スズキ ヴェルデ(1998)
かつて発売された日本製の国産
スクーターでは、私はこのスズキ
ヴェルデが一番デザイン的には
練られていると感じる。
VERDEとはイタリア語で緑の事。
だが、この初代型の社名をグルー
ミーグリンとされる色は、光の
加減ではジャーマンブルーにも
見える。ドイツ軍車の二輪の色
と同系色に光加減では見える。
この初期型以降はスズキからは
この色は発売されていない。
ポップな配色にシフトした。
スズキからは「ラテン系スクーター」
というコピーでヴェルデは発売さ
れた。よく覚えている。
「お~。第二次スクーター大戦か」
と思った。
90年代初期にホンダが火をつけた
レトロスクーターブームにヤマハ
が追従して1997年にビーノを発売
し、爆発的ヒットになった情勢に
スズキが乗ったので、最後発とし
てこのヴェルデが誕生した。
日本のスクーターは総じてイタリ
アンスクーターのデザインの影響
をかなり強く受けている。つまり
イタリアのベスパから。
このスズキヴェルデはネーミング
もロゴもベスパを模倣した。
そのため、イタリアベスパブランド
からクレームが入り、ロゴは初期
モデルから後期モデルは改変した
とのことだ。
イタリアのベスパの本家ロゴ
スズキ ヴェルデの初期ロゴ
これ、あかんやつでしょうね(笑)
クレームにより改変したヴェルデの
後期ロゴ
ただ、大なり小なり日本のスクーター
はイタリア車の影響を受けている。
1980年代にかなり人気のあった
ヤマハのベルーガなどはイタリア
のランブレッタに雰囲気が似ている。
ヤマハ ベルーガ
イタリア ランブレッタ
どうしても二輪車というと欧米
が先なので、日本で作る車は
欧米車のデザインの模倣的な
ものになりがちだ。
だが、典型的な日本生まれの
ジャパニーズスタイルがある。
それがホンダのスーパーカブだ。
スーパーカブは設計も素晴ら
しく、歴史的にも価値ある二輪
だと感じる。
派生型エンジンや車体の開発
が歴史的に残した功績は大きい
し、ビジネスバイクとしての
日本国内での普及はとてつも
ないものがある。
ただ、こういうイメージ戦略は
大きく「違う」と感じる。
青山ナンバーまで着けてる念の
入れよう。
お洒落な原宿・青山をスーパー
カブで駆け抜ければ、貴方も
アーバンライフビューティーに、
みたいなイメージ創作は、私は
かなりのダダ滑りだと思う。
カブというのはもっと日常的
実用生活に密着した、郵便バイク
や蕎麦屋の出前バイクや、新聞
配達バイクであり、そしておじ
さんたちの通勤バイクだった。
若者たちはのきなみ敬遠していた
のがスーパーカブだった。
しかし、近年、種子島高校での
通学バイクで実用性の高いカブ
が多用されたり、女の子がカブ
に乗る漫画やアニメが人気に
なった影響か、カブの世の中での
人気が突然降って湧いたように
登場した。まるでキャンプブーム
のように。
だが、従来のカブファンは骨太
のカブのカブらしさを愛して
いた。決して「流行」や「人気」
に乗る軽佻浮薄とは一線を画して
いた。
仕事以外で乗るカブ乗りたちは
まるでカワサキ乗りや鈴菌のよう
にコアな一本通った人たちが乗っ
ていた。「みんなが乗るから
乗る」という対象ではなかった。
「カブに乗りたいからカブに
乗る」としてカブを選んで
いた。
それがたまたま集合体となるのと、
周囲で流行しているから乗る、
というのでは位相が大きく異なる。
日常の足として愛用する多くの
働く人たちや高校生たちの
「必要不可欠な物」として、ホンダ
スーパーカブがその本来の低燃費
かつタフネスさを発揮していた。
そして、個人的好みで乗る人たち
の多くは、芯のある一徹の愛用者
たちがカブの世相的利用選択背景
だった。
それにオサレ感を突然出して、繊細
でハイソなシティ派とのイメージ
を「取ってつけた」ようにCM
するのは、私は何か大きく違うと
感じるのだ。
カブの正統進化系はハンターカブ
のようなタフネスに基づいたアク
ティブさを前面に出す事かと個人
的には感じる。
もしくはどノーマルで乗るか、
逆に原型とどめないほどにいじ
くり倒すか。本来のタフネスさを
損なわない改造で。
人それぞれ価値観は違うが、長い
歴史の事実と真実があるカブだ
けに、ここ数年で取ってつけた
「おしゃれ」感をイメージでカブ
について出そうとするのは、
すぐに剥がれるシールのように
味気なくも滑り案のように思える
のである。
正直なところ、オサレ感ならば
イタリアの風にはかなわない。
日本のカブは日本人の足として
の頑強さ、簡素ながらの粘り
強い強靭さのその特性をこそ
前に押し出すのが不自然な
違和感のない姿勢かと思うのだ。
シティビークルのスクーターは
多くの日本メーカーがイタリア
車をお手本にしたのは、それは
イタリア車が芸術の国イタリア
のそのハイセンスを具有して
いるからだ。
なので、本家を手本に国産スクー
ターが造形を成すのは、それは
ごく自然な流れとしてある。
だが、純日本純正ジャパニーズ
デザインのスーパーカブで大都会
の市街地を走ることをオシャレ
とするのは、実に無理がある。
泥縄的に過ぎる。
カブはもっと別な本来の質性で
勝負し、そして愛されて来た
乗り物かと思う。
カブで釣りに行ったり、かなりの
距離を目指すロングツーリング
などはまさにそうしたカブの
持ち味を生かせる接し方かと。
たとえば、渋谷のスペイン坂や
原宿表参道にカブを停めている
よりも、イタリアンスクーター
のほうが「絵」になる。
これは確実だ。
取ってつけたようなのは、逆に
カブの存在にゆがみ感を生む。
カブは大地から大根を引っこ抜く
ような力強い感じでないと。
と私は個人的には思うのだ。
カブ自体は素晴らしい二輪だ。
ただ、「どこまでもタフネスで
頼れる実用車」ということを曇ら
せるようなハイソでおしゃれ感を
PRするのは、大外しの滑り宣伝だ
と感じる。
街の風景。ここには一つの空気
がある。この絵画的な世界。
美と芸術の国イタリアに同じ手法
でジャパニーズアイテムを宛て
ても的を外すだけだ。
日本は日本なりの土性骨を出す
ほうが潔いし、カッコいいし
ど真ん中を射貫いてている。
ホンダのスーパーカブ。
こういう接し方はいいなぁと思う。
こういう地に足が着いた二輪への
接し方がカッコいい。
インタビューである女子高生は
言う。
「上の兄が乗っていたカブに乗って
います。下の兄がまたそれに乗って。
スクーターもすすめられたけど
私はどうしてもカブに乗りたくて
兄のお下がりに乗っています」
カッコいい。