アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

36 / 62
「明日からがんばるんじゃない……。今日……今日だけがんばるんだっ……! 今日をがんばった者、今日をがんばり始めた者にのみ……明日が来るんだよ……!」
(『賭博破戒録カイジ』大槻太郎)


リフレクション

 いつも通り、優等生らしく程よく早い時間に、鈴音は教室に入って来た。傍から見る限り、特に雰囲気や表情に異変はないように感じる。

 ロボットのようなぎこちない仕草で体を後ろに向け、まずは控えめな挨拶を――

 

「おはよう」

 

 したのはなんと鈴音の方だった。思わずボクも清隆もポカンと固まる。あの鈴音が、こうもあっさりと自分から挨拶を? 昨日の今日で、まさかそんな……。

 

「二人して何よその目は。変わり映えの無い服装のつもりだけど、可笑しなものでもついているかしら?」

「え、あ、いや、その、何というか、ええと……」

 

 予想外の展開にたじろいでしまう。彼女の方から仕掛けてきた場合の動きはシミュレーションしていなかった。本来喜ばしく思えるはずの出来事に啞然とする。

 慌ててふためいていると、鈴音は訝しげな顔をする。

 

「今朝、恭介がお前に嫌われてしまったんじゃないかと落ち込んでいてな。それで蓋を開けてみれば、とんだ想定外だったというわけだ。正直オレも驚いたんだが、一体どういう風の吹き回しだ?」

 

 すかさず清隆が、有言実行と言わんばかりに助け舟を出す。結構ストレートにボクの内心を明かしてくれたな。別にいいんだけど、少しくらい濁してくれても良くない?

 一方の鈴音は呆れ顔。何を言っているんだとでも言いたげだ。

 

「確かに昨日の一連の会話は、到底受け入れがたい内容だったのは事実よ。だけど、何もそれだけで絶交の理由にはならないでしょう。そこら辺の踏ん切りくらい付けられるわ」

「本当か? 所構わず罵倒や暴力を喰らっていた記憶があるから、てっきり冷たくされるんじゃないかと思ってたんだけど……」

「そ、それはあくまで不可抗力よ。頭を冷やす時間さえあれば、あなたを避けるこれと言ったメリットがないことくらいわかるわ」

 

 心当たりは間違いなくあったはずだ。羞恥心によるものか、背けた顔が少し赤くなっている。

 しかし、今の鈴音の発言には感動を覚えた。彼女は、あたかもボクが彼女の柔軟さを甘く見ていたかのように語ったが、入学当初を振り返れば彼女の精神的な成長の表れであることは明白だ。やっと少しは可愛らしい表情を見せるようになったじゃないか。

 

「全く心外ね。私がそんな短絡的で傲慢な人間に見えるかしら」

「勿論だ」

「寧ろそうにしか見えない」

 

 二人の哀れな少年たちの即答を受け、彼女は慣れた手つきでコンパスを取り出し――

 

「やめろやめろ! そういうとこだぞ……」

「制裁を与えることの何が悪いの?」

「それをわかっていないことが何よりの証拠だ!」

 

 ボクらの必死の抵抗によって、何とか鈴音が早まらずに済んだようだ。いつの間にか刺しても傷跡を残さないという妙技にまでたどり着いた彼女のコンパスさばきだが、刺される当の本人としては痛いことに変わりはない。今回は事なきを得たな。

 

「兎に角、それとこれとは話が別ということよ。元々席が近いというだけの偶然から始まった関係なのだし、変化は誤差の範囲で済むでしょう。心配し過ぎよ」

「……そっか。それは、嬉しいなあ」

 

 彼女にしては温かいを通り越して火傷してしまうくらいの言葉を受け、ボクも穏やかに微笑んで返した。

 だけど、どうしてだろう。心中を支配するのは安堵ではなく、どこかモヤモヤとした胸騒ぎだった。

 根拠のない慰めは、時に裏切り牙を剥く。油断したところを見計らい、瞬時に喉ぼとけを裂いていくのだ。

 

『大丈夫よ。それでもあなたのこと、ちゃんと大事に想ってるから』

 

『これからはお前と、しっかり向き合っていくつもりだ』

 

 あの時見せてくれた決意は嘘だったのかと。交わした約束は何だったのかと。問い詰める間もなく堕とされる。

 鈴音や清隆を信じていないわけではない。だが人間である以上、同じことが起こらないとは言い切れない。声に出したその瞬間では、誰一人保証してやれないのだから。

 その可能性があるという事実だけで、ボクが不信になるには十分だった。

 

 

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 

 昼休み半ばの食堂で、三人仲良く手を合わせる。

 清隆は南蛮チキン、鈴音はオムライスを注文した。ボクは勿論お決まりの山菜定食だ。まるでサプリメントのように毎日欠かさず摂取している。ここ最近はずっとイツメンで昼食を取っていた。

 

「本当に飽きないのね……言ってくれればいくらか分けてあげるって言っているのに」

「いやあそう何度もお零れに与るのは忍びないよ」

「何言ってるんだ。オレたちの端末に入っているのは元々お前のポイントなんだぞ。そういう限界生活送っているのを目にする度、返金したくてしょうがないんだが」

 

 悪事を働いたわけでもないのに双方から責め立てられる。こんな悲しいことがありますか?

 そりゃ時たま頂く分にはありがたいが、頻繁に施しを受けていてはそれこそボクがポイントを渡した意味がなくなってしまう。キミらは見かけに寄らずお人好しだな。

 

「ほら、衝動買いとかしちゃうかもしれないからさあ。後で後悔する消費をするくらいなら、予め親しい人たちに預ければいいじゃんって思って」

「信頼の置き方が極端なんだよ。せめて半額に抑えても良かったろうに」

「まあ本人が大丈夫って言ってんだから心配すんなあ。それとも、軽い銀行役ってことにしといた方がいいかい?」

 

 口元を拭きながら清隆を宥め、トレイを手に取り徐に立ち上がる。

 

「今日も()()()()()()の?」

「ああ、こういう発見が0円生活の醍醐味なのさあ。地を這ってこそ見える景色もあるってことだなあ」

 

 未だ多くの利用者が席で食にありついており、各々が和気藹々と団欒を楽しんでいる。おかげで既に、厨房の辺りに人影は疎らなものとなっていた。――ボクの足はそこへと向かう。

 

「ヨシエさーん」

 

 名前を呼ぶと、暖簾の向こうから姿を現したのはおっとりとした顔立ちの小柄な女性だった。仕事柄なのか元々彼女のファッションなのか、髪を上の方で縛っている。

 

「はいねえ。あら、浅川君じゃない。調子はどう?」

「おかげさまで。ヨシエさんも元気そうで何よりです」

「一か月も経てば、新しい物見たさに足を運ぶ新入生も飽き時でしょう? 自然とここの活気も収まって楽になるのよお。浅川君みたいに毎日のように来てくれる子もいるんだけどねえ」

 

 お隣りさんと玄関口で小話でもするかのように、まったりと話し始める。

 調理に携わるヨシエさんと初めて会話をしたのは、入学二日目の昼休み。人混みが健在な中だったが、喧騒に埋もれたおかげで大して目立つことはなかった。名前はその時に知ったものだが、漢字の表記や苗字は未だわからない。何でも、「いくつになってもね、女の魅力を引き立てるのはミステリーなのよ」ということらしい。合点いかん。

 彼女は見た目通りマイペースで優しい性格をしていたため、とても話しやすくすぐに打ち解けることができた。

 と言うのも、ボクがそういう人を狙ってコンタクトを取ったからなのだが。

 

「こんな学校ですからねえ。ヨシエさんのような気立ての良い方とは、ついお話したくなってしまうものですよ」

「あらあら、おだて上手だこと。中年盛りの女性を口説いたって何も出てこないわよお」

 

 そう返すヨシエさんだが、ボクも後ろにいる二人も微妙な顔になる。

 ――中年? これで?

 垢ぬけた清潔感のある顔。可愛らしい小柄かつスラリとした体型。時々発せられる――先に挙げたような――魅惑的な発言の数々。逆サバを読んでいるとしか思えない。精々壮年期といったところではないだろうか。

 人のプライバシーに触れるわけにもいかない、というか少し怖いので、そのまま本題に入る。

 

「ところで、どれくらい余ってますか?」

「はい、どうぞ。来ると思ってたから、パックに纏めておいたわあ」

 

 彼女は透明な容器をこちらに差し向ける。中に見えるのは――コシアブラ、ふきのとう、セリ、たら……どれもあの山菜定食に使われる食材だ。

 

「ありがとうございます。いやあホント助かりますよ」

「いいえ、こちらこそよ。なかなか頼んでくれる子がいないから、どうしても少し余っちゃうのよねえ。廃棄するのも忍びなかったし」

 

 心から嬉しそうに語るヨシエさんを見て、ボクは話しかけたのがこの人で良かったと改めて実感する。

 事の発端は、ボクが山菜の素晴らしさを噛み締めた時だ。あの時の周りからの侮蔑や憐みの視線。風貌からして上級生のものが多かったが、ボクもまた周囲の様子には気づいていた。

 皆無ではないものの、昼食にしては質素で味気ない山菜定食を注文した生徒は僅かだった。実力がポイントという形で反映される我が校において、生活水準は一種のステータスなのだろう。同じDクラスと見える暗い顔をした先輩方も、なけなしのお金を切り詰めて有料食を口にしていた。

 ボクとしては全く合点いかん事実であったが、みんなが要らないものであるなら漏れ出た分を誰が頂こうが問題なかろう。かてて加えて、うちの高校は政府主導で経済面に苦労は少ないはず。となれば、食材は多少余ってもいいくらいの量蓄えている可能性は俄然高かった。

 問題はどうやってそのお慈悲を賜るかであったが、ボクは約一週間、配膳待ちの列に並ぶ間に職員たちの顔色を観察することにした。人柄によって親切心の度合いは変化するもの。注文を承った直後や俯いて調理している間の表情から、優しい人格者や生徒への慈愛を持って働く人――真心を込めて料理を作る人は多くないことくらい察しが付く――を何となく分析した。規律を重んじる人や給料のためにしか働かない人だと便宜を図ってくれない恐れがあるからだ。

 

 そういった過程で厳選した結果――選ばれたのは、ヨシエさんでした。

 

 いきなりズケズケと余分をせがむのは印象を悪くするだけだということと、年度が始まってすぐはまだ余りの出ようがないという推測があったので、まずは親交を深めるためにそれとなく挨拶をし、以降度々世間話をするようになったというわけだ。実際にそれとなく食材を求めたのは、二週目の半ばと三周目の末。よって本日は三度目の支給日となる。

 

「それにしても、今日は何だか多いですねえ。こんなに余るもんなんですか?」

「月の跨ぎだしねえ。――それに、聞いたわよ。浅川君のクラス、今月は0ポイントだったんでしょう? 浅川君の言ってた通りになったじゃない。だから、困るかなと思ってねえ」

 

 月の跨ぎであることがどう関係するのかはわからないが、素直に恩情を受け取っておくとしよう。

 因みに、ボクがDクラスであることと恐らく五月は0ポイントになるであろうことは予め伝えていた。彼女なら自分の境遇に同情してくれるだろうと思ったからだ。現にこうして効果は現れている。

 

「それはその、滅茶苦茶ありがたいんですけど、これは……?」

 

 一つ予想外だったのは、パックの中身にはもう一種――ミカンが二つ入っていたことだ。

 

「まけといたわあ。嫌いだったかしら?」

「いえ、滅相もない。果物はここに来てから食べてなかったですし。遠慮なく頂戴します」

 

 正直他の食材も調達することは考えていたのだが、万が一に備えて無料の範囲に収めていた。何かの拍子にこのことが発覚した際に学校側が問題視してしまうと言い逃れが難しくなるかもしれなかったからだ。恐らくそんなことは起こらないだろうが、善意の塊であるヨシエさんに責任問題を問われる可能性は確実に排除しておきたかった。

 だからこそ今回のラインナップには少し躊躇いを覚えてしまったが、監視カメラの視界に入ってもいないし、そもそも一生徒の食生活を追究する事態は想像し難いので、ご厚意に甘えることにした。これからも、彼女の方から授かりものがあれば気前よく頂くことにしようか。きっとその方が彼女にとっても喜ばしいだろう。今だってすんごい笑顔だもん。

 

「それじゃ、そろそろお暇しますね。次は体育なんで、早めに準備をしないと」

「はあい、またおいでね。お友達とも、仲良くね」

 

 本当に献身的なお方だ。保育士にでもなれるのではないだろうか。目指していたころがあったりして。

 彼女に敬意を抱きながらその場を後にすると、鈴音が声を掛けてきた。

 

「クラスメイトにもあれくらいフレンドリーでいれば、もっと友達もできるでしょうに」

「目上の人の方が接し方をイメージしやすくて付き合い方が楽なんだよ」

 

 逆に年下が相手なら、委縮させないように目線や口調を柔らかくするとかな。同級生が相手だと、アプローチの仕方が絞れなくて寧ろ困ってしまうのはボクだけだろうか。

 

「今日の夜は、もしかしてそれだけなの?」

「一応スーパーやコンビニにも無料のはあるから、それと組み合わせてかなあ」

 

 山菜調達計画が頓挫していたらそちらだけで我慢しようとも思っていたが、そこに関しては杞憂だったようだ。

 

「偏食は健康に響くわよ? ……最悪、また料理大会でもしようかしら」

「ああ。あれ何だかんだでお前も楽しんでたしな」

「そんなことないわ。返させてくれない浅川君のポイントを少しでも清算するために行っただけだよ」

 

 「ふーん」と適当にあしらうと、彼女はムスッとした顔になり話を切り止めた。

 先月の中頃に急遽催された、三人規模の料理大会。清隆と二人、彼女が部屋に殴り込みに来た時は腰を抜かしたものだ。

 初日は鈴音が作ってくれたのだが、ボクにも多少の心得があることが発覚したために翌日作らせれる羽目になり、流れで三日目には清隆の料理を食べることになった。

 三者三葉の出来栄えで、結果的にはなかなか面白かったし、確かに腹の中が適度に満たされた三日間だった。ポイントは大丈夫なのかと聞いたところ、「最低限のものしか買ってないから問題ないわ」とのこと。

 どうやらボクの食生活を改めて憂え、再びそれを開こうと言う。何てありがたく、嬉しく、心苦しい話だろうか。

 

「やるにしても、もう少し落ち着いてきてからだなあ。今日だって、放課後にあるんだろう? 話し合い」

「そうね。有意義と言えるかは、正直微妙なところだと思うけど」

 

 昨日Sシステムの正体が明かされたわけだが、平田はクラスの方針を決める会議を一日待つ号令を発した。これには鈴音が一枚嚙んでいる。

 

「まさか、オレたちがトイレに行っている間に平田とコンタクトを取っていたとはな」

「案外他人に関心を持つようになってきたのかい?」

「あんな騒ぎ立てた状態で当日中に話し合いをしようだなんて、無謀にも程があるでしょう。打算的な考えで一言述べただけよ」

 

 昨日のHR後、平田はボクらの方に態々足を運び、放課後の会議に参加してもらえないかを確認しに来たらしい。

 しかしボクと清隆は既に席を外してしまっており、鈴音のみで応対したそうだ。

 その際彼女は周りの浮足立った様子を顧みて、最低限クラスメイトに気持ちの整理をする時間を与えるべきだと彼に提言した。

 彼女が自分の行動を打算的だと称しているのは、恐らく彼女自身の立場のことだろう。平田は他人の厚意を無下にできないやつだ。あの喧騒の中で冷静に分析を行い判断を述べたという事実だけで、現段階では彼が今後鈴音に意見を求める根拠に成り得る。

 ただ、一つだけ解せなかったのは……。

 

「それなら、ちゃんと参加してやればいいじゃないかあ」

「有意義とは思えないと言っているでしょう。あのメンバーで浅知恵を出し合って、導出される結論なんてたかが知れているわ」

 

 助言した割には行動がチグハグで、鈴音は話し合いには参加しないと伝えたらしい。

 平田は目を丸くしたそうだが、有意義かは怪しいという鈴音の意見には、ボクもどちらかと言えば賛成だ。クラスの連中がそういった案件に真面な意見を見出せるかは、ボクの目から見ても期待できそうになかったからだ。

 頭が回りそうなのはかなり少数だろう。平田と櫛田は間違いない。次点で挙げられるのは、ボクの見立てでは五人いるが、今は割愛するとしよう。

 ともあれ、今挙げた人物以外は冷静な分析や的を射た発言が得意とは思えない輩が多かった。そもそも思慮深い人間なら浪費癖が付くこともないはずなので、この状況はある意味必然と言える。

 

「それに、私たちの見解も簡潔に説明しておいたから、何も全面的に拒絶したわけではないわ」

「まあ、平田ならそれでも十分感謝してくれそうだもんなあ」

 

 きっとぶっきらぼうな鈴音の発言に、彼は朗らかに笑って謝辞を述べたことだろう。義理堅く仲間想いだからな、彼。

 

「私たち、と言ったが、オレと恭介の名前も挙げたのか?」

「あなたは協力するのだから自然な流れでしょう? 浅川君に関しては、適当な理由を付けて表立った参加はしない趣旨を伝えといたわ。承諾しない彼でもないだろうし」

「……そうか。まあいい」

 

 どこか渋った表情をする清隆。元々事なかれ主義を掲げていた彼としては、クラスのリーダーに自分を認知されることに未だ後ろめたいところがあるのだろう。優しい彼のことだから、明確にボクのことが伝えられたことに反応したのもあるかもしれない。

 

「それで、今後の方針はどうするんだい?」

「直近にある中間テスト。恐らくそこで一度クラスポイントの変動が起こるはずよ。最低限の目標として、まずは赤点予備軍の更生が必要ね」

「勝算は?」

「まだ何とも。赤点を取る人の神経なんて到底理解できないもの。ある意味末恐ろしいわ」

 

 悩ましい表情をする鈴音だが、ボクの中では、最初に赤点集団を切り捨てるという考えに至らなかっただけマシだろうと思っていた。

 思考を巡らしたところで、それは本人の常識の範疇までしか行き届かない。学力に少なからず誇りを持つ鈴音が、あの小テストであんな点数を取る人間たちのことを理解するには限界があるはずだ。正直なことを言うと、ボク自身も赤点組を掬い上げるのが正しいかと聞かれて、胸を張って肯定できる自信はない。

 

「特に池、山内、須藤は一際曲者だろうな。事実を突き付けられてからも真摯に勉強に取り組むかどうかは怪しい」

「そうね。平田君のことだから勉強会は開かれるのだろうけど、彼らは反乱分子の代表格だし難しいわ。本来なら自発的に取り組んで然るべきだけど、まごつくようならその時が私たちの動く潮時ね」

 

 彼女の性格上、かなり荷が重い仕事になりそうだ。本来なら寧ろ向いているはずのステータスではあるんだがな。願わくば途中で投げ出さないように祈っておこう。鈴音が想像している以上に、ああいう類の男子は灰汁が強いものだ。

 そう思っていると、不意に彼女は伏し目がちにこちらを見た。

 

「あなたはどうするの?」

「ああ。自慢じゃないけど、勉学は問題ないからなあ。図書館なり自室なりで個人的に勉強するさあ」

 

 事も無げにそう答えると、彼女は顔を顰めた。

 

「私への当てつけかしら……?」

「不快にさせる気なんて毛頭ないよ。まあ陰ながら応援しているさあ。池と春樹はよく知らないけど、健は何度か話してみた感じ根は悪いやつじゃないからなあ。もしもその時が来たら、根気強く指導してやってくれ。頼む」

 

 彼女は困った顔をするが、やがて溜息を吐き「出番があったらね」とだけ応えた。

 あの下衆な賭け事に纏わる一件以降、健と沖谷とは度々話す仲になっていた。清隆は水泳の授業中に池と春樹とも話している姿も見えたが、少しずつコミュニティを広げていくのは良いことだ。

 押しつけがましいのはわかっているんだ。臆病なボクを許しておくれ。もしこれで三人の誰かが退学になってしまったとしても、鈴音、キミを責めるだなんて酷いことはしないよ。

 

「さあ、そろそろ行きましょう」

 

 その言葉を合図に、例の如く鈴音が先陣切って足を動かし始めた。

 清隆もそれに倣い続――こうとするが、ボクがその肩を引き留める。

 

「どうした?」

「キミら、ここの『本屋』に行ったことはあるかい?」

 

 脈略の無い問いに彼は首を捻る。

 

「まだないが」

「鈴音を一度そこに連れて行ってやれ。あの子の独力だけで健たちを育てるのは少々心もとないだろうから、()()が欲しくなるかもしれん」

「……ああ、わかった」

 

 どうやらボクの意図を察してくれたようだ。一瞬の間を置いてから彼は了承した。

 

 鈴音を視野に入れたまま、二人並んで歩き始める。

 

「……もしも気付く気配がなかったら、その時はオレの方からも手を加えてみる」

「そこら辺は任せるさあ。ボクが口を挟める領域じゃない」

 

 清隆も、極力鈴音の成長を促す形を取るというスタンスはボクと同じはずだ。前にも述べたが、彼女自身への手助けなら今のボクにだってできることがある。

 データベースは、結論の一歩手前にまでなら漕ぎ着けることができるのだ。

 

「察してくれて助かるよ、清隆」

 

 素直に感謝を伝えると、彼はほんの少し口角を上げた。

 

「この前の問いの答えの一つだろう? 『どうぐ』も戦闘中のコマンドだ」

 

 彼の言葉に思わず瞠目する。

 

「ほう、どうやって知った?」

「風の便りに混ざっていたんだ」

 

 本日も、我が盟友は絶好調のようだ。

 




今回は序章で回収し忘れていた内容の解説をしました。因みにヨシエさんの今後の登場は今のところ予定していません。名前の漢字すら決めてないですからね。

オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)

  • 止まるんじゃねぞ(予定通り,10話超)
  • ちょっと立ち止まって(せめて10話以内)
  • 止まれ止まれ止まれ…!(オリだけ約5話)
  • ちょ待てよ(オリキャラだけ,3話)
  • ムーリー(前後編以内でまとめて)

▲ページの一番上に飛ぶ
Twitterで読了報告する
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。