アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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お待ちかね、綾小路視点です。最初は総括的な纏め方にしようと思っていたのですが、文才不足で一から時系列を辿る形にしました。二、三話構成です。見どころは
①キャラ迷走が拭えないけど元気に楽しんでいる綾小路
②オリ主の存在で原作より良好な清×鈴の関係と、オリ主不在時の会話
③綾小路から見たオリ主
ってところですかね。本当はもっとあるんですけど。あとがきの方も読んでみてください。


Artificial Kindness

 掴みどころのない、マイペースな美少年。

 それが、浅川恭介という男の第一印象だった。

 

 

 

 ほんの些細な出来心。偶々バスで見かけた顔だったから。偶々席が前後だったから。偶々その時友達づくりに難航中で焦っていたから。

 偶然も重なれば必然と言うが、彼に声を掛けた時のオレには無論、そんなことを気にする余裕はなかった。

 こちらには完全に背を向けていたため振り向いてもらうまでわからなかったが、彼の中性的な顔立ちは一見女子と見紛う美しさを具えていた。髪も男子にしてはだいぶ伸びていて、制服でなければ判別は難しかったかもしれない。

 そんな感想をおくびにも出さず話しかけ、オレの鼓膜に届いた第一声は――、

 

「あー、僕も思い出したよ。隣の子も一緒だったよなー? 奇妙な偶然もあったもんだなー」

 

 何とも拍子抜けする音だった。

 声質そのものは何てことはない。変声期を迎えたのかわからない可憐な響きは、その顔によく釣り合うものだった。ただ、口調が緩い。とにかく緩い。まるで往く川の流れに従うかように、何も考えず適当な言葉を吹っ掛けているだけにも感じられた。

 彼は次に、オレの隣人である堀北鈴音にも目を向ける。止めておいた方がいいぞ。彼女は堅物どころの騒ぎじゃない。善意を悪意で反射させてしまう残酷な少女だ。

 「嫌な偶然ね」と応えた堀北に、恭介は首を傾げ再びこちらを見る。好奇と懐疑の混ざった目だ。

 

「何か彼女に酷いことでもしたのか?」

「何故真っ先にオレを疑う……」

 

 思わぬ嫌疑にげんなりしつつ否定する。

 オレを見境無しの暴食者だとでも思っているのだろうか。生まれてこの方、同級生と会話するというイベントすら熟したことはなかったのだが。

 

「あー、いや、不快に感じたのなら謝る。ごめんなー」

「問題ない。わかってくれるなら大丈夫だ」

 

 恐らく性根は良いやつなのだろう。向こうが素直に謝罪してくれているのに咎める道理はない。

 その後オレの事なかれ主義についても触れられ、堀北に二度も貶されて落胆するという流れを挟み、浅川の発案で自己紹介をすることになった。先の堀北とのファーストコンタクトでは、突然の自己紹介で不快感を与えてしまったようだから控えていたが、あれは狭量な彼女限定だったのかもしれない。

 ――浅川恭介、か。

 色々思うところはあるが、兎も角この学校で二人目に名前を知った人物だ。オレは温厚そうな彼にリベンジの望みを掛ける。教室を漂う空気と現在時刻から察するに、もはやこれがラストチャンス。

 頼む……どうかお前は、空のように澄んだ心の持ち主であってくれ……!

 

「その……よければ、オレと友達になってくれないか?」

「ああ、もちろん構わんさー。僕も少しコミュニケーションが苦手だから助かる。よろしくなー」

 

 オレの祈りを知ってか知らずか、即答で快諾してくれた彼にホッと安堵する。どうやら初戦の相手を間違えてしまっただけだったようだ。かてて加えて、浅川もオレと似て他人との交流が苦手だと言う。類は友を呼ぶという迷信はなかなかどうして、当てにできるものなのかもしれない。逆に堀北との関係は、先が思いやられるが……。

 何はともあれ、これで記念すべき生涯初めての友達、ゲットだぜ! 晴々とした達成感を覚える。席を離れて話しかけるなんて業がとても恐れ多くてできなかったオレにとっては、大変目出度いことだ。心の中で万歳三唱を忘れない。

 感動に耽っていると、今度は浅川の方から伺うようにして尋ねてきた。

 

「うーんと、清隆って呼んでもいい?」

 

 不意な申し出に呆けてしまう。おっと、これは……喜んでもいいのだろうか?

 名前呼びというのは親睦を深めた間柄で行われるものだと思っていたが、まさかこうも早く、最初期の段階で提案されるとは。そんなことのできるペアは、きっと超仲良しだと思われるに違いない。

 期待を膨らませたオレだったが、蓋を開けてみればただ単に呼びやすい方を選んだだけなのだと言う。表情を見るに照れ隠しというわけでもないようだ。オレとの仲を切に願っていた、というわけじゃなかったのか。何とも言えない、少し物悲しい気分になる。

 ただ、

 

「僕も君と似ていて面倒なことが苦手なんだ。それこそ、主義として掲げたいくらいになー。――清隆とはこれからももっと仲良くなりたいって思っているぞ」

 

 本心からであろう彼の言葉には、大きなシンパシーを感じた。

 ――よし、折角の友達第一号だ。オレの方からだけでも親しみの意を込めて、彼のことは『恭介』と呼ぶことにするぞ……!

 

「似た者同士、仲良くしていこうな!」

 

 そう答えながら握りしめた手は、男子にしてはあまりに小さく柔らかくて……。

 だけど、とても温かいものだった。

 

 

 

 どうやら恭介は、存外感受性が豊かなようだ。

 初めのあっけあかんとした口調に流されそうだったが、今の彼を見ればよくわかる。隣人の頑なな態度には彼もほとほと苦戦しているようで、酷く落ち込んだ表情になっていた。どこか葛藤が見え隠れしているような気もするが、今のオレが推し量れることでもないだろう。

 これはもしや、恩返しのチャンスなのでは……? 恭介が入室するよりも前に受けた彼女からの洗礼に対する意趣返しの意も込めて、癖も特徴も何もないオレを見捨てず友達になってくれた彼に加勢することにした。

 

「あまり意地の悪いことをするものじゃないぞ、堀北」

「綾小路君、あなた……」

 

 突然の横槍に一瞬目を見開いた堀北だが、すぐにオレの方を睨みつける。まあ、確かに他人に気安く教えるなとは予め言われていたけどさ……オレには何だかんだで教えてくれたんだから別にいいだろう。変に頑固なやつだ。

 

「どのみち少なくとも、一年間は確実に同じクラスなんだ。嫌でも恭介は、お前の名前を知ることになるだろうな」

「なら、尚更私から教えてあげる必要は……」

 

 いや、知るまでは恭介が困ることになるだろう……。

 それに、彼女の言っていることが真理なのだとしたら、一人ひとり改まって自己紹介をする意味が薄れてしまう。現にオレと恭介は、互いに自己紹介をした勢いそのままに、晴れて友達になれたわけだし。恭介だって、彼女が心を開いて自分から名乗ってくれることを望んでいるはずだ。

 

「普通は逆だろう。――先祖代々受け継がれてきた苗字と、親が愛情を込めてつけてくれた大事な名前なんだ。それくらいの誠実さは、示してやってもいいと思うんだがな」

 

 友情を糧にそこまで反論を述べたオレだったが、自分の発言に我ながら感心する。尤も、完璧な理屈だと自画自賛したわけではない。

 ――よくもまあこんなセリフを、ペラペラと並べ立てられるものだ。

 親が愛情を込めてつけた? 過去を振り返ってみても、そう思い当たる節など欠片もない。

 物心ついた頃から、既に鳥籠の中だった。愛されたいという欲すら、湧き上がることなんてなかった。ただ、決して『普通』ではなかった。それだけは紛れもない、事実。

 普通の子供なら、温かい料理を作ってくれる母親がいて、仕事から帰ってからも一緒に遊んでくれる父親がいて、思い悩んだ時に身近で支えてくれる兄弟や姉妹がいたりもして。

 

 ――そして、他愛もないことで笑い合える友人がいる。

 

 そんな当たり前のような自由を求めて、オレはあの籠から抜け出した。

 未知の世界に、外の景色に、そして何より、普通の生活に憧れて……。

 飛び出した大空は、驚きを避けられない程に澄んでいるのだと、そう信じている。

 そんな開放的な視界への喜びと、地に足を着けない不安の狭間で、オレは奇しくも、浅川恭介と巡り会った。

 運命という言葉を、信じていいものかわからない。奇跡は起きるものなのか、起こすものなのかも、知ったことではない。

 ただ、この時のオレは、どうすることが自分に幸福をもたらすのか。それだけが、大事だった。

 停滞しがちな、空想だらけの頼りない翼でも。

 もし、明日に希望を見据え続けられるだけの日々を、この美しい少年と送れたなら。

 きっと、飛べるようになるはずだ。

 そんな予感が、オレにはあった。――こんなオレに、優しく寄り添おうとしてくれた彼だからこそ、そう思えた。

 

「――それに、オレにとって初めての友達なんだ。それがこんなにも無下に扱われているのを、黙って見過ごせるほどオレは薄情じゃない」

 

 期待するような、縋りつくような、儚い願いを胸に宿し。

 口を衝いて出た、他人を心から想う言葉。

 ハッとして堀北の顔を見ると、彼女は困惑と驚きの混ざった表情を浮かべていた。そこでようやく、自分が柄にもない発言をしたことを自覚する。

 気まずさから目を逸らすと、今度は恭介と目が合った。彼も意外だと言いたげな顔をしていたが、その瞳の揺れ動きからは、羨望の感情が伺い知れた。

 一体何が羨ましかったのだろう。オレはそんな偉いことを語れる程、人情味のある人間ではないというのに……。

 ……いや、しかし。と、頭を振る。

 予想だにしなかったその言葉には、オレの中で微かに残された可能性が、確かに眠っているような気がした。

 オレが『俺』になるための、たった一本の蜘蛛の糸。よじ登った先に何が待っているかわからない。されど、今のオレがこれからの行く末に期待を抱くのには、十分な兆しだった。

 彼の存在は、オレを変えてくれるのかもしれない。彼ならば、オレの欠陥を埋めてくれるのかもしれない。

 脳裏を掠める打算的な考えは、決して小さな野望ではない。ただ、それ以上に……。

 不安は山ほどある。何せ、この美味しい空気を吸うこと自体が久しぶりなのだ。目指す場所も定まらなければ、目印も道標もわからない。左右どころか、前進後退、上昇下降も覚束ない。そんなオレが、どう胸を張って生きて行けばいいと言うのか。

 それでも、人知れず妙な高揚感を得ていたことは、認めざるを得ないだろう。

 

 ――これが、『友達』というものなのか。

 ――なるほど、悪くない。

 

 そう実感したのは、「一人でも多く友達が欲しい」という偉大なる信念が、彼と一致した時のことだった。

 

 

 

 

 先生からの説明を受けた後、平田洋介の主導でクラス全体での自己紹介が行われた。鈴音は相変わらずの協調性の無さで、他の反乱分子共々教室から出て行ってしまったが、今は他人よりも自分のことを顧みるべきだという判断で放置することにした。

 因みに、オレが突然彼女を『鈴音』と呼ぶようになったのは、恭介が自分のポリシーに則って彼女を名前呼びしたことにあやかった賜物だ。慣れてしまえば何てことはない。――と思っていたが、この考えは後に桔梗から名前呼びを求められたことで覆されることになる。人目を寄せ付けない鈴音だったからこそ、オレでも名前呼びに漕ぎ着けることができただけだったようだ。

 そんなことはさて置き、どうみんなに自己紹介したものかと考えあぐねていると、ついさっき出番を終えた恭介がそっと声を掛けてくれた。

 

「清隆、大丈夫そうか?」

「え? ああ、いや、全くだいじょばないな」

 

 見栄を張るようなことはしない。この一大イベントを無事に乗り越えられようものなら、つまらないプライドなんぞ潔く切り捨ててやるよ。

 

「もっと肩の力を抜いてもいいと思うぞ? 得意なこととか好きなこととか、何かあるかー?」

 

 その助言は、彼の口調も相まって、焦っていたオレの心を幾分か鎮めてくれた。

 得意なこと、か。器械的な作業は大抵卒なく熟せる自信はあるが、普通の高校生がどの程度のものか測りかねるし、どれを取り挙げればいいのやら……とりあえず、

 

「ピアノと書道なら習っていたな」

「おお、意外だなー」

 

 意外だったかー。

 まあ世の中ギャップのある男も受けるものだろう。平田からの指名も受けたことだし、あとは恭介の言う通り、オレの思っていることを添えておけば……。

 ……今、オレが思っていること、か。

 

「綾小路清隆です。……えっとー、ピアノと書道を習っていたので少し得意です。その、わからないことだらけですが、皆のことを少しずつ理解していけたらなと思います」

 

 ――恭介とも分かり合えたんだ。他のやつらとだって、きっと……。

 三年間よろしくというテンプレを最後に着席すると、平田の肯定的な言葉に続いて、決して盛り上がる程ではないものの、温かい歓迎の拍手が送られてきた。辛勝といったところか。よかった。

 小さな達成感を覚えつつ、紛うことなきMVPである友人に謝辞を述べる。

 

「恭介、ありがとな」

「気にすることはないさー。それにしても、ピアノと書道かー。言われてみれば、歌も字も綺麗に熟せそうな顔をしているかもなー」

「そんな顔に見えるのか?」

「多分なー、よくわからんけど」

「わからないのか」

 

 不思議な少年だが、友達想いの良いやつであることは間違いない。

 

 

 

 

 入学式を終えて解散後、この学校の敷地内にはコンビニもあるという耳寄りな情報を手に入れたオレは、早速友達である恭介と鈴音を引き連れ下見に向かった。恐らく鈴音は認めないだろうが、これまでのデコボコなやり取りを経てそれなりに親交を深めることができたはず。友達作り隊の第一人者であるオレは、彼女を友達だと断定した。

 

「あなたの好奇心はどこへ向かうのかわかったものじゃないわね」

「別に明日とかにしても良かったと思うがなー」

 

 ブツブツと愚痴を零す二人を宥めながら入店する。ほとんどの生徒が入学早々カフェやカラオケを集団利用している中で、孤独を晒してコンビニに寄るというのは何とも味気なく、肝が冷えるというものだ。何だかんだで付き添ってくれたことに心底感謝する。

 適当に商品を物色していると、インスタントラーメンが並べられている棚にたどり着いた。お湯を入れて三分待てば出来上がりという優れモノ。三分クッキングの代表格だったか? 果たしてお味はいかがなものなのか、大変興味がある。

 

「お前はこの商品の値段に関してはどう思う?」

 

 値札を見るだけでは高いか安いか判別できなかったので、それとなく聞いてみる。

 

「い、いやー……僕はちょっと何とも言えないかなー。何せ田舎の出だから」

 

 恭介は意外にも戸惑った様子で答えた。

 なるほど、田舎の出身か。確かに彼の間延びした口調は、喧騒の染み付いた都会にはあまり似合わない印象を受けるが、しかし……。

 ああ、田舎と言うと、オレが昔過ごしていた場所も木々に囲まれてひっそりとした山奥だったな。……いや、あれは田舎と言うより野生と言うべきか。――やせいのオレがとびだしてきた! お慈悲を賜るのは今のところ二人だけ。おまけにその片割れは安全保証が不備だらけ。心もとないにも程がある……。

 値段は普通だろうという鈴音の意見を参考にし、二人にお礼を言う。――お? こっちのカップ麺は特徴的だな。

 

「これ、すごいな、Gカップって」

 

 Gか……鈴音はまあ、小さくもなければ大きくもないってところかな――。

 

「……綾小路君?」

 

 ……フッ、なるほどな。どうやら彼女は『読心術』なるものを会得しているらしい。勘のいい友人は好ましいぞ。……これくらいにしておこうか。次いつ無言でひっぱたかれるか、わかったもんじゃない。

 結局、オレと恭介はカップ麺を一つずつ手に取り各々のカゴに入れた。彼も興味本位だったのだろうか。てっきりこういうのは何個かまとめ買いして貯蓄しておくものだと思っていたのだが。

 その後オレが渾身の髭剃りネタを披露したり三人で無料商品の棚を拝見したりしてから、会計に梃子摺っている恭介を鈴音と一緒に外で待っていることにした。

 

「彼、不思議な人ね」

 

 不意に鈴音が口を開いた。彼女から会話を始めるのは珍しいな。

 

「そうだな。だが良いやつだぞ。お前は途中退席してしまったが、オレを助けてくれたんだ」

「どうだか。この時期はまだ、誰だって上手く本性を隠せるわよ」

「誰だってそうなら、それを受け止め合えてこその友達だろう?」

「その相手が全くいない癖によくそんな大口を叩けるわね」

 

 なかなかカッコイイ返しをしたつもりだったが、思いっきり正論でねじ伏せられてしまった。強いて言えば二人、目の前の少女を除いてしまえば一人しか相手がいないとなると、説得力に欠けるのはオレにも理解できる。

 恭介との共闘だったとはいえ、教室にいた時はよくもまあこの堅物少女を二度も説き伏せられたものだな。

 

「お前は、そういう相手はいらないのか?」

「必要ないわ」

「どうしてだ?」

「なら逆に、どうして友達をつくる必要があるのかしら?」

 

 確かに、鈴音の言っていることは尤もだ。彼女の質問に答えようにも、オレでは精々曖昧な精神論しか語れない。一緒に遊ぶと楽しいとか、困った時に相談できて心強いとか、そんなところだ。

 だが、彼の言葉を借りるならば――、

 

「それは、お前自身がいざつくってみなければ、見えてこないものなんじゃないか?」

「……無駄よ。意味のないことだってわかるもの」

「決めつけるのは構わないが、そういう人ばかりじゃないことは確かだぞ。オレが証拠だな」

 

 何故そこまで頑なに独りを好むのか。事情があったとしても詮索しようとまでは思わないが、友達づくりの成功体験を持つオレには少し疑問だった。

 

「証拠? そこまで言うなら、あなたはどんな意味を感じたの?」

 

 意外にも関心を示してくれたようだ。単なる興味本位だったのかもしれないが、彼女相手なら今のところ会話が成り立つだけでも上出来だ。

 友達づくりの意味か。どう答えたらいいのだろう。オレがもし恭介と友達になれなかったときのことを考えると……。

 

「……勇気が湧いてくる」

「は?」

 

 あからさまに嫌悪の視線をぶつけてくる。待て待て、まだ続くから。

 

「恭介がいなかったら、オレはきっとあのまま誰とも仲良くなれず、自己紹介も失敗していたはずなんだ。お前のことを親しげに名前で呼ぶこともなかったし、今よりもずっと距離のある会話になっていた。人付き合いの下手なオレだから、その差は余計に顕著だったと思う」

 

 彼女はこちらに目を向けないまま黙って聞いている。オレはそれを一瞥してから、コンビニ店内のレジの方を向く。恭介はもう少し時間がかかるようだ。何をそんなに手間掛かってているのだろう。

 

「友達っていうのは、自分を変えてくれる存在のことなんじゃないのか? 独りじゃ決して成し得なかっこととか、見出せなかったことを可能にしてくれる、そんな綺麗な関係なんじゃないのか?」

「絵空事ね。要は他力本願ってことでしょう?」

「絵空事でもいいじゃないか。結局オレたちの前にあるのは現実で、向き合わなければならないのも現実だ。他力本願っていうのも少し違う。今までの行いは全て、最後に実行したのはオレ自身なんだからな」

 

 オレの紹介を恭介に任せきりにしたわけではない。鈴音を名前で呼ぶのも、彼の発言を受けて自分で思いついたことだった。

 与えられたタスクを淡々と熟すことしかしてこなかったオレ独りでは、決してできなかった。けれど確かに、オレ自身が生み出した結果なのだ。人間関係の綺麗でない部分がどこなのか、そもそもあるのかもわかっていないが、その事実は揺るがない。

 

「オレは期待しているんだ。アイツのおかげで、少しは変われるんじゃないかって。お前が他人を拒むのは、他人によって自分が変わることが恐いからなんじゃないのか? その勇気で一歩踏み出せるようになるためには、寧ろ友達が必要なんだと、オレは思う」

 

 自分からシャットアウトしているくらいだ。彼女も他人との交流は苦手なんだろう。でも、オレと同じように、お前も変わることができるはずだ。他に真面な人付き合いができていないオレでは、やはり重みはないのかもしれないがな。

 

「……知ったような口利かないで。別に私は、変わる必要なんてない」

 

 嫌われてしまったか……? 少々出過ぎたことを言ってしまったかもしれない。だが、彼女の質問に対するオレの答えとしてはこれが本当だった。

 お、どうやら恭介がようやく事を終えたようだ。こちらに向かってくる。小話も幕引きだな。

 

「まあ、思い立ったら試してみるといい。きっとアイツは受け入れてくれる。勿論オレもな」

「どうしてそう言い切れるの?」

「さあな。何となく、信じているからかな」

「非合理的ね」

「友情なんてそういうもんだろう」

 

 大きく伸びをして身体中の空気を入れ換える。今日一日では飽きない旨さだ。

 オレもまだまだ初心者だ。鈴音に悠長に偉そうなことを語れるほど、心のなんたるかを理解しているわけじゃない。

 だけど、この半日の実体験で語れることは確かにある。

 

「合理性で友情が築けるなら、オレはこうも簡単に変われない」

 

 自動ドアが開く、その直前の言葉だった。

 

 

 

 

 コンビニでの一悶着、及びその後処理を終え、オレは恭介と二人、まだ見ぬ新居への帰路を辿っていた。

 その中間ら辺に差し掛かったところで、途端に恭介が声を上げた。

 

「あ、蝶だ」

 

 彼が指差した方を見ると、確かに白い羽の蝶が二頭、黄昏の空を漂っていた。

 

「仲良く飛んでいるな」

 

 オレもあれくらい自由に飛びたいな、なんて――。

 そう思っていると、恭介は肩に掛けた荷物を持ち直し、のんびりと蝶を追い掛け始めた。ほう、これが若さか。

 

「わーい」

「童心に返るのか、可愛いやつだ」

 

 男子の中では格別美人や可愛いの部類に分けられてしまうであろう顔をしている彼が、純粋無垢に蝶と戯れる姿は実に画になる。

 オレの言葉に、彼はやれやれと目を瞑って応えた。

 

「童心を恥だの勇敢だのと大袈裟に扱う今の世の中が哀れだよ。もっと悠々自適に生きてみればいいものを」

 

 おお、確かにそうだ。敏感に揺れ動く感情に身を任せることの何が悪いと言うのか。ましてやオレたちは二十歳にも満たない高校生。咎められるいわれはないか。

 なら、オレも先程の願望に従うとしよう。

 

「……わーい」

「ごめん、限度ってものがあるかも」

 

 真顔で言われた。

 悲しかった。

 

 

 

 数分後、オレたちはベンチで給水して休んでいた。

 楽しくなってきたというオレの言葉を聞いた恭介が、親指を立てて「グッジョブ」と告げた瞬間、オレたちと蝶たちによるかけっこのピストルが鳴ってしまったようだ。

 長い時間休みなく走っていたため、少し汗を掻いてしまった。

 

「この老いぼれた体には結構応える」

「言う程衰えてもいないだろう」

 

 何気なく会話を広げるが、オレの中ではこの時恭介に対して一つの『疑念』が生まれていた。まあ、それについては後に語ることとしよう。

 ともあれ、実際この時のオレはその疑惑について思案していたわけなのだが、その最中、恭介が不意に口を開いた。

 

「桜、か。確か花言葉は、『純潔』」

「出会いの季節を象徴するにはズレを感じるな。にしても、良く知っているな。花が好きなのか?」

 

 すぐに切り替え違和感なく反応する。今時花言葉に興味を持つ男子高校生は珍しいのではないだろうか。『イマドキ』をオレが語るのもおかしな話なのだが。

 

「花自体に興味はないよ。だけど、解釈という性質そのものには少しそそられるものがある。花言葉も誕生花も、国や種類によって違ったり、複数あったりして、存外面白いんだ」

「解釈か。――歴史や伝説と紐づけるという意味では、――わからなくはない」

 

 なるほど、彼はただ飾られた言葉に酔いしれているわけではなく、多種多様な価値観が見え隠れする象徴として、花に興味を持っているわけだ。確かに、言葉も誕生日も当てられているという点で、花は彼の言う解釈とそれなりに縁が深く感じる。

 

「『私を忘れないで』」

「メンヘラの常套句か?」

「あっはは、一途で素晴らしいじゃないかー。フランスではこれが花言葉なんだよ。ますますイメージからかけ離れていくよなー」

 

 ……ジョークのつもりだったんだが、流されてしまった。

 一途、なのだろうか。少々重い気もするのだが、普通はそんなものなのかもしれない。

 だがそうすると、イメージからかけ離れるというのも若干違う気がする。寧ろ真っ直ぐな思いという意味では似ているような……将又、これこそ解釈違いというやつなのだろうか。

 一概に花と言っても、恭介の言う通り存外奥が深いようだ。

 

「君、誕生日は?」

「十月二十日だ」

「確か竜胆が誕生花だったなー。花言葉は『悲しんでいるあなたを愛する』」

 

 ……おお、意外と的を射ている、かも?

 オレは今まで何の感想もなしに日々を過ごしてきたが、ある程度情緒の育った人間がかつてのオレと同じ環境に放り込まれたら、さぞかし苦行だと思うに違いない。そう考えると、オレは『悲しいあなた』に当てはまるんだろうな……。

 ……愛、か。両親からも真面な愛情を注がれなかったオレに、誰かを愛する心なんて持ち合わせているのだろうか。資格すらあるのかも怪しい。はあ、センチメンタルな言葉というのも、言い得て妙だ。

 

「本当に色々と知っているんだな」

「たまたま十日刻みで覚えているんだ」

 

 見かけに寄らず博識なやつだ。雑学全般の知識が豊富なのかもしれない。

 

「あとは、僕の誕生日もね」

「どんな花だったんだ?」

 

 何の気なしな問いのつもりだったが、彼は答えるのを渋る素振りを見せた。 

 

「まあ気が向いたら調べてみてくれよ」

「焦らすこともないじゃないか」

「宿題だ宿題。明日までに考えてくるように」

 

 あまりに強引にはぐらかされてしまった。何か後ろめたいことでもあるのだろうか。自分で調べろとのことだから、知られたくないということでもないはずだが。

 

「僕は、タンポポの方が好きかなー」

 

 一時の間を置いて、今度はそんなことを言いだした。

 

「タンポポ?」

「おう、タンポポ凄いんだぞ。強いんだぞ。魂にしたがる詩人がいるくらいだからなー」

 

 あれか、タンポポ魂、というやつか。

 何度踏み倒されても起き上がり、何度引きちぎられても、根さえ残っていれば元通り花が咲き直す。随分としぶとい花だ。

 根さえあれば、と言うが、言わば根すら生えていないようなオレは、どう花を咲かせばいいというのだろう。――なんて、少々ロマンチックが過ぎるか。

 ……いや、きっと恭介なら「生えてないなら試しに種を植えてみればいいんだよ」とか言ってきそうだ。彼は他人を肯定するのが上手い。相手に猜疑心を与えないのは恐らくその性質故だ。

 そんな勝手な分析を行っていると、「ただね」と彼は付け加えた。

 

「この際何が重要なのかというとだね、人は時に言葉を当てにし過ぎてしまうということだよ」

「当てにし過ぎる?」

 

 今一つ釈然としない。何が言いたいのだろう。

 

「言葉は物語を生み、物語は感情を生む。そのどれもが解釈であり、相互関係にあるんだ。自分や他人のことを理解した上で、そこに事象をなぞらえさせるなら何ら問題はない」

 

 ここまでの言葉の意味を、反芻させながら理解する。

 言葉によって数多の物語が生み出されていき、それに魅了された人間たちには十人十色な感想が浮かぶ。ミステリーやサスペンスなどでは考察なんてものまであがるほどだ。

 しかし、人々の感情が必ずしも満場一致するわけではない。明言されない限り、そこには無限の可能性が転がっていて、その洪水の中自分の考えで選択したものが、その人にとっての真実となる。彼が相互関係と銘打ったのはそういうことだろう。感情や価値観が個人の頭の中で勝手に物語を補完乃至(ないし)創造し、そこに独自の言葉が反映されることもあるということだ。

 だが――どうやら彼の話はまだ終わらないようだ。

 

「だけど、予め用意された文字列から――選択肢とも言うね――選び取り、そこに自分をなぞらえてしまったら、いつか間違いなく喪失に陥る。それは自分自身のことなのかもしれないし、或いは身近にある大事な何かかもしれない」

 

 その時オレは、彼の言いたいことをようやく理解できた。

 ○○のようにとか、○○みたいだとか、人はよく人を別の何かで比喩しようとする。自分の特徴や考えを伝える上でそれは確かに楽な方法のはずだ。

 ただ、(てい)のいい言葉や気に入った物に頼っていく内に、いつかそれが自分を表す表現ではなく、自分の性質が言葉の方に引きずられてしまうことがある。先の話で出た竜胆を例にしよう。もしも竜胆が一番好きな花だと言い張る人がその花言葉を知った時、頭の中で反芻させている内に段々と傷心的な性格になっていってしまう可能性がある、ということだ。まさかと思うかもしれないが、感受性が豊かな人であればそんなに珍しい話ではない。

 しかし、オレが気になったのはそっちよりも――喪失に関する話だ。

 今の話から真っ先に導き出されるのは自己喪失だと思うのだが、彼は身近な何かを失う危険性もあることを示唆した。それがあまり上手く理解できない。

 他人と関わること、心(かよ)わすことに不慣れなオレでは、まだ掴めないところにあるものなのかもしれない。

 安らぎと傷みをオレに教えてくれるのは、やはりこの少年なのだろうか。

 

「だから僕は、事を解釈の範囲だけに収めようとするんだ。例え話や補足のソースにはしても、自戒の教訓には決してしない。人の精神は鶏と違って、必ず卵から始まる」

 

 確かに、空っぽな人間に精神が宿ることはあれど、精神によって人の皮が形成されるなんてことはない。情緒とも呼ばれるそれは、人が生きていく中で少しずつ成長していくものだ。ならばオレは、まだ差し詰め生まれたばかりの雛鳥なのだろう。

 自虐に走っていると、恭介が徐に足を止めた。気付いて振り向くと、普段の彼とは違う、力強い目と視線が交わった。

 

「――自分のことを自分の言葉で語ろうとしない奴は、きっとどこまでも生きづらいんだ」

 

 その言葉には、確かな重みがあった。

 それこそ、自分自身の本当の言葉で、自分を戒めているような。

 その上で、オレに理解して欲しいというささやかな願いが、聞こえた気がした。

 自惚れではないはずだ。今のはオレに対する一種の激励。不思議と、そう思えた。

 

「自分の言葉で、か。考えてみれば、案外難しいことなのかもしれない」

 

 オレはこれから、自分のことをどれだけ語ることができるようになるのだろう。

 今はまだ、中身の空っぽな、何もない虚像に過ぎないけれど。

 この高校生活を終える頃には、自分のことを忌み嫌わずにいられるといいな。

 生きづらい在り方なんて、あまりに虚しいものだ。

 自分にできる精一杯の肯定を表情で訴えると、それに呼応するように彼も満足げに頷いた。

 

「とすると、急にタンポポの話を出したのは、お前が自己分析した結果の表れということか? ――どれもお前の本質に適応するするかは微妙なところだが」

 

 既にオレの新たな住まいが顔を出しているが、何となく気になったので聞いてみた。タンポポの花言葉は知っているが、どうにもそれが、基本ぼんやりとしている恭介に当てはまるようには感じなかったからだ。

 だが、

 

「そりゃあ合わないだろうさー。『黄色』じゃね」

 

 オレはこの質問をして、本当に良かったと思う。

 その言葉がなければ、オレはきっと、一方的に彼を求めることしかできなかったから。

 

「今の僕に相応しいのは、()()()()()()()()()()()()さ」

 

 その言葉を聞けたから、オレは()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを、止めた。

 彼はオレが思っていた以上に強かで勇敢だったが、同時に、とても脆弱で臆病だった。

 

 ――オレたちの志は、そう大差ないのかもしれない。

 

「その意志表明だと思ってくれていい。言葉を当てにしない最も簡単な方法は、『まず動く』ことだよ」

 

 差し出された端末を見て、フッと息を漏らす。

 

「遠回しにも、程がある」

 

 本当に、あまりにも遠回し過ぎる。不器用なんだよ、お前は。

 オレでなかったら察することはできなかったと思うぞ。割とガチで。

 これも、彼なりな信頼の証なのだろうか。だとしたら、尚更不器用だ。

 

「アオハルなんて、多少回り道をした方がちょうどいいのよねえ。今の僕らのようにさ」

 

 確かに、悪くない回り道だった。

 文字通り羽を伸ばして飛び回る蝶たちも、穏やかに流れる川も、オレにとってはひどく新鮮で、自然と胸が高鳴った。これも恭介なりな距離の縮め方なのだとしたら、なかなか上手いものだ。

 オレがスクールライフに光を見出すことになったきっかけ――浅川恭介は、間違いなくオレの『盟友』と呼ぶに相応しい少年だった。

 お前となら、理解できるような気がするんだ。まだ見えない何かに、辿り着けるような、気がするんだ。

 浅川恭介――――。

 人の心に温かさがあると言うのなら、いつかオレに教えてくれ。

 オレもいつか、お前を見つけてみせるから。

 そして、変わることのできたオレが、必ず受け入れてみせるから。

 

 ――――『白い』タンポポ。

 

 その花言葉は、『私を探して、そして見つめて』だ。

 




今話は入学日の出来事を描きました。

基本自分は思いつきで進めているんですけど、原作では自己紹介の利便性を証明できない証拠だった清隆が、自分を友達の意義を証明する証拠として語った場面は、いい対比になったんじゃないかなと思います。因みに、コンビニ前での会話が、今後鈴音が二人にある程度接したり、悩んだりする伏線になっていたりもします。

おまけに、オリ主のルーツに繋がる伏線もこの時点で三か所くらい含めています。主に清隆が疑問を抱く場面ですね。そこら辺は今後の彼視点の話で纏める予定です。

オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)

  • 止まるんじゃねぞ(予定通り,10話超)
  • ちょっと立ち止まって(せめて10話以内)
  • 止まれ止まれ止まれ…!(オリだけ約5話)
  • ちょ待てよ(オリキャラだけ,3話)
  • ムーリー(前後編以内でまとめて)

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