさんあった。
さて、いくつ本物の情報があったでしょうか?
そう、無い。単純な話だが、全部ガセネタやデマだったからこの今の惨状がある。
たとえば、直近でのこんな事件。
かいつまんで説明すると、「海外のニュースサイトが"ResetERAという掲示板でアーマードコア最新作のリーク画像を見つけた"という記事を書いたとき、無断で日本の同人TRPGの画像を記事中に使用してしまった」という一件があった。じつに今月のことである。IGNも後追いで記事にしたため、耳に入っている方もいるだろう。
※もちろん、すでに本件については元記事のライターさんからお詫びと訂正がなされ、和解している
何が言いたいかというと、アーマードコアはもはや「新作の情報だ!と飛びついて拡散すると、実際にはデマや転載画像だったりして、いろいろなところにご迷惑をかける片棒を担ってしまう」という、非常にフクザツで困った状態になっている。
今回のようにリークされた情報というのは開発企業に負担をかけるためそもそも拡散すべきでない話題であるが、こういう海外発信の情報がさらに国内のまとめサイトやニュースサイトを通過してしまうと文の内容がもっと改変され、もはやデマがガセの源流が辿れず、止められなくなる。
わかるだろうか?
本気でアーマードコアの新作を待っている人は、ず~~~~~~~~っと長いこと追いかけて、もう何度騙されたかわからないゲームシリーズの新作の情報を、ガセか本当か考え、自分がデマを拡散してしまうことにならないだろうかとピリピリして待ち構えている。
そんななかで「身体は闘争を求める」などと何年も何年もその場のノリでファッションオタクにうだうだ言われる側の気持ちってものを考えて欲しい。どっか見えねえようなヨソでやれ、と俺だったら思うが、皆さんはどう思うだろうか?もしかしたら"イキりアピールでカッコつけたい"俺がおかしなこと言ってるかもしれないので。
生き抜くが良い、レイヴン
ここまでさんざんバチ切れておきながらだが、失敗や良かれと思ったことがミスマッチを起こしたり、反感を買うことはどうしてもある。
俺がさんざんキレ散らかし、その一方で「身体は闘争を求める」というネタを使い続けたい人から睨まれたとおり、意見の相違なんてものはあって当然だ。俺がキレていておかしいと言っていることと、「身体は闘争を求める」というワードを本気で面白いと思っている人がいること、それとそれは同時に両立しうる。そうした我と我の意見が沢山の人に個別にあり、右ならえではないイレギュラーが生まれるからこそ人類が生き続けられるというのは繰り返しアーマードコアが掲げているテーマでもある。
俺はやはり冒頭で述べた記事についても、「身体は闘争を求める」という公式に存在しないミームをしつこく使い、かつての偉大なプレイヤーに敬意を欠いた"行為"に対して憤りを感じているのであって、純粋にそこを除いたインタビューはYOU氏の当時の貴重な体験やアーマードコアを巡る出来事をよく引き出していたと思う。そこには確かな価値を感じる。
もう少し歩み寄るとすれば、ライターの夏上シキ氏も「身体は闘争を求める」というワードが存在しないセリフなのはわかった上で、あえて沢山の人にアーマードコアを知ってもらうために使ったということも考えられる。そういう事情も無きにしもあらずだろう。
なんにせよ、アーマードコアが好きで新作を待っているというその最大公約数は同じで、そこは俺も決して否定しない。
記事の頭の方でも触れたとおり、俺から言いたいことは「使う場所と相手をちょっと考えてからそのワードを使って欲しい」、それだけなのだ。
こんなところか。