この二人の掛け合いは想定通り緩くなっていきそうです。
「と、とりあえず、ちょっと離れてくれないかあ? 流石に近過ぎる」
これでもかと間近まで乗り込んできた少女を、やっとの思いで引きはがす。
今の反応だけでわかった。彼女は間違いなく相手にしてはいけない人種だ。別にマニアやオタクに対して悪い偏見を持っているなんてことは断じてないが、特定の趣味にはやたら饒舌になる人への対応程疲れるものはない。そんなグイグイ来られても困る。
「すみません。つい昂ってしまって」
そりゃそうでしょうよ。
「まあ、共通の趣味を持っているかもってなったらテンション上がるのはわかるけどなあ。だけどごめんなあ。生憎僕は読書家を名乗れる程本と触れ合ってきたわけじゃないんだ」
「え、でも、こんなに取って来ているじゃないですか」
彼女が指したのは、僕が当てもなく選んだ六冊の本だ。
「ええとこれは、何となく聞き覚えのあった本を漁ってきただけだ。有名どころばかりでジャンルもバラバラだろう? 実際ここで読んでいたのはこの一冊だけだったし」
そう言って僕は『予告殺人』をひらひらと見せる。
運の悪いことに、適当に万々と本を持ってきてしまったせいで読書家紛いな様相を醸し出してしまっていたが、ここはできるだけ関心の薄さを強調しておかなければマズイ。この窮地を脱するには形振り構ってなどいられないのだ。
「では、こんな遅い時間までここで読んでいたのは?」
「成り行きだなあ。部活の説明会が騒がしかったから静かなところに行きたくて、今日から空いてるって聞いたから閉館までいさせてもらう腹積もりだったんだ。そもそも読んでいた時間もちょびっとだったって言ってるじゃないかあ」
嘘の一つを吐いているわけでもない。騒がしかったのは主に僕の心の内だった気もするが、本当のことしか言っていないのだから、後は彼女の解釈次第だ。
「そうでしたか……」
「お、おう」
シュンッ、という効果音が聞こえてきそうな落ち込み具合だな。
若干の申し訳なさと気まずさを覚えた僕は、話を続けてみることにした。
「ええと、君の名前は? 僕の名前は浅川恭介って言うんだけど」
清隆たちとの時と同じ轍は踏まない。名前も知らない人と真面なコミュニケーションを取ろうとするのは悪手だ。
「申し遅れましたね、椎名ひよりです」
「椎名……ひより……ふむ、椎名は確か同じクラスじゃなかったよなあ」
楽な呼び方を判断しつつクラスを問う。他クラスの生徒との会話は今回が初めてだが、熱さえ入らなければ物腰柔らかい人に見える。いずれにせよ僕の認識の中ではDである自分より基本的なスペックは格上ということになるわけだが、どうなのだろうか。
「はい、私はCクラスです。浅川君は?」
ほう、Cか。言葉遣いも丁寧で知的な印象を受けるが、この時間に独りで図書館にいるあたり、運動や友達づくりが苦手なのかもしれない。
「僕はDだ。椎名はいつから図書館に? 放課後になってからずっとかい?」
「そうですね。それで、切りの良いところで帰ろうとした時にあなたが来たんです。やっと同志が現れたと思ったのですが……」
ああ、この様子だと僕以外にここを訪れた人はいなかったみたいだな。かてて加えて、僕の初々しい挙動から同級生だと察して余計親近感を覚えたのだろう。でも、だったら見かけた瞬間に声を掛けてくれたら良かったのに。
「誰かと一緒に来たりはしなかったのかい? クラスにもう一人くらい仲間がいてもおかしくはないと思うけど」
「それが、うちのクラスは血の気の多い方ばかりで少し殺伐としているんです。あまり話の合う人はいなさそうでしたね」
「ああ、そっちはそんな感じなのねえ」
Dが愚者の隊列かと思えばCは猛獣の巣窟か。やはりクラスによって結構な偏りがあるみたいだな。鈴音には悪いがDクラスは落ちこぼれの集まりで決まりだろう。となると、AとBがどんな優等生オーラを放っているのかが気になってくるな。
「浅川君のクラスはどんな感じですか?」
「うーん……一言で表すなら、騒がしい三枚目集団、かなあ。僕は近くの席のやつとは気が合いそうだったから仲良くさせてもらってるんだけど、クラスに溶け込めているってわけではないなあ」
そんな二人とも今は微妙な空気になってしまっているが、それをここで話す必要はないだろう。
「良い巡り合わせがあったんですね。私も、気が合うとまではいかなくとも本について語り合えるような方と出会えれば良いのですが……」
彼女は寂しそうな表情で溜息を吐いた。
ありのままの自分が周りと合わないことを知っているから、曝け出せない。
それでも取り繕うことはせず、受け入れてくれる誰かを探している。
これが自分なのだという確かな事実を見失わずに真っ直ぐ向き合う。
その勇ましいとも取れる姿には、どこか見覚えがあった。
本来他人である彼女に何か施しをしてやる道理はない。しかし、郷愁めいた親近感が、自然と彼女のささやかな願いに惹き寄せられる。
――僕にも、できるだろうか。
この小さな手は、彼女を引き上げるのに足りるのだろうか。
これは完全に僕個人の気まぐれ。悪く言ってしまえばワガママだ。
鈴音の時と同じ問いかけ。しかし決定的に違う事実が二つあった。
一つはクラスが違うこと。そしてもう一つは、この少女は彷徨っている途中だということ。
僕らを引き寄せたのは、クラスでも座席でもなく、図書館だ。清隆とは違い、Sシステムという難しい問題とは無縁な関わり。
そして椎名は、鈴音と違い自ら独りを選んでいるわけでもない。確かなSOSが、そこにはあった。
だからかもしれない。僕の心が揺れたのは。
足が前に出た。いつの間にか、手が伸びていた。
「……そんなときは、あれだ――君の『灰色の脳細胞』を使いなさい」
「え?」
僕の急な発言に、彼女はキョトンとした顔をする。
「ほら、エルキュール・ポアロの口癖だよ。推理小説が好きな君なら知っているだろう?」
僕はどちらかと言うとマープル派だが、同じくクリスティの書いたポアロの方がメジャーなはずだ。
「そ、それは確かに知っていますけど。あれ、そもそも私、推理小説が好きだなん言いましたっけ?」
「君が我も忘れてガツガツと言い寄ってきた時、その血走った目を向けていたのはほとんどこれだったからなあ」
そう言ってひらひらとさせたのは、再び登場、『予告殺人』だ。
机上の本を指差すときも、未だ見ぬ読書仲間に思いを馳せていた時も、度々彼女はこれに意識を向けていた。おまけに、そもそも彼女が僕に近づいたのは、偶々読んでいたのが推理小説だったという事実も大きかったのかもしれない。
「目線だけでですか? 随分と雑把な……いえ、この場合は敏いのでしょうか?」
「まあね。犬じゃあるまいし、物に縋って必死に地を這いながら証拠を探すのは柄じゃないのさあ」
そう言ってやると、彼女の目はまた一層輝きを増した。このセリフが、律儀に証拠品集めに徹する他の探偵たちを小馬鹿にするポアロの考え方を意識したものだと気づいたからだろう。
しかしその直後、彼女は少しムッとした表情になった。
「やっぱり、本好きだったじゃないですか」
「いやあ、君程ではないよ。別にポアロの名シーンは知る人ぞ知るというわけでもないだろう?」
本が好きか嫌いかで聞かれたら確かに好きとは答えるが、椎名の言う好きは多分マイスターの領域だ。とても胸を張ってイエスとは言えない。
それに、最初は関わるつもりなんてなかったのだ。気が変わったからこうなっているだけで。
とはいえ、アピールタイムはこのくらいで良いだろう。
「まあこんな感じで、人並くらいには本の話はできると思っている。推理小説もなあ。――だから、偶には付き合ってやるぞ」
「え、本当ですか?」
「おうさあ。まあほとんど僕が聞き手になりそうだけどなあ」
グイッと身を乗り出す椎名を退けながら応える。
これからこの関係がどうなっていくかはいつも通りわからないが、奇妙な偶然だったのだと思う。
もし僕が悩んだまま説明会に行っていなければ、今日のこの時間に図書館へは行かなかったかもしれない。椎名が同じクラスに友だちをつくれていたり、僕が偶々『予告殺人』を読んでいなかったりしたら、この会話は起こらなかったかもしれない。
僕らが同じクラスだったとしても、お互いの性格からして、会話の一つもないまま三年間を終える可能性さえあっただろう。
彼女がSシステムの裏を知れば、僕を遠ざけようとするかもしれない。同じクラスに新しい友達ができたら、そっちの方に離れて行くかもしれない。だけど、それでも良かった。
どんな変化があろうと、その瞬間の彼女が僕との時間に価値を見出してくれるのなら。僕の存在が、彼女自身の努力の成果となるのなら。既に伸ばされている手を掴み上げてやるくらいはしてあげたいと思った。
これが、彼女にとっての「良い巡り合わせ」となることを願うばかりだ。
そうすれば、僕が抱えている物にも多少なりとも意味があったと言えるだろう。
「それでは、お言葉に甘えさせてもらいますね。これからよろしくお願いします、浅川君」
そう言って彼女が浮かべた笑顔は、一点の曇りもない純粋な喜びからくるものだった。
――気持ちの良い笑顔だな。
この清々しい表情を何度も拝めるのなら、僕が勇気を出したお駄賃としては申し分なかろう。
「ん、よろしくなあ椎名」
その時、まるで狙っていたかのようなタイミングで、閉館の合図が鳴った。
「――お、もう時間かあ。まあ定期的にここにはお世話になるつもりだから、次見かけた時なんかは気軽に声でも掛けてくれよお」
「はい、ぜひそうさせてもらいます」
「ん、それじゃあさっさと本を戻して、僕はお暇させてもらうかなあ」
僕は机の上の本と自分の荷物を持って立ち上がった。
「そうですか。では、出たところで待っていますね」
「はいよお」
彼女はそそくさと図書館を後に……って、え?
「ん、あれ? ちょっ、椎名……」
振り返ると、彼女は既に大声で呼ばないと届かない距離にいた。
おい、今さらっと一緒に帰る流れにならなかったか? 別に僕は気にしないが、男女ペアで帰るという行為に思うところはないのだろうか。まあ、彼女はある意味浮いた話とは縁が浅い気もするし、本人が構わないなら問題ないか。態々独りで帰るのも寂しいしな。
僕は前を向き直り、記憶を頼りにさっき廻った本棚を再び周回する。
「これはここで……これはー、お、ここだなあ」
本当に広いなここ。しっかりと構造を把握するまで大分時間がかかりそうだ。あまり遅いと椎名を待たせてしまうから急がないと。
いそいそと片付けていき、終わりに差し掛かったところで……。
……。
逡巡してから僕は――来た時より一つだけ荷物を増やして、出入り口の方へと向かって行った。
図書館を出ると、椎名がすぐ見える位置に立って待っていた。まだこちらに気付いていないのか、先程までとは違い落ち着いた表情をしている。
澄ました顔だと、案外美人寄りなんだな。
花が満開になるかのように笑うからあどけなさが前面に出ていたが、こう見ると淑女とも言えるような佇まいだ。
「あ、浅川君」
彼女の意外な一面を実感していると、こちらの姿を認めて寄って来た。
「待たせたなあ」
「随分と遅かったですね。何か借りたんですか?」
「ん、まあちょっとなあ。早く帰ろうぜえ」
別に言っても良かったのだが、少し照れくさかったために誤魔化してしまった。
僕がスタスタと歩き始め、椎名がそれに付いてくる。
「はぐらかさなくても良いじゃないですか」
バレテーラ。女は皆鋭い生き物なのだろうか。
「あっはは、そうだなあ。読み終わったら教えてやるかあ」
「うーん、私、気になります」
気になるな。拒否する度に自分が意識しているみたいになってくるじゃないか。おかげで余計に答え辛くなる。
「やっぱり辛抱強いじゃないかあ。しつこい女は嫌われるって聞いたことあるぞ?」
「本のことについてだけですから心配ご無用です。別に恋愛に興味を持っているわけでもありませんしね」
やはりそうだったか。思春期が過ぎたのかまだ来てないのか。言っては悪いが、彼女の場合そんな時期は後にも先にも来なさそうだ。
「そういうもんかあ」
「そういうものです」
……随分と間延びた会話だ。まさか自分に匹敵するテンポを熟せるやつがいたとは。
何もない時間というのも趣はあるかもしれないが、それはある程度同じ時を過ごした間柄での話。出来立ての関係でこれはどうなのだろう。
僕らの間に、正体不明な沈黙が流れる。
「……僕は、案外ロマンチストなんだよ」
それを破ったのは、なんと自分だった。会話を繋げようと思ったのか、答えない罪悪感からだったのかわからないが、それは自然と口を衝いて出た言葉だった。
「どういうことですか?」
正直、知らないよと言いたかった。しかし、それではあまりに椎名が可哀想だ。かと言って、今更直接的に答えるのも恥ずかしい。
「出会いも別れも、運命は知ることができないから信じられないが、人の繋がりは信じたいってことさあ」
なんとか紡いだ曖昧な答えを受け、椎名は顎に指を当てて少し難しい顔をした後、ハッと納得した表情に変わった。なんとか伝わったみたいだな。
「なるほど、理解しました。でも、どうしてそんな遠回しな言い方を?」
「手厳しいねえ。言ったろう、僕はロマンチストなのさあ」
「それは面倒くさい人の間違いでは?」
急に抉るじゃん。まさか僕が面倒くさい認定される日が来ようとは。こんな言い方しかできなくなったのは半分は君のせいだからな。全く、本当に手厳しい……あ。
「椎名だけに、手厳
「もうさっきの言葉が台無しですよ」
彼女はやれやれといった様子で微笑んだ。これは完全にからかわれているな。確かに、変にキザなセリフを吐いた後にこんなしょうもない駄洒落を放つ男なんて僕くらいかもしれない。
だが、さっきの詩的な表現に対する評価は強ち低くはなかったようだ。
「……まあ、僕はロマンチストだが、締まらない方が僕らしいだろう?」
「どうでしょう。私はまだ浅川君のことをほとんど知りませんから」
それもそうか。出会ってまだ一日も経ってない人間の性分を理解するのは簡単ではない。
「――でも」
しかし、彼女の言葉はそこで終わらなかった。
「あなたとの時間は、きっと楽しくなるんだろうなとは思いますよ」
そう優しく語りかけ、十八番の如く彼女は無垢な笑顔をこちらに向けた。
僕はその表情に、しばらく何も言えなくなってしまった。見惚れてしまったのだ。恋に落ちたとかときめいたとか、そういう意味ではない。
驚いてしまった。彼女の純粋さに。人はこんなにも鮮やかな色を、笑顔に乗せることができるのかと。
……これはもう、羨ましいの一言に尽きるな。
春のそよ風が、心を撫ぜる。
その時僕は、初めて彼女を
夕日に煌めく銀色にも見紛う髪、情愛を宿した温かな瞳、そして、聞く者全てが毒気を抜かれてしまうような柔らかいソプラノ声。
僕の心に刻まれた彼女の存在はとても幻想的で、間違いなく
……久しぶりだな、他人に色を視たのは。
僕はフッと息を漏らし、彼女に応えた。
「僕も、君と出会えて良かったって、これから何度も思うんだろうさ」
「そう言ってもらえるなら、嬉しいです」
椎名の微笑みに、僕も思わず顔を綻ばせる。和やかな空気が流れた。
ああ、彼女はなんて強かなのだろう。出会って間もないが、尊敬の念を隠せない。
違うクラスだったからこそ、本が引き寄せてくれたからこそ、結ぶことができた絶妙な関係。
清隆たちに出会ったときと、同じような心地良さ。
彼らとの関係は今、歪なものとなってしまっているが、椎名を見ていると、これからゆっくりと取り戻していけるのではないかと思えた。決して楽観的なものではない。すれ違ったとしても手を伸ばす限り、あるいは伸ばされた手に気付ける限り、いつかはまた届くかもしれない。僕自身が、椎名の手を見つけられたように。
――彼らの色を、僕は見ることができるだろうか。
ただ、少なくとも、僕と椎名の関係はしばらく簡単には変わらないのだろう。強固な友情とはまた違う、ぬらりくらりで続いていくような、マイペースな波長。だけどきっと、僕らにはそれがお似合いなのだ。寧ろ、そうであってほしいと思う。
僕は、椎名の隣に並んで帰路を往く。
地平線に沈みかけた夕日が、いつもより少し、儚くも綺麗に見えた。
その景色に対する感動か、右を歩く彼女との時間に対する幸福か。僕は今確かに、この学校へ来て
こうして始まった、僕の、憧れの真似事。
弾力性のある関係。それが崩れた時、誰かが傷つくことはわかっていた。にも関わらず、僕は再び繰り返す。
それは、密かに終わりの約束されている、傲慢な罪の始まりだった。
今までオリ主の他キャラへの第一印象が描かれなかったのは、こういうことです。
因みに、クリスマスのタイミングでこのサブタイになったのは全くの偶然なんです、ホントに。
そもそもの話、ヒロインを作るか自体ちょっとまだ決めてませんね。一周回って清隆が友情ヒロインまである。希望か何かあれば書いてみてください。採用するかは流石にはっきりとは言えませんけど。
オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)
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