アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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今回の話もそうですが、tipsは全て話の中身からどの時系列の出来事なのかがわかるようになっています。さてさて、今回は一体いつのお話なのでしょうか。


椎名ひより――独りじゃ読めないモノ

 放課後の図書館。

 静寂が優しく身を包み安息をもたらす、言わば『聖域』。

 薔薇色の高校生活を望む青二才は安易には立ち入らないため、一際その神聖さが漂っている。

 清潔を絵に描いたようなその空間は、麗しい銀色の髪をかきあげ物語の世界を堪能する少女――椎名に十分すぎるほど似合っていた。

 儚い容姿は間違いなく異性の心を惑わすに値するものであったが、そもそもそのような相手がいないこの場所において、彼女を振り向く鬱陶し気な視線も存在しない。

 かれこれ小一時間同じ体勢のままでいるが、今の彼女にとってそれは何ら苦に感じないことだった。

 ――――ふと、空気の揺れる気配を感じる。

 決して彼女が敏感だからではない。寧ろ周囲への意識が酷く疎かになっていた彼女ですら気付けるほど、ここに「人が来る」という変化は至極わかりやすいものなのだ。

 数えられる程度の人数しかいない館内を遠慮なく、しかしそれでも慎ましさの窺える足音が木霊する。

 それがこちらに近づいていくに従って、ああ、今日も彼は来てくれたのかと小さな期待が膨れ上がる。

 間もなくして、その時は訪れた。

 

「おー、いたいた」

 

 間延びした第一声を聞き、ようやく椎名は顔を上げ、彼の名前を呼んだ。

 

「こんにちは、浅川君」

「久しぶり」

 

 「一昨日会ったばかりですよ」浅川はゆったりとした動作で自分の隣に腰を下ろす。本はまだ取ってきていないようだ。

 

「よくここだとわかりましたね」

「他の席に座った試しがあったかい?」

「浅川君が困ってしまうかと思いまして」

「気にする間柄でもないさー。新鮮な景色にご興味は?」

「ここがお気に入りなんです」

「なら僕のためじゃないじゃない」

「理由は一つとは限りませんよ」

 

 出会い頭の砕けたやり取りに満足したのか、浅川は肩をすくめ徐に立ち上がった。

 「本を選ぶんですか?」問いかけると、彼は短く答える。「うん」

 

「選んで来れば良かったでしょうに」

「今日は趣向を変えてみたくてね。君が読んでいる物を見て決めるつもりだったんだ」

 

 何とも彼らしい博打だ。そう思った。

 なぜなら自分たちは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。今回に限らず今までもそうだ。つまり、彼がここへ来た今日自分がいなかった可能性もあったのだ。

 にも関わらず先の発言。打算も無しにするとは大した度胸。

 ただ、気の向くまま、何となく面白そうだという胸高鳴る予感に従うその姿勢は、彼に相応しい奔放さに思えた。

 しかし、たった一つだけ浮かんだ疑問を、彼女は口にする。

 

「それでは結局、同じ枠組みの物が選ばれませんか?」

 

 自分が読んでいるのは例の如く推理小説。こちらにインスパイアを受けたところで、ミステリーというジャンルからは抜け出せないのではなかろうか。

 予想はしていたが、彼は首を横に振った。

 

「実はジャンルは決まっている。決まっていなかったのは『誰にするか』だよ」

 

 伝わっただろうと言わんばかりに、彼はそれだけ残して行ってしまった。

 「著者」、ということでしょうか。

 本に纏わる「誰か」と言えばそれくらいしか浮かばない。きっと合っているはずだ。

 にしても、彼のそういう「雑な信頼」のようなものは、なかなかに独特だ。

 あわよくば意図が伝わらなさそうな遠回しな言動が多いものの、なんだかんだでギリギリ理解できるラインは毎度超えない。狙ってやっているのなら何とも器用なことだ。

 そして同時に、自分と彼が少しでも心の距離を近づけられているような気がして嬉しくもあった。将又、この心情も彼に上手い具合に引き出されたものなのだろうか。

 そんなことを考えていると、件の少年は新書を両手で大事そうに握りながら帰って来た。女子にも引けを取らない愛らしさが滲んでいる。

 

「いやー、やっぱここは品揃えが豊富ですなー。こんなものまで」

 

 そう言って見せてきた本の表紙には、椎名の知らない題名が載っていた。

 しかしその著者の名前を、彼女はよく知っている。

 

「『詩の原理』……?」

「君がマリー・ロジェを読んでいるのを目にしてね」

 

 正確な邦題は『マリー・ロジェの謎』。作者はかの有名なエドガー・アラン・ポーだ。推理小説の原型とも呼ばれる『モルグ街の殺人』から続く続編であり、現実に起きた殺人事件を扱った世界初の作品である。彼は金字塔博愛者なのかもしれない。

 それはさておき、椎名は『詩の原理』などというタイトルのミステリーを読んだことがない。もしや自分の探求眼から逃れてきた隠れた名作というやつなのだろうか。

 

「どういったあらすじなんですか?」

「あらすじ? あらすじかー……」

 

 何やら困った表情をする浅川。頓珍漢なことでも言ってしまっただろうか。

 刹那の思案の後、彼は口を開いた。

 

「タイトルの通りかなー。詩の本質とは? 美とは何か? 価値のあるもの、ないものはどれか? 端的に言えば、教訓主義なんざクソくらえって代物さー」

 

 またでた。イマイチよくわからないが、およその言いたいことは伝わってくる。

 少なくとも彼が宣言していた通り、それは決してミステリーという作品群には該当しない。

 哲学的な問答が繰り広げられるそれは、まるで――

 

「論考、のようなものですね」

 

 自分とはあまり縁の無い世界だ。推理小説一筋を貫くつもりではないが、ストーリー性のないものには全くといっていいほど手を出したことがない。故にその本について知らなかったのは当然の帰結であった。

 

「浅川君はやはり、そういう類のものに興味があるんですね」

「まあね。同じ事柄について他人がどう考えどんな答えを出すのか。身近な人間にでさえ気になるのだから、世界に名を轟かせる才人の思考に好奇心を抱かないなんて粗末な話があるわけないだろう?」

 

 どうということのない問答、のつもりだったが、彼は次に「ん?」と愁眉をつくる。

 

「やはり? よくわかったねー。僕がそんなセンチメンタルな人間に見えたかい?」

「見えますよ?」

 

 彼は表情を困惑から驚愕に変える。

 どうしてそこまで驚くのだろうと思いつつ、彼はそういう男だったかという感情も伴って芽生える。

 

「伊達にあなたの友人をやっていませんから」

「あー……そうかい。いやはや、参ったなー」

 

 そう言って冷や汗と頭をかきまくる浅川のことを呆れ半分、微笑ましさ半分で見つめる。

 初め彼は、とても感受性が豊かで、他人の心に理解を示せる人間だと思っていた。寂しがっていた見ず知らずの自分に、ああも優しく手を差し伸べてくれたから。

 しかしどうやら、それは思い違いだったのかもしれない。と、最近そう思うことが増えてきた。

 躊躇いなく隣に座った彼――このアングルの彼にももう大分慣れてきた――は性別に似合わないその長い髪を弄んでいる。

 

「何か君に言い返せることがあるとするならば、僕はそんな自分のやわさを許容できるほど器の大きい人間じゃないってことくらいかなー」

「なら、どういった表現が適切だと思うんですか?」

「うーん、夢幻論者(ロマンチスト)、かな? いや、適切ってなると、平等主義者(リベラリスト)か。ああ、これもしっくりこないな。何だろう……」

 

 必死に脳内で検索をかけ続ける浅川は、普段と打って変わってしかつめらしい表情だ。

 先程晒した間抜け面や随分と調子の良いジョークを披露する彼とは違い、単なる繊細さだけではない何かを感じられる。

 彼は自分のことを語る時、決まって重苦しく思案する。まるで語れないことこそが自己喪失だと捉え、そうなることを恐れているかのように。

 あるいは、この時間の中で彼は自分が何たるかを探し出そうとでもしているのだろうか。

 椎名が浅川への印象を改めるべきかと思い至ったのは、その違和感が無視できないところにまできてしまったからだ。

 故に――わからなくなる。彼が何を考えているのか。どういう人なのか。何を、見ているのか。

 ……もしや、彼自身にもわかっていないのでは? なんて馬鹿げた考えまで浮かぶ始末。

 ただ、それほどまでに彼のことが不思議だった。

 こんなにも、知りたいと思っている。

 しかしまだ、自分は彼のことを何一つとして知らない。それくらいのことに気付けないほど、彼女は鈍感にはなれなかった。

 

「――『ペシミスト』」

「え?」

「んん、これだ。強いて言うなら、僕はペシミストだね」

 

 満足げ、とまではいかないものの、やっとこさといった表情で彼は言った。

 ぺミニスト。聞き馴染みはないが、確かそれは――

 

「悲観主義、ですか?」

「ご名答」

 

 「その心は?」彼のことを掘り下げるべく尋ねる。

 返って来たのは、予想通りあまりに抽象的な回答だった。

 

「どうやっても重力には勝てないものだよ」

「はあ」

 

 本を取りに行った時と同じく、もう十分だとでも言うように、彼はこちらに向けていた顔を戻した。

 こんな具合にヒントのようなものは与えられるのだが、肝心な答えが見出せない。嘘を嫌う彼のことだから、きっと重要な鍵にはなっているはずだ。

 しかしどこか、分析する上でのパーツがいくらか欠けているような気もする。差し詰め推理させる気のない推理小説のような歯がゆさだ。

 このままでは一向に彼を理解できない。近づくことができない。そんな友人関係はさすがに哀しすぎはしないだろうか。

 そうして生まれた気概が、彼女を一歩進ませた。

 

「――なら、私も読んでみましょうか」

「え? 読むって、こういうのを?」

「はい」

「へー、よもやよもや、君も新境地を開拓とは」

 

 君『も』、という表現が引っ掛かるが、今は別段追及することでもない。

 基本ミステリーにしか関心を向けない椎名から飛び出た発言に、浅川は思わず目を剝いた。

 

「折角ですから、本で繋がることのできた友人が好んでいるものにくらいは触れてみたいなと思いまして」

「なるほど、そいつは結構。なら手始めに何を読むんだい?」

「あまり明るくはないので、浅川君が読んでいるのを終わったら私にも貸してください」

 

 「いいね」嬉しそうに彼は言う。

 彼の好きなものに触れることで、今まで見えてこなかったものが少しでも見えるようになるかもしれない。本には人の内面が映るのだとしたら、読む人にだって通じている何かがあるはずだ。

 それは純粋な優しさだろうか。人間特有の儚さだろうか。それとも、もっとおぞましい何かだろうか。ぺミニストを自称した彼ならあり得るかもしれない。

 いずれにせよ、読まないことには始まらない。それが自分に最も向いているやり方だ。

 今日も穏やかな時間が過ぎていく。

 一日の中で最も愛すべき一時が流れていく。

 それを誰かと共に経験することの悦びを、以前の彼女は知らなかった。

 今では、その相手が彼で良かったと心から思う。

 ――――もうあまり、時間は残されていないのでしょうが。

 不安はあった。そう遠くない内に起こる悲劇。この高校特有の、残酷なまでの隔たりとなる壁が生まれる予感が。

 それでも、終わりの時まで、ただ隣にいることを望んだ。

 識ることを、望んだのだ。

 彼に対して過る『疑念』も、自分の中で芽生えつつある『ワガママ』も、全てを呑んで。

 恩義に準じて、彼女は彼に()()()()

 

「――それでさ、実は今日うちのクラス、水泳があったんだよ」

「私のクラスもありましたね」

「そっか、上手く泳げた?」

「いえ、カナヅチというわけではないのですが……浅川君は?」

「泳げるよ。運動はそれなりにできるんだ」

 

 やんわりとした表情をする彼に、ありがとう、と心の内で呟く。

 彼と出会えなければ間違いなく読めなかったものを、読みたいと思わせてくれたから。

 




これから少しずつ、椎名のオリ主への印象の変化が明かされていく予定です。彼女、実は意外と拗らせちゃってるんですよね。本編では最近露わになり始めていますけど。

オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)

  • 止まるんじゃねぞ(予定通り,10話超)
  • ちょっと立ち止まって(せめて10話以内)
  • 止まれ止まれ止まれ…!(オリだけ約5話)
  • ちょ待てよ(オリキャラだけ,3話)
  • ムーリー(前後編以内でまとめて)

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