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因果の魔王期・第2回:あなたがどれだけ汚れても
第44話 魔妃


 時はしばし遡る。


「だからッ!! 何度申し上げればよいのですッ!!」


 天空魔領ダイムクルドは本島(プラネット)、魔王城の一角を占める大会議場に、魔王の副官であるベニーの声が響きわたった。


「陛下を取り戻す以外に、我々が生き残る道などないのですッ!! 今は精霊励起システムのおかげで無事ですが、陛下が処刑されれば〈アンドレアルフス〉の加護もなくなってしまう!! 落ちるんですよッ!! この国は! 地上に!!」


「だから! こちらも何度も言うておろうが!!」

「その前にどこぞへと降りてしまえばよかろう!!」

「三国との交渉の糸口を探すのだ!! 奪還など試みれば、それすらも不可能になる!!」


 口々に反論するのは、ダイムクルド首脳部の中でも行政を司る者たちだ。

 彼らはダイムクルドがラエス王国領だった頃からリーバー家に仕えていた元・下級貴族を中心としている。

 魔王に心酔している軍部とは異なり、ジャックの『知識の泉』に釣られて帰順を決めただけの日和見主義者であることを、ベニーは知っていた。


「交渉だとッ!?」


 ベニーに代わり、力強く卓を叩いて反論するのは、軍部を代表する将軍たちだ。


「何を世迷い言を!! 我らは世界を敵に回すと決めた!! 世界もそれを受けて立った!! その我らが、交渉!? ハッ! ふざけるなッ!!」

「我らは天災である! 世界に暴れ回る嵐である!! 嵐は口など持たぬわ、臆病者めッ!!」

「陛下をお助けするのだ!! コケにされたまま終わってなるものかッ!!」


「話にならん……!!」

「この野蛮人どもが!! そんなに暴れたければ森にでも住まうがいい!!」

「付き合いきれぬわッ!!」


 両者の価値観は完全なる平行線であり、交わることは有り得なかった。

 このような不毛な議論が、もう何日にも渡り、延々と繰り返されているのだ。


 2種類の異なる価値観を持つ者たちで首脳部を形成したのは、1種類の価値観だけでは現れない考えもあろう、というジャックの判断によるものだ。

 しかし、それは魔王という最終決定機構が機能していてこそ有効になる。

 それが突然に失われてしまった今、ダイムクルドという国は完全に歯車が噛み合わなくなっていた。


 あるいは、ジャックがこの事態を想定し、代理権限者を指名してくれていたら、話は違っただろう。

 しかし、彼はそうしなかった。

 まるで、自分がいなくなった後のことなどどうでもいい、とでも言わんばかりに……。


 ジャックを取り戻さねばならない。

 感情ではない、理屈の部分でも、ベニーはそう思っていた。

 この国は、魔王がいなければ立ちゆかなくなるように作られているのだ。

 故意か偶然かは不明だが、たとえ三国と和平を結んだところで、ジャック不在のダイムクルドには未来がない。

 しかし、そのための手段が、ベニーには思いつかなかった……。


 今日の会議も怒鳴り合いに終始するかと思われた。

 が、そのとき、不意に扉が開け放たれる。


「―――静まりなさい」


 冷え冷えと告げた幼い声に、ベニーは目を剥いた。

 開け放たれた扉から大会議場に入ってくるのは、小さな少女。

 喪服のようにも、あるいはウェディングドレスのようにも見える漆黒の衣に身を包んだ―――


「サミジーナ様……っ!?」


 ―――ジャックの第一側室、サミジーナだった。


「な、なんだ、貴様……!!」

「誰の許可があって入ってきた!?」

「おい、衛兵はどこだ! つまみ出せッ!!」


 いくら衛兵を呼んでも、なぜかやってくることはなかった。

 その間に、サミジーナは大会議場を横切り―――

 ―――たった一つ存在する空席に、当たり前のように腰を落ち着ける。


 居並んだ首脳陣が、揃って絶句した。

 彼女が腰掛けたのは、この大会議場でも最上座。

 魔王のみが座ることを許される席だったからだ。


「何を驚いているのでしょう?」


 ベニーは、知らず息を呑んでいた。


「夫の不在に妻を代理を務めるのは当然のこと―――なれば、この席にわたしが座るのも、自然の道理というものです。違いますか?」


 ともすれば人形にも見える小柄なサミジーナが、しかし、恐ろしいほど巨大に感じる。

 これがわずか10歳の少女が纏う雰囲気か?

 ベニーの知る彼女とは、まるで違っていた。


 どこか空虚さを感じさせた以前のサミジーナとは、完全に逆だ。

 例えるならば――そう、彼女が纏うドレスと同じ、黒。

 色という色を混ぜ合わせることでできる漆黒。

 今の彼女は、何人もの人間の気配を混ぜ合わせたかのような、混沌とした存在感を放っていた。


「これより、魔王陛下の代理を、妻であるわたし―――サミジーナ・リーバー(・・・・)が務めます。では、どうぞ、議論の再開を―――」


「―――第一側室様。ごっこ遊びはそこまでにしていただきたい」


 席を立ったのは、軍部を代表する将の一人だ。

 筋骨隆々の大男で、腕や首筋に垣間見える銀の鱗が、竜人族の血を色濃く受け継いでいることを窺わせる。

 ディーデリヒ・バルリング。

 空挺竜騎士部隊を率いる豪の者であり、当人の実力も魔王軍屈指――首脳陣でも随一の武闘派だった。


「何を勘違いなさっておられるか存じ上げないが、貴女は陛下に見初められた妻――ただ、それだけのことにしか過ぎませぬ」


「その通りだ! たまたまルーストだっただけの奴隷のガキが、何を偉そうに―――」


 行政部の一人が便乗して喚き立てた瞬間、竜人の武将が睨みつけてそれを黙らせた。

 竜人の武将は、大会議場をぐるりと回り、最上座のサミジーナのもとへと近付いていく。


「奴隷、貴族、血統――この国ではすべて意味を持ちません。代わりに何が必要か、おわかりになりますな?」


「ええ」


 サミジーナは頷いて答えた。


「世界に対する天災たる能力。――すなわち、戦闘力です」


「然り。魔王陛下は誰よりも強かったからこそ魔王であられた。その代わりを、その華奢な腕で、子供の矮躯で、どうお務めになろうと言うのですか?」


「やはり必要ですか、証明が」


 感情を窺わせない――そう、ジャックのように――声で言い、サミジーナは席を立った。

 そして、2倍近くの上背がある竜人の武将に、正面から対峙する。


「どうぞ、いつでも」


 竜人の武将は怪訝そうに眉をひそめた。

 が、


「――――!!」


 次の瞬間には、表情を引き締め、屈強な巨体を身構えさせていた。

 傍から見ていたベニーも、ひやりと背筋に冷感が走るのを感じる。


 サミジーナの、一見無防備そうな立ち姿。

 そこに、一片の隙も見られなかった。

 これは、まるで武術の達人だ。

 ただ、そこに立つだけで、百戦錬磨の武将に実力を理解させた―――


 大会議場に、痛いほどの緊張が漲った。

 張りつめた糸のような時間が濃密に進み―――



 一発の銃声が、それを打ち破る。



 サミジーナも、竜人の武将も、指一本動かしてはいなかった。

 撃ったのは、席に座した将の一人。

 銃兵部隊を預かる男が、椅子に背をもたせかけたまま、硝煙を立ち上らせる銃口を、サミジーナに向けている。


「やれやれ。いつまでガキに好き勝手させてんだ……」


「貴様ッ! 第一側室様になんてことをっ―――!!」


「陛下のお人形ならいくらでも代わりがあらぁな。それよりも今は時間が惜し―――」




「―――その昔」




 響いた幼い声に、ベニーは愕然と振り返った。

 サミジーナが、倒れていない。

 外れた?

 いいや、射線上にある壁のどこにも、弾丸が当たった痕跡はない……!


「ロウ王国の名だたる猛者たちを拳一つで制したとされる拳聖ゼルギウスは、流れ落ちる星すらもその手で掴み取ったといいます」


 サミジーナは、自分の頭の横で、緩く拳を握っていた。

 その細く、小さい指が、ゆっくりと解かれ。

 ――カランッ――

 と、一発の弾丸が中からこぼれ落ちた。


「無粋、大いに結構です。――しかし、先ほどの発言は陛下への侮辱と見なします。どうぞ……さようなら」


 目にも留まらなかった。

 サミジーナの右手がドレスの袂に消えたかと思うと、バンッ! という炸裂音が大会議場に響いていた。


 サミジーナに発砲した男の、眉間に。

 真っ赤な穴が、穿たれている。


 断末魔の一つもありはしなかった。

 男は、何が起きたかもわかっていないまま、椅子ごと床に崩れ落ちた。


 サミジーナに視線を戻せば、その右手には、銃口から硝煙を立ち上らせる拳銃がある。

 彼女の目は、男の方を見てすらいなかった。


「エルフ族でも並ぶ者のいなかった名射手マグヌスは、使う弓を選ばなかったそうです。銃もまた、鉛を放つ弓の一種でしょう」


 銃を持つ手を下ろし、サミジーナは竜人の武将を見上げる。

 武将の表情には、驚愕と畏れがない交ぜになって浮かんでいた。


「前半の言葉は不敬でしたが、後半の言葉は正しいものでした。

 ――時間が惜しい。続きを始めましょうか」




 サミジーナはその日のうちに、魔王軍の猛者たちを次々と打ち倒し、果てには七大巨獣の一角たるトライザドラを、民衆の前で手懐けてみせた。


 女子禁制のダイムクルドにあって、しかし、魔王ジャックを思わせるその圧倒的な強さは、ダイムクルドの民を心酔さしめるのに充分なものであった。


 その彼女が告げる。


「我が夫を、取り戻しに参ります」


 その決定に否を唱えられる者は、もはやダイムクルドのどこにもいなかった。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 その夜。

 後宮にある自室に戻ったサミジーナは、糸が切れたように床に倒れ伏した。


「サミジーナっ!?」


 連れ添っていたシトリーが慌てて助け起こす。

 彼女はサミジーナの額に手を添えると、くしゃりと表情を歪ませた。


「すごい熱だよ……! 無理して『限定転生』を使うから……!!」


「……だい、じょうぶ……」


 サミジーナはかすかに笑って、自分の力で上体を起こす。


『限定転生』。


 サミジーナの精霊術【迷魂の人形】の最も実戦的な使い方であるそれは、過去の名だたる英雄たちの魂から、知識や技術のみを降霊させるというものだった。

 それらは、魂という高密度な情報体のほんの一部でしかなく、一人分ならば依り代である彼女にもさほど負担はかからない。

 しかし、サミジーナは魔王代理という重責を果たすため、歴史上の賢王や智将、武術の達人たちの魂を、何人分もその小さな身体に押し込んでいた。


 元より、【迷魂の人形】は術者の負担が大きい精霊術である。

 このような無茶な使い方をすれば、彼女の幼い身体が悲鳴を上げるのは、当然のことだった……。


「お願い、サミジーナ……無茶はやめてよ……。こんなの、こんなの……」


「今日は休む、から……。服、脱がして? ね……?」


「……うん……」


 シトリーの手を借りて、鎧のごとき漆黒のドレスを脱ぎ捨てる。

 一糸纏わぬ姿になったサミジーナは、カーテンを貫いて射してくる月光を見やり、譫言のように呟いた。


「……必ず……必ず、お迎えに行きますから……陛下……」


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