アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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久しぶりにここまで難産だったなあ(遠い目)。

一応これで序章の清隆視点は完結です。


Ablaze Key

 男子の喧騒が耳に障る。

 ある者は今から始まる授業はどんな内容なのかと。そしてある者は女子のご登場はまだかと。挙句の果てには胸やらスク水やらの単語をモロで引き出し下心全開なトークをかます者までいる。

 とてもそんなはっちゃけたノリに付いていけないオレは、ここに来て改めて自分の初友達が恭介で良かったと実感する。彼でなければ逆にこの雰囲気に事も無げに便乗できた可能性も僅かにあるが、朝の冷ややかな目をした女子たちを思い返すと、そんな思考は一瞬で霧散する。

 

「なあなあ綾小路。やっぱお前は堀北ちゃんの水着姿にキョーミあるのか?」

 

 先程まで櫛田――あー、桔梗の水着姿を妄想して鼻の下を伸ばしていた池に話しかけられた。

 

「いや、別にないけど……どうして鈴音の名前が出るんだ?」

「な、名前呼び、だと……! 怪しい……やっぱりお前ら怪しいぞ!」

 

 池の悲痛な嘆きに呼応して山内もこちらへやってくる。

 

「入学してからすぐ仲良さげだもんなぁお前ら。確か浅川も一緒だよな? 羨ましいぜ、あんな可愛い子と毎日仲良くてさ。ま、櫛田ちゃん程じゃないけど!」

 

 「それな!」勝手に盛り上がり勝手に鈴音と桔梗に優劣をつけて大笑いする二人。山内に至っては朝の一件で特定の女子を貶す発言をしていたことからも、なかなかに性根が腐っている。

 

「俺たちも櫛田ちゃんと何とかお近づきになりてぇ!」

「そうだ、綾小路、お前何か良いアドバイスとかねえのかよ!」

「アドバイス?」

 

 前触れもなくそんな話を振られても困る。真面に他人と話すのでさえ手馴れてないというのに。

 

「……とりあえず、まずはさっきみたいに下心丸出しな表情をするのをやめるべきなんじゃないか?」

「た、確かに……でもそりゃあ難しいぜ。なんたって、櫛田ちゃんが可愛すぎるんだからな!」

「そうだよな! てか、うちの学校って女子のレベル高くね? 胸のデカいやつも多いし。ああ、長谷部たちの登場が待ちきれねえ!」

 

 これはもう、何を言っても無駄かもしれない……。

 かと言って、放っておくと今にも女子更衣室へ飛び込みかねない形相をしている。さすがに自分のクラスメイトから犯罪者を生み出したくないので、どうにかして予備軍と化している二人を宥める。

 こういう性に偏った会話も、思春期男子には日常茶飯事なのだろうか。内容が内容なだけあって他人に確認するのも気が引けるが、少々もどかしい。鈴音にでも相談したら絶対にゴミを見る目をしてくるはずだ。あるいはゴミを見る『ような』目を通り越して、オレをゴミとして扱ってくるかも。一日中無視なんてされた暁には号泣不可避だ。

 程なくして、男子待望の女子入場の瞬間が訪れた。しかし現れたのは彼らの想定の半数程度。残りの女子は皆、上の見学席で構えている。そこには話題に挙がっていた長谷部と佐倉の姿もあった。

 だが、これでもマシな方だろう。自分で言うのも小恥ずかしいが、オレと恭介の功労によって男子の汚れた団結を崩さなければ、もっと多くの女子が見学へ逃げていたに違いない。

 参加者全員が着替えを終え、先生の号令と共に集まると、あることに気付いた。恭介がいない。

 暫し辺りをキョロキョロと見回すと、どういうわけか見学席に座っていた。男子で唯一の見学者だ。

 普段の彼の授業態度からして、サボりというわけではないだろう。何か事情があるのだろうか。

 そう考えている内に活動が始まり、自由時間に入るまでは特に思うところもなく時は進んだ。

 一緒に水に浸かってはしゃぐ相手もいないのでプールサイドでボーっとしていると、桔梗の姿が目に留まる。

 これだけだとまるでオレが彼女に邪な視線を送っているように捉えられかねないが、ちゃんとした理由がある。彼女はここでも相変わらずクラストップの人気を誇っているということだ。ほとんどの時間大人数の女子に囲まれてキャッキャウフフな空間を形成しているため、傍観者としては嫌でも目に付く。

 にしても――山内の言っていたことも強ち間違いだらけではない。確かにこのクラスもとい学校全体の女子は少なくとも平均より優れたプロポーションを具えているように思う。表現を変えているだけに過ぎないが、桔梗たちがその発育した身体を話題のタネにされるのも、致し方ないのかもしれない。

 ――内も外も完璧、か。

 耽っていると、隣に一人の少女が腰を下ろした。目を向けるまでもない。鈴音だ。

 

「何をしているの?」

「……己との闘いに没頭していたんだ」

 

 いつしか盟友が答えたような言葉で適当に返す。

 

「誰からも声を掛けられなかったのね。哀れだわ」

「それはお前も同じだろう」

「私は好きで一人でいるのよ」

「それまだ言ってるのかよ……」

 

 オレと恭介とはある程度話すようになってきていたから勘違いしていたが、どうやら彼女は他の同級生への対応は全く変わっていないようだ。初期にお誘いをしてくれていた女子たちも、もう彼女に声を掛けようという気配はない。

 

「お前はオレを貶すためだけにこっちに来たのか?」

「まさか。私が問い詰めたいのは――」

 

 鈴音は左斜め上を指した。その先に見えるのは、お察しの通り恭介だ。何やら佐倉と話をしているようだ。彼のことだから、朝のことについて慰めでもしているのかもしれない。

 これまで二人が会話している場面は見たことがなかったが、いつから知り合っていたのだろう。今が初対面なのだとしたら、そんなにも気軽に話しかけられる彼の度胸を少しでも分けていただきたい。

 

「あれはどういうこと?」

「オレは何も知らない」

 

 オレのにべもない返しに彼女は少し不機嫌になる。

 言いたいことはわかる。同性のオレなら事前に事情を聞いていただろうだから止めることができたはずだと咎めたいのだろう。

 だがお生憎様。オレは本当に彼から何一つ知らされていない。

 きっぱりと言い放ち口を閉ざしたオレを見て、どうにか諦めてくれたようだ。

 

「……あとで話を聞かなければ気が済まないわ」

「無駄だと思うけどな」

 

 珍しくきっぱりとした口調で返したオレに、鈴音はこちらを一瞥するが、すぐに前方へ視線を戻した。

 もし教えてくれるのなら、それこそ予めオレに何か伝えてくれていたはずだ。それをしなかったのは、どこか言いたくない後ろめたさのようなものがあったから。

 自惚れでなければ、オレは鈴音よりも信頼されている。オレに何も言わなかった時点で、彼女の追及に対して彼が口を割るとは考えられなかった。

 数十秒無言な時間が続いたが、再び鈴音が口を開く。

 

「あなたたちは、少し不気味だわ」

「どうした急に」

「浅川君はあんなに間抜けな態度を取ってばかりなのに、時々変に真面目くさった顔を見せる。あなたも訳のわからない主義を掲げていたかと思えば、友情一つで意見をひっくり返す。一体どんな育ち方をすればそうなるのか、理解不能ね」

 

 合理性に欠ける、と言いたいのか? 別に誰しもリスクリターンを測りながら行動しているわけではないと思うが。

 

「人間何を大事にするかなんてまちまちだろう。信念とも言うな」

「一人でも多くの友達が欲しい。相変わらず莫迦ばかしい思想を抱いているのね。――そういえばあなたたち、朝の一件で連れ出した二人とやけに長く話し込んでいるようだったけど、それもそういう下心に基づいたものだったの?」

「賭け事と比べれば全然下衆ではないと思うが……まあ、その通りだな」

 

 言葉に棘はあるが、他人とよろしくしたくて話をしていたのは事実なので否定はしない。現に須藤と沖谷とは早速翌朝から親交を深める予定だからな。

 鈴音は少し顔を俯かせる。大開口の窓から差し込む光が、水を滴らせる髪を照らし、優美さを際立たせている。

 

「……変わったって言うのね」

「え?」

「初日の自分を忘れたの? あの時は、友人の一人も暫くはできないだろうと思っていたのに、あなたはいつの間にか他人と触れ合う意志と術を手に入れつつある。――浅川君の存在が関係しているの?」

「……どうだろうな」

 

 あの瞬間の感覚はあまり明瞭に振り返ることはできないが、少なくとも一歩踏み出す腹積もりではあった。そういう意味で、彼によって自分の中で生み出された気概のようなものではあったのかもしれない。

 それにしても、どうしてそんなことを唐突に話し始めたのだろう。単に沈黙を気まずく感じる彼女でもないはずだ。

 

「彼、不思議な人ね」

 

 コンビニ前での会話の切り出しと同じ言葉を彼女は吐いた。しかしそれは、ただの疑問には収まらず、他人への関心も示しているように感じられた。

 

「アイツに興味が湧いたのか?」

「どちらかと言うと、あなたたちによ。あなたたち二人は、互いが互いを影響し合っている、ように見える。それがあなたの言う変化なのかは知らないけど、それよりも――」

 

 彼女は自分の思っていることをどう口にすればいいのか、手探りのまま言葉を紡いでいるようだった。我慢できなくなったのか、途中で顔を上げこちらを見る。

 

「それを『成長』と呼ぶべきものなのか、判断しかねているわ……」

 

 あの時の彼女は、一方的に友人は必要ないと切り捨てる発言をした。そのイメージが崩れかけているといったところか。

 

「浅川君と接していく中で、あなたは少しだけ表情を緩ませることが多くなった。自分自身の幸せを願う上で、他人と関わることも一つの可能性であることを否定していいのか、あなたを見ているとわからなくなってくる」

 

 彼女が思い浮かべているのは、授業初日の夜、オレが呟いた言葉のことだろう。

 

『誠実に向き合い続ければ、幸せに貪欲であり続ければ、いつかは手に入るんじゃないかって思ったんだ』

 

「友達の必要性を、理解したということか?」

「そこまでは思わないけど、無意味と切り捨てるのは早計だったのかもしれない、とは思わなくもないわね。幸せの形なんて人それぞれだから、私に当てはまるとは限らないけど」

 

 鈴音の膝を抱えるその腕に力が入る。

 彼女には野心がある。恭介も察しているようだが、生徒会長である兄に関してだろう。

 優秀と評価されAクラスに君臨する兄と、落ちこぼれのDクラスに配属された妹。その歴然な差をどうにかして補うためだと思えば、彼女も形振り構ってはいられないのかもしれない。それこそ、自分の信じていたものに疑いの目を向けてでも。

 なぜなら――、

 

「少なくとも、こうしてうずくまって悩んでいる内は、私は何かが欠けている未熟者なのでしょうね……」

 

 「彼の言う通りだったわ」と珍しくしおらしい態度で語る鈴音を見つめ、オレは盟友の言葉を頭の中で反芻させる。

 

『やる前から全て正しく切り捨てられるほど、君は成熟した人間なのかい?』

 

 彼女の過去など知る由もないし無理に知ろうとも思わないが、今までの人生――兄の背中を追いかける生の中で、彼女はきっと周りにある多くのものを切り捨ててきたのだろう。良く言えば自分自身を絶対の位置に置き、悪く言えば他人を自分の道の外へ追いやってきた。

 しかし、そこには彼女を応援してくれる存在があったのではないだろうか。支えてくれる存在や、間違いを咎めてくれる存在がいたのではないだろうか。

 こうなる前の彼女にはいたはずだ。そして彼女はそこから目を逸らした。恭介のあの言葉は、そんな彼女を糾弾する意味が込められていたのかもしれない。将又、自分自身を戒める言葉だったのかもしれないが。

 いつしか出来上がった固定観念というのは、なかなか崩しがたい。なぜならそれが、積み上げたものによって形成された個人の『常識』であり『世界』だからだ。そこには正しいも間違いもない。ほとんどが0と1に見えてしまう自分には、縁の浅いことだ。

 

「でも、悪いことではないんじゃないか?」

 

 だからこそ、オレは識りたい。識るために、一歩前へ。

 若干呆けた顔でこちらを向いた鈴音を真っ直ぐに見つめ返す。

 

「オレたちを見て、自分の中で疑念が生じたんだろう? まずはそこで沸き上がった感情から逃げない自分を誇るべきだ」

 

 オレは一日目に期待し、二日目に不安を覚え、それでも識るために決断した。

 独りでは行き詰るかもしれない。間違うかもしれない。オレだって、殊人間関係においては解釈違いを引き起こさない自己保証など全くできない。

 

「やりようはいくらでもある。見たり聞いたり触れてみたり――それは独りで完成するものじゃない」

 

 そういう時に見えないものを見えるようにしてくれるのが、他人なのだろう。

 他人が幸せを教え与えてくれることもある。他人の幸せによって自分の幸せに気づくこともある。他人と同じところに幸せがあるなんて奇跡もある。形は様々だが、些細な違いだ。

 

「考えなしに切り捨てたものをもう一度拾い上げて、今度はしっかり吟味しようとしている時点で、お前は既に未知なる一歩を踏み出しているじゃないか」

 

 オレたちのような孤独という概念に近しい人間にとって、それは何とも難儀なことなのだろうが、不可能ではない。どちらか一方が歩み寄るだけで、劇的な変化は起こり得る。

 オレが恭介に影響されたように。そして、それを見て鈴音が僅かでも揺れ動いたように。

 彼女は深く考える素振りを見せ、目を閉じる。

 

「そう、かしらね。確かに考えたこともなかったわ。他人のことなんて」

 

 自分の中で合点がいったのか、再び目を開けた時の彼女は、少し澄んだ顔をしているように見えた。

 

「だけど、やっぱり疲れるわ」

「台無しだな」

「ええ、台無しね」

 

 相も変わらず、他のクラスメイトたちはプール開きの興奮そのままに、バシャバシャと水を弾いている。

 その音に紛れて、ポツリと聞こえた言葉――。

 

「……無意味ではなかったかもしれないけど」

 

 果たして、照れくさがりながらもオレに向けられたものだったのか、ただの独り言だったのか、判断しかねたので反応はしなかった。

 ただ、だからこそその一言は彼女の本心だと確信できたし、オレはそれを嬉しく感じた。

 ――何だ、お前も大概変わっているじゃないか。

 

「この前の料理大会、楽しかったか?」

「いいえ別に。……でも――美味しかったわ」

 

 恐らくあの日が、彼女をここまで悩ませたきっかけだ。表情を見ていれば、想像に難くない。

 また彼女に気持ち悪がられてしまわないよう、ニヤけるのは我慢しなくてはな。

 

「……ねえ、綾小路君」

 

 名前を呼ばれて再び隣を向くと、先程とは違いしっかりと顔をこちらに向けた鈴音と目が合った。不思議といつも以上に凛々しく、綺麗な顔に見えた。もしやこれは、恋に落ちる瞬間なのかもしれ――

 

「あなた、何か運動を習ってた?」

「……え?」

 

 世界が切り替わったように、数分間訳のわからない時間が続いた。

 

 

 

 

 

「うえー、さっむ」

「自業自得だろう」

「仕方ないじゃないかー」

 

 あれから一週間と少し経ち、今オレは自室で恭介と通話を繋いでいる。暇だから相手をして欲しいらしい。かまちょか。

 彼の震える声と時々聞こえる轟音から察するに、恐らく外に出ているのだろう。まだ冷え込む時期だというのに、ご苦労なことだ。

 

「上手く行きそうか?」

「さあ、どうだろう。――二人にしかわからんよ」

 

 進捗具合を聞くと、そんな答えが返ってきた。他人任せ、ということではないのだろう。

 暇の相手と言っても、一応用件はあるようだ。彼は桔梗の依頼を熟している真っ最中らしい。呑気に電話していて大丈夫なのか聞いたところ、ちゃんとした理由はあるのだと言う。音沙汰がなかったために難航しているのではないかと頭の片隅で心配していたが、妥当な策を講じることはできたようだ。

 

「それにしても、随分と遅い時間にかけてきたな。明日が土曜日で良かったじゃないか」

 

 現在時刻は九時を過ぎている。夜に弱い恭介がこんな時間に活動しているのは珍しい。いや、タフさを自負している彼ならあり得なくもないのだが、意味もなく起きていることはないはずだ。

 

「人目に付くと僕が変質者みたいになるだろう。それに、あまり早い時間だと予定が狂う可能性があったからなー」

 

 なるほど、やはり訳ありなようだ。あまりに分が悪い状況で、彼が一体全体どんな手を打ったのか、興味をそそられる。

 

「まあ暇潰しくらい付き合ってやるさ。面白い話を聞かせてくれるんだろう?」

 

 そう言いつつも、そろそろ新鮮味の薄れてきた高校生活に新たな刺激を求めたオレ自身の、他愛もない暇潰しでもあるわけだが。

 

「退屈な子守歌になっても文句言うなよ? まあ急かしても夜は逃げないさー。沁みるコーヒーでも添えてのんびりお聞き」

 

 お前の武勇伝が子守歌なんて範疇に収まるわけがなかろうに。まあそれも話を聞けば明らかになる。

 まだ夜は長い。彼の言う通り、至高の一杯と共に優雅な一時を嗜もうか。よくよく考えてみると、こんなに遅い時間を誰かと共有するのは初めてだ。心なしかテンションが高まる。

 勢いそのままに、オレは揶揄いの言葉を返した。

 

「生憎オレは紅茶派だ」

「やめなさい、雰囲気崩れる」

 

 馬鹿を言え。オレたちのノリはこうあって然るべきだ。

 

 

 

「――てなわけで、今の僕はキューピットではなく見守り役、つまりはオブサーバーってわけさー」

「ほう。それで、今のお前の部屋には鈴音と櫛田が二人きりというわけか」

 

 相槌をしながら、彼の話に注意深く耳を傾けること十五分。事の顛末を大まかには理解できた。意外にも上手く纏められていてわかりやすかったな。

 

「一体どんなユニークな会話が繰り広げられているか、気になるねー」

「あの組合せでそこまで弾んだ会話ができるとは思えんが」

 

 鈴音はどうやら桔梗のことを特別嫌っているらしい、というのは、オレたち二人の間で暗黙に共有されている事実だった。オレがもしそういう相手と密室に閉じ込められたら――想像の域は出ないが、軽く死ねる。

 あれ、この男、可愛い顔して相当鬼畜じゃね……?

 

「だからこの作戦にしたんだ。逃げようって魂胆ならそうはさせない。向こうだって僕に聞きたいことはあるはずだから、軽率な判断をしないよう祈るしかないなー。それに一応、ボチボチ話は積もっていたみたいぞ」

 

 ほう、意外だ。鈴音のことだからてっきり針を縫ったように口を噤むものだと思っていたが――イヤよイヤよも何とやらだな。

 ……ないか。アイツは良くも悪くも素の態度を崩さない。彼女があらかさまに避けているというのなら、つまりはそういうことなのだろう。

 

「それにしても、ゲームで例えるとはな」

「ちょっとした縁で、知人から熱い教育を受けたことがあるんだよ」

 

 世の中そんなものを教え込もうとする教師もいるのか。茶柱先生や他の先生を見る限り、その人がだいぶ変わり者なのだろう。なるほど、どうりでこの盟友も変人になったわけだ。まあ一般高校生からすればオレや鈴音も大概変人なのかもしれないが。

 

「ところで、結局問題の答えは何だったんだ?」

「ふっふっふ、それはなー……」

「それは…………?」

 

 息を呑む程の唐突な沈黙。心なしか、重苦しいドラムロールの音が聞こえてくる。

 一体恭介は、どんな答えを用意していたと言うのか。

 紅茶を口へ運ぶ手を止め、期待を隠し彼の返答を待っていると――――ついにその時が来た。

 

「それは…………僕にもわっかんねえやあ!」

 

 ――いって。

 思わず椅子から転げ落ちた。無言の時間を返せ。ほんの一瞬だったけども。

 

「わからないのか……」

「正確には唯一解じゃないってことだなー。ズバリと一言では答えられん。まあほら、禅問答みたいなもんさー。言葉は解釈、だろう?」

 

 彼の返しにオレは呆れて溜息を吐くが、同時にちょっとした感慨も覚える。学校初日の帰り道、花言葉云々について語っていたのが懐かしい。まだあれから一ヶ月も経っていないのか。充実した時間は早く感じるというのは本当だったな。

 その生活の片棒を担いでいるとも言える鈴音について、恭介への揶揄を込めて話をしていると、今度はこんなことを言いだした。

 

「君はもう僕に聞くまでもなく答えが出ているんだろう?」

「……やけに自信を持って言うんだな。オレは中学生レベルすらも怪しい学力なんだぞ」

「今まで散々誤魔化してきておいて今更それを真に受けると思うかー……」

 

 困ったものだ。親しくなった弊害なのか、彼は出会ってから間もなくオレを優秀な人間だと決めて掛かっている。――懐いているという表現の方が正しいか。いずれにせよ、彼の前ではもはや変に取り繕う方が不自然なのかもしれない。これからは『平均よりちょっとできるけど埋もれちゃう系男子』を目指そうかしら。それならまだクラス内では目立ちにくいし、鈴音に協力する約束もしてしまったことだしな。

 

「まあ今は君のことは置いといて、この問いが今後の彼女のためになるのは、君も理解しているところだろう」

「勿論だ。お堅い彼女にとって、良い頭の体操になるのは言うまでもない。奇想天外ではあったが、クイズ形式なら助言も与えやすいし、悪くなかったと思うぞ」

 

 恭介の言う通りだ。彼が今回取ったリゾートは案外理に適っている――と言うのも、鈴音の特性を正確に踏まえた上で、王道なロジックを展開していた。

 無意味なことを忌避する彼女を自然な形で呼び出すために小テストの話を持ち出す。彼女が桔梗を避けないように逃げられない密室状態を作る。そして、彼女のプライドを利用しクイズ形式を取ることで思考を促す。何てことのないように見えるが、その実一つひとつのフェーズを見誤らずに最適な選択肢を取っていた。

 それに、彼は今回の問いかけを禅問答のようなものと称していたが、恐らくそんな生半可なものではない。彼は『唯一解ではない』と言っていた。つまり、恭介の中には『いれかえ』以外にもいくつか明確な答えが浮かんでいる。

 彼は見かけに寄らず合理的な時があるんだよな。ホント、見かけに寄らず。

 

「お、向こうのお茶会が終わったみたいだ」

 

 と、向こうで動きがあったようだ。そろそろ通話も幕引きといったところか。

 

「お茶は準備してなかったろう」

「あっはは、確かに。それじゃあまたなー」

 

 慌ただし気に恭介は別れを告げた。

 やけに雑に切ったなと思いつつ、そろそろ寝ようかと就寝前の一杯を注ぎに行ってから元の位置に戻る。

 端末を充電しようと手に取ると――違和感に気付いた。

 

「――? ――は寝――ぞ」

「――うね。でも、――さんに――いもの」

 

 無音であるべき空間にひっそりと響く話し声のようなもの。いや、話し声か。紛れもなく、手に握られた機械から発せられたものだ。

 ――まだ、通話は切れていなかったのか。

 機械音痴の彼のことだから切り忘れただけかもしれないが、ご立腹であろう鈴音がどんな罵詈を恭介にぶつけるのか気になったので、好奇心に従い放置することにした。

 しかし、その浅はかな計画はすぐに溶解する。彼らの会話を聞いている内に、恭介はわざと通話を繋げたままにしていることを悟ったからだ。

 恭介が立てた作戦やクイズの詳細、鈴音が桔梗と二人きりの時に起こっていたこと、そして二人の因縁もとい桔梗の本性(真実)

 彼が自分の広げている話をオレにも聞かせようとしていたことは容易に理解できた。

 全く、案外抜け目のない男だ。きっと、情報がダイレクトに伝わるしオレへの説明の手間も省けるしで一石二鳥、だとでも思っているのだろう。普通はその精神一筋でこんな妙策は浮かばないと思うが、そうであってこその変人浅川恭介という認識が芽生えつつあるのが不思議なところ。段々と彼のことをわかってきた気がして、こちらとしても嬉しい限りだ。

 三十分程経って鈴音は部屋を出て行き、それを見送った恭介が――案の定意図的に話を聞かせていたオレに話を振って来た。

 とりあえず、まずはいの一番に抱いた感想を述べさせてもらおうか。

 

「お前の企みが頓挫して爆笑していた」

「感情を乗せてから言い直してみろ」

 

 さすがに彼も本来の自分の目的を忘れてはいなかったようだ。彼は桔梗からの依頼を請け負った際に『鈴音のことを知りたい』と言っていた。今回桔梗に関するビッグニュースを得ることができたために霞みがちだが、彼のノルマに目を戻せば一概に収穫ありとは言えないだろう。正しく、あの日オレの訴えた懸念が現実のものになったというわけだ。

 その後は予定調和のように意見交換を行った。結果がいまいち振るわなかったからか、そもそも桔梗に関心がないからか、恭介は一貫してこちらへ意見を求める受動的な態度だった。

 

「――大体わかった。ところで清隆。君、結局『櫛田』呼びのままなのかい?」

「あー、それは……」

 

 彼の声音からして、本当に何の意味も持たない素朴な疑問なのだろう。

 鈴音のことはすぐに下の名前で呼び始めたのに、どうして桔梗に対しては他人の前でできないのか。その違いは偏に二人の人気の差からくる。

 それを詳らかに説明した。つもりだったのだが……

 

「…………あっはは、う、うん。ぷっ、き、君が、はは……それで良いなら、あは、僕は何も言わなっふふ…………言わないよ、ははっ」

「な、何だよ。そんなおかしなことを言ったか?」

 

 珍しく噴き出しそうになっている恭介に冷や汗が滲む。何か嘲笑の的になるようなことを口走ってしまっただろうか。考えても答えは出なかったので、万が一にも揶揄ってくる相手は彼か鈴音かのどちらかだろうと割り切ることにした。

 

「……まあ、いいか。――なあ恭介。オレからも一つ聞いていいか?」

 

 自分の失態についてはよくわからなかったが、何だか莫迦にされていることだけは察しが付いたので、意趣返しとしてさっきまで自分から口を開かなかった彼にはっきりと答えてもらうことにしよう。

 

「え。あー、いいけど」

「お前は、いつから櫛田の本性に気付いていた?」

 

 まさかこれまでの流れからそんなことを聞かれるとは、さすがの恭介も思わなかったのだろう。それ故僅かに見せた沈黙によって、オレは自分の推測がほぼ間違いなく合っているのだと確信する。

 

「耳掃除でもしたらどうだ? 鈴音と話していた時に一言も気づいただなんて――」

「気づかなかった、とも言わなかったろう。一言で否定しなかったのは、気付いたことを隠したいが鈴音に嘘を吐きたくもないという葛藤の結果だ。違うか?」

「どっちも言ってないならどっちもありだなー。僕が言ったのは『信じようか迷う間もなかった』という事実だけ。真実は闇の中ってわけさー」

 

 オレの発言は概ね予想が付いていたのだろう。今度の反論は明らかに用意されていたもの。不自然な間もなく言い放った。

 彼が桔梗の裏を見透かしていたのは恐らく――()()()だ。全く根拠のない憶測だが、今までのことを振り返るとその可能性が最も高い。

 ただ、恭介の狙い通りと言うべきか、確かに彼が表向きに白状した事実はなく、鈴音も渋々彼の言い分に納得していた。

 それならばなぜ、オレたちはこんな牽制紛いなことを態々繰り広げているのか。

 ――今のオレになら、わかる。

 

「ふっ、そうだな。良くわかった。迷う間もなかったんだよな。――ああ因みに、後から追及されないように先に言っておくが、オレもさっきの話の最中に驚くことはなかったぞ」

「へえ、君もねえ。まあ櫛田とは多少親しくしていたみたいだから、知っていることの一つや二つはあるんだろうなあ」

 

 前までのオレなら、意味のないことだと切り捨てて、僅かでも尻尾を出すようなマネはしなかっただろう。

 だけど――オレは嬉しいんだ。こういう「茶番」であっても、他人と関わる美酒をオレは知ってしまった。

 無論、自分の深淵を明かすような間抜けになるつもりはない。寧ろそうならない調節ができる絶対的な自信があるからこそだ。

 築き上げた壁に触れさせることで、少しでも分かり合えるのなら。

 たとえ『自分の積み上げた無色透明な世界』だったとしても、心地良さを手に入れるためのチップとなるのなら。

 オレはやはり、未知の幸せに、手を伸ばしてみたくなったんだ。

 果たして自力で届くのか、誰かが掴んでくれなければ届かないのか。

 少なくとも、その誰かがお前であることを、オレは望んでいる。

 疑惑はある。彼のことについて、根本的に知らない部分も山ほどある。しかしそれは、オレの置かれている状況には害を為し得ないものだ。だからオレは目を瞑る。

 この怠惰な手を伸ばさせたんだ。その責任、取ってくれよ?

 ささやかにしてかけがえのないオレの願い。きっと、恭介は薄々気づいてくれる。そしてしどろもどろになりながらも、最後には必ず来てくれる。

 

 ……そう、思っていた。

 

「――――部品の欠けた羅針盤なんて、誰もが愛着をもって使い古してくれるわけじゃないだろう?」

 

 オレはその言葉の真意を悟った時に、彼の抱えているものの重さをもっとよく理解するべきだったのだ。

 初めて抱いた意志を自ら破ってしまっていたことに、オレは気づくべきだった。

 ――飛び出した大空は、驚きを避けられない程に澄んでいるのだと、そう()()()()()

 

「ごめん、無理だ……無理、なんだ……」

 

 だから、その言葉を聞いた瞬間(とき)、オレは自分の目を閉じることしかできなかったんだ。

 




二章も清隆視点をやるか、他のキャラをやるのかは未定です。

オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)

  • 止まるんじゃねぞ(予定通り,10話超)
  • ちょっと立ち止まって(せめて10話以内)
  • 止まれ止まれ止まれ…!(オリだけ約5話)
  • ちょ待てよ(オリキャラだけ,3話)
  • ムーリー(前後編以内でまとめて)

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