アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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※物語の都合上、五話と十話で描写の修正を行いました。
(五話:『連絡先「堀北鈴音」の入手』を追加 十話:二人目の連絡先→三人目の連絡先)

※章タイトル変更しました。

最初は展開の遅さを気にしていましたけど、ここまでなのは今までなかったよなって思ってからは、まあ新しくてアリなのかなってことで、この調子で続けることにしました。気長に楽しんでくれると嬉しいです。


美しく強かな蒲公英であれ(後編)

 鈴音と挨拶を交わしつつ一緒に席に着く。

 

「元気かあ鈴音?」

「え、ええ。私は大丈夫だけど、浅川君の方こそ酷い目をしているわね」

「……僕そんなヤバい目になってるの?」

 

 清隆が鋭いというだけではなかったのか。確かに夜更かし自体初めてだったからな。存外僕の肌には合わなかったみたいだ。ちょっとした背徳感のようなものがあって楽しい気持ちもあったのだが、これからは不必要にやるのは控えよう。

 

「いんやあ、最近の目まぐるしい日々に疲れちゃったかなあ」

「大して忙しくないでしょう。最近と言ってもまだ三日目じゃない」

「じゃああれだ、新生活に慣れてないんだろうなあ」

 

 ついつい軽い冗談が飛び出してしまったが、早速本題に移らせてもらおうか。

 

「まあ僕の体調は置いといて。昨日は何かあったのかい? 清隆から聞いたぞ」

「聞いたのなら私の口から話すことは何もないわ」

「詳しくは教えてくれなかったぞ」

 

 事実を述べると、鈴音は清隆の方をキッと睨んだ。おお、ヤンキーのガン飛ばしすら生温く感じそうだ。

 

「綾小路君……」

「酷いよなあホント。言われてるぞ清隆」

「べ、別に悪戯心があったわけじゃない」

 

 ならば一体どんな意図があるというのか。悪気でもなければこんなマネしないのでは?

 

「オレが恭介に全部話してしまったら、お前たちは気まずいままになってしまうかもしれないと思ったんだ。一度しっかりと二人で話をするべきだろう」

「いやそれは――まあ、確かに、そうかもしれなくもなきにしも非ずだが」

 

 そんなことはないと言いたかったが、彼の言う通り、鈴音への説得も僕への事情説明も一から十まで清隆が担ってしまったら、僕と鈴音が真面な会話のできるタイミングがなかったかもしれない。面と向かって話す機会を用意してくれたのだと捉えれば、清隆なりな気遣いだったという風にも納得できる。

 

「説明自体が面倒だったという線は?」

「お前じゃないんだ。別にクラスで目立つようなことでもなければ、オレだって積極的に動くさ」

「揶揄って悪かった。ディスらないで」

 

 皮肉籠ってたなあ。意外と引きずるタイプなのかい? 一番親しい君にまでそんなことを言われてしまったら、この学校で僕を肯定してくれる人は一体どこにいると言うんだい。

 

「――まあ、そういう話らしいから、できれば教えてくれないかあ、鈴音」

「……仕方ないわね。今までの状況からあなたにだけ伝えないのも、筋が通らない気はするから。だけどそんな大層な話でもないわよ」

「ん、おなしゃす」

 

 鈴音が軽く襟を正すのを見て、僕も少し気を引き締める。

 

「清隆が言うには、今月辺りは静観する方針に変えたらしいじゃないかあ。どういう風の吹き回しだい?」

「昨日、綾小路君から電話があったのよ」

「電話? 一体全体どんな話をしていたんだ」

「それは――」

 

 続きを促すと、鈴音は昨晩のあらましを語り始めた。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 耳元で響く無機質な呼出音。六回目の途中でそれは途絶えた。

 

「もしもし、鈴音」

『……』

「鈴音?」

『…………』

「えーっと………………」

 

 早速沈黙が流れた。つい先程の虚しい音色でさえ若干恋しくなる。

 

「あー、悪かった。あの時は、その、少し熱くなってしまったんだ。変なことを言ってすまなかった」

『……用件は』

「え?」

『用件は何かしら。手短に』

 

 ぶっきら棒な応答。やはりまだ不機嫌は治まっていないようだ。出直すべきかとも考えたが、思い立ったが吉日。また足を引っ込めてしまう前にと、話を続けることにした。

 

「Sシステムのことについてだ。オレの考えを話したい」

『面倒だから動かないのでしょう? あなたたちの腐った性根はもうわかったから』

「まだ言っているのか……。あれは御託を並べていただけだ。建設的な理由もある」

『後付けの言い訳でも思いついたの?』

「後でも前でも大して変わらないだろう。言い訳だって事情説明であることに変わりないしな」

 

 いつものように簡単にへたれて退くわけにはいかない。やっと踏み出せた一歩を大事にしたい一心で、綾小路は食らいつく。

 

『……一応聞くわ』

 

 一時の間を置いて、堀北は了解の反応を示した。

 僅かでも自分たちのことを認めてくれているのだろうか。昨夜の浅川との議論が少しでも実を結んだのかもしれない。

 堀北の考えが変わらない内に話してしまおう。

 

「まず――」

『待って』

 

 と思ったが、口を開いたところで堀北に遮られてしまう。

 

「まだ何か問題が?」

『どうせなら、会って話しましょう。長くなるかもしれないから』

 

 ……真面目なやつだ。

 自分に関心のあることなら正面から向き合おうとするその姿勢は、綾小路も尊敬していた。機嫌が悪くとも根はブレない彼女に少し顔を綻ばせる。

 

「わかった。そんなに会いたいのなら会ってやる」

『馬鹿ね。あなたが窮して途中で逃げ出さないようにするためよ』

 

 こういう可愛くないところもブレないのは考え物だが。

 

 

 

 

 

「まず前提として、オレは平田にも櫛田にもこの件を伝える必要がないと思っている」

「怠慢、ではないのよね?」

「ああ」

 

 寮から少し離れたベンチで、二人は落ち合った。

 自販機で選んだのが揃って無料のミネラルウォーターだったので「なんだかオレたち気が合うね」と冗談でもかまそうかとも思ったが、今回は彼女の御機嫌取りを優先することにした。

 

「お前の目標は、学校から高い評価をもらうことなんだよな?」

 

「ええ、そうよ。私たちの推測が正しいのなら……きっと実力順でクラス分けがされている……」

 

 言葉が語尾につれて弱々しくなっていくのを黙って聞く。

 学年ごとのクラス分けがないことや、たった二日間だけでもわかる程にクラスメイトが他クラスよりも態度が悪いことから、自分たちDクラスが底辺であるというのは堀北の中でも事実として定まりつつあるはずだ。過去の彼女を知っているわけではなかったが、今までとは打って変わってそんなお粗末な評価をもらったことが、未だ認めがたいのだろう。

 

「そうだな。そして恐らく、定期的にクラス変動が起こるはずだ。先生はこれからもオレたちを実力で測ると言っていた。基準はやはりポイントの支給額が主だろう。差し詰め、クラス対抗戦、といったところか」

「そうね。だからこそ早くに手を打って――」

「鈴音、()()()()()()()()んだ」

「え……?」

 

 割って入るような発言に堀北は呆然とする。

 

「この戦いは三年間も続く。今勝ったところで、うちのクラスは勢いづくより有頂天になる可能性の方が高い。その後負けても『最初は上手くいったんだから次は勝てるだろう』という楽観的思考が残り得る。現にシステムに疑問を抱いている生徒すら真面にいなかった」

 

 能天気でないのは精々クラスのリーダー格である平田や、真面目で学力も高そうな幸村辺りだけだろう。彼らにしても、答えを見出せずに「疑問を疑問のままにしてしまっている」はずである。

 綾小路は、今よりずっと先の「結末」を見据えた見解を鈴音に伝える。

 

「最後だ。最後にオレたちが勝者であるために、最初に勝つことは推奨できない」

 

 彼の結論に、堀北は顎に手を当てて考える。

 

「……あなたの言いたいことは分かった。でも、ヒントを与えるくらいならしてもいいのではないかしら」

「と言うと?」

「平田君にお願いする時に、システムのことを隠して注意するようにしてもらうのよ。それで変われたら、Dクラスにはもっと可能性を見出すことができる。変われなかったとしても、平田君はよりリーダーとして認められるし、彼の中での私たちへの信頼も上がる。違う?」

 

 堀北の意見もまた、至極筋が通っていることは理解していた。しかし、それを容認するわけにはいかない。

 彼の真の目的は、S()()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

「確実性がない。平田の性格からして、勝手なお節介で全部話してしまうかもしれないだろう。あいつがクラスのリーダーであってもオレたちとの信頼関係が皆無な現状では、何をしだすかわからない。――それに、これは全く根拠のない憶測だが、クラスが手遅れになるまで平田は危機感を抱かないと思う」

「どういうこと?」

「今知らせても、平田自身が事の重大さを理解できない可能性もあるということだ。あいつはどこか盲目的に身内を信じようとするような、過剰な平和主義が感じられる。見ず知らずのオレたちからの警告なんだ。下手したら、ポイントの支給がゼロになる程に減点されるまで、厳格な注意をしないかもしれない。そういう意味でも、態々お前が今動くことでのメリットは薄い」

 

 一番の利益になるはずのポイントさえ大して獲得できないのであれば、恩恵は激減する。

 今様子見をするメリットを唱えるのでなく、今行動するメリットがないことを主張することで、彼女の説得を試みた。

 堀北は何も言わない。彼の言葉を一つひとつ噛み砕いている。

 その様子を横目に、綾小路はダメ押しに掛かる。

 

「お調子者な奴らは、一度どん底に突き落とされた方が、きっと真面目な顔をして立ち上がれる。過剰にプライドの高い生徒もまた、反省する機会になるはずだ。小遣い0の生活は辛いものがあるだろうが、ホームレスじゃないんだ。最低限の生活は学校側が保証してくれるはずだから問題はない。平田にリーダーとしてより重い責任感を持ってもらうためにも、寧ろこの腕試しで一思いに惨敗を喫しなければ、曲者揃いのDクラスは一つになれない。オレたちは必ずどこかで崩壊して、負ける」

 

 「負ける」。その言葉を最後に、長い沈黙が流れた。目を閉じて思考を巡らす堀北に、綾小路は生唾を飲み込む。

 一分程が経過しただろうか。いや、本当は十秒程度だったのかもしれない。それだけ思わせるような緊張感の中、彼女は遂に口を開いた。

 

「……あなたは、意外と人を信じていないのね。平田君のことも」

「会話の一つもしていない相手をどう信じろと?」

「そうね、私も同じよ。クラス対抗でもなければ、死んでも他人を頼ろうだなんて言い出さないわ」

「辛辣だな……意外、というわけでもないか。お前の場合は」

 

 彼女の言葉に要領を得られずにいながらも応えていく。彼女が自分のことを意外だと言うのは、浅川といる時の態度しか見てこなかったからだ。そもそも浅川、堀北、櫛田の三人としか交流のない綾小路だが、自分が他人を簡単に信じるような質ではないという自覚はありつつも、彼女の言葉に反応を示すことはしなかった。

 

「正直な意見ね。コンパス、持ってくれば良かったわ」

「今は取り繕うべきではないと思っただけだ。誠実さに免じて許してくれ」

「そうね。私も綾小路君のことを正直に毛嫌いしているもの。許してあげるわ」

「今の言葉に何一つ納得できる部分がなかったんだが」

 

 意趣返しの如き罵倒も上から目線に許す態度も気に食わないが、このような気の遣わない会話を、綾小路は悪くないと感じていた。決してマゾフィスト的な考えではないが、それが二日間での感想だった。

 

「……一か月よ」

「え?」

「一か月、あなたの言葉に乗せられてあげる。だから、()()()どん底に落ちて、反動をつけて這い上がるのよ」

 

 堀北の真剣な眼差しを見て、綾小路は理解する。

 あなたの言う通りにするから協力しなさい。そう言いたいのだと。

 「仲良く」という部分を強調していたのは、この戦いにお前も参加しろという意味を含んでいるのに他ならない。

 その命令は、事なかれ主義である彼ならば即断っていたはずの勧誘だ。

 しかし今は、主義よりも優先したい「意志」がある。

 ――――目的は達成された。

 

「仲良く、だぞ。決して踏み台にはしないでくれ」

「時と場合によるわね。ちょうど足元をうろついていたら、誤って踏んでしまうかもしれないわ」

「随分と行儀の悪い足なんだな」

 

 軽い応酬を行ってから、堀北が立ち上がった。

 

「そろそろ遅い時間ね。日も暮れてしまったわ。まだ夜は冷えるから、とっとと帰りましょう」

「ああ、そうだな」

 

 彼女に倣ってベンチを離れる。

 顔を上げると、何故か怪訝な顔で見つめられていた。

 

「どうした?」

「……気持ち悪いわね。今度は何が面白かったのかしら」

「え」

 

 間抜けな顔になっていると、彼女は溜息を零して振り返る。

 

「あなたがそんな顔をするのが、少し意外だっただけよ。放課後も急に怒りだしていたから」

 

 思わず自分の顔に触れる。僅かだが、口角の上がっている感触があった、ような気がした。

 放課後の櫛田との会話は、確かに間違っていなかったのかもしれない。

 

「……そうか。あの時はやはり、怒っていたんだな、オレは」

「自我の芽生えたロボットみたいね」

「面白いジョークだな。案外的を射ているかもしれん」

 

 自分の変化に少し気分の上がった綾小路は、堀北の軽口に言い返すことはしなかった。

 その後は、二人共黙って寮へと向かって行った。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「え、じゃあ清隆。君はまさか……」

「ああ、仕方ないが、鈴音に協力することにした。積極的に動くわけではないとはいえ、頼まれたら無理に拒否はしないつもりだ」

 

 なんてこったい。これはたまげたな。一番乗り気でなかったはずの清隆が、まさかこんなにも急に旗色を変えるとは。

 

「……清隆、昨日は何があったんだい?」

「え、いや、今鈴音が説明し――」

「違う、その前だ。君はどうして、鈴音を説得しようと思った? やはり、櫛田か?」

 

 二人の間であった大筋のことは理解できた。しかし、そもそも清隆が彼女の説得に動き始めた動機が判然としない。きっかけになり得るのは昨日の清隆の動向で未だ謎がある櫛田との会話だ。鈴音に関わること以外にも何か話していたのかもしれない。一体どんな話をしていたのだろう。

 

「綾小路君、あなた櫛田さんと知り合っていたの?」

「つい昨日な。お前が先に帰ってしまった後に」

「……何か唆されたりしたのかしら」

 

 鈴音が清隆に疑いの目を向ける。

 自分が信用していない少女と、二人で密会をしていたのだ。もし櫛田が執着心を抱いている相手である鈴音とコンタクトを取っていた場合、清隆が仲介役として近づくために話をしに来ていた可能性を想像しても可笑しくはない。

 

「……確かに言われた。お前と友達になりたいから、力を貸してほしいとな」

「そう、だったの……」

 

 鈴音はどこか悔しそうに俯いた。

 一度でも心を許してしまったことか。まんまと櫛田にパイプを作られてしまったことか。或いは……。

 

「――だが、」

 

 しかし清隆は、それでも言葉を紡ぎ続けた。

 

「そんなことよりもオレは、本当に思っていたことをお前に伝えた。自分の意志で、お前に協力しようと決めた。櫛田が教えてくれたことをしっかりと考えて、俺は、選んだんだ」

 

 盟友の真剣な表情に呆気に取られ、僕は何も言えなくなってしまった。

 ()が、見えたのだ。

 僅かだが、無機質だったはずの瞳に何かを感じた。一瞬、彼の瞳は、確かに灰色ではなかった。

 ――何色、だったんだ。今のは。

 気付いた時にはもう見えなくなってしまっていたため、どんな思いが宿っていたのかを確信することはできなかった。しかしそれで、清隆の心に大きな変化があったのだと察するには十分だった。

 

「それに、既に一度断っているからな。心配要らない」

「……わかった。柄ではないけど、とりあえず今は信じてみることにする。測らせてもらうわ」

 

 「信じる」、普段の彼女から発されることはないと思っていた言葉を聞いて、鈴音もまた何かしら考えを改めるきっかけがあったのだと悟る。

 二人共、僅かだが、確実に変わっていた。前進、と称することができるような変化が起こっていた。

 

「それと――浅川君。あなたも、できたら協力してくれないかしら」

「え? な、なんで……」

「あなたたち二人は、初日からSシステムの違和感に気付き、答えを見出せていたわ。少なくとも、私よりずっと劣っているなんてことはないと思う。周りの不甲斐ない様子を見る限り、少しでも真面な人材が欲しいと思うのは不思議ではないでしょう?」

 

 ……なるほど。鈴音が清隆の意見に耳を傾けたのも、僕らに対する姿勢がほんの少しだけ軟化したのも、多少なりとも認めてくれていたからなのか。

 ……いや、買い被りすぎだ。清隆は兎も角、僕にそんな優秀さはない。所詮は()()()なのだ。

 どうして、君らはそこまで強くいられるんだ。怖くはないのか?

 個人戦じゃない。クラスごとということは、僕らだけの問題ではないということなんだぞ。

 

 ――他人を背負うということを、あんたらは本当に理解しているのか?

 

「……あっははー、まあ考えてみるかなあ」

「ああ。じっくりと決めてくれ」

 

 僕の強張った顔に、清隆だけが気付いた素振りを見せたが、確証を得られなかったのかその場で追及はしてこなかった。全く、聡いというのも時には罪なのかもな。

 

「事情は良くわかった。ありがとうなあ。そろそろチャイムも鳴りそうだし、ちょいとトイレにでも行ってくるよ。清隆もどうだ?」

「え? あ、ああ、そうだな。オレも念のため行くとしよう」

 

 彼はアイコンタクトにも反応し、僕らはトイレに向かう。

 

「……なあ恭介。お前は――」

「ほら、あまりに急だったからさあ。心の準備ができていないのよ。僕、マイペースだから」

 

 盟友が控え目に問いかけようとするのを、誤魔化しの言葉で制した。

 僕個人の問題であって彼は何も間違ったことはしていない。勇敢な一歩を無下にしたくない気持ちは当然あった。だから余計な心配をかけたくない。

 それに今話したかったのは、目下に生まれてしまった問題についてだ。

 

「ダブルブッキング、どうする?」

「櫛田の件か」

 

 今の清隆は板挟みと言えなくもない状況だ。鈴音との仲介を求める櫛田と櫛田を嫌っている鈴音。相反とは言わずとも、二人の申し出を同時に対処するのは梃子摺るだろう。

 これはどちらかが悪いという話ではない。清隆は僕らのために鈴音との一件を隠していたし、僕も鈴音のことを知るために櫛田からのお願いを承ったのだ。善意によるすれ違いだ。

 幸いだったのは、清隆はまだ嘘を言っていないということ。先程の会話でも、彼は櫛田からの頼みを「一度断っている」とは言っていたが、二回目以降どうしたかは言っていない。鈴音はまだ気づいていない様子だったから、一応ブラフは成っているはずだ。櫛田の件も――こちらは偶然かもしれないが――清隆自身が協力すると誓ってはいない。彼女が勝手に話の流れから解釈したに過ぎない。

 だが、本人たちがどう思うかは別問題だ。

 

「……僕がやるしかないなあ」

「大丈夫なのか?」

「大丈夫も何も、昨日約束したばっかなのにいきなりそれは鈴音を裏切ったみたいになるじゃないかあ。僕はまだ答えを出していない。船に乗っていないのなら、寄り道していても構わないだろう?」

 

 僕一人でやったことにすれば、鈴音も櫛田も、違和感や疑問は抱こうとも裏切られたという感覚は薄まるはずだ。これが最適解だろう。

 

「……わかった。櫛田の件はお前に任せる。鈴音の方とは違って、そう長くかかるものでもない。だが、寄り道には気を付けるんだぞ。何があるかわからないからな」

「おう、任されたあ」

「ただ――」

 

 その続きは予想できていた。しかしそれは、僕を茨の道を引き込もうとする、悪魔の誘いだ。

 だけど、やめろだなんて言えない。君は、優しい人だから。僕は、その善意を踏みにじられる程酷い性格に振り切れることすらできなかった。

 

「オレは、お前とも一緒に協力出来たら良いなと思っているぞ」

「……そっか、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

「タンポポって知っているか?」

「何よ突然。新手の侮辱?」

 

 寮へ向かう途中、どこまでも続く沈黙に我慢できなくなった綾小路は唐突に尋ねた。

 

「いや、ついさっき隅で咲いていたのが見えてな」

「同族が見つかって嬉しかったのね。良かったじゃない」

「誰が惨めな陰キャだ」

「誰もそこまで言ってないわよ、本質が顔を出したわね」

「馬鹿にしてはいただろう。なめるなよ、タンポポ」

「タンポポを庇うのね……」

 

 数時間前とは流れるように行われる会話の応酬。

 ――これが青春か!

 俗に言う「良い感じな雰囲気」というのはこういうことを言うのかもしれない。

 少しズレた認識が定着しつつある綾小路だったが、隣を歩くのは恋愛とは無縁の堅物女。哀しいなかな、修正してくれる存在はこの場にいなかった。

 とは言え、タンポポの話題を切り出したのは、何も会話を繋げるためだけではない。

 

「本気で言っているんだ。知っているだろう? タンポポは何度踏み倒されてもしぶとく起き上がる。根さえ残っていれば、何度引きちぎられても花が息を吹き返す。そんな強かな花が、オレたちの入学する時期に合わせて咲き誇るというのは、不思議な因果だよな」

「……案外キザな男なのね。花が好きなの?」

「まあ、ちょっと知っているんだ」

 

 大抵の知識は身に着けているが、今回の事情を話すわけにもいかないので適当にはぐらかして置く。

 

「因みに、花言葉は?」

「『誠実』と『別離』だ。『幸福』というのもあるぞ」

「まるで関連が無いわね。……二つ目は、少し身に覚えがあるかもしれないけど」

 

 堀北は少しと声のトーンを落とし、俯いた。最近のことを憂いているのだろう。

 オレたち三人のことか、将又……。

 浮かんだ二つの可能性。判断材料はなかったため、彼は早々に考えを打ち切った。

 

「他にはないの?」

「ある――が、それは自分で調べてみると良い。兎も角、オレは一つ目と三つ目の言葉を信じてみたいんだがな」

「あら、今度はロマンチストのつもり?」

「知らなかったのか? オレはロマンチストなんだ」

 

 奇しくも盟友と似通ったセリフを吐いた綾小路だが、そんなことは露知らず話を続ける。

 

「誠実に向き合い続ければ、幸せに貪欲であり続ければ、いつかは手に入るんじゃないかって思ったんだ。お前と今日こうして話そうと思ったのは、それが理由だ」

 

 切り捨てようかとも思った。諦めようとも思った。憧れと期待を胸に飛び出した世界で、苦しむ自分が哀れに感じられた。

 しかし、それで得られたものは確かにあった。そしてその兆しが芽生えたのは、他でもない二人に出会えたから。気付けたのは、あの可憐な少女と出会えたから。

 ――出会いの季節、か。良いものだな、「春」は。

 無駄にしてはいけない、一度きりの高校生活。普通とは程遠い学校ではあったが、目指す場所は定まった。

 

「…………浅川君、でしょう?」

「……何の話だ?」

「珍しくわかりやすいのね。彼が考える時間を作るために、態々あんなことを言い出したのでしょう」

 

 反応は最小限に抑えたつもりだったが、驚きを隠しきれなかったようだ。思いの外鋭かった堀北への評価を改める。

 

「わかっていたのなら、どうしてさっきは何も言わなかった?」

「言ったじゃない、『乗せられてあげる』って。彼が悩んだままだと、あなたも気が気ではないでしょうし」

「……悪いな、恩に着る。――なあ、あいつは一緒に来てくれると思うか?」

「さあ、彼次第だと思うわよ。今度私の方からも提案してみるけど」

 

 堀北の提案には素直にありがたいと思った。浅川はどこか理由を欲しがっているようにも感じられたからだ。彼女自身からの誘いは、彼が一歩踏み出す理由の一つとなるだろう。

 自分が堀北に協力の姿勢を見せたのもそのためだった。自分が意見をひっくり返せば、また一つ彼の背中を押すことになるだろうと思ったのだ。

 それにしても――まさかここまで影響されるとは。

 自分の像が壊されていく。あるいは、空っぽの像に中身が埋まり始めていく感覚が、少し嬉しかった。

 

「オレは、来ると思う。あいつはきっと、最後には来てくれる。オレたちならできると思うんだ。オレたちが、良いんだ」

「根拠は――あるわけないわね」

「ああ。これは、オレたち三人の『信託』なんだ」

 

 ――見つかった居場所の中で、確かに結びついていく絆がある。

 そんな予感が、今の綾小路にはあった。

 

「全く、困り物ね。ウジウジしている男は嫌われるらしいわよ」

「そう言ってやるな。お前が兄妹関係や恭介のことで迷っていたように、あいつも自分の納得出来る道を必死に選ぼうとしているということはわかってやってくれ」

「……善処するわ」

 

 堀北は自分の心を見透かされたことに刹那驚いた表情を見せるも、また俯いてしまった。

 お互い無言の時間が続く。しかし、さっきと違いこの時間をあまり気まずくは感じなかった。

 花言葉、か。

 自分から切り出したタンポポの話を思い出す。

 タンポポは英名で「ダンディライオン」と呼ぶらしい。ギザギザした葉をライオンの歯に見立てたのだそうだ。

 美しくも強かな意味が込められているその花に、人知れず敬意を表する。

 ――見ているか。お前が作り上げた最高傑作は、こんなにも脆く絆されようとしているぞ。

 自分は本当に変わったのかしれない。それがこれからを見据える希望となる。

 この先待ち構えているであろう試練の数々に一途の不安は残るが、今は目を瞑っておこう。

 堀北には教えなかった、タンポポの別の花言葉。彼女がこの後調べるのか、そもそも覚えているのかもわからないが、彼は自分の願いをそこに乗せた。

 寮に辿り着くまで、二人は黙ったまま、それでも並んで歩き続けた。

 




清隆が最後に思い浮かべた花言葉、一応本文にわかりやすく書いたつもりですけど、もしわからなかったら調べてみてください。それですぐにわかると思います。

今回は鈴音の変化について説明させてもらうんですけど、これもやはり、原作で認知していなかった存在が本作では初期からいてくれたというのが大きいんですよね。恭介くんもそうですし、清隆も原作よりは苦悩や思考をしています。本文でも若干語られていますけど、考察が早くに進展したのもあって、彼らへの信頼も自分がDクラスになったという自覚も少しだけ芽生えているって感じです。まあ、やっぱりまだまだ認められないんですけどね。堅物なプライドの塊は伊達じゃないということです。

あと三話、いや、保険かけて五話くらいで五月に入る予定です。tips更新は別枠扱いですけど。「くらい」なのでもしかしたら少しオーバーするかもしれません。

オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)

  • 止まるんじゃねぞ(予定通り,10話超)
  • ちょっと立ち止まって(せめて10話以内)
  • 止まれ止まれ止まれ…!(オリだけ約5話)
  • ちょ待てよ(オリキャラだけ,3話)
  • ムーリー(前後編以内でまとめて)

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