今まで九割方三人でけで話進めたという事実……モタモタもいいとこですねホント。申し訳程度に終盤でちょろっとあのキャラだしときました。
「……なあ清隆。これは……」
「ああ、さすがに想定以上だ」
「とりあえず、前を向いてちゃんと受けなさい……」
時計の針が正午を指す目前にまで迫った頃、僕らはこの教室の惨状に絶句していた。
授業内容が酷いとか、見慣れない機械がでてきたとか、そういう話ではない。寧ろ教師らの解説はかなりわかりやすい方で、真新しいものがあるわけでもない。
初めの方はまだよかった。異変が起こったのは二時間目の後半からだ。一部の男子が睡魔に屈し始めたのである。
おいおい冗談きついって。授業初日だぞ。まだガイダンスしかしていないんだぞ? ページを繰る教材もなく聞いているだけだから逆に眠くなるという考えは理解できなくもないが、緊張感がないにも程があるだろう。
しかし、事はそれだけに留まらなかった。男子の怠慢は案外アニメやドラマに映るような学校あるあると言えなくもなかったが、それを全く咎めなかった教師に気を緩めたのか今度は何食わぬ顔で私語を連発する女子まで増え始めた。お淑やかであれ。
まさかあの鈴音を見習えだなんて思う時が来るとは……
「ギャフンッ!」
突如右肩に激痛。刺すような痛みが。
僕の悲鳴に教室中が驚き、束の間の沈黙が流れる。
「どうした浅川? 急に大きな声を出して」
「あ……いやあ、ペンを落としそうになっちゃって、慌てて叫んじゃいました」
「そうか。授業に支障をきたすような行動は慎むようにな」
「……はい」
……あれだけ真面目に授業を受けない生徒を静観しておいて、今のは指摘するのか。受けるも受けないも自由だが、受けられない状況は作るなよってか? ……いや、そんなことより。
ジト目で振り返るも、鈴音は何事もなかったかのように黒板に顔を向けていた。――机の上にコンパスを置いて。
「……あの、鈴音さん。シャレにならないですよ?」
「何のこと?」
「いや、だからそれ……」
「証拠は?」
「ふぇ?」
「証拠はあるのかしら」
「……今は日本史の時間なんだがなあ」
清隆も顔を青くして引いているじゃないか。殺傷能力のある道具を彼女に持たせてはならんな。強大な力を持った未熟者は力に溺れるのだよ。
まあ茶番はこれくらいにして、かく言う僕も授業中である今は矛を収めてやるとしよう。
昼休みになった。
一応自炊はできるが、あまり器用ではないし面倒くさいし気になるしの
「よっしゃあ清隆、学食行こうぜえ」
「わかった。いやーしかし、なんだか楽しみだな。どんな料理が出るのか」
「こういうのは意外と美味いって聞くからなあ。まあ百聞は一見に如かず。行ってみるかあ」
ああ楽しみだとも。中学校にもあったらしいが使うことはなかったからな。本当、
おまけに僕らの予想通りなら、救済措置の無料メニューがあるはずだ。ケチな僕としては大変興味がある。少しワクワクしてきたぞ。
同じ考えの生徒も多いだろうし、混む前に並ぼうと足早に向かう。
案の定、食堂に着くとなかなかの大所帯が待っていた。もたもたしていたら落ち着いて食べる時間もなかっただろう。
「……あの」
「清隆は何にするんだ?」
「ちょっと、いいかし――」
「オレはー……そうだな、定番のカレーにでもしようかな」
「ねえ、人の話を――」
「一番人気って書いてあるなあ。あまり辛いのは苦手なんだけど、どんくらいなもんなんだ――」
「あら、コンパスが疼いているわ」
「疼いているのは君の右手だろう? なんだよその中途半端な中二病は……」
魔力がコンパスに宿ってしまっているじゃないか。あれか、自分はもう既に使いこなしていますよってか? ……でも意外と強そうだな。凄まじいオーラを纏ったコンパスが軽快な動きで自分の懐に突き刺さる絵図を想像してしまった。
「それで、何か文句でもあるのかい? 鈴音」
「文句も何も、どうして私まで連れてこられたの?」
「まあいいじゃないか。別に独りで食べなきゃいけない理由があるわけでもないだろう」
「あなたたちと一緒に食べなきゃいけない理由もないわよね?」
「頑固だなあ。もう諦めなさいなあ。折角ここまで来たんだし、態々今この場から離れる方が面倒くさいと思うけどなあ」
一々合理的に説明してやらないと君は大人しくしてくれないのか。半ば強引に連れてきたのも事実だが、そうでもしないと絶対に当然の如く独りで食べに行っていただろう。それに、嫌ならその場で振り解いていればよかったはずだ。
未だ不満げな顔をしている彼女を微笑ましく眺める。可愛げのない愛嬌だな、全く。きっと彼女は、自分が
彼女なりな最低限の優しさだったのかもしれない。偶々言わなかっただけで本当は食べたくないと思っているのかもしれない。だけど、恐らくそのどちらでもないはずだ。なぜならその言葉は、僕らをいとも簡単に切り捨てることのできるものだからだ。そのことを理解していない彼女でもない。ドライな性格だからこそ、その気になれば躊躇わずに言えたはずなのにそうしなかった。やはり、心のどこかで引っ掛かるものがあったのだろう。鈴音の偽れない性分に、今回は感謝だ。
「全く……あら? これは――」
「おお、
鈴音と同じメニュー欄に目を向けると、『山菜定食:0円』とある。これだこれ。これを探していたんだよ。一気にテンションが上がってきた。
「よぉし面舵いっぱい。これにしようかあ」
「いいのか? 写真を見る限り大分質素に感じるが」
「見かけによらずってこともあるかもしれないしなあ。それに、物は言いようなんだよ。『山の幸の盛り合わせ』なんて言い方にしてみれば、なんだか食欲をそそられるだろう?」
まあ山菜って本当は海浜とかにある植物も含むらしいけど、そこはご愛嬌ということで。
「でも、もし万が一の時には、鈴音にお慈悲を乞うかなあ」
「何故私なの? イヤよ、綾小路君に当たりなさい」
「あっはは、冗談だよ。ほら、そろそろ順番が回ってくる。行こうじゃないかあ」
手短にご飯を受け取り三つ並んで空いていた席になんとか座る。清隆が真ん中だ。0円だから端末を取り出す必要もなかったのでスムーズにできた。意外な利点である。やはり体験してみるものだな。
受け取った料理――というにも名ばかりな緑溢れる皿を見る。思いの外ボリューミーじゃないか。もっとひもじさ満点のちまっとした量かと思っていた。
何より大きいのは米と味噌汁が適量で付いていることだ。定食であることを失念していたが、腹に収めるには十分なコンテンツではなかろうか。
「それじゃあ、早速頂くとするか」
「ええ、そうね」
さて、それでは、両手を合わせて。
パンッ
「いただきます」「いただきます」「いただきマウス!」
「え?」
いざ尋常に、味わわせてもらおうか……!
記念すべき一口目。タラの天ぷらを一つ、ゆっくりと口に入れる。
ムシャ、ムシャ、ムシャ――。
ほう、これは……。
僕はサッと、清隆の前に皿をずらした。
「……えっと、いいのか?」
「無料だからなあ……食ってみ」
「あ、ああ……」
僕の真剣な表情を見て、清隆は息をのむ。
恐る恐るといった様子で、彼はもう一つ残っていた同じ天ぷらを口に運んだ。
「……どうよ」
「……これは、美味い、のか?」
「美味いわい!」
歯切れの悪い答えだなと突っ込む気持ちが先走っておかしなテンションになってしまった。ゲフンゲフン……。
多少の苦味は山菜ならではの個性。衣に用いた材料の配分から揚げ加減まで絶妙だ。味付けもしっかりしている。
これが無料、だって……? なんてコスパのいいことか。さすがは政府運営の進学校。雇う料理人も伊達じゃない。
「ど、どうやら満足だったようね……」
「ああ、ここまで感極まっている恭介はなかなか見れないかもしれない」
よし、これで平日の昼食は無問題と言って差し支えない。少し肉の濃い味が欲しいものだが、我慢できないこともないしスーパーで何か買えばいいだろう。心配なさそうだ。
それに、一つアイデアが閃いた。この後かまた別の機会かに試してみるとしよう。
「……そうね、そこまで言うなら……浅川君、私の生姜焼きを分けてあげるから、あなたのそれ、少しだけ頂いてもいいかしら?」
おやおや、さっきはあげないとかなんとか言っていたのに、鈴音とて食の好奇心には敵わなかったか。
まあ咎める気はないさ。今肉にありつけるのは絶好のタイミングだったし、僕は絶賛気分上々中だからな。
「んん、いいぞ。色んなメニューの味を知っておきたいしなあ。清隆のも一口でいいから恵んでくれないかあ?」
「構わない。分け合いっこということだな」
「そういうこと、決まりだなあ。そんじゃあ鈴音、ほれ」
「ええ。――って、浅川君、それはどういうつもり?」
「ふぇ? 何って、君にも分けてやろうとしているだけだが。さあほら、口をお
箸で掴んだ食材を鈴音の口元へ突き付けると、彼女は動揺し何とも言えないような表情になった。
「……綾小路君、彼に悪意はないのよね?」
「……ああ、恭介が天然なだけだと思うぞ」
なんだなんだ、珍しく意気投合して。ただ食べさせてやろうとしているだけじゃないか。君も手を使わなくて楽だろうに。
「説明するのも面倒ね……。浅川君、私が適当な量だけ移すから大丈夫よ」
「まあ君がそう言うなら、別にそれでもいいぞ。ほら、もってけ泥棒」
そうして、僕の目の前に一口量の生姜焼きが置かれる。どれどれ、山菜であの味だったのだ。正直期待しかないぞ。
――パクリ。
「旨味しかない……!」
ああ、これが真心の籠った味というやつか。作り手の僕らに対する慈しみを感じる。海馬に残るような刺激が癖になってしまいそうだ。ある意味食べなければ良かった。無料の山菜で満足出来ていたはずなのに。
「……悪くはないけど、正直微妙ね」
一方の鈴音はあまりお気に召さなかったようだ。なんでだ、美味しかったろう、山菜。まあどちらを先に食べるかで印象が変わるのかもな。
その後清隆のカレーも一口もらい、僕は再び幸福に浸るのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
時刻は四時半過ぎ。
午前中のような地獄絵図にもう二時間も浸かるのはさすがに堪えた。これからも長らくこんな日々が続くのかと思うと億劫だな。
疲れた心身に鞭を打つように伸びをしつつ、放課後の行動を考える。候補は三つだ。
①部活動の説明会に参加する
②図書館に行く
③校内散策
今日中に全部済ませられるかは難しい。かと言ってどれかを優先したいというわけでもない。ただ、一つ目に関しては時間が待ってくれないか。早く決めなければな。
こういうときこそ頼るべきは友。二人はどう考えているのだろう。
「なあ二人とも、この後の予定は決まっているか?」
「オレは部活動の説明会に行くつもりだ」
「お、何か興味のあるやつでも?」
「いや、そういうわけではないが、そもそもオレは部活というものに縁が無くてな。説明会の中で何か目ぼしいものが見つかればと思っていたんだ」
中学のころは帰宅部だったのか。少し珍しい気もするが、高校生になって新しいことに挑戦したいと意気込む気持ちはわからなくもない。
「なるほど。僕も具体的な希望はまだないけど行こうかなあ。鈴音は?」
「私は――その、朝の件を済ませようと思うわ」
「……っ、そっか」
浮かない顔をする鈴音の言葉が重く心に響く。
遠くに離れてほしくないとは思いつつも、踏み出す勇気がないために「引き留める」という行動を取ってしまう。
近くでいたいと望むのなら、僕らが追いかければいい。僕らの方から彼女の隣に並びに行くだけでも解決できる。しかし、僕も清隆もそれができないのは、自分本位な安寧への希求があるからだ。
嫌な予感がしてしまう。その航路は途方もない長さで、風雷や荒波の連続かもしれない。穏やかな日々からの乖離が恐ろしい。そう思うと、待ち受ける苦痛に耐えられる自信がない。
心地良かったはずの距離を重々しく遮る壁はそれだ。普通の学校なら絶対に起こり得ない意志の相反。入り乱れる感情に混迷して、投げ出してしまいたくなる。
「……生憎だけど、平田も多分サッカー部目当てで説明会に行くだろうし、そのまま取り巻き女子ちゃんたちと帰っちゃうんじゃないかなあ」
「それは……そうかもしれないわね」
だから僕は、今回も彼女を
先延ばしにしか成り得ない惨めな抵抗だ。しかしそれ程までに、僕は二人に期待していて、手繰り寄せた足掛かりを再び見失ってしまうことを恐れている。
もしかしたら、鈴音も同じなのかもしれない。僕の発言は全くの出任せで、平田が説明会に行くとは限らないし、ましてやその後の行動を把握しているわけでもない。彼女もその事実には気づいているはずだ。それでもどこかにしこりがあって、こじ付けがましく理由を見つけては、正当化して踏み出しかけた足を止めてしまう。
「……なら、鈴音もオレたちと一緒に説明会に来るか? 何か得るものがあるかもしれないぞ」
「……そうね。部活動に入る予定はないけれど、どうしてもと言うのなら仕方なく付いて行ってあげるわ」
上から目線な言い方であることに変わりはないものの、清隆の気遣いに対する彼女の返答は、柄にもなく素直だった。
所変わって体育館。入学式の時と遜色ないくらいの大人数で、ほとんどの新入生が参加するようだ。
クオリティの高い勧誘動画やネタに全振りしたコントさながらな活劇など個性溢れる部活紹介に感心していると、隣に立っていた清隆が少しだけこちらに寄って耳打ちしてきた。
「どうするつもりなんだ?」
「何のことだ?」
「わかっているだろう。さっきの件だ」
……意外だな。まさかこのタイミングで清隆の方から触れてくるとは。教室でも特に何も言わなかったのに。
「どうするも何も、僕らはもう御役目御免って話だったろう? 僕も君も、面倒くさいことに首を突っ込むのは――」
「今のお前が本当にそう思っているとは思えない」
予めよ言う意していた回答を清隆が遮る。珍しい語気の強さに少し驚いてしまったが、図星を突かれた僕は言葉に詰まってしまう。今更一体何を言い出すんだ。
「迷っているんだろう? システムの詮索に前向きな鈴音とそれに対して消極的なオレ、態度は正反対だ。お前がどちらかに賛同すればもう一方は最悪孤立することになる」
「まあ、それはそうかもなあ」
どちらかと言うと僕も清隆側に偏ってはいたが、もし清隆が乗り気になっていたらきっと僕も鈴音に同調していたことだろう。二人の意志のすれ違いが僕の悩みの種だという見立ては真っ当なものだ。
「恐らく今回の選択は大きな分岐点だ。実力を測る場であろう学校行事の全てに注力する必要が出てくるかもしれないからな。この学校特有の大規模なイベントもある可能性だって否定できない。鈴音の積極的な態度を見るに、関われば平穏とは程遠い生活に身を置くことになる可能性が高いだろう。板挟みになって葛藤する気持ちはわかる」
「……ああ」
清隆が言っていることは間違っていない。確かに、僕らを繋ぐ友情はまだ普遍と呼べる程堅い代物ではない。僕が二人のどちらかに肩入れすれば、遅かれ早かれこの関係は瓦解してしまうだろう。今朝僕が清隆と共に不干渉の意を表明した時も、もしチャイムが鳴っていなければ、あのまま鈴音と僕ら二人の関係は段々と希薄なものになっていたかもしれない。
「オレのことを気にかけてくれるのは嬉しいが、無理に合わせなくてもいいぞ。鈴音も危なっかしいところがあるから、お前がいた方が心強いはずだ。だから――」
「違うな」
「何?」
「僕はそんなできた人間じゃないってことだ」
だけど、そうじゃない。そうじゃないんだよ、清隆。
僕の悩みは、そんな崇高なものではない。もっと自己中心的で愚鈍な思考。
彼女に手を差し伸べたい。しかし、僕はそれ以外を求めていないのだ。彼女の手は今、あまりに理不尽な魔の手と向かい合っている。触れたくもない汚れた手の側にいる。
怖いのだ、自分のお節介で身近な誰かが傷つくことが。それを目の当たりにして心が痛むことが。過ちに対して皆が向ける白い目も、卑屈になって頭を抱える自分自身も、その様相が高濃度な恐怖として刷り込まれている。
自分本位な二つの思いが矛盾を孕み、嫌悪と葛藤が心を覆う。
裏切らない他人なんていないし、頼れる自分もいない。
そう諦めていた自分を奮い立たせて、僕はこの高校に進学した。変わらなければいけないと思ったから、もう一度だと自分に言い聞かせた。
でもそれは、決意とは程遠いぼんやりとした望みでしかなかった。
心をあの
――そしてそれは、君も同じだろう、清隆?
燻ぶる思いが零れ出そうになった、その時だった。体育館を包む空気の異変に気付いたのは。
辺りの様子を見回すと、ついさっきまでガヤガヤとお喋りをしていた連中がいつの間にか黙って壇上に視線を向けている。
そこに立っていた先輩は少し細身で、クールな印象を与える眼鏡が良く似合っている男だった。これまで群衆の前で発表していた誰よりも凛とした佇まいで威厳を感じる。
どうやら、みんなが静まるまで黙して待ち続けていたようだ。
「生徒会長の、堀北学です」
――堀北?
思わず斜め前にいた鈴音の方を見る。すぐに彼女の少し青く強張った顔を確認し、過った考えが間違いではないことを悟った。
偶然にも彼女が抱えている一物――学校初日のHR前にも垣間見えていた――の取っ掛かりを得ることはできた。
しかし、今の僕には、それが自分に一種の強要をしているような気がして、心苦しさが募るだけだった。
一歩引いた態度を装う盟友、無愛想で協調性に欠ける少女、一貫性のない優柔不断な僕。
僕だけではない。三人揃って、出口を探すのも面倒な袋小路に閉じ込められている。
そんな状況に情けなく思う一方で、自分一人ではないという安堵が紛れている事実に、僕は更に辟易するのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
説明会を終えた僕は、図書館にいた。この二日間で施設内を清隆と鈴音と一緒に行動しなかったのは、これが初めてかもしれない。少し、独りになりたかった。
まだ開館初日であり、遅い時間になってしまったのもあって人気はない。閉館まであと一時間を切っているため、下見程度になりそうだ。
とはいえ、今の状態で真面に本を見繕う気にはなれそうもない。何の気なしに本棚をグルグルと廻る。朧気に記憶している題名の本を取り出しては、適当にめくって元に戻しての繰り返し。
頭を空っぽにしようとするがなかなかモヤモヤが晴れず、意味のない反復動作にも飽き、僕はハアと溜息をつく。閑散とした空気は幾分か僕の心を鎮めてくれたが、それでももどかしい気分は抜けなかった。
……まあ折角だから、少し読んで行くか。
十数分程の周回の中でいくつか心に留まっていた本がある棚を再び巡り、窓側の奥から二番目のテーブル、一角の席に腰を下ろす。
取ってきた本のジャンルにこだわりはない。純文学、SF、推理小説、啓発本など多岐に渡る。
さて、どれを読むか……。
寸分悩んで手に取ったのは――推理小説だ。タイトルは『予告殺人』。アガサ・クリスティが書いた「マープルシリーズ」の一作だ。
『殺人お知らせ申し上げます』という最初の一節には、僕も当時興味を引き寄せられたものだ。既に一度読破済みではあるが、曖昧になっている部分もあるだろうしこの機会に再読しようか。
パラパラと、できるだけ物語の展開に集中して読み進める。
そのまま無為な十五分が経過した。
……全く、これじゃあ「熟読」と言うよりは「卒読」だ。
どうしても雑念がちらつく。これでは意味がないと姿勢を更に前のめりにし、文字だけが視界に映るようにする。
何かに憑りつかれたように、ひたすらページを繰る。繰る。繰る。
考えたくない。迷い悩みたくない。向き合いたくない。
そう望む度に、自分が再び思考の渦に沈んでいる事実を逆説的に突き付けられる。
理性に反して本能が想起させるのは、清隆の顔、鈴音の顔、旧友の顔、家族の顔、顔、顔、
喜怒哀楽問わず無数の表情が浮かんでは消えていく。尊敬も侮蔑も容赦無く傷を掘り返す。
せめて今だけでもいいから、忘れさせてほしい。目を閉じさせてくれ。
目を逸らしたくて、必死に虚無な一点を見つめる。
僅かに呼吸が乱れていることを自覚できる程に、眼前の黒点に食いつく。
痒いくもない頭を掻きむしって、無機質な文字列を只管追い掛ける。
――だからだろうか。
「あの!」
「オウェイッ⁉」
不意を突くその声は柔らかさを持ち、すぐ側から聞こえてきた。奪われかけていた意識が、思考が、不意に自分のもとに帰って来る。
「え、えっと……?」
「あ、やっと気づいてくれましたね」
いつの間にか隣に座っていた少女は、安堵と、小さな歓喜の表情を浮かべていた。
――い、いや、誰?
少なくとも僕の記憶の中に彼女は存在していない。そもそもこの高校において真面に印象に残っているのは清隆と鈴音だけなのだが。ああ、改めて僕のコミュニティが空しくてしょうがない……。
「君は、いつからそこにいたんだい?」
「えっと、三十分くらい前からですね」
「へー。……って、僕が読み始めてすぐじゃないかあ」
なんだよそれ、自分が血眼になって読書もどきをしているところを半時間も見られるってどんな恥晒しだ。君も他人の読書をそんな長時間眺めているなんて、言ってしまえば変人だぞ。
「その、随分と辛抱強いんだなあ」
「いえ、そうでもありませんでしたよ。覗き込んだり肩をつついたりもしましたし。寧ろあそこまでしても全く気付かずにいられたあなたが鈍いと思います」
酷い言い様だな。と言おうとしたが――え、つつかれていた? 嘘、何それ知らない。もし彼女の言っていることが本当なら、悔しいが返す言葉もないな。
それにしても、結局この少女は何者なのだろう。まずこの状況からして突っ込みどころが多すぎるのだが、漂う雰囲気からして悪人ではなさそうだ。となれば、天然なのか? 正直そのキャラはもう鈴音だけで十ぶ……悪寒がしたのはもう偶然だとは思うまい。
変に無言の時間が生まれるのも気まずいだろうと思い、若干焦りながら口を開く。
「まあいいや。それで、恐らく僕らは初対面のはずなんだが、一体全体何の用だい?」
「あ、そうです。それで声を掛けたんでした」
これが
燻ぶりを加速させる新たな出会い。だが、後悔しても遅かった。
「あの。本、お好きなんですか!」
それは、僕のメンターをぶっ壊すのに十分な一言だった。
シリアス書くの大変だなって思うのに進める度にオリ主が独り善がりに突っ込んでいきやがる。
オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)
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止まるんじゃねぞ(予定通り,10話超)
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ちょっと立ち止まって(せめて10話以内)
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止まれ止まれ止まれ…!(オリだけ約5話)
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ちょ待てよ(オリキャラだけ,3話)
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ムーリー(前後編以内でまとめて)