朝、北海道の友人から電話があった
泣きじゃくっていて、言葉が聞き取れない
「洋子が・・・洋子が、亡くなった」
「・・・うそ~!」
洋子は、大学時代の友人
国立市のあちらこちらに
下宿していた8人の仲間の一人だった
8人で、美しい街国立を闊歩し
ふざけて歌歌ったり踊ったり
誰かの下宿に押しかけ
誰かが作ったカレーを死ぬほど食べて
朝まで真剣に語りあったり
そんな、仲間
全ての自分を出せる間柄
だから、大人になってからも
LINEでは「国立グループ」と名づけ
近況を報告し合っていた
北は札幌、南は鹿児島
全国に、皆散らばっているけれど
繋がっている
Facebookとかあるけれど
私自身は
あの場では、本音を語れない
弱みも見せにくい
でも、LINEの国立グループでは
弱い自分を曝け出すことが出来た
洋子が気管支系の病気だとは知っていた
でも、そんなに酷いとは知らなかった
彼女は、弱みを見せていなかったんだ
気丈な洋子は、最後まで気丈だった
生きていく上で、色んなキーポイント
ターニングポイントがあるけれど
私にとって、洋子は
間違いなくキーマン、キーウーマンだった
大学卒業して半年後のある日
私は、まだ国立のアパートにいた
その日から海老名市での
ウグイス嬢のアルバイトが10日間あり
その準備で忙しくしていた
大学4年生の時に入った劇団
東京キッドブラザーズは
母との1年期限の約束があったから
すでに退団していた
不安だらけの毎日
その日朝、電話で尋ねたフジテレビは
アナウンサーの募集をしていた
でも、締め切りは翌日の消印までで
手元に証明写真がなかった私は
すぐに諦めていた
当時、証明写真は
ネガを出して受け取るのに
丸1日は必要だったから
四畳半の下宿の部屋に
ふらりと入って来たのが
国立ファミリーの一人、洋子だった
卒業後、すでに皆は
実家に戻っていたから
国立にいるのは
3人ぐらいしかいなかった
洋子は、数学科の大学院生だったのだ
忙しくボストンバッグに
荷物を入れる私を見下ろすように
洋子はベッドに座って
いかに数学の問題が解けないか
気晴らしが必要なんだと
つらつら話していた
私も
今朝電話したフジテレビのことを
何気なく話した
「 あ!」
洋子が言った
「 私が応募書類、出してあげる 」
ネガを写真屋に出して
明日、写真を受け取って
出してくれると言う
「 いいよ、そりゃ面倒だし悪いよ
それに、受かるわけないもん 」
「 いや、私に出させて
気晴らしになるから、問題解けるかも 」
その行動が、
なぜ問題解けることになるのか
さっぱり私にはわからなかったけれど
私は、洋子の目の前で
躊躇しながら履歴書を書いた
そして
ネガと一緒に、洋子に託した
アパートを出て、別れる時
「 じゃあね! よろしくね~!」
なんて、軽く洋子に声かけたものの
全然、期待なんかしていなかった
そして
真面目な洋子は
その足で写真屋に行き、ネガを出し
翌日、写真を受け取り
履歴書に、ノリをつけて貼り付けて
封筒に丁寧に入れ
ポストに投函してくれたのだ
その後
私は、フジテレビに入社した
やがて、退社はしたけれど
アナウンサーを経験したことが
全ての根幹となった
あの日、洋子が
4畳半の下宿にやってこなければ
今の私の人生はなかった
確実に、なかった
洋子に関しては
いっぱいいっぱい思い出があるけれど
それは、国立ファミリーの皆で会って
話そう
そうすれば、天国で笑ったり
そりゃ違うと言ってムキになったり
するだろう
でも、私はここでしっかりと
言っておかなくてはいけない
本当に感謝です
ありがとうね
洋子
ありがとう
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