アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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多少強引ですけど、サブタイ通りここらで他クラスとの邂逅ラッシュと行きましょうか。
長いので前後編です。

「考えてみりゃ、出会いなんていい加減なもんだ。砂漠で別れた女にでくわすほど偶然に左右されるくせに、時にはゲームみてえにそいつの人生を変えちまう……」
(『ルパン三世』次元大介)


エンカウンター(前編)

 メーデー、メーデー。

 誰か助けてはいただけないだろうか。

 今現在、目の前には一人で涙ぐんでいる女の子。クラスどころか学年も判別しようがないため、声の掛け方がわからない。

 ぼーっと突っ立っているだけだと非難の目に晒されかねないので、近くの水道で手を洗う動作をしておく。

 ジャー、ジャー、と。一定の速さで真下へと流れる一筋を、ボクはジーッと見つめる――わけでもなく、顔を明後日の方角へ向けながら、自分の小さな不運を呪う。

 一体全体、どうしてこんなことになってしまったんだか……。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 静寂が支配する部屋で、慎ましやかに響く音が、二つ。どちらも紙に作用が働いたことによって生まれているものだ。

 

「何を作っているんですか?」

 

 およそ一分刻みで片割れの音色を編み出していた少女が尋ねる。

 

「何だと思う?」

 

 もう片方の不規則な音波を生み出しているボクはそう返す。

 

「鶴、とか?」

「惜しい!」

「なら、烏?」

「それはなんかムズくない?」

 

 音源の一つであった本を読んでいた少女――椎名は栞を途中のページに挟んで閉じ、ボクの隣にグイッと身を寄せてきた。角度は違うが、何となく初対面の時の身を乗り出し気味だった彼女を思い出す。

 

「何だか不思議ですね。浅川君がそんなものを置いていただなんて」

「子供っぽいかい?」

「いえ、そうではなくて、この部屋はほとんど何もないじゃないですか」

 

 皆さんお察しであろう。ボクらが今過ごしているのはボク自身の部屋だ。

 先日のボクの提案に彼女は特に躊躇うことなく同意してくれた。それでいて今日の予定は綺麗さっぱりすっからかんだったので、ボッチ回避を試みた結果がこの状況である。

 さすがの椎名も、最初にこの部屋を見た時はポカンとした表情をしていた。一ヶ月経ったのにもかかわらず初期レイアウトのまま一つも変化のない部屋を見せられたら、本当に真面な生活をしているのか疑ってしまうのも無理はないだろう。

 

「大抵はなくて困らないからねえ」

「それもなくて困るものではないですよね?」

「これ?」

「これです」

 

 二人揃って指差したのは、ボクが音を響かせていた代物、またの名を『折り紙』と言う。

 

「紙ってすげえよな。最後まで用途たっぷりだもん」

「娯楽のために買ったんですか?」

「買ったよ、()()で」

 

 正確には折り紙として使っているわら半紙だ。恐らく授業でノートを取れるようにするための救済措置なのだろう。十五枚セットで売られていた。

 

「よっし、できた」

 

 山折り谷折り、色塗りまで終えて、ボクは完成品を彼女の前に掲げた。

 

「コケコッコー」

「鶏でしたか」

 

 さも当たり前のように納得する椎名だが……鶏折るの大分大変だったんだけど。

 

「どうしてよりにもよって鶏を?」

「ただ今絶賛干支生産中なんだよ。長い道のりだったが、これでようやく十個目だ」

 

 机の上には既に子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申までが、複雑に折られた真っ白な紙に淡い塗装を施されることで生み出され、並べられていた。

 

「全部この時間で作ったんですか。随分器用ですね」

「ネットで作り方ガン見してたけどね。ともあれ、これで少しは我が狐城にも遊び心が宿ったんじゃないかね?」

「ああ、それが目的だったんですね」

 

 このあまりに無機質な部屋にも、いい加減せめてもの「色合い」というやつを与えてやるべきだろう。今回の椎名の時のように、急な出来心で誰かを住処にあげることがあるかもしれない。ましてやそれがDクラスの人間なら、多少ポイントを消費しているような様子を示しておいた方がいい。

 ……まあそう思い立って始めたのが折り紙というのも、何だか陳腐な気はするが。

 そうだ。物を生み出すというこの感慨深い行為を、彼女にも体験してもらおうか。決して手作業に飽きたわけではないぞ。

 

「物は試しと言うが、やってみるかい? 次は戌だ」

 

 サッと袋から一枚取り出し椎名の前に差し出す。

 一瞬呆けた表情を見せる彼女だったが、まるで初めて紙に触れるかのようにゆっくり丁寧に受け取った。

 

「いいんですか? 自信はありませんけど……」

「歪な出来栄えもまた一興。ボクは猪をやるから、君の手際を見せてくれたまえよ」

 

 「とりあえずやってみますね」椎名は徐に端末を取り出し、サイトに載っている作り方を参考にしながら黙々と紙を折り始める。

 再び無言の時間、というのもさすがに面白くないので、世間話でもしてみようか。

 

「そういえば、中間テストまであと三週間を切ったけど、調子はどうなんだい? ――ちょっとここ押さえててもらえる?」

「えっと、待っててください。――ぼちぼちです。こまめに復習はしていたので、今のところ特に困っていることはありませんよ」

 

 「せんきゅ」彼女は見かけ通り、学力は申し分ないようだ。こまめな復習とか、絶対頭良い人じゃん。

 あ、ここ山折りじゃなくて谷折りだった。

 

「浅川君は?」

「無問題」

「やはり人は見かけによらないんですね。――ここってこれでいいんですかね?」

「うーんと、多分だいじょ――待って。見かけだとボクっておバカなの?」

「学力が高い、といった風には見られにくいと思いますよ」

「……マジかよ」

 

 まあこんな人となりだから、真面目に勉強をするようには見えないのかもしれない。何とも合点いかんが、致し方なし。

 ……痛え、足痺れてきた。椎名はよく正座のままでいられるな。茶道部は伊達じゃないってか。

 

「何なら教えてやろうかとも思っていたけど、進捗を聞く限り問題なさそうだなあ」

「勉強会でも考えていたんですか? どうせ教えるなら私よりもクラスメイトに教えるべきでは?」

「ちと訳ありでね。とんとん拍子に教師役はやれないんよ」

 

 入試成績や小テストの点数云々の話は説明が面倒くさいから割愛しておく。

 要は何が言いたいのかと言うと、

 

「それに、憧れるんだよ。仲良しどうし並んで勉強を教え合うって、何だか青春っぽくない?」

「中学校ではしなかったんですか?」

「……うちは、親が厳しくてね。そういう時間を他の子と一緒に共有するっていうのは、したことがなかったなあ」

 

 あまり気のいい話ではないが、もうそこまで引きずっていることではない。余計な嘘は吐かずに答えた。

 ……いや、少々緩み過ぎていたか。家庭事情を口走る必要はなかったな。

 

「ま、ラビットホーン、今しかできないと思うと好奇心は湧くものだよ。子供の特権だからね」

「確かに、大人になったらできないことですものね」

 

 そこで一旦話は途切れ、カサカサ、シャッ、カサカサ、シャ、と紙の擦れる音だけが鼓膜に響く。

 「あとどんくらい?」時計を見ながら尋ねる。まだ正午も回っていない。これ以上時間を潰せるものは、残念ながらもう室内には残っていない。

 

「もう少しです。浅川君は――浅川君ももうすぐですね」

「何だかんだ楽しかったろう?」

「偶にはいいかもしれませんね。紙ですし」

「え、そこ?」

 

 確か前にも言っていたな。電子書籍も便利だけど、やっぱり紙媒体の方がのめり込めるだとか何とか。

 人間何でもかんでもこだわりを共有できるわけじゃない、哀しいけど。ボクらがこうして折り紙を楽しんでいるのは、椎名は紙だから、ボクは童心をくすぐるからという、ただそれだけの違いだ。

 

「……よかったら」

 

 不意に椎名が手を止めた。反射的に彼女の方を向くが、彼女は俯いたまま、あとは色塗りを残すのみとなったであろう無色の造形を見つめている。

 

「よかったら、今度一緒に勉強しましょうか?」

「……あ、ああ、いいね。いいけど、キミは学力に問題はないんじゃなかったのかい?」

「はい。ですから、私も好奇心に委ねてみようかと。特権は有意義に使うべきですからね」

 

 なるほど、それもそうだ。一瞬気を遣わせてしまったかと思ったが、彼女の表情を見るにそういうわけでもなさそうだ。そもそも気遣いだったとして断るわけがないので、ありがたく乗らせてもらおう。

 

「じゃあ今度やろうぜえ。図書館――は駄目だったわ。やるとしたらこの部屋だなあ。変わり映えしなくて申し訳ないけど」

「いいですけど、どうして図書館は駄目なんですか? 一応ここ一週間あそこで会ってませんけど」

「ん、まあちょっとしたことだから気になさんなあ」

 

 理由は二つだ。一つは清隆たちについて。もし鈴音たちが勉強会をすることになった場合、恐らく開催場所は図書館になる。できればそんな形で遭遇したくはない。

 もう一つは――まあ今語ることでもないから追々だな。椎名にも今言うべきではない。()()()()()()()()、というやつだ。

 ただ、今日は少し、その事情とやらが変わってくる日ではある。

 

「よっしできた」

 

 話が一区切りついたところで、渾身の一作が遂に完成した。得意気に椎名に見せつける。

 

「ブヒブヒ、フガフガ」

「それ、豚じゃないですか?」

「え……いやほら、鳴き声似ているし」

「でも、そこはかとなく形も……」

「……あれだ、中国とか他の国だと豚で合ってるから」

「結局豚じゃないですか……」

 

 何が悲しくて猪のつもりだった力作を即豚認定されなければならん。苦し紛れの言い訳を再びする羽目になったではないか。

 

「椎名もできたかい?」

 

 「はい」彼女もボクと同じようにして、軽く仕上げた作品をボクに見せた。

 

「ワンワン、ですね」

「……やるやん」

 

 マジかコイツ。犬の全身を作り上げやがった。線の入れ方もなかなかに技巧的だ。ボクと同程度だったら揶揄ってやろうと思っていたが、これは……何も言えねえ。

 

「ありがとなあ。あとはこの精鋭たちを適当に飾ればコンプリートだ」

 

 とりあえず、当初の目的だったインテリア制作のご協力には感謝を述べておこう。親しき仲にも何とやらだ。

 机の上に乱雑に並べられた十二体を眺めてみる。こう、自分の手で生み出したものを一遍に視界に入れると、何だか眼福だな。特に鶏なんかは結構上手くできた気がする。主に鶏冠のあたりが。

 ――さて。

 これでもう本当にやることはなくなった。この時期の休日、まして連休はどうも手持無沙汰になりがちだ。折角だから、椎名ともう少し何かして過ごしたいものだが。

 ……ああ、一個あるじゃん。いいのが。

 

「椎名はこの後予定あるかい?」

「いえ、一日中空いていますよ」

「おお、よし来た。んじゃあ今から図書館にでも行くかあ」

「え、さっきの会話があって、そこに行くんですか?」

「平日でもないし、人も少ないだろうからなあ。お世話になった拠り所へ、心の里帰りをしたくてね」

 

 ゴールデンウィークもなんのその。図書館は今日も変わらず営業中だ。見事に『ボクら二人で足を運べる条件』が揃っていることだし行ってみよう。

 説明不足は百も承知。彼女の頭にはいくつかクエスチョンマークが浮かんでいることだろう。しかし、ボクには手に取るようにわかるぞ。その疑問を置き去りにしてしまう程に本の憑りつかれてしまうのは、読書家の性だ。

 

「相変わらず気分屋ですね」

「どんな逆風が来ようがお構いなしさあ。差し詰めボクは――」

 

 ボクは完成品の鶏を眼前に掲げ、力強く叫ぶ。

 

「ウィンドルックチキン!」

 

 ……あら不思議。密室だというのに、一陣の風が吹いた。なぜか櫛田の依頼を熟していたあの夜以上に寒い。

 要領を得なかったようで暫し首を傾げる椎名だったが、すぐに理解してくれたようだ。

 

「もしかして、『風見鶏』ですか?」

「ザッツライッ」

「……自分から日和見主義を名乗り上げますか? 普通」

「違う、それはこの国の政界の誰かさんのせいだ。元々風見鶏は勇敢だったんだぞ?」

 

 元来風見鶏は強い風にもめげずに悠然と立ち続ける姿から生まれた名だったはずだ。今では確固たる意志の持たないフラフラ人間を揶揄する言葉になってしまったけど。

 

「そうだったんですね。……待ってください。まさか、先程のラビットホーンって……」

 

 どうやらようやく彼女はとんでもない事実に気が付いたようだ。目を見開き言葉を失ってしまっている。何だ、スルーされたのかと思っていたけど、一応気になっていたのね。

 

「イエス。『兎に角』だ。あ、『兎も角』でも『兎角』でもいいか」

 

 今度は兎の形をした折り紙を手に取る。もしや干支だけで大抵の言葉網羅できるのでは? あ、無理だわ。猫は干支じゃないから手を借りられないや。

 

「さて、支度もあるだろうから、十分後にロビーで落ち合おうかあ」

「五分で大丈夫ですよ。確かいつもより閉館が少し早かったはずなので、急がないといけませんね」

「あ、そうだっけかあ」

 

 臨時営業といったところか。職員もこういう時くらい早く帰りたいもんな。

 それきり各々動き始め、男子故に準備するものが少なかったボクは、早速一階へ向かうことにした。

 ――一枚の荷物を携えて。

 

「え……浅川君、それを持っていく必要ありますか?」

 

 椎名の問いにボクは得意気に答えた。

 

「自信作なんだ。言ったろう? ボクはウィンドルックチキンだって」

 

 この時見せた彼女の苦笑いは、長らく脳裏に鮮明に残ることだろう。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 そんでもって取り挙げる事柄もなく図書館での読書タイムが始まり、何の気なしにトイレに向かう道すがら、この空間に遭遇してしまったというわけだ。

 ああ、どうしよう。泣いている女の子を素通りするのは忍びないが、急に声を掛けたところで向こうに怖がられたら、それはそれで旨い展開ではない。

 鶏さん鶏さん。どうかわたくしに天啓を授けては頂けませんでしょうか。お告げの書かれた紙が入っている卵とか産んでくれたら嬉しいです。

 ポケットにしまってある力作にピトッと触れるが、当然妙案が浮かぶことはない。くそ、実物だったら可能性はあったが、さすがに『紙』頼みでは休すだったか。

 ……よし、決めた。あと三十秒待って誰も駆け付けなかったら、恐れながらお声掛けさせてもらおうじゃないか。

 ――ジャバジャバジャバと、水を垂れ流したまま、無為な十秒が経過する。

 ――気まずさからくる心の騒めきを、ステンレスに落ちる水音に耳を傾けることで紛らわし、更に十秒が経過する。

 ……じゅーう、きゅーう、はーち、なーな、ろーく、ごーお。

 ……よーーーん、さーーーん、にーー……。

 

「大丈夫かい?」

 

 ええい、望み薄な援軍なんぞに期待できるか……!

 意味もなく自分の首を絞めることの面倒臭さに嫌気がさし、カウントダウンを打ち切って飛び出した。定番を地で行く妥当な第一声を掛ける。

 

「え!? あ、ええと、あの……」

 

 少女はビクッと反応した後、困惑の表情を浮かべ言葉に詰まってしまった。気持ちはわかるが、ボクだって一部始終を見ていたわけではないし、無策で踏み込んだ身であるからして、何の対処のしようもない。どうしたものか。

 やはり彼女の知人が到着するまでの見守り役に徹するべきだったかと後悔が過った――その時だった。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 ……あらやだ、イケメンじゃない。

 

 

 

 場所は移り、保健室。厳密に言えば保健室の前。と言うのも、保健室の担当がまさかまさかの星之宮さんだったために、発見し次第脱兎のごとく逃げ出してきたのだ。何だか酔ったような声音で「あれ? 浅川君だー」と口にしていた気もするが、メンターからの警告に素直に従うことにした。

 そういえば鈴音と言い合いになった時もこんな濃い茜の空だったなと、ぼんやり外を眺めていると、数分経って良き働きをしてくれた少年が部屋から出てきた。あの後少女の容態を確認し、保健室どうこう、保健医どうこうと動いてくれたのは全て彼だったのだ。お察しの通り、ボクは紛うことなき傍観者を決め込んでいた。

 

「いやはや助かったよ。キミが来なければ危うく変質者になるところだった」

「別に感謝されるようなことはしていない。気にするな」

 

 そう言って少年はボクの隣に腰を下ろす。

 

「にしても、何でこんな時間にあんなところに?」

「友達と図書館に。トイレへ行くところだったんだ」

「なるほど、それは災難だったな。態々気にかけてやってくれてありがとう」

 

 終始影のようにひっそりと佇んでいただけだったというのに、逆にボクの方が感謝されるとはな。この学校は顔も性格も良いやつで溢れているようだ。

 

「そういえば、キミはもしかして一年B組かい? 星之宮さんとやけに砕けたやり取りをしているようだったけど」

「ああ、自己紹介をしていなかったな。お前の言う通り俺はBクラスだ。名前は、神崎(かんざき)隆二(りゅうじ)だ」

「Dクラスの浅川恭介だ。よろしくなあ隆二」

 

 友好の証として握手を交わす。『Dクラス』という単語に対して特に侮蔑的な表情をしなかったし、気軽に接しても問題はなさそうだ。

 

「あの子は大丈夫そうかい?」

「軽い擦り傷だったらしい。騒ぎ立てる程のことでもなかったようで安心したよ」

 

 すると彼は、不思議そうな顔でボクの方を向いた。

 

「友達のところに戻らなくていいのか? こっちはもう心配する必要はないと思うが」

「あー確かに。でも、もちっと話したいからこのままで」

 

 たった一つ、気になることがあった故に飛び出た発言だったのだが、意図を測れなかった隆二は訝し気な顔をする。それを傍目にボクは端末を取り出し、念のため椎名に連絡を入れておくことにした。

 

「わり、用で遅れる」

 

 数秒で返信が届いた。

 

「どこですか?」

「保健室」

「今からそちらに行きますね」

 

 え、何で?

 

「え、何で?」

 

 頭の中で浮かんだ疑問をそのまま文面にするも、返信の来る気配はない。どうやらもう動き出してしまったようだ。

 

「……それでさあ隆二。さっきの女の子のことなんだけど」

 

 別に彼女を待ってから話を始める必要はないかと判断し、一先ず話題を持ちかける。

 多少真面目な話に切り替える自覚があったからか、少し視界に黒みが差したような気がした。

 

「どうかしたのか?」

「いや、大したことじゃないかもしんないけど――もしかしてあの子、何か『トラブル』に巻き込まれたんじゃないか?」

 

 ボクの推測に彼はあからさまに顔を強張らせた。およ、何か事情を知っているのか?

 

「どうしてそう思った?」

「だって、おかしな話じゃないかあ。軽い擦り傷でシクシク泣いてしまう程、ボクらはやわな齢じゃないだろう? だとすると、精神的に傷つくようなことでもあったんじゃないかなと思って」

 

 当然の疑問だ。いくらか弱い女子だったとしても、その程度のケガで涙を流すことはそうないはず。

 「言いたくないなら言わなくてもいいよ」と断ってはおいたが、隆二は答えるのを渋る素振りを見せた後、噤んでいた口を開いた。

 

「いや、手を貸してくれた恩もあるから、それくらいは話そう。実は、五月に入ってからのこの一週間で、他にもうちのクラスの生徒が数人、立て続けにトラブルに巻き込まれているんだ」

「ほう、それは穏やかじゃないねえ。その言い方だと、Bクラス側が進んで起こしているというわけではなさそうだなあ」

「勿論だ。寧ろ、相手の方が意図的に絡んできているんじゃないかと思っている」

「何故だい?」

「トラブルの相手が全て、同じクラスの生徒だったからだ」

 

 それは何とも奇妙な話だ。つまりはクラス抗争の構図が表面化した直後から、既に何らかの攻防、あるいは因縁が働いているということになる。

 そんな悪質なことをするクラスなんて、まあ、一つしかないか。

 

「Cクラスかい?」

「そうだ。よくわかったな」

「友達から聞いたんだ。Cクラスは如何せん、バイオレンスな集団だとね」

 

 うちのクラスの間でそういう話は聞かなかったし、一番上のAクラスが自ら他クラスにちょっかいをかけるようなマネはなかなかしないはずだ。

 

「全くはた迷惑な話だ。どうしてうちのクラスがこうも標的に……」

「それは、一つ上のクラスだからなんじゃないのか? 単純に妬みとか僻みが発端のちゃちなイタズラだと思うけど」

「……いや、その線は薄いと思っている」

 

 自分から口にしておいてなんだが、ボクも恐らく違うだろうと思っている。上位クラスの人間がどう思考するのかという好奇心からきた短絡的な発言だった。

 

「言い切るねえ。根拠はあるのかい?」

「明確なものはないが、違和感がある。――あのクラスが暴力的だということは、既に学年である程度知れ渡っている。クラス内で闘争が勃発したなんて話が出たくらいだからな」

「お若いねえ。随分と血の気が盛んなことで」

 

 クラスメイトどうしでそこまで過激な揉め事があったのは初耳だ。思いもしないところで情弱性を突き付けられる。

 ともあれ、Cクラスの様子は一応椎名から聞いていた評価と一致していた。

 

「だが、確かに浅川の言う通り、あまりにちゃちなんだ。予め聞いていたイメージと齟齬がある」

 

 隆二の見解は続く。

 

「これまでの嫌がらせはどれも先生や生徒会などの監視の目が薄い場所で起こっていた。にも関わらず、こちらが酷い傷を負ったことは一度もない。今回のように心を抉られることはあってもだ」

 

 人目に付かない場所、ということなのだろう。特別棟、寮の裏や付近、屋上……。今回は課外の校舎だった。

 

「それでも許せないことに変わりないが、どこか慎重に石橋を叩いて渡るような感じが、気味悪いな」

 

 目敏いことだ。普通クラスメイトを案じるに留まってしまうものだと思うが、彼は冷静に状況を分析している。

 

「そういえば、Aクラスには何にもしていないというのも、ただ単に逆恨みだと捉えようとすると矛盾するなあ」

「そうだな。加えて、絡んできた生徒たちからはっきりとした悪意が感じられなかった、と言っているやつもいた」

「本心からの行為じゃなかったってことかい?」

 

 不可解な情報が連続する。

 不気味さを演出するように、飛翔するカラスの影がボクらの体を通過した。鳴き声は聞こえない。

 

「キミはその事実から、一体どんな結論を導き出した?」

「……わからない。わからないが、もしかしたらCクラスは、まだ俺たちには見えていない何らかの思惑があってそうしている。そんな気がするんだ」

 

 ふむ、どうやらあと一歩といったところのようだ。

 

「今はまだ、情報が少なすぎるってとこかあ」

「ああ。だが、いかなる理由があろうと、やはり他人を執拗に追い詰めるような行為を認めることはできない。こういうことが起こる度、腸が煮えかえる思いになる」

「同感だなあ。さすがのボクも……」

 

 聞きたいことも聞けた。これ以上の収穫を期待することはできないだろう。

 BクラスとCクラスの間で起こっているいざこざ。これは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かもしれない。

 本題は済んだ。ここから先は普段通りのコミカルトーンに戻るとしようじゃないか。

 ボクは、ポケットの中の『秘密兵器』を素早く取り出した。

 

「チキンクラウンにカムバーック!」

「――鶏冠に来た、ですね」

 

 ボクの力強い声に隆二は瞠目したが、続いて響いたソプラノ声に、今度は二人揃って目を剥き、ボクの背後を見る。

 

「持ってきて正解でしたね、それ」

「……クックドゥードゥルドゥー」

 

 あたぼーよ。ここぞという時、『神』なんて『紙』程役には立たないんだから。

 

 

 

 現在の状況をわかりやすく説明しよう。

 ボクは不思議な因果によって謎のクールイケメンこと神崎隆二と邂逅。二人仲良く向き合い『世間話』をしていた。

 しかし、そこに漂っていた空気は不意に姿を現した美少女、椎名ひよりによって動揺する。

 結果、ボクを挟んで初対面の少女を呆然と見つめる隆二、ボクの背後を取り何の意図もなさげに声を掛けた椎名、そして――

 

「いつまでそのポーズで固まっているんですか?」

 

 一片の光もない真っ黒な目をした鶏の紙を、おでこの前に掲げたままフリーズしているわたくし、浅川恭介という奇妙な構図が生まれてしまった。

 

「鶏のマネ?」

「いや、鶏って気性が荒いんじゃなかったか?」

「いえ、多分茶色い鶏のことを言っているんだと思います」

 

 椎名よ。何だかんだでボクのことをわかり始めてきたじゃないか。清隆にも匹敵する理解度だ。

 

「浅川、彼女がお前の言っていた友達か?」

「うん、そうだよ」

 

 椎名に自己紹介してもらうよう目線を送ると、彼女はコクリと頷いた。

 

「Cクラスの椎名ひよりと言います」

「……っ、Bクラスの神崎隆二だ」

 

 (ぎょ)っ、そうだった。

 ボクはそっと隆二に耳打ちする。

 

「Cクラスにも一応心優しい人はいるんだ。一ヶ月関わって来たボクが保証する」

 

 彼は反応こそ示さなかったものの、実際ボクと椎名が柄の悪い付き合いをしている人には見えなかったからだろう。警戒を解き、さっきまでの態度に戻ってくれた。

 

「それで、浅川君」

「何だい? と言うかそもそもキミ、どうして態々こっちにまで駆けつけてきたんだ?」

「え、私はあなたがケガでもしたのかと思って、念のため足を運んだんですけど……」

「……なーるほどねえ。心配かけてごめんなあ」

 

 簡潔な文面が裏目に出た。確かに保健室にいるという情報だけではそう捉えるのが普通か。素直に謝っておこう。

 そのあと、ボクは図書館を出てから起こったことを彼女に説明した。

 

「そんなことがあったんですね。軽傷と聞いて安心しました」

 

 因みに、Cクラスが主導だという話は意図的に省いた。クラス抗争に興味がなく、そういう行為を好まない彼女に必要以上のことを話さなくてもいいだろう。無駄に気負いさせてしまうかもしれないしな。

 

「でも、どうしてこの時間帯にそんな場所に?」

「部活が終わった後だったらしい」

 

 隆二が答えた。

 今は午後二時。部活後や昼食後の生徒が多いこの時間帯なら、他に生徒がうろついていても不自然ではない。

 

「そういえば、二人はどうして今日図書館になんて行っていたんだ。テスト勉強でもするつもりだったのか?」

「ボクがそんな真面目ちゃんに見えるかい?」

「……ああ、人の話は真摯に聞いてくれるな。さっきみたいに」

「おい何だよ今の間は」  

 

 変にはぐらかしたろう。一瞬彼の脳内で良いとこ探しが行われていたようだった。

 だがまあ、彼の疑問は頓珍漢でもないか。同じクラスでもない異性の二人組が祝日に学校の図書館を利用するなど、『良い雰囲気』というやつを勘繰る人もいるだろう。

 だから、ボクらがある種の例外だということは否定しない。

 

「ただの気まぐれだなあ。お互いそこまで顔も広くないし、偶々予定が空いていて、図書館も偶々開いていた。それだけ」

「そうか。気持ちはわからなくもない。俺もあまり人付き合いが得意ではないからな。クラス全体の仲が良いおかげで、上手くコミュニケーションは取れているが」

 

 第一印象に違わず、隆二もこちら側の人間だったようだ。雰囲気がどこか清隆に似ている感じがしたから、彼ほどではなくとも会話下手なのだろうとは思っていた。

 ――ん、待てよ?

 友達が少ない。温厚篤実。他クラスどうし。

 三拍子揃っている。彼は『適格者』だ。

 

「隆二。キミ、本は好きかい?」

「え、ああ、偶には読むけど」

 

 何の脈略もない問いに隆二は動揺しながらも答える。

 ボクは次に――椎名の方を見た。彼女もボクが何を考えているのかわからず可愛らしく小首を傾げていた。

 ボクは自分のヒラメキの赴くままに、言葉を紡いだ。

 

「ならさ、これからもこうして皆で会おうじゃないかあ。幸いにもボクら三人、そこまで相性は悪くなさそうだ」

 

 ボク自身いい加減椎名以外にも他クラスと関わりを持っておきたいと思っていた。それも、クラス対抗関係無し、打算無しの友人関係を。

 正直今となっては諦めざるを得ないかとも感じていたが、彼ならあるいは見込みがあるかもしれない。

 隆二は恐らくボクや清隆と似た状況だし、椎名も本を語れる友達が増える。オールハッピーだね。

 

「私は構いませんよ? 本が好きな人に悪い人はいませんから」

「え、何その偏見」

 

 そういうものなのか? 絶対的信頼の域を超えているような気もするけど、ボクの望んでいた肯定的な反応だったし目を瞑っておくか。

 

「それは、友達になろう、ということか?」

「え、ボクらまだ友達じゃなかったの?」

 

 三秒目を合わせて話せたらうんたらかんたらと聞いたことはあるが、そこまででなくともこれだけ話せば十分仲良し扱いでいいと思うのだけど。

 

「他愛もない時間の共有者だよ。今日のボクと椎名のように、暇だなあ、退屈だなあって時に何となく会うのさあ。キミも一人の時間を持て余すなんて経験、したことあるだろう? ――最近じゃ中間テストの勉強でもしようかって二人で話していたから、良ければご一緒してみないかい?」

 

 隆二は、まだ悩んでいる様子だった。あまりに急な提案だったのだから無理もない。それに、見た目に反してクラスの幹事でも勤めていた場合、こういう関わりは仲間に不審に思われてしまうことだろう。

 そういった意見に対する反論は一応考え済みではあるのだが。

 

「俺は……少し考える時間をくれ。一之瀬にも相談しておきたいからな」

「一之瀬? もしかして、生徒会にキョーミのある女の子かい?」

「そうだ。知り合いなのか?」

「いや、偶然耳にする機会があったんだ。その言い草だと、クラスで委員長の立ち回りでもしているようだねえ」

 

 隆二は無言の肯定を示した。

 一年の時点で生徒会を意識するだけのことはある。クラス全体が仲良しとも言っていたし、そんな集団を引っ張っている人材は重宝されることだろう。

 

「それじゃ、ボクらはそろそろお暇しますかねえ。ほい、コレ連絡先。気が向いた時にいつでもどうぞ」

「ぜひまた会いましょう。神崎君」

 

 これで話は十分だ。もうここに用はない。

 ボクは立ち上がり、椎名と共に隆二に背を向ける。

 しかし彼はそれを呼び止めた。「浅川」

 

「何だい?」

「お前たちがクラス抗争に興味がないのは察した。だが、他の生徒がピリピリしている中、どうしてそんなにも柵なく一緒にいられる?」

 

 その問いに、ボクと椎名は顔を見合わせた。彼女も同じ意見だったようで、優しく微笑む。

 ボクはゆっくりと振り返り、隆二に柔らかな視線を送った。

 

「答えはシンプルさ。それが僕らにとって幸せだからだよ」

 

 堂々と答えてやると、彼はフッと笑い、満足そうに「そうか」と呟いた。

 どうやら納得のいく回答だったみたいだ。彼はそれきり再び保健室の中へと戻っていき、間もなく星之宮さんと会話する声が聞こえてくる。

 

「戻ろうか」

「はい」

 

 短いやり取りをし、ボクらは並んで元来た道を歩き始めた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「思わぬ幸運でしたね」

 

 図書館の入り口が見えてきたあたりで、椎名が口を開いた。

 

「確かに。やっぱ偶には、こうして外に出てみるもんだなあ」

 

 気まぐれが導いた出会いだった。もし隆二が加わってくれれば、それだけでも小グループって感じがして大分賑やかになるだろう。

 

「これはまさしく――」

 

 急に彼女はごそごそとバッグを漁り、見覚えのある()()を取り出した。

 

「犬も歩けば棒に当たる、ですね」

「それは災難を表す言葉じゃないのかい?」

「幸福を表す意味もちゃんとあるんですよ」

 

 ほう、それは知らなかった。また一つ教養が身に付いたな。当たった棒に好きな物が入っていることもある、ということなのだろうか。

 

「キミも持ってきていたんだな、それ」

「自信作なので」

 

 思い出の詰まった御守りのようなものか。

 それはまたいいものを与えてやれたなと独りでに満足しつつ、図書館の中へ入る。

 ――ん? 何だか話し声がする。

 

「誰かいるんでしょうか?」

「今日は出会い運がいいのかもしれん」

 

 自分たちが元々座っていた席に向かうと、

 

「おや?」

 

 お相手さんと近い机だったようだ。意外にも向こうから声を掛けられる。

 

「どうやら先客がいたようですね」

 

 数は四人。どことなくただの仲良しグループとは違った雰囲気を感じた。それもそうだろう。何故なら他の三人はまるで女王に従う騎士であるかのように、声を出した少女を囲んで構えていたのだから。

 件の彼女は、雪のように幻想的な色をした髪とその上に被せた小綺麗な帽子、そして横に立てかけられていた杖が印象的だった。

 何より、女子とは言えど高校生にしては明らかに低い背丈。例えばこの場に六助がいたら、きっと彼女をこう呼ぶだろう。

 

「リトルガール?」

「……今、何と?」

 

 ……オイオイ、青筋が目立つくらいに透き通った肌なんて、全く美しいにも程があるぜ。

 




改めて伝えると、オリ主は現在純粋に友達との愉快な高校生活を望んでいます。クラス抗争関連の戦略とか計画とかは全く考えないようにしています。クラス抗争関連だけは。

オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)

  • 止まるんじゃねぞ(予定通り,10話超)
  • ちょっと立ち止まって(せめて10話以内)
  • 止まれ止まれ止まれ…!(オリだけ約5話)
  • ちょ待てよ(オリキャラだけ,3話)
  • ムーリー(前後編以内でまとめて)

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