拝啓友人へ   作:Kl

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ヒナミちゃんとのデートはどうなったんでしょうね。私気になります!

いや、あれです。その内書きます。そして、全く本編が進んでいない……。

まぁ、いっか……いいのか?


第二十話

その日は特筆して語るべきことは何もないある休日の晴れた日だった。敢えて何かを書き加えるすれば、朝から雲一つない晴天で気温も高く春先にも関わらず少し運動すれば額に汗が滲んだくらいだろう。昼間は確かに暑かったが夜の帳が降りきった現在では気温もだいぶ下がり、涼しく過ごしやすい。開けっぱなしにしている窓から春風が絶え間なくやって来てはカーテンを揺らす。今夜は随分と風が強い。

 

優しい春の夜風に吹かれながら本を片手にコーヒーを一啜り。

 

私専用の赤いマグカップに入ったホットコーヒーは確かな苦みとうま味を私の舌に伝えた。いつも通りの味だ。

 

――あぁ、やっぱりここで飲むコーヒーは美味しい。

 

マグカップに入っているのは何も変哲もないただのインスタントコーヒー。しかも安物だ。喫茶店と比べるどころかそこいらのコンビニのコーヒーすらにも劣るであろう安っぽい味。でも、私はここで飲むコーヒーが大好きだった。

 

絵画はそれを飾る額縁によって価値を変えるし、料理は盛り付けかたによって味が変わる。同じようにただ安物のインスタントコーヒーでも状況によってはどんな高級なコーヒー豆よりも勝る味になるのだ。

 

最早見慣れた狭い部屋。今どき珍しい木造のアパートは劣化が激しく台風が来ると屋根が飛びそうになる。冬はどこからか入り込む隙間風で寒いし、夏場は蒸し風呂のように暑くなる。部屋に備え付けてあるエアコンは型が古く付けると変な音がするし、台所の横からはとうとう雨漏りが発生したらしい。もちろんWi-Fiなんて言うものも存在しない。ついでに言えばテレビだって最近までなかった。

 

立地も最悪で暮らして行くには不便な部屋だ。でも、私はこの部屋が好きだった。思い出が詰まっているこの部屋が好きだった。何の暖かみもないあの無機質な自室よりもこのボロアパートの一室が好きだった。彼がいるこの部屋が何よりも、どこよりも落ち着いた。ユートピア、天国、楽園、林檎の生る島などこの世の中には多くの理想郷を現す言葉は存在するけども、まさしく私の理想郷はここだ。そう私は胸を張って断言できる。

 

コーヒーを啜りながらテーブルの向かいを見る。

 

何時もとは違い難解そうな顔をした彼がA4サイズのコピー用紙と睨めっこしていた。彼の目の間には湯気が昇っている青いマグカップ。中身は同じ安物のインスタントコーヒーだ。

 

「ん……? どうかしたのか?」

 

私の視線に気づいたのか彼は顔を上げてこちらを向いた。持っているプリントには難解な数式やらグラフが印刷されてあった。一応私もそれなりに本などを読みこんできたが、数学やら物理やらは一般教養レベルしかない。彼が格闘している紙を横から見て見ても大雑把な事しか分からない。

 

「いや先生が家でも仕事なんて珍しいなぁって思って」

 

読みかけの本をパタンと閉じて言った私に対して、彼は苦笑いを浮かべながら眉間を揉む。最近はどうやら睡眠不足なようでその顔にはクマが出来ていた。

 

「いやぁ、もう少しでキリがいいからさ。そこまではやっておきたいと思ってね」

 

「仕事熱心なのはいいけど、ちゃんと体調管理はしないとだめだよ。最近寝てないでしょ、クマ酷いよ」

 

私の指摘に彼は罰が悪そうに後ろ頭を掻いた。

 

「お前に体調管理について言われるとは……」

 

「うふふふふふ、昔あれだけ睡眠は大事だからしっかり寝るんだぞ、とか言ってたのは先生だったじゃない」

 

言外に早く寝ろと言った私に、

 

「そのセリフを言われると俺も痛い」

 

彼は苦笑いを浮かべながら柱に掛かっている時計を見た。私もつられて時刻を確認する。二十二時を少し回ったところだった。寝るには少し早いがどうせ研究熱心な彼の事だ。私が来なかった三日間ろくに睡眠も食事もとっていないはずだ。今日くらいゆっくり寝ても罰は当たらないだろう。

 

「まぁ、確かに睡眠不足ではロクなアイデアも出ないと思うし、これ飲んだら寝ますか」

 

どうやら私の苦言は彼には効果覿面だったようで、彼はマグカップに入ったコーヒーを飲みながら書類を片づけ始める。

 

「うんうん、それがいい」

 

「そう言えば、今日は泊まっていくのか?」

 

何気ない世間話を振るかのように彼は言う。

 

「暫く何もないし、泊まっていくよ」

 

その質問に私も気軽を装い応える。

 

「そうか、なら自由にしていけ」

 

「そうだ、先生一緒に寝る? 安眠できるかもよ」

 

「何言ってんだ」

 

彼はそう言って笑った。まるで冗談をあしらう様に、まるで意にしていないかのように……。

 

――あぁ、やっぱりか……。

 

その反応だけで分かってしまう。彼が私の事をどう思っているのかが分かってしまう。夏目漱石は名作こころの中でこう言った。『あなたもご存知でしょう、兄妹の間に恋の成立した例のないことを』

 

分かっていた。勿論分かっていた。これまでも何度も同じような会話を繰り返して来た。そしてその度にうんざりしてきた。彼の中での私の存在はもう既に随分と前から決まっているようだった。

 

――全く恋や愛だの。惚れた腫れたの歳ではないんだけどなぁ……。

 

自分自信で勝手に期待して、自分自身で勝手に絶望する。そんないつも通りが何よりも嫌になる。はぁ、と一つ内心で大きなため息をつき、そんな顔がばれない様にコーヒーを飲むようにして顔を隠す。

 

「――っ」

 

残り少ないコーヒーを胃の中に一気に流し込んでいた時だった。彼の息を飲む音が聞こえてきた。

 

「どうしたの?」

 

そう言って視線を彼に向ければ、

 

「いや、書類整理してしまおうと思ったら、これだよ」

 

油断した、そう言って笑う彼の右手、人差し指からは紅い液体が滲みだしていた。そして風によって運ばれてくる血の匂い。

 

彼の血だ。他の誰でもない彼の血だ。それを意識した瞬間、トクントクンと早くなる鼓動。あぁ、どうしたのだというのだろう。体が熱をもつ。心臓は早く鼓動を打つ。

 

――どうして、どうして!?

 

私の混乱をよそに、トクントクンと心臓の音は大きくなり、呼吸が荒くなる。体中が発熱を感じ、顔が火照る。

 

今まで多くの血の匂いを嗅いできた。多くの人間を殺してきた。多くの血肉を食らってきた。

 

――分かってる! 私は分かっている!

 

彼もまた一人間だ。多くの有象無象と同じような体だ。だから、“味”も私が知っている味に違いない。それは分かっていた。分かっているのに、

 

――なんでっ!? なんでっ!?

 

逸る鼓動を止められない。体中をうずく熱を抑えきれない。

 

とくとく、と血が溢れてくる彼の人差し指から視線が離れない。

 

「ん? どうしたんだ?」

 

私の異変に気付いたのか彼が立ち上がり私に近づく。きっと、洗面台で指を洗う為だろう。

 

しかし、何を思ったのか彼は私の横を通り過ぎることはなく。私の横で立ちどまると、

 

「ほれ、別に浅い傷だし、心配するな」

 

そう言って、傷口を私に近づける。血の匂いが一気に濃くなる。濃厚な血の匂いが鼻孔をくすぐる。

酔った。彼の血に酔っていた。こんな感覚、自我が生まれて初めて人間を食べた時以来だ。

 

――あぁ。

 

そう思うのと同時に彼の指をパクリと咥えていた。理性が本能にあっけなく負けた。

 

――あぁ…………あぁ……あぁ。

 

味は言葉にならなかった。だって私は喰種だ。人間の美味い不味い基準なんて分からない。ただ、それを言葉にするなら今まで食べたことのない味だった。今まで食べたどんな人間よりも味が濃かった。美味しかった。今まで飲んだどんな血酒(ワイン)よりも酔えた。甘美だった、うま味だった、芳醇だった、コクがあった。およそ今まで私が体験したことのない味が全て圧縮されてあった。

 

――目がちかちかする。頭がくらくらする。心臓がうるさい。

 

もう私は自分で自分を止めることが出来なかった。

 

――もっと、もっと食べたい。

 

本能が訴える。

 

――ダメだ。それだけはダメだ。

 

理性がそれを止めようとする。

 

脳だけでなく、体も分かっている。今口に入っているのは彼の指だということを。もっとも傷つけたくない。最も大切にしたい彼のものだ。噛み切るなんて事は絶対に出来ない。

 

――でも、少しくらい傷をつけるくらいなら……。

 

私の舌なら痛みなく傷口を増やせる。あぁ、それくらいなら、それくらいなら……。

 

回らない頭でそんなことを考えていた時だ。頭の上に暖かい感覚が現れた。

 

「人のこと心配する前に自分のことを心配しろよ」

 

くしゃりと少し乱暴に、しかし温かく大きな手で彼が私の頭を撫でた。

 

ぼんやりとした覚束ない思考で、口を開けて彼の指を出す。

 

「お前こそ、体調わるいんじゃないの。紅眼出てきてるぞ」

 

そう言って彼は何でもない様に笑う。

 

「……え?」

 

彼の言葉にようやく少し素面に戻った私はぺたぺたと顔を触る。別に顔を触らなくても分かっていた。伊達に長年喰種として生きていない。今の私の右目はどうしようもなく真っ赤に染まっているだろう。

 

――あぁ、酔っていた。柄でもない、彼の血に酔ってしまった。

 

「何だ、空腹か? 人の飯にあれだけ文句つけといて自分は空腹状態でした、じゃ笑えないぞ」

 

――そんなはずはない。

 

彼の言葉を心中で否定する。彼の家に来るときは常に満腹状態かそれに近い状態の時だ。空腹のときに来るなんてことは死んでもしない。今日だってそうだ。ここに来る前にしっかりと家で食事はとってきた。

 

なのになぜ……。

 

分かってる。そんなことは分かっている。疑問にするまでもない。

 

彼だから。彼の血だからだ。

 

絵画はそれを飾る額縁によって価値を変え、料理は盛り付けかたによって味が変わる。安物のインスタントコーヒーでも状況によってはどんな高級なコーヒー豆よりも美味しくなる。他の誰でもない。“彼の血”だからこそ、私は酔った。自分を見失った。その魔力が彼にはあった。

 

「まぁ、少しくらいなら血、飲んでいいぞ。しんどいんだろ? 本当なら腹いっぱい食べてもいいと言いたいんだがな。俺にはまだ少しだけやることがあるんでな、今死ぬのはちょっと困る」

 

彼はそう言って自分の腕を差し出す。

 

――齧り付くなら齧り付け。

 

彼の目はそう語っていた。

 

――食べたい。今すぐに齧り付きたい。

 

本能がそう訴える。しかし、口から出た言葉は、

 

「いや、いいよ。味見は出来たし」

 

「そうか」

 

彼は一言そう言うと、洗面台に向かうために足を進める。

 

その背中に言葉を投げかける。

 

「先生……先生の血は本当に不味かったよ。これ以上血を啜ったらお腹を壊しそうだ」

 

そう力なく言った私に、彼は振り向きも足を止めることもせず、

 

「そうか、それは残念だ」

 

ただ乾いた笑い声を出すばかりだった。

 

 

 

 


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