338話 モルテールン夫妻の会話
陽だまりの陽気に包まれる麗らかな午後。
陽気さに心を移せば、つい瞼が重たくなってきそうな好天。
モルテールン領ザースデンの領主館では、モルテールン子爵カセロールが妻と向き合っていた。
普段は領主代行として辣腕を振るう愛息子ペイストリーが出張中。王子殿下率いる外交使節団で、乞われて補佐をしている。
また、領主たるカセロール自身が国軍の仕事をせねばならない事情から、現在はアニエスが領主代行としてモルテールン領の政務を行っているのだ。
勿論、不慣れな仕事であることは承知の上のことなので、彼女の父が補佐に就いている。
何事もなければ取りあえずは回るだけの体制のはずなのだが、そこはモルテールン領のご事情。常日頃から何かとトラブルの多い領地なので、定期的に行う報告連絡相談のホウレンソウは大事であると、カセロールは貴重な休みを潰して妻と仕事の話をしていたのだ。
ブラック企業も真っ青な休みなしの毎日ではあっても、まさか妻に全てを任せっぱなしという訳にもいくまい。
トラブルメーカーでありながら、任せておけば必ず結果を出す息子が如何に助けとなっていたのか。
カセロールは改めて悪戯坊主の優秀さを考えつつも、妻の話を聞いていた。
「では、今のところ問題は無いんだな」
「ええ。ペイスちゃんがしっかり準備しておいてくれたみたいよ」
モルテールン領は周辺を見渡しても、或いは神王国全土を見回しても、どこよりも先進的な政策を数多く行っている。
例えば裁判制度。
モルテールン領に居る人間は、例え他所の領民であっても公平な裁判を受けることが出来る。
他の領地では、自領以外の人間はまともに裁判されないことも普通のことなので、これはかなり珍しい制度だ。
そもそも領民から税を集めて領地の運営を行っている領地貴族にしてみれば、税金もまともに納めていない人間など庇護の対象ではないと考えるのが普通。自分たちの領民と他所の人間が揉めたなら、ことの是非を問わずに領民の方を優先するのが当たり前だ。よその土地の人間でも平等に庇護するモルテールン領は、ある意味で不合理な対応をしているようにも思える。
しかし、公平な裁判を誰でも受けられる土地には、他所の人間が安心して足を運べる。もともと辺境の土地柄故に人を集めることに苦労していたモルテールン領は、制度を整えることで他所からも人を集める方針を取っているのだ。
結果として外部から色々なものが集まった。人、物、金、情報、そしてトラブル。
人が集まれば金も情報も集まるというメリットが有る反面、トラブルは天井知らずで増える。治安の悪化も起きやすい。
常に領政には気をつけねばならぬと、カセロールはアニエスに念を押した。
「ペイスの置き土産は、機能しているのか」
「それはもう。流石はペイスちゃんね」
息子は天才である。
アニエスもカセロールも、親馬鹿の名を
自分たちでは思いもよらないことを思いつき、自分たちでは考えもしないことを考え、自分たちではやらないこともやるからだ。そして結果を出してきた。
その分、騒動に巻き込まれることも多いのだが、優秀さに疑いようは無い。
昨今、ペイスが出張するにあたって用意していたのは『情報提供への謝礼制度』である。
自分がいなくなり、また父親が軍務に手を取られるであろうことを見越し、政務に不慣れな母でもトラブルへの迅速な対応ができるよう、整備していった。
この制度は、犯罪阻止や不正防止に効果があると思われる情報を提供した人間には、身分を問わず一定の報酬を出すというもの。
若手の一人を専門の担当官に抜擢したうえで、諸々の情報を広く集めるように整備したのだ。
この制度を導入した当初は、いい加減な情報で報酬を騙し取ろうとする人間が発生したり、
ところが、蓋を開けてみると意外なほど有用に働いたのだ。
いい加減な情報で金を騙し取ろうとする人間は、確かに出た。それはもう大勢。
しかし、同時にそれらの不埒ものに注意するような情報も寄せられたのだ。
相互監視がうまく働いたのだろうし、あいつだけ不正していい思いをするのはけしからん、と考える正義感の強い人間も居たということだ。或いは楽して儲けようとする輩への嫌悪感か。隣の人間が悪いことして金を稼いでいて、それをチクれば金が貰えるとなれば、喜んで情報提供する人間というのは居るのだ。
ましてや、他所から流入してきた連中に対して、元々居た人間は厳しい目を向けがち。
いい加減な話で金を貰うと、周囲から情報が洩れて捕まる。不正を行うと、不正者そのものが金に換えられるわけだ。間抜けな人間はペイスが居るときに根こそぎ捕まった為、アニエスに交代した時には既に綺麗な情報が多く寄せられる体制に変わっていた。
勿論、情報提供者自身が本気で信じ込んでいるガセネタは減らない。しかし、ガセネタというのは注意していればすぐにガセと気づけるものが大半だ。
どこそこで幽霊が出たであるとか、スパイ同士が争って何百人も死者が出たであるとか、見慣れない子供が製菓原料を買い込んでいましたであるとか。
ちょっと考えればすぐにガセか、有益な情報かは分かる。
アニエス自身の慣れもあり、領内のトラブルはかなり素早く動けるような組織になっていると、客観的に評価する二人。
「外から来る人も、最近は増えているのね」
「結構なことだ。人が寄り付かずに困っていた昔を思えば、人が集まりすぎて起きる問題など苦労しがいのあることだろう」
「言いたいことは分かるけど、少しぐらい手伝って欲しいわ。あなたの体はあかないのよね?」
「そうだな、軍の方もかなり忙しい」
カセロールはカセロールで、国軍の駐屯部隊の指揮に忙しくしている。
中央軍第二大隊。精鋭で鳴らした国軍の、更に最精鋭部隊との呼び声も高い。
目下の任務は、ヴォルトザラ王国と国境を接するモルテールン領を“軍によって安定せしめる”ことで使節団の仕事を補佐すること。
必然、無駄に大げさな“治安維持活動”や“訓練”の日々が続いている。
ここで軍がだらしない所を見せると使節団の足を引っ張りかねないので、気の抜けない日々が続いていた。
「今日みたいなお休みは珍しいの?」
「ああ、今日は特別に無理を言って半日だけ休みを取った。色々と、上の方が動いているらしくてな」
そもそも、モルテールン領に部隊が駐屯していて、かつカセロールがその指揮を執っているのは、政治的な意図が多分に含まれているから。
狙いは幾つもあるし複合的な要因が絡む話ではあるが、目的は大きく三つ。
一つは、ルニキス王子殿下が外国に親善大使として出向くにあたり、その補助戦力とするため。
モルテールン領は、王子の出向くヴォルトゥザラ王国とは地続きで繋がるお隣さん。
ここに精鋭部隊を配置しておくというのは、無言のプレッシャーを与えることになる。王子殿下に何かしら不測の事態が起き、軍事力が必要な状況となった場合、【瞬間移動】が使える魔法使いが、精鋭部隊を率いて傍に居ることは何とも心強いではないか。いつでも駆けつけることが出来る。
だが、これは同時に、部隊を常にいつでも即応出来る体制のまま維持し続けねばならないことを意味する。カセロールが休みを取れない理由がこれだ。
もう一つは、外交カードにするため。
王子殿下は、部下として多くの実務担当者を連れて行っている。彼らを遊ばせておくはずも無いので、通商交渉であったり、安全保障交渉であったりという、外交も行う。
王子殿下がメインであるからには、余程に大きな交渉はしないと思われる。王子殿下がトップで表に立っているのに、交渉が決裂するのは拙いし、何より交渉が荒れてトラブルでも起こせば王子の失態になるのだ。穏便に、控えめな交渉になるはず。
だが、それでも重要な交渉事もありうる。王子という、神王国のトップに限りなく近い権力者がトップダウンで物事を決められるからこそ出来ることもあるのだ。この場合、交渉をまとめれば王子としては箔がつく。
交渉というのは、自分たちの都合を押し付けるものではない。お互いに要求をぶつけ合い、妥協点を探るもの。ならば、交渉の手札は多ければ多いほど神王国の利益になる。
第二大隊をすぐ傍に張り付けてプレッシャーを与えておいて、この圧力の緩和をカードにするぐらいは交渉の初歩だろう。
手を出さないと約束する代わりに、幾ばくかの便宜を図れというのは、やって損の無い交渉である。相手が少しでもヘタレれば、こちらは特に何もせずにタダで儲かる。
これもカセロールが休みを取れない理由だ。
そしてもう一つは、重要人物を動かすため。
誰あろう、モルテールン家のペイストリーだ。
モルテールン領の領主代行として八面六臂の活躍を見せる若き英雄を、王子としてはどうしても連れて行きたかった。また、王子の護衛として初の外征に挑む第一大隊長スクヮーレも同じく、絶対に成功させたいからとペイスの力を欲した。
そこで、カセロールをモルテールン領に置き、ペイスが領地を離れても何とかなるであろう状況を用意したのだ。
つまり、カセロールが休みを取れない理由だ。
総じて、カセロールが恐ろしく忙しくなる以外は、大いに利益のある対応。
宮仕えの悲しさというのだろうか。第二大隊長という立場から、カセロールは毎日働きづめである。
世が世なら、労働基準法に抵触するだろうが、この国にそんなものが無い以上、有能な人間が便利に使われるのは仕方のない話なのだろう。
このカセロールの忙しさは、ずっと続くのか。
いや、そんなはずも無い。
彼には、希望があった。
「あいつも、そろそろ戻ってくる頃だろう」
それが、息子の帰還。
そもそもが王子殿下の使節派遣に伴う臨時的措置が今の状況を生んでいる。ならば、それが終われば平常に戻るはず。
ペイスが領地運営に戻れば、カセロールは即応体制の大隊運営からも解放される。
早くその日が来てほしいと、切に願う大人二人。
「ペイスちゃんも、頑張っているのよね」
「報告ではそのようだ」
カセロールは、大隊長としてかなり機密度の高い情報も入手することが出来る。
隣国でペイスがどのように過ごしているかも含めて、相当に細かい部分まで把握できるのだ。
相当に離れたところに居るはずなのに、モルテールン家への経済的敵対行為を察知し、それを防ぐべく暗躍する程度は序の口。
気を抜けば、文字通り国を滅ぼしかねないトラブルメーカーである以上、ペイスの行動を報告させるのは、半ば義務のようなものだ。
その甲斐あってか、今のところはペイスも大人しくしているという話であった。
誠実に王子殿下やスクヮーレ第一大隊長の補佐をしている間は、頑張っていると評価してもいいだろう。
「無事に戻ってくれるといいけど」
アニエスは、母として息子を心配する。
常日頃からハチャメチャで、大人を振り回し、面倒ごとを量産している息子ではあるが、お腹を痛めて生んだ我が子であることに違いはない。
外国というモルテールン家の力の及ばないところに居る子供が、万が一にも害されることが無いよう願うのは、母の愛であろう。
「ペイスのことだ。心配は要らんよ。きっと無事に戻る」
無事に戻ってきて欲しい。
親としては可愛い我が子の身を心配するのは当然である。
だが、カセロールは自分の言葉に一抹の不安を覚えた。
ペイスが、五体満足で戻ってこられるかどうかを心配したのではない。
きっと、無事に戻る。だが、もしかしたらと思うのだ。
余計なトラブルまで持ち帰ってくるのではないか、と。
「戻ったら戻ったで、またお菓子だスイーツだと騒ぎ出すだろうがな」
両親は、揃って笑顔を浮かべるのだった。