アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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前々回以来のオリ主視点ですが、今回で黒い部分を少し出そうかと思ってたのに普段のキャラを忘れるっていうね。おまけに収まらなくて前後編になっちゃいました。

そんなこんなで、遅くなってすみません。では、どうぞ。


美しく強かな蒲公英であれ(前編)

 寮の一室。

 必要最低限の物しか置かれていない生活感に欠けたその部屋で、彼は目を閉じて考える。

 自分の出自――白い部屋のこと、自分が持たされてしまった有り余る能力のこと、自分という人間を作り上げた憎き(かたき)のこと。

 思い出と言うには名ばかりな無色の記憶が甦る。

 そして次に浮かぶのは、空虚な過去を経たその先。

 こんな自分を避けることも見限ることもせず、誠実に向き合ってくれた初めての「友達」の姿が、彼の目には思いの外大きく映っていた。それこそ、自分の中で未知なるものが込み上げてくるほどに。

 それは、自身の勝利だけが絶対であると刻まれていた心にもたされた未だ小さな灯。

 されど、独りで完結されていたはずの世界で他人という価値が芽生えた、確かで温かな福音だった。

 三人で過ごした二日間。そして、クラスの中心人物へと成り上がった優しい少女からの啓示。

 短くとも十分であったその時間が、そっと背中を押す。

 願わくば、これからも穏やかな一時を()()歩めますように。

 いつからか脳裏にこびり付いた呪いの言葉をさて置いて。

 淡い期待を胸に、綾小路は携帯を手に取った。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 欠伸を噛み殺しながら朝支度を済ませる。

 危なかった。昨日寮に着いて椎名と別れた後、気安く読書を始めたらすっかりのめり込んでしまい、深夜に寝落ちする羽目になってしまった。目覚まし、かけておいて良かったな。

 あれは駄目だ。話が面白いくせにあの探偵ばあやの醸し出すまったりさに釣られてしまって通常の三倍のスピードで時間が過ぎていく。しっかり余裕があるときに読むべきだった。

 愚痴っていても仕方がないので、昨日と同じ時間に出られるように急ぐ。清隆をあまり待たせるわけにもいかない。

 昨日は少し情緒が不安定になって避けるような形になってしまったが、昨夜の電話の様子からして杞憂だったようだ。一応独りにさせて欲しいという旨を手短に伝えていたはずだから、変に引きずってやることもないだろう。

 戸締りを確認してから慌ててロビーへと向かうと、案の定彼の姿が見えた。

 

「おはよう。悪いなあ、少し寝坊してしまった」

 

「おはよう。大丈夫か? 何だか目元が青い気がするが」

 

 およよ、鏡を見た時には気づかなかったが、指摘されてしまうほどの変わりようだったのだろうか。我が盟友は今日も回りのことが良く見えている。

 僕らはいそいそと学校へ歩き始める。

 

「白状すると、ちと夜更かししちゃってなあ。まあ心配いらないさあ。いざとなったら好きなことでも考えて授業中は乗り切るから」

「本当に大丈夫なのかそれ……。てか好きなことって、一体何だ?」

「お、それ聞いちゃう?」

 

 敢えて含みを持たせた言い方をしてみる。が、残念なことに全く妙案は浮かんでいない。特にこれと言った物がなかったから少しでも面白くしてやろうと思ったのだが、ご飯どうしようとか、友達少ないなとか、トイレ遠くて面倒だなとか、そんな下らないことばかりしか思いつかないぞ。くそ、もはや自分の存在そのものまで下らないんじゃないか?

 お願いだ、引き下がってくれよ清隆。聡い君なら察してくれるだろう? さあ、言うんだ。「いや、やめておこう」と。さあほら、早く言ってくれ、言って、言え、言えよ。

 

「聞いちゃう」

「おっふ」

 

 聞いちゃうかあ……。もしや悪意があったのではないだろうな? 僕の冷や汗塗れの顔が見えているだろうに。

 兎に角、これで何か面白い返しをしなければならなくなった。ぶっ飛んだ感じなやつ、ないだろうか。

 ……ええいままよ。こうなったらヤケクソだ。派手に行くとしよう。

 

「それは……あー、えーっと。え、えっ、えー……」

「え?」

「え……えっちなこと、とか……?」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「ごめんなあ。軽い冗談も上手くできない僕なんか、ゴミ取りもできない掃除機みたいなものだ……」

「その例えは良くわからんが……お前のせいじゃない。魔が差して揶揄おうとしたオレが悪いんだ」

「やめて、善意が痛い……。君が真面目に悪びれてしまうと自分が余計惨めになってくる」

 

 君に全く以て非はないんだ。そして僕も悪くない。悪くなんか、ないんだからな。

 はあ、合点いかん。やはり慣れないネタはかますものではないな。ソッチ系は明るくないんだよ。

 何だか恥ずかしさで顔が赤くなってきた気がする。暑い暑い。

 

「実際好きなことよりはこれからどうしようかなあって適当に考えているだけだなあ。ぼーっとしていれば時間なんてちゃちゃっと過ぎていくだろう」

「なるほどな。まあ無難にやり過ごせればそれでいいんじゃないか? テストとかで赤点でも取らなければ問題さ。鈴音が何て言うかは心配だが」

「うっ……彼女にコンパスを持たせてはいけないよ。鬼に金棒じゃないかあ」

 

 たかが文房具一つであれほどの脅威になるんだ。ナイフなんか握らせたら百戦百勝の傭兵にでもなれそうだ。体術とかも心得ていそうだし肉弾戦だって遅れは取らないはず。

 おっと。鈴音と言えば、確認しておきたいことがあったんだった。

 

「なあ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、あの後鈴音はどうだった?」 

「どう、とは?」

「なんていうか、その、あれだ。結局平田のところに行ったりはしたのか? 昨日二人で帰ったんだろう?」

 

 鈴音本人に聞くのは少し気が重かったので、清隆と二人きりのこのタイミングで話題に出来たのは幸いだった。

 説明会の後に話をつけに行っていた場合、僕としては随分と消化不良なままで終わったことになってしまう。放課後に自分の感情を優先し過ぎた行動にでてしまったのが祟ったか。

 元はと言えば、僕がウジウジしているのが悪いのだろうけれど。

 

「あー、それなんだがな。実は色々あって、一緒に帰ったわけじゃないんだ」

「あれ、そうなのか」

 

 一緒に帰っていないということは、僕の知らないところで何か一悶着あったのかもしれないな。となると、清隆は昨日独りで帰ったのか。これは悪いことをした。すまない清隆、君が虚しく歩いた帰り道を、僕は新しくできたお美しい友達と仲良く辿っていたよ。

 

「だがまあ、当分は心配要らないと思うぞ」

「何故だい? あの子がそこまで待てのできる少女だとは思えないが」

「説得したんだ。しばらくは動く必要がないんじゃないかとな」

 

 ふむ、あまり釈然としないな。あれほど勇み足だった鈴音をどう説得したら引き下がらせられたのか。詳しいことは省いているのだろうが、話してくれてもよかろうに。

 口下手なコイツのことだからわかりにくい思いやりという可能性もあるな。説明するのは面倒だから知りたければ直接本人に行け、と言いたいだけかもしれないが。

 

「まあ詳細は問わんよ。ありがとなあ」

「礼には及ばん。オレのためでもあったからな」

「君のため? どういうこと……ああ」

 

 また考えなしに答えを求めかけたが、ふと二つの可能性が浮かんできた。

 一つは、彼が純粋にこのギクシャクした関係を修理したかったということ。

 彼とは面倒事嫌いだけでなく人見知りという意味でもシンパシーを感じていたのだ。周りが和気藹々としているのも見ているから、自分が折角築けた関係を悪化させたくないのは理解できる。

 そして恐らく二つ目は……彼自身のことかもしれない。

 これまで接してきて感じるのは、清隆が賢く敏いのは確かなはずなのだが、どうも()()()()()()()()()()()()()()()ということだ。

 簡単な例だと、「複雑な心境」や「矛盾した感情」と呼ばれている状況なんかは、彼にとって理解しがたいものなのだろう。

 他人の心を分析できるということは、その正体を把握しているということ、あるいは()()()()()()()()()()()()()ということだ。

 なら、いざそれが自分の中で起こったとしたら?

 生憎だが、人間そんなにシンプルな生き物ではない。本人ですら測りかねて脈略の無い行動を取るくらいなのだ。もし一問一答ができてしまうのなら、仲違いもしなければ苦悩することもないはずだ。

 今まで一つ事に執着して生きていたり、逆に完全に無頓着で生きていたりした人間は、その処理に置いていかれてしまうことだろう。正体不明な存在には、誰だって怯えるものだ。清隆の場合は後者なのだと僕は睨んでいる。

 その時取れる選択は二通りあるというのが僕の見解だが……それは後に語る機会があるだろう。今の僕には、それを諭す資格が無い。

 まあ、反面教師になれという話ならわからなくもないが。

 

「君も、大変なんだなあ」

「……ああ、そうだな」

 

 清隆を信じるなら猶予が延びたのだ。一時は焦ったが、これならもう少しゆっくりと考えられるかもしれない。

 ――嘘だ。

 僕は不意に立ち止まった。

 ――清隆が心配要らないと言ったとき、どう思った?

 ――本当に有難いと感じたか?

 ――()()()()()()()、これが本心だろう?

 

 誰の声なのだろう。深層心理? 悲観的な側面? いずれにせよ、それは僕に不快感を押し付ける雑音にも近しいものだった。

 不愉快に感じるのは、いつもその声を堂々と否定することができないからだ。

 どうせならあのままで良かった。いつの間にか鈴音がどこかへ行ってしまった方が、未練が生まれる暇もなくて助かったのかもしれない。

 先延ばしされてしまうほど、その決断は、その言葉は意味と重みが増す。清隆のお節介によって、妥協案はほぼ潰えた。

 正直、もうこの悩みについて思案することが()()()()()()()()()()のだ。

 だから、あと少しで楽になれると思っていたのに……。

 間違えたくない。あの時のように何かを背負い込もうとして失敗するのが恐い。

 ――嗚呼、こうして悩んでいること自体が、過ちへと一歩ずつ近づいている何よりの証に思えてくる。

 こんな状態で、やはり僕に何が出来るというのだろう。

 

「恭介? お前顔色が……」

「問題ないよ。空の色を映しているだけだ。澄んだ顔だろう?」

「……学校でヤバそうになったら、無理せず保健室に行くんだ」

 

 清隆、もし君らと友達になっていなかったら、もし教室の席が離れていたら、もし同じバスに乗り合わせていなかったら、どうなっていたんだろうな。

 こんな風に悩まずに済んだのかな。また自分を嫌いにならずに済んだのかな。

 とても未来なんて見据えられそうにない。

 解っているのは、愚かな過去と、まだお互いを何も知らない君と盟友であるという現在(いま)

 今は、目に見えるものが真実なのだ。

 

―――――――――――――――――――――――――――――

 

 昨日の如く二人で教室へ一番乗り――したつもりだったのだが、どうやら今日は先客がいたようだ。

 

「あ、おはよう。二人共」

「お、おはよう。えーっと、櫛田で合ってるよな?」

 

 確かバスが同じだったいい子ちゃんだ。こんな早くから登校する少女だったのか。

 

「おはよう、櫛田」

「綾小路君、昨日はありがとね」

「あ……ああ、こちらこそ」

 

 ん、何だ何だ? 二人は知り合いだったのか。昨日、ということは、まさか清隆はこの子と一緒にいたのか。どこか気まずそうな顔をしているぞ。案外隅に置けない男だな君も。

 

「……おーい清隆、昨日は本当に何があったんだ。鈴音といざこざがあったかと思えば櫛田と逢引かね? 随分なスリリングライフを送っているじゃないかあ」

「変な言い方はよせ。まあ、色々あったと言っただろう」

 

 ほう、色々というのは櫛田のことだったのか。クラスの人気者に何か助言でも求めたといったところか。

 清隆に耳打ちで懸念を訴える。

 

「そもそも僕らの関係のあれこれを打ち明けているのが合点いかんが、Sシステムのことは言ってないよな?」

「さすがに隠した。あと、話したのは成り行きだったんだ。すまなかったな」

「なになに、何の話かな?」

 

 グイッと、櫛田が僕らの懐に踏み込んできた。

 くっ、近い……。この学校のやつらは距離感がチグハグすぎるぞ。鈴音は地球と月レベルに一定の距離を取ろうとするのに椎名と櫛田はお構いなしに接近してくる。

 

「いや、こっちの話だからノープログレム。ところで、櫛田は本当ならこの時間なのかい? 学校に来るのは」

「ううん、違うよ。今日は二人に用があって待ってたんだ。昨日は一番に教室にいたって聞いてたから」

「聞いたって……すごいなあ、君の情報網は」

 

 クラスで目立っている存在でもないのにそんなことまで広まるのか。下手な言動が命取りになりかねないな。

 

「……昨日の話か? 協力は難しいと言ったはずだが」

「正解だよ。やっぱり私、諦めきれないの。今度は浅川君にもお願いしたくて」

「ふぇ?」

 

 昨日は清隆が櫛田に相談した、というだけではなかったのか。なかなか話についていけない。受け身になるのは合点いかん。

 

「鈴音と友達になりたいんだそうだ。力になれそうにないとは言っていたんだが」

「ふーん。……まあ、やってみればいいんじゃないか?」

 

 僕が軽い調子で言うと、二人は驚いた表情になる。

 

「え、本当?」

「いいのか? 余計に事態が悪化するかもしれないぞ」

「うーん……櫛田、ちょいと清隆を説得するから待っていてくれないかい?」

 

 櫛田は「うん、いいよ」と快諾してくれたので、くるりと身を翻し清隆とコソコソ話を始める。

 

「どういうつもりだ?」

 

 少し焦りの滲ませた顔で、清隆が僕の真意を問う。

 焦り? 一体何を焦っているんだ。いや、今はとりあえず後回しだ。

 

「君は、鈴音と櫛田の初対面が本当にこの高校だと思うかい?」

「さあ、どうだろ――」

「思わないよな、よし」

「おい待て」

 

 何だね。どうせ君も気づいているだろうに。惚けても無駄だぞ。

 

「僕でさえ鈴音の言葉で疑問を抱いたんだ。櫛田とも話をしておいて――しかも鈴音関連の内容だったらしいなあ――君が何も思わないわけがないじゃないかあ」

 

 昨日の朝の会話で、鈴音はクラスへの忠告係に平田を推薦していたが、「平田が良い」というより「櫛田では駄目だ」というニュアンスだった。

 傍から見ればどちらも優劣つけ難い人気を博していると思うが、あそこまではっきりと答えたのだ。何か櫛田との因縁がある可能性が高い。それを間近で聞いていた清隆が気付かないはずないのだ。

 

「……はあ、わかった。オレも少なからず引っ掛かってはいた。これでいいか?」

「まあまあ、そう不貞腐れなさんなあ」

 

 他の人の前でなら兎も角、僕にはもう誤魔化さなくても良い気がするが。

 

「お前は二人の関係性を知りたいのか? そんなことをして何になる」

「友達のことを知りたいと思うことがおかしいかい? 鈴音が自分から話そうとするとは思えないからなあ。取っ掛かりだけでも得ておきたい」

「今でなくてもいいだろう。お前の知りたいことを知れる確率もそれほど高くはない。時間制限があるわけでもないのに態々見ず知らずの船に乗り込む必要はないはずだ」

「他に渡る船が見当たらないから仕方がないじゃないかあ。それに、リミットならある。君が延ばしてくれたようだがなあ」

 

 いつやってくるかもわからないポイントの変動までしか猶予がない。自分の答えをまとめるためにも、僕は君らのことを少しでも知っておかなければならない。

 ――僕の怯えをかき消してくれるくらいに、踏み出したいと思える理由が欲しいんだ。

 

「……わからない。お前は、何がしたいんだ。面倒くさがり屋なんじゃなかったのか?」

「まあね。ただ僕は動きたくないわけじゃないんだよ。――いざ駄目だったって時に納得ができるくらいには、関わらないといけないんだ」

「それは意志か? それとも、責任か?」

 

 彼の問いに、僕はニヒルな笑みを浮かべて答えた。

 

「両方だ」

 

 したいことでもあるし、しなきゃいけないことでもある。これは好奇心であると同時に罪悪感なのだ。

 

「それに、ちゃんと打算的な理由だってある」

「それは――オレも理解した」

「さすがだなあ。僕らのシンパシーは伊達じゃないってわけだあ」

 

 やはり一番の理由は結局「面倒くさい」に帰結するということだ。

 櫛田はクラスの人気者という体裁があるため、そう何度も僕らに近づくわけにはいかなそうだが、鈴音への執着心が過ぎれば案外根気にせがんでくるかもしれない。一度失敗という形をはっきり示せば諦めてくれることだろう。成功したらしたで、繋がりの輪が広がって万々歳だ。

 

「お前の考えはわかった。だが、一つだけ聞かせてくれ。お前は鈴音の気持ちを考慮した上で、この話に乗るんだな?」

「というと?」

「あいつが他人と、ましてや櫛田と関わりたくないと思っているのはわかっているはずだろう」

 

 なるほど。鈴音の意志に反する行動に乗り気ではないということか。

 

「清隆。思い遣りというのは、一方通行でも成立するんだよ。真面に理解もできていないのに、晒してくれてもいないのに、輪郭も朧気な他人の気持ちなんて虚影を盾にしてはいけない。自分がどう思うかさ。誰かの力になりたいとか、手を差し伸べたいとか、そういう想いが乗った時点で、それは思い遣りと言えるんだよ」

「……そうか」

 

 清隆は何も返さなかった。恐らく咎めることを躊躇ったのだろう。

 ()()()()()()()、と。

 僕が本気でそう信じているのなら、問題は既に解決しているはずなのだ。鈴音のことを想う気持ちに従って、勇気を出せば済む話になるのだから。

 だけど僕は、それも違うのだと吐き捨てる。それは僕の中の「しこり」を解消するに値しない。

 所詮口先だけの言い逃れだ。僕の答えはその実清隆の問いかけと論点がズレている。彼は僕の鈴音に対する想いを問うていたが、僕が返したのはただの普遍的なものに対する見解であって限定されたものではない。

 はぐらかしたのは、自分の行動が鈴音を不快にさせることをわかっているからだ。 

 心中は説明会の時の通り。僕は今、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。欲しいのはもっと別の鍵だ。

 その齟齬が、椎名や櫛田には――櫛田の方は打算的ではあるが――手を伸ばし、鈴音の件には踏み出せないという食い違いを起こしている。

 友達に手を貸したい。一緒に進みたい。その意志と矛盾している感情は、単に力量不足による失敗への恐怖ではない。僕は――

 

「浅川君!」

「――っ! な、なんだい?」

 

 思考の波に攫われていたところを櫛田に引っ張り上げられた。急にどうしたんだ?

 

「本当に協力してくれるんだよね? ありがとう」

「ん。まあそんなに期待しないでくれよ。僕ら平民にできることなんて大してないんだからなあ」

 

 どうやら固まっている間に清隆が了承の旨を櫛田に伝えていたようだ。視線がどことなく眩しい。

 

「そんなことないよ。頼りにしてるからね」

「僕はハードルを上げられると潜ろうとしちゃうタイプなんだがなあ」

 

 やめろ。それは嫌いな言葉ベスト10の一つだ。頼りにされる資格なんてないし、僕なんかに頼み込む君には見る目がない。

 

「そうだ、浅川君、連絡先交換しようよ。浅川君とも仲良くなりたいからさ」

「こんなつまらない男と仲良くなっても何の意味もないと思うが、まあわかったよ」

 

 本当は断りたかったんだがな、色んな意味で。

 その後、櫛田からグループチャットや○○ランキングの存在を教えてもらい、清隆と共に自分たちのクラスへの無関心さを痛感していると、四人目、五人目と、教室に生徒が集まり始めた。

 

「それじゃあ私はそろそろ失礼しようかな」

「おう。それにしても櫛田は変わっているなあ。鈴音とそこまで仲良くなりたいだなんて。何か惹かれるものでもあったのかい?」

 

 すると彼女はどういうわけか不満げな顔になった。

 

「ねえ。やっぱり二人とも堀北さんとは下の名前で呼び合うくらいに仲良いの?」

「え、別にそういうわけじゃないけど。というか鈴音は僕らのことを苗字で呼んでいるぞ」

 

 これは、櫛田は鈴音の人間関係に不快感を持っているのか。

 鈴音のことが大好き過ぎて独り占めしたいのか、鈴音よりも自分が好かれていないことが認められないのか。

 やはり二人の間には何かがある。

 

「その、良かったら私のことも名前で呼んでくれないかな?」

「やだ」

「即答!?」

 

 嫌に決まっているだろう。上目遣い如きで僕のガードが割れると思うなよ。

 

「どうしてなのかな?」

「自分で口にしてみるのが一番理解できると思うぞ。『櫛田』と『桔梗』、どっちが言いやすいかは明白じゃないかあ。毎回『桔梗』なんて呼んでたら、いつか舌でも噛んじゃいそうだ」

「そ、そんな理由なんだ……」

 

 彼女は拍子抜けした様子を見せる。名前を呼ぶ機会は一度や二度では収まらないはずなのだから、楽な方を選ぼうとするのは何も可笑しな話ではないと思うが。

 

「清隆はそういうのじゃないから、頼めば呼んでくれるんじゃないか?」

「おい、オレに押し付けようとしてないか?」

「全然してない。事実を言ったまでよ」

 

 君は距離を縮めたくてそうしているのだろう? 折角クラスの人気者とお近づきになれたんだから願ったり叶ったりじゃないか。ほら、櫛田も期待の眼差しを向けているぞ。

 

「仕方がないか……わかった。これからは桔梗と呼ばせてもらう」

「うん、ありがとう。改めてよろしくね――えっと、私も二人のこと、名前で呼んでいいかな?」

「遠慮しとく。胃がもたん」

 

 この子、自分がクラスの男子にどれだけ慕われているかわかっているのか? 他の奴らも呼び始めてから出直してこい。

 

「まあそういうわけだから。ほら、行った行ったあ」

「うう……もしかして私、煙たがられてる?」

「違う。そろそろ池や春樹たちが入ってくる頃合いだ。名前呼びも、こうして長らく話し込んでるのも、知られると詰め寄られそうで面倒なんだよ。わかってくれ」

 

 事情を説明してやると、何とか櫛田は納得してくれたみたいだ。

 

「そっか、確かにそれもそうだね。じゃあ今度こそお暇させてもらうよ。ありがとね、二人とも」

 

 彼女は元気に去って行った。

 

「随分嫌っているんだな」

 

 見送るなり清隆が話しかけてくる。あらら、そう見えてしまっていたか。

 

「別に嫌っているわけじゃないさあ。そもそも、クラスの女神と汚れたコソ泥が釣り合うとでも?」

「コソ泥というのはお前のことか? まだ何も盗んでいないだろう」

「あっはは、ほら、幼い頃は貧しくてね。生計を立てるには致し方なかったのさあ。だから、コソ泥」

 

 清隆は複雑そうな顔をしている。信じていいものか困っているのだろう。

 

「よくあるこわーい話だよ。『信じるか信じないかはあなた次第』ってなあ」

「ま、まあその話は兎も角、お前がくし――桔梗に対して抱いている感情は、それだけではないだろう」

 

 先程よりも幾分か厳しい目付きでこちらを見つめてくる。やれやれ、誤魔化しは無用だということか。

 

「……彼女には悪いけど、あまりいい子ちゃんとは接したくないんだ。知り合いに善人がそう何人もいては、その偉大さが霞んでしまうだろう?」

「お前の周りには善人がたくさんいたということか?」

「黙秘権を行使する」

 

 僕の唐突な拒絶に清隆は僅かに目を見開く。「何か地雷を踏んだのなら、謝る」

 

「まだ話したくないだけさあ。これからもっとお互いのことを知っていけたら、話せる時がくるかもなあ」

 

 適当なことを言っているが、その時が来るなんて思っていない。この話は、墓場まで持っていく所存だ。

 

「そういう君はどうなんだい? 僕は君の生い立ちというものををまだ微塵も知らないが」

「それは――すまない、オレも言いたくはないな」

「だろ? 僕らにはまだ、それほどの信頼関係がないってことだ」

 

 予想通りの答えだったので驚くことも不審がることもない。淡々と結論を述べる。

 清隆も薄々気づいていたからか、残念そうに俯いた。「そう、だな」

 喧騒が勢いを増していく。櫛田との会話があったため、昨日ほど時間の余裕は残っていなかった。

 そんな中、僕は神妙な顔で静かに訊く。

 

「……なあ清隆。君は、この世界には本当に善人がいると思うかい?」

「――? それは……どうだろう。ただ、きっとその問いは、真の善人にしか答えられない」

「…………そっか」

 

 まるで自分自身に問いかけるような呟きだったが、ある意味では望んでいた、期待通りの回答が返ってきたので、少し安堵する。

 僕は大きく伸びをし、意識を切り替えた。

 

「ま、ビターな話はこれくらいにして、我らが姫様のお話でも聞かせてもらいますかねえ」

 

 先のない話ばかりしていても埒が明かない。たった今到着したクルーエルビューティーガールに、一体どんな心境の変化があったのか問いたださせてもらおうか。

 




後編も仕上がっているので近々揚げます。

オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)

  • 止まるんじゃねぞ(予定通り,10話超)
  • ちょっと立ち止まって(せめて10話以内)
  • 止まれ止まれ止まれ…!(オリだけ約5話)
  • ちょ待てよ(オリキャラだけ,3話)
  • ムーリー(前後編以内でまとめて)

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