干支試験が始まる十三分前、オレと
オレと幸村は同室のため、自然と一緒に行く流れになり、そこから、連絡先を持っているオレが外村に連絡を取り、Dクラス男子陣は一緒に試験会場に赴こうと事前に約束をしていたのだ。
「遅いな……」
壁に体を預けている幸村からは微かな苛立ちを感じる。
本当は試験開始十五分前に集合の約束をしていたのだが、二分を過ぎても、彼の怒りの矛先である人物はなかなか姿を現さないのだ。
「どうする
「いや……あと三分待とう。ギリギリまで待った方が良いと思う」
試験開始前から不和が生じるのは避けたい。
幸村は長いため息を吐いた。
「一応、チャットでもメッセージを送ってみる」
これで彼が安心出来ると良いのだが……。
上着の内ポケットから携帯端末を取り出し、オレは待ち人に簡潔な文章を送った。
しかし既読はつかない。
外村はオレたちと同じ階層にいるはずで、また、借りている部屋はクラスごとである程度の区画が出来ている。なので、近くの閉められている扉を片っ端から開けていけば、彼を呼ぶことは出来るだろう。
だがそんな時間的猶予はないし、些か、常識にも欠ける行為だろう。こんなことで先生に怒られたくはない。いやそもそもの話、部屋に居るのかすら定かじゃない。
「ああ、全く! 外村は何をしているんだ!?」
「昼寝しているのかもしれないな」
軽く冗談を言った、その時だった。
携帯端末が小刻みに震え、メロディが流れる。
「……もしかして外村か?」
「あ、ああ……」
液晶画面には『外村
出ろ、という無根の圧力が掛けられ、オレはボタンをタップし、端末を耳に当てた。
「もしもし──」
『コ、コポゥ。あ、綾小路殿でござるか!? 吾輩は外村である!』
「あ、ああ……そうだけど」
一瞬、掛ける相手を考えずに電話をしているのか? と思ってしまった。
幸村にも聞こえるよう、オレはスピーカーモードに変更した。
そんなことを露ほども知らない外村は、衝撃的なことをオレたちに言ってくる。
『綾小路殿ー、お助け!』
「……何かあったのか?」
『イエスでござるよ! 拙者、ただいま、絶体絶命の窮地に追いやられているのでござる! ……コポゥ。こ、これが三途の川なのでござるか……?』
「いったい何が起こっている?」
聞こえてくる声音からは焦燥がありありと伝わってくる。
苛立っていた幸村もいまは表情を変えている。
オレまでもが冷静さを失っては話が進まない。なので、努めて明るく喋ることを心掛ける。
「まずは落ち着け。博士、お前はいまどこにいるんだ? 助けにいけるかもしれない」
そう尋ねると、彼はこのように言った。
『トイレでござる』
瞬間、オレの頭は空白になった。
見れば、幸村も口を半開きにして呆然としている。
固まるオレたちに、外村はさらにこのように言ってきた。
『いやはや、
「馬鹿かお前は!?」
『そ、その声は幸村殿でござるか……?』
「あぁそうだ! お前、試験には間に合うんだろうな!?」
『えーと、それは〜……』
声がどんどん尻すぼみになっていく。
やがて廊下は静寂に包まれた。
いまこの階層に居るのは、オレと幸村、そして、腹を下した外村だけだろうな……。
「取り敢えず、
『あっ、それは既にやったでござる。プライベートポイントが引かれるとの通達を受けたでござるよ』
なら最初にオレたちに伝えて欲しかった……。
「──! 行くぞ綾小路! 外村、お前、あとで覚えていろよ!?」
言うや否や、幸村は廊下を走り出した。
真面目な彼が非行に走るとは……と、場違いなことを考えていると、
『おぷっ。あ、綾小路殿……俺の
こいつ、実はかなり余裕があるだろ。
そんなツッコミを脳内で入れてから、オレは「お大事に」と告げてから回線を切った。
これは完全に出始めに失敗したな……。
現在時刻は午後零時五十六分。
あと四分もあると思うべきか、はたまた、あと四分しかないと思うべきか……。
「綾小路、早く来い!」
遠くから急かす声が響く。
オレは嘆息してから床を勢い良く蹴り出した。
エレベーターを使うよりも階段を使った方が早いと即座に判断し、オレたちは凄まじい勢いで、階段を上った。
ここまで二分。
そして『兎』というプレートが貼られた扉を手分けして探す。そして残り時間二十秒を切ったところで、遂にオレは見付けた。
「幸村、こっちだ」
「ああ!」
オレは扉を開け放ち、先に幸村を通した。彼のあとに続き──二秒後。
『ではこれより一回目のグループディスカッションを開始します』
簡潔で短いアナウンスが流れた。
オレと幸村にとっては福音だが、他の生徒にとっては地獄への案内だろう。
「大丈夫か?」
「ぜぇ……あ、あぁ……大丈夫だ……」
肩で息をする幸村は酷く辛そうだ。額には大量の汗が噴き出しているし、膝も震えている。
勉学にかけては優秀な成績を収めているが、運動に拘ってはその逆だからな……。この数分の出来事は彼にとって苦行だったに違いない。
「あー、えっと、きみたち?」
そんなオレたちにおずおずと声が掛けられる。
声主はオレの友人の一人、そして一年B組の生徒である
平生、笑顔を絶やさないその美貌は、しかしいまだけは表情が引き攣っているように
「ええーっと、取り敢えず、座ろっか?」
彼女の提案に頷き、オレと幸村はそそくさと空いている席に座った。
「あんたたち……何してんの?」
隣の
「……色々とあったんだ」
「ふーん。あっそ」
「はいこれ、綾小路くん、幸村くん」
一之瀬が紙コップを渡してくる。見れば、部屋の隅にはピッチャーと紙コップが置かれている。自由に使って良いと彼女は判断したのだろう。
オレたち二人は礼を言ってから受け取り、一気に
「改めてありがとう。助かった」
付き合いがあるオレが幸村の分も込めて頭を下げる。
「いやいや、これくらい気にしないでっ」
優しい彼女は一度微笑んでから、自分の席に戻っていった。
流石は一之瀬。
「ねえ綾小路くん。外村くんは?」
オレは尋ねてくる軽井沢から逃れるようにして視線を逸らした。
だが、逃げた先には
つまりはこの場にいる全員が、時間になっても埋まらない席を不思議に思っている。
「あー、外村は長く険しい戦いに──」
「勿体ぶらずに早く答えなさいよ」
「……はい」
かくかくしかじか。
オレは嘘偽りなく
全てを聞き終えた、『兎』グループの面々の反応は様々だった。
軽井沢や伊吹のように呆れる者も居れば、一之瀬のように苦笑いしている者も居るし、Aクラスの連中のように馬鹿にしている者も居る。
そして彼らの様々な視線がオレに注がれるわけで……、オレの精神力は大きく削られた。
──オレは何も悪くないのに……。
「それで外村くんは来れるわけ?」
「……分からない。回復したら来ると思うが──」
『『兎』グループに通達します。体調不良の為、一年D組外村秀雄さんは現在行われているグループディスカッションに参加出来なくなりました。『兎』グループの生徒の皆さんは、彼抜きで最初のディスカッションを行って下さい』
そんな放送が流れた。
言い回しからして、運営側はこの部屋だけに放送を流したのだろう。
軽井沢がため息を吐き、
「はあ……最悪。こんなヤツと同じクラスなんて……」
言いながら、空席を睨んだ。
やがて何とも言えない空気が部屋を侵食していく。同時に、ぴりぴりと張り詰めていくのを、オレは肌で感じた。
みんな、居ない生徒のことを考えても仕方がないと判断し、意識を特別試験に向けている。
その切り替えの早さは多分、前回の無人島試験で
無言で視線が飛び交い、警戒している。
その中に紛れ、オレも室内を見渡した。
クラスごとである程度固まっているのを確認する。
オレが知っている顔は、味方であるDクラスの生徒と、友人の一之瀬、そして知人の伊吹だけだ。
あとのメンバーは顔は辛うじて見覚えがあるが、名前は知らない……そんな感じだ。
牽制し合っている中で勇敢にも最初に動いたのは、一人、静かに微笑んでいた一之瀬だった。
「はい、ちゅーもく!」
明るく声を出し、右手を挙げることで注意を引き付ける。
「ちょっとアクシデントがあったけど、そろそろ話し合いを始めよう! まずは学校からの指示があった、自己紹介からやらないかな? 初めて顔を合わせるひともいるだろうしね」
一之瀬は素早く動き、他クラスを出し抜き、干支試験を仕切る人間に立候補した。
討論として成立させるためには司会者役が必要になるのは必須。
誰もが憧れ、やりたいと思うだろう。
しかし司会者役というのはかなり面倒な仕事だ。グループに不和を生じさせてはならないし、率先して『話し合い』の場を用意しなければならない。
つまり、羨望以上に、嫌だという気持ちが大半の人間は上回る。
だが一之瀬からはそんな様子は微塵も感じられない。むしろその逆で楽しそうだ。
「あれが一之瀬さんか……」
左隣の幸村が小さく呟く。
彼も一之瀬の存在は認知しているが、実際、こうして近くで見るのは初めてなのだろう。
声音からは微かな畏敬の念を伝わってくる。
それは彼だけじゃなく、他の生徒も同様のようだ。
Aクラスの生徒たちは戸惑いを隠しきれないようで、
「だ、だが今更自己紹介をする必要があるのか?」
「そうだぞ。学校も本気で言っていたとは思えないな」
「うーん……私はそうは思わないけどなあ。例えばこの部屋に音声を拾う機械が隠されていたらどうする? その場合困るのは自己紹介しなかったひとだし、グループの責任にも問われちゃうかもしれないよね」
そうなった場合、きみたちに責任が取れる? と一之瀬はAクラスの生徒たちに問う。
流石に裏でそう言われたら彼らも否定的な構えを崩さざるを得ない。
「分かった。やるとしようか」
「ありがとう! 他のひとたちも異論はあるかな?」
一之瀬は誰も声を上げないことを確認してから、まずは自分から! とばかりに自己紹介を始めた。
「私は一年B組、一之瀬
彼女が終わったあとは、残りのBクラスの生徒たちが。そこから各クラスごとに自己紹介をしていく流れが出来る。
「俺は一年D組、幸村
ぱちぱちぱちと、一之瀬だけが、各自の自己紹介が終わったあとに拍手をしていた。
打算ではなく、自分がしたいからしているのだろう。それが分かるから、みんな、誰も彼女の行いを咎めない。
軽井沢の番が終わり、最後に、オレが椅子から立ち上がる。
脳裏に思い浮かぶのは、あの忌まわしい記憶。そう、四月、入学した時に行った、あれだ。
あれから四ヶ月。
オレは入学してから多くのひとと会い、親交を深めてきた……つもりだ。だからあの時のような悲惨なものは断じて行わない──!
「あー……えっと、綾小路
「ぷっ」
軽井沢が口元を押さえて吹き出した。
おかしい……あの時のに比べたら遥かにマシだと思うのだが……。
そんなにも酷いのか。
ちょっと……いや、かなりショックを受けていると、
「やっほー、綾小路くん! 今回はよろしくね!」
一之瀬が笑顔でオレを受け入れてくれた。
軽井沢も是非とも彼女を見習って欲しい。そんな思いを込めて彼女に視線を送るが、ヘッと小馬鹿に笑うだけだった。
「外村くんは来た時にやって貰うとして、これで自己紹介は終わりかな?」
これで事実上、運営側からの指示は達成したことになる。
一回のグループディスカッションに使われる時間は一時間。
用意されている時計を見ても、やはりというか、時間はそこまで経っていなかった。あと五十分弱はある。
そして初顔合わせの際の自己紹介以外、学校側からは何も指示がされていない。
事前説明でも、自由に過ごして良い旨が伝えられている。つまり、真面目に話し合うのも良し、携帯端末を弄るのも良しだということだ。
流石に初回なだけあってそういった態度を取る者は居ないようだが……それは室内の異様な雰囲気に支配されているからに過ぎない。
先程と同じ光景だ。
みんな、互いに牽制し合っている。
この中で動けるのは──オレの目は自然と一之瀬に寄せられた。そして彼女と目が合う。
『任せて』
彼女は唇で無音を発してから、パンッ! と手を叩くことによって大きな音を出した。
「議論をする以上、誰かが進行役を担うことになるよね。私はそれに立候補します。他にやりたいひとはいるかな?」
流れは完全に一之瀬にある。
この時点までの彼女の行動は満点と言っても良い。
普段からBクラスのリーダーとしてクラスを纏めているからこそ、彼女には何をするべきなのか理解しているのだ。
軽井沢もDクラスの女王として君臨こそしているが、彼女の場合、一之瀬のような広範囲に拘っては不向きだ。単純な素質の問題だろう。逆にクラス単位なら、軽井沢の他者を従える能力には目を見張るものがある。
結局、挙手するものは誰もいなかった。
「うん、それじゃあ、私が務めさせて貰うね。試験中、代わりたいと思ったひとは遠慮なく言って欲しいな」
そうは言うが、誰も名乗り出ないだろう。
一之瀬が余程、司会者役が下手なら話は変わるだろうが……彼女に拘ってそんなことはないだろう。
「干支試験を始めるにあたって、まずは情報の共有をしたいかな」
「そんなことに何の意味がある? 時間の無駄じゃないか?」
確かに彼の言うことは一理ある。
だが、司会者役はそうは思わないようで、微笑みながら、
「もしかしたら『何か』があるかもしれないよ? 例えば、私たちは『兎』グループじゃなくて、クラスごとで集まったよね。実は一部のクラスにしか伝えられていない事柄があるかもしれない」
「それはどうかな。前回の無人島試験、そして今回の干支試験。学校側は中立の立場をとっている印象を受ける。公平に徹しているのは間違いないだろう」
流石は優秀な生徒が集められるAクラス。
単純な
だが、一之瀬の微笑が崩れることはない。
つまり、対処可能だということだ。
──そろそろだな。
彼女が口を開きかけたところで、オレも口を挟む。
「オレは一之瀬に賛成だな。可能性が
「綾小路……!」
自己紹介の際に
どうやら完全に、オレはAクラスを敵に回しているようだ。
だが彼らに構っている時間はない。
オレは沈黙している最後の陣営……その中でも知人を選び、声を掛けた。
「伊吹」
「……なに?」
怠そうに聞き返してくる。
オレは苦笑してから言葉を続けた。
「お前は一之瀬の提案、どう思う?」
「……良いんじゃない? どうせ時間は有り余っているんだし。それに、一之瀬が言っていることも可能性としては有り得るしね。担任から説明されたわけじゃないから、教師が重要な情報を
「あっ、やっぱりそうだったんだね。私たちBクラスは
「茶柱先生から」
オレは一度頷いてから、彼女たちに同調する。
「オレたちも担任から聞かされたわけじゃない。そうだよな、軽井沢?」
「まぁね。あたしたちは
「そっかー。じゃあきみたちAクラスは──」
「お前のとこの担任だ」
つまり、オレたちはそれぞれ、『敵』のクラスの関係者から特別試験の説明を受けたことになる。
生徒思いの教師が、自分が担当するクラスが有利になればと
「分かった。そこまで言うなら賛同しよう」
Aクラスが提案を呑んだことにより、オレたちは各クラスの代表者を選出し、昨日聞かされた内容を発表し合った。
Aクラスからは町田が、Bクラスからは一之瀬が、Cクラスからは伊吹が選ばれ、そしてDクラスからは幸村が自ら志願した。
最初、勝手に言い出したオレが役目を担おうと言ったのだが、彼が「俺にやらせてくれないか」と頼んできたのだ。断る理由は特にないし、何より、彼の積極性に当てられ、任せることにした。
それから十数分を掛けて発表が行われる。
結局のところ、危惧していた事態はないようだった。無論、発表者が意図して隠していた可能性もある。しかし観察していたところ、そのようなことはなさそうだった。何より、これ以上はやりようがない。
「うん、みんなありがとう。話を纏めると、こんな感じかな──」
部屋の四隅に置かれていたホワイトボードを中央に持っていき、一之瀬は黒色のマジックをすらすらと動かし、以下のようなことを書いた。
─干支試験の結果と勝敗─
結果Ⅰ──グループ全体で『優待者』が誰なのかを共有し、クリアする。『全員』の勝利。
結果Ⅱ──最後の解答を誰かが間違え『優待者』が勝利する。
結果Ⅲ──『裏切り者』が『優待者』を見付け出す。『裏切り者』及び、その者が属するクラスの勝利。
結果IV──『裏切り者』が判断を誤る。『優待者』及び、その者が属するクラスの勝利。
「さて」と、一息ついた司会者は、腰に手を当てながら、最初の爆弾を笑顔で振り撒き始める。
「最初にみんなに聞きたいことがあるんだ。私としてはみんなが『優待者』じゃないことを前提に聞かせて貰いたいんだけど、みんなはこの干支試験に於いて──何が最善だと思う?」
「最善って……どういうこと?」
自己紹介の際に
一之瀬は笑顔のまま、爆弾を振り撒き続ける。
「つまりね。全員で試験をクリアする……結果Ⅰが、私はこの試験での最善だと思うんだ」
試験結果Ⅰは、──『グループ内で優待者及び優待者の所属するクラスメイトを除く全員の解答が正解していた場合。グループ全員に50万prを支給する。さらに、優待者にはその功績を称え、50万prが追加で支給される』──というものだ。
グループ全員に50万prという大金──優待者だと倍の100万pr──が支給される。
誰もが損をせず、誰もが得をする。それが結果Ⅰ、学校側が『勝利』と広報しているもの。
一之瀬は司会者役を担いながら、攻撃を仕掛けている。
一見すると何でもないような……当たり前の質問だろう。
だがそれは違う。
この場に居る者で、彼女の真意に気付ける者は何人居るだろうか。
「……俺は一之瀬さんと同意見だ」
幸村が慎重にその言葉を紡いだ。
次の瞬間、町田がにやりと
様子から察するに、どうやら彼は気付けたようだ。他のAクラスの生徒とは明らかに風格が違う。
逆に幸村は一之瀬の狙いに気付けなかった。だからこそ、彼は冷静さを装いながらも、困惑を隠せないでいる。
「私も、それが一番だと思う」
自己紹介の際に
そして呼応するようにして、Bクラスからも発言者が現れる。青くサラッとした髪に、やや中性的な顔立ち。Dクラスだと
「僕はもちろん肯定します。結果Ⅰが最良なのは一目瞭然です。ならば、それを目指して協力することは自然なことだと思います」
真嶋先生は昨夜、クラス闘争のことは一旦忘れろとオレたちに言った。
それは恐らく、他の先生方も同様なのだろう。
だからこそ、一之瀬はあの質問をした。
そう、賛同した生徒たちは気付いていないが、これは彼女が張った網だ。彼女の質問が何気なく聞こえたからこそ、賛同者は迂闊にも口を滑らせた。彼らは自分が『優待者』ではないから出来たのだ。
一之瀬は一致団結の必要性を説きつつ、『優待者』を絞ろうとしている。
もちろん、張った網が必ずしも機能するとは限らない。賛同者が嘘を吐いている可能性も充分にある。だがやる価値もまた、充分にある。
と、オレが一之瀬の作戦を分析していると、その張本人が周りの人間に悟られないよう、オレに視線を送ってきた。
先程の借りを返すかと思い、流れが切れる前に、オレも渇いている喉を鳴らす。
「オレも賛成だな。プライベートポイントが不足しているから、大金を得られるチャンスを棒に振りたくない」
「私も同じー。外村くんもそうだと思うよ」
居ない人間の考えを推測で語るのはあまり良くないが、今回は軽井沢に助けられたな。
これでDクラスは満場一致で一之瀬の案に賛同したことになる。
「伊吹さんはどう思う?」
一之瀬は沈黙していた伊吹にそう聞いた。
「……まあ、理想なのは結果Ⅰだと思う」
どうやら、聞かれたら答えるというスタンスをとる腹積もりのようだ。
いや違うな。
クラスメイトの反応から察するに、伊吹は普段の学校生活でもこのように過ごしているのだろう。
最後に一之瀬はAクラスに目を向ける。彼らの顔には不信の色が多分に含まれていた。
町田が静かに話し始める。
「一之瀬、その質問はずるくないか?」
「ずるい? それはどうして?」
すると彼は表情をさっと険しいものに変えた。
「一之瀬、お前はさっきこう言ったよな。『みんなが『優待者』じゃないことを前提に──』と。『自分が優待者ではない』なら、報酬が多いものに期待するのは当然だろう。それに……自分から『優待者』だと告白する奴なんて居るはずがないだろう」
と、町田がここまで言えば、みんな、一之瀬の真意に気付いたようだった。
彼女がやっていたのは『優待者』と『悪人』の炙り出しだ。
「そうか……誘導尋問」
幸村がハッとしたよように呟く。
直接質問したら警戒するのは当たり前のこと。一之瀬は巧みな話術によって、『裁判』をやっていたのだ。
「とてもではないが、適切な質問とは言えないな」
──
それが、一之瀬のことを知っている殆どの人間が抱いていることだろう。
そしてこの印象は、既に深層意識にまで届いている。
このひとならひとを騙さない、悪いことをしない、一之瀬は入学してからのわずか数ヶ月で信頼を獲得した。
人間は一度『このようなものだ』と認識すると、それを中々変えることが出来ない。
固まってしまった固定観念を溶かすことは難しい。
だから幸村をはじめとした生徒は疑念を抱くことなく彼女の質問に答えてしまった。
そして安易に答えるということは、この『兎』グループの中での優劣が決まるということでもある。
町田が先程嗤ったのは、劣っている『不良品』に向けての嘲笑に他ならない。
町田の批判に対応したのは浜口だった。冷静に対処する。
「確かに町田くんの言うことはあまり褒められたものではないかもしれません。しかしやり方こそそうではあっても、質問としては妥当ではないですか? 」
「ほう……」
「それに一之瀬さんは脅迫のようなことは一切していませんよ」
問われた側には黙秘権があるということだ。
──Aクラス対Bクラス。
『兎』グループの干支試験はこのような形で幕を開けた。
浜口の指摘に、森重という男が想定内といったようにこのように言った。
「そうか。なら俺たちは黙秘させてもらう。大した考えも持たず、直情的に喋るのは馬鹿がすることだ」
Cクラス、そしてオレたちDクラスの面々を睥睨し、彼は目を伏せた。他の二人も町田に倣い、両腕を組み、彼らは口を噤む。
「ありゃりゃ、これは失敗だったかな?」
一之瀬の苦笑いを浮かべる。
そんな彼女を浜口が慰めた。
「いえ、あなたの質問は至極普通のものでした。誤算だったのは彼らの警戒心が想像よりも高かったこと、それだけです」
と、彼は唇をきつく閉ざしているAクラスの連中を見据えた。
「ですが町田くん、あなたは先程『適切な質問ではない』と言いましたよね」
「……ああ、俺は確かにそう言ったな」
「では、あなたが思う『適切な質問』を教えてもらいますか? まさか、好きな料理や趣味といったものではないでしょう?」
「なるほど、つまりは代替案を出せと、お前はそう言いたいんだな」
浜口は頷いた。
彼の主張は尤もなものだ。
しかし町田は鼻で笑い、
「代替案? そんなものはない」
と、言い切った。
これには浜口も驚いたのか、一瞬、言葉が詰まったようだった。しかしすぐに冷静さを取り戻し、どういうことだと問い詰める。
「町田くん、代替案がないのに一之瀬さんを責めるのはおかしいのではないでしょうか。この干支試験に於いて、『話し合い』こそが『勝利』に至るための唯一の道だと僕は思います」
Aクラス抜きで『話し合い』をしては駄目だと浜口は訴える。
しかし彼らの構えが解除されることはない。
一貫して『話し合い』を拒否する。
──面倒だな。
オレは一之瀬に視線をアイコンタクトを送った。無言で頷かれる。
彼女からバトンを貰い受けたオレは、おもむろに口を開けた。
「お前たちが何を話そうと、あるいは、何に答えようとそれは自由だ。でも土俵にあがってもらわないと困るな」
試験への参加を要求するが、むしろますます彼らの警戒心を高めてしまったようだった。
と、彼は不意にこのようなことを言い出した。
「このグループには三人の警戒対象がいる」
警戒対象、か……。
町田は言葉を続けた。
「一人目は一年B組一之瀬帆波。Bクラスを指揮するリーダーだ。対象に入るのは当然だな」
「にゃはははー、これは照れるねー」
「とはいえ、どうしてこのグループに配属されたのかという疑問もあるがな」
その言葉に一之瀬が反応することはなかった。
町田は次に意外な人物を見た。
「次に、一年C組伊吹
「……あっそ」
伊吹は興味なさそうだった。
最後に町田はオレを見てきた。
「そして一年D組綾小路清隆。先の『暴力事件』で台頭してきたかと思えば、無人島試験に於いてはたいした活躍はしていない。唯一、Bクラスと同盟を結んだ時には『外交官』として同クラスの櫛田
「長々と喋って、町田くんは何が言いたいんですか?」
浜口が割って入り、町田の真意を問うが、彼は目もくれない。
──だが、と言い、
「だが俺は……いいや、葛城さんはお前のことを強く警戒している」
なるほどな、彼が何を言いたいのかようやく分かってきた。
つまり、この男の背後には──
「全部、葛城くんの指示ってことかな?」
一之瀬が静かに尋ねた。
試験が開始されてからのAクラスの行動、それは一年A組葛城康平の命令なのだと。
町田は不敵に笑った。
「さて、これで分かっただろう? 俺たちはお前たちのことなど微塵も信用していない」
「だから話すことは何もないと?」
「ああ、そうだ。そしてこれこそが、葛城さんが提唱したやり方だ」
室内に動揺が走る。
戸惑い、困惑、疑惑……。
両隣のクラスメイトは「どういうことだ……!?」「はあ!?」と言葉にして驚愕を表していた。
その中でオレと一之瀬だけが落ち着いていた。
「うーん、ちょっとよく分からないな、つまりきみたち……ううん、この場合は葛城くんって言った方が良いのかな? 彼は『優待者』の勝ち逃げを許すと?」
仮に『話し合い』を行った場合、最も得られる結果は結果Ⅱだろう。この場合、『優待者』だけがプライベートポイントが支給される。
「でもさ、きみたちの中に『優待者』がいて、その情報が共有されているかもしれないよね」
「『Aクラスの生徒の優待者が所属するグループ』だけこの作戦が提唱されていると? そう思うなら、他のグループに聞いてみるが良い」
「いや、やめておくよ。すぐにバレる嘘を、葛城くんが吐くわけないもんね」
一之瀬は微笑し、そう言った。
「でもさ、それでも私は賛同出来ないな」
「さすが一之瀬だな。これだけで葛城さんの真意に気付いたか」
そして町田はオレに視線を送る。
オレから何かを感じ取ろうとするのは結構だが、役者不足だ。
数秒後、諦めたのか彼はオレから目を離し、理解出来ていない者たちに説明し始めた。
「いいか、お前たちは『誰が優待者なのか』を気にするばかりで『話し合い』をすることこそが最善だと思い込んでいるようだが、それは違う」
「まるで、『優待者』がどうでも良いかのように言いますね」
「ああ。何故なら、『話し合い』なんてものを持たなければ、この試験、必ず勝てるからだ」
と、町田は一旦言葉を区切る。
ピッチャーから紙コップに水を注ぎ、一気に飲み干してから、話を再開させる。
「先程の一之瀬を真似しよう。一之瀬はさっき、『最善』について尋ねたな。なら、俺が聞くことは一つ。この試験の『最悪』は何だと思う?」
干支試験の結果は四つしかない。
『最善』を結果Ⅰだとするなら、『最悪』は──。
町田は適当に軽井沢に当てた。
「えーっと、結果Ⅲじゃないの……?」
「何故そう思う?」
「だ、だって『優待者』が見破られて誰かが『裏切り者』になったら、『優待者』のクラスは損害を受けて、『裏切り者』のクラスは得をするから……」
「その通りだ。 『裏切り者』が出た時点で、この試験は『敗北』となる。クラスとしては『勝ち』でも、グループとしては結果Ⅲだろうが結果IVになろうが『負け』だ。さらに聞こう。それ以外だとどうなる?」
隣のオレ……ではなく、飛ばし、幸村に尋ねる。
明らかに意図的だが、これくらいなら支障は出ないので深く追及はしなかった。
幸村は黙考し、
「……マイナス要素がないな」
「正解だ。結果Ⅰ、結果Ⅱと共に、ポイントのマイナスが出ない。運営にしか負担は掛からないということだ。だが、結果Ⅰに固執し、『裏切り者』を出したらどうなる? ──マイナスになるのは自明の理。ならば、不必要なリスクを負う必要は皆無だ。現に俺たちAクラスは他クラスのことを疑っている。ここは無難に結果Ⅱを取るべきではないのか?」
と、そこで軽井沢が小さく声を出した。
「でもさあ、『優待者』に偏りがあったらどうなの? 例えば町田くんたちAクラスに十二グループ分、『優待者』が十二人いたら? そしたらさ……えっと──」
「600万prだ」
計算に手こずり、携帯のアプリを使おうとする彼女を、幸村がフォローした。
「流石は幸村くん。ガリ勉は頼りになるわー」
「喧嘩を売っているのか、お前は」
「いや全然。むしろ褒めてるしー」
ならもう少し態度とか言い方があると思うが……。
まあ、こればかりは軽井沢の性格だと諦めるしかないな。
「軽井沢の言うことは一理あると思う。それにクラスポイントだろうと、プライベートポイントだろうと、価値は等しいものだ。特にプライベートポイントの有用性はここに居る綾小路が証明している。賛同は出来ないな」
クラスポイントは直接的なクラス闘争に関係してくる。このクラスポイントの総量の結果により、クラスの順位が変わる。
プライベートポイントは無限の可能性を持っている。このように言うと詐欺を疑うかもしれないが、これは紛れもない事実だ。普段の学生生活ではお小遣いとして食費や娯楽品に使える。だが、このポイントはそれ以外にも使用が可能で、最大の効果は強制的なクラス間移動だろう。2000万pr用意すれば、生徒が望むクラスへの転属が行われる。
そして『優待者』が誰なのか分からなければ、それは『どこのクラスに優待者がいるのか』分からないことと同義だ。
この特別試験は非常に大きな危険性を孕んでいるため、自分のクラスの『優待者』ですら把握するのは難しい。他クラスなら尚更だ。
軽井沢の危惧が的中し、どこかのクラスに集中していたら、それは『事件』としてなるかもしれない。
だが葛城は『終始無言』という策を提唱してきた。つまり、この試験の『からくり』に気付いているからこそ出来る芸当だ。
「学校側がそんな不公平なことをすると思うか? 説明の際にあれだけ公平性を強調してきたのは彼らだろう。ましてや俺たちは先程、事前説明も公平にされていたのだと確認したばかりだ。一之瀬もそれは分かっているだろう?」
「……そうだね。きみたちの考えは私も持っているよ。『優待者は各クラスに三人ずつ選ばれている』っていうのは、少し考えれば分かること」
一之瀬は淡々と事務的に言った。
それを好機だと判断したのだろう、町田はすらすらと入れ知恵を披露する。
「『話し合い』をして疑い騙し合う、潰し合う方がグループ関係は滅茶苦茶になる。自分が発する一言が勝敗に繋がるかもしれない。そんな重圧の中、平静に臨めるやつがいるのか? 俺はそうは思わないな」
想像してみろ、と町田は言った。
するとCクラスの山下といつ女子生徒が「ヒッ……!」と声を漏らした。
「龍園はヘマをしたやつに何をするんだろうな。俺は他クラスだから知らないが、きっと、凄惨の一言では語れないんだろうなあ……」
「うーん、いくら何でも、さすがの龍園くんもそんなことはしないと思う、なあ……」
「ハハッ、それは一之瀬、お前がお気楽だからだ。龍園の黒い噂を知らないわけがないだろう? 奴の噂は俺たちの耳に届いているからな」
伊吹を除くCクラスの女子は完全に怯えた表情になった。そんなクラスメイトに伊吹は優しく声を掛けることもない。
見かけた浜口が、
「町田くん、それ以上は──」
「そうだな。これ以上はただの脅しだ、話を戻すか。兎に角、俺の言いたいことは分かっただろう? 結果Ⅰ、あるいは、結果Ⅲになった場合、得られる恩恵は大きいが、その分、失うものも大きい。今後のクラス闘争に大きく響くだろうな。ならば、この試験で無謀な挑戦をするのは得策ではないと思うがな」
以上が葛城の作戦なのだろう、話し終えた町田は周りを見渡した。
いや、『周り』という表現は適さないだろう。
正確には一之瀬とオレと二人にのみ注視している。
オレは内心で嘆息してから、司会者に一つの提案をした。
「一之瀬、ここで一回多数決でもとったらどうだ?」
「そうだね。──それでは皆さんに尋ねます。皆さんは、Aクラスの作戦に賛成しますか、それとも反対しますか? あと五分したら尋ねますので、準備をお願いします」
無言の時間が五分流れる。
司会者は席から立ち上がるとホワイトボードの前に移動し、『賛成』という項目と、『反対』という項目を作る。そしてくるりと半回転し、
「賛成するひとはいますか?」
賛成はAクラスの三人を入れて八人。町田、竹本、森重、真鍋、藪、山下、軽井沢、幸村が挙手をした。
「反対するひとはいますか?」
反対は五人。一之瀬、浜口、別府、伊吹、オレが挙手をした。
「それじゃあ、ちょっと面倒だけど、賛成派と反対派で分かれよっか。その方が討論っぽいしね」
否定的な意見は特に出なかった。
部屋の窓側に反対派が、通路側に賛成派がそれぞれ集まり、席に座る。
オレの右隣に一之瀬が、左隣に伊吹が座った。
すると、幸村が非難の眼差しを送ってきていることに気付いた。
「おい、どういうことだ綾小路」
幸村からしたら、オレの行動は理解出来ないのだろう。あるいは、知っている味方が軽井沢だけという状況に不安を覚えたのかもしれない。
「そのままだ。オレは葛城の作戦にはとてもではないが賛同出来ない」
「……どうしてだ。誰も損をしないんだぞ。お前は昨日、真嶋先生に効率性について語っていたよな。矛盾しているんじゃないか?」
オレはそこで初めて幸村の顔を直視した。
すると彼は怯えたように身動ぎした。
視線を外し、オレは声量を意図的に調整し、自分の意見を述べる。
「理由は主に二つある。一つ目は、葛城の戦略があまり現実的ではないからだ。──町田、確認するが、いまこの瞬間にも、お前たちAクラスの生徒はそれぞれのグループでこの荒唐無稽な策を話しているんだよな?」
「ああ、その通りだ」
「つまりお前たちは、一年生全員が『話し合い』をせず、終始無言でいることを強要しているわけだ」
沈黙というものは存外、精神的に負荷を掛けやすいものだ。
ましてや、
「それだけじゃないよね。もし仮にきみたちの考え通りに私たちが従ったとして、試験終了時に、『優待者』が名乗り出る保証はどこにもないよね? 50万prを持ち逃げするかもしれないよ?」
「それはクラスの問題だろう。信頼関係がしっかりと成り立っていないから、そのようなことを考えるんだ」
町田のその言葉に、一之瀬は無言で微笑んだ。
そしてそのまま地雷を踏みに行く。
「なら聞くけれど、きみたちAクラスにそれが出来るの? 私はそうは思わないなあ」
「……!? 一之瀬、お前……!」
ギリッと奥歯を噛む。
オレも一之瀬に続き、
「Aクラスの内部分裂は誰でも知っていることだ。説得力に欠けるな」
「……だから言っているだろう、内輪の問題は内輪で解決すべきだと。他所の人間にとやかく言われる筋合いはないな」
「それもそうだね」
あっさりと一之瀬は引き下がった。
町田は拍子抜けたようだったが、そう感じるのならば、彼ではやはり役者不足だろう。
オレはこほんと咳払いを打ち、
「話を戻すか。まず一つ目はさっき言った通りだ。一年生全員が沈黙を貫き通せるとは思えない。次に二つ目だが、お前たちは『誰も損をしない』ことを強調しているが、それは嘘だろう?」
刹那、町田の顔が露骨なまでに強ばった。
「お前たちの作戦そのものを否定するわけじゃない。葛城の作戦は堅実な一手だろうな。どのクラスにも均等に『優待者』がいるのなら、各クラスずつ150万prが支給されるわけだ」
オレの言葉を、一之瀬が引き継いでいく。
「でもさ、それってAクラスだけが提案出来ることでもあるんだよね」
「……? それってどういう意味?」
「彼らが提唱しているのは、いわば『一時休戦』。クラス闘争は一旦おいて、お小遣いをみんなで学校から貰おうというもの。でもこれって、無人島試験でも出来たよね?」
無人島試験の際、追加ルールというものがあった。
これは各クラスから一人選ばれたリーダーを当てたら追加のクラスポイントが入るというもの。そして追加ルールの権利を使うか否かは各クラスの判断に委ねられた。
「特別試験の度にこんな『一時休戦』をするの? 卒業までにあと何回特別試験が開催されるのか分からないのに?」
幸村の顔が段々と張り詰めていくのが目に見えて分かる。
どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだと思っているのだろう。
「『一時休戦』をするってことは、クラスの変動も起こり得ないってこと。私はBクラスの委員長として、そして、Aクラスを目指す者として、貴重なチャンスを棒に振るわけにはいかない」
「……だが一之瀬、それをお前が言うのか? 結果Ⅰの是非を真っ先に問いたお前が? お前の言っていることは支離滅裂だな」
「うん、そうだよ。きみたちの主張が変わらないと判断したから、いま、ここではっきり言うね。私はAクラスの生徒が『優待者』じゃないと分かったなら、『話し合い』をしなくても良いと考えている。けれど、Aクラスに万が一でも『優待者』がいる可能性があるのなら、私は戦う覚悟があるよ」
決然と一之瀬は言い切った。
町田は理解出来ないとばかりに頭を振り、これみよがしにため息を吐いた。
一番手っ取り早いのは、Aクラスの生徒全員が携帯端末を取り出し、学校からのメールをオレたちに見せることだろう。改変は認められていないため、自分の潔白を証明することが出来る。
だが、それが出来るはずもない。自分だけが見せることなど認められるはずがない。彼らはそう考え、また、それは他の生徒も同様だろう。
「だからお前たちは反対すると?」
町田の問いにオレたち否定派は頷いた。
と、軽井沢が椅子から立ち上がり、そのままこちらの陣営に移った。
どうやらこちら側に付く気になったようだ。ワンテンポ遅れ、幸村も合流する。それから真鍋たちCクラスの生徒も移り、賛成派はAクラスだけになった。
「なら俺たちから言うことはもう何もない。『話し合い』をするなら勝手にやってくれ。俺たちは今後一切関与するつもりがないことを言わせて貰おう」
「そっかー、それは残念」
一之瀬は頬をぽりぽりと掻いた。
そんな彼女に、町田は言う。
「……だが一つだけ分かったことがある。
「「……!?」」
浜口と別府が表情を険しくし、町田を鋭く睨んだ。
これまで、意見が対立することこそあったが、それでも、互いを尊重していた。
だが町田はその一線をこえた。
室内に流れる空気は『最悪』の一言に尽きるだろう。
「……町田くん、きみは何を言ったのか分かっているんですか」
「落ち着けよ浜口。『素』が出かけているぜ」
「構いません。それよりも、何故、あのようなことを言ったのですか」
浜口の反応は自然なものだ。
自分が所属する、尊敬しているリーダーが、見方によっては、貶されたのだ。
Bクラスは仲間思いの生徒が多い、というのは本当のようだな。
別府も無言の圧を放つことで加勢するが、対して、町田の佇まいに変わりはない。
「何故だと? 俺がそう思ったからに決まっているだろう」
「茶化さないで下さい」
「なら言うが、こいつはただの『偽善者』だ。普段の善行はただの『布石』でしかないんだろうさ」
「町田くん──!」
「一之瀬、お前は何か言うことはないのか」
町田は浜口から逃れると、無言の一之瀬に視線を送った。
自然と、この場にいる全員の目が彼女に吸い寄せられる。
どんな表情を浮かべているのだろう、どんな言葉を言うのだろう。それが全員の気になるところだろう。
一之瀬は怒ってはいなかった。それどころかむしろ、困っているようだった。
「ううーん……、ごめんね。正直に言うと、私はきみたちが何を言っているのか分からないかな」
「……は?」
呆然とする彼に一之瀬は、
「町田くんは私のことを『偽善者』だと思っているんだよね?」
「あ、ああ……」
「そうだね、確かに私は『偽善者』かもしれない。そして言わせて欲しい。──私は、一度たりとて自分が『善人』だと思ったことはないよ」
「な……!?」
「きみは普段の私と、特別試験に臨む今の私に差異を感じた。だから私を『偽善者』だと評価したんだよね、きっと。……うん、それは正しいよ。私はみんなが抱いているような人物じゃない。Bクラスが勝つためなら『嘘』だって平然と吐くからね」
だから困るなー、と一之瀬は困惑の顔で言った。
「誰かを助けたいと思ったら助ける。助けたくないと助けない。みんなが言う『善人』って、自分の気持ちを偽るひとだと思う。私は自分の気持ちに蓋をするのは嫌。だから、『偽善者』なんだと思うよ」
──『悪人』だとは思いたくないけどね、彼女は朗らかに笑う。
町田や浜口らは絶句していた。それだけ一之瀬の言葉が衝撃的だったからだろう。
誰も二の句を紡げないでいる。
一之瀬帆波の価値観、彼女の根幹となる思想を否定することは何人たりとて赦されない。
「……俺たちは『話し合い』に参加する気はないからな」
結局、町田が言えたのはそんな捨て台詞だった。
そして逃げるようにして席から立ち上がり、廊下に通じる扉に向かっていく。
「おい、どこに行くんだ」
幸村の制止に答えたのは、キーンという甲高い音だった。
『──以上をもちまして、一回目のグループディスカッションを終了します。生徒の皆さんは引き続き、クルージングを楽しんで下さい。もちろん、各部屋に残って『話し合い』をして頂いても構いません』
「ということだ。この部屋の残る強制力はこれでどこにもない。俺たちは出させて貰う。構わないよな?」
「うん。また夜に会おうね」
一之瀬の別れの挨拶に、町田たちは何も答えなかった。
次に退出したのは伊吹たちCクラス。伊吹が最初に腰を上げ、すたすたと歩き、部屋をあとにする。そこから残りの三人も続いていく。
残ったのはこれでBとDクラスになる。
「どうする? 私たちだけでも続ける?」
一之瀬の提案に、軽井沢が面倒臭そうに答えた。
「あたしはパス。この後用事があるし」
「そっか。幸村くんは?」
「……悪いが、俺も遠慮させて貰う。一人で一度考えさせてくれ」
軽井沢、幸村が姿を消す。
「僕たちも失礼しますね。お疲れ様です」
浜口、別府が後を追う形で労いの言葉を掛けてから退室した。
これで部屋に残ったのはオレと一之瀬の二人だけになる。
「にゃはははー、『話し合い』の『は』の字にもならなかったねー」
言いながら、彼女は動かした椅子を元に戻していく。オレも手伝い、ホワイトボードに書かれた文字を消した。
「ありがとう、手伝ってくれて」
「これくらいならいくらでも手伝う」
「それは頼りになる!」
そこで言葉が途切れた。
オレたちはじっと見つめ合った。
十数秒が経過したところで、オレから話を切り出す。
「一之瀬らしくない作戦だったな」
「……にゃははは、やっぱり綾小路くんもそう思う? 私もやっていて思ったよ」
今回、一之瀬がやったことは荒らし行為だ。
彼女は司会者に立候補して、その立場を余すことなく使い、場を荒らした。
「今のところは私の筋書き通りかな」
「葛城のあの作戦もか?」
「うん。私も、BクラスがAクラスだったら似たような……って言うか、同じことをやっていたと思う。だけど私たちは彼らからしたら下位クラス。追う立場の私たちが戦うためには同じ土俵に立って貰わないとね。そう思って彼らを挑発したんだけど……やっぱり誘いには乗らないかあ」
「Aクラスは町田が別格だな」
だね、と一之瀬は同意する。
「でも葛城くんや坂柳さんには遠く及ばないよ。Aクラスに配属されるだけはあると思うけどね」
仮想Aクラスでは物足りない、彼女からはそんな不満さえ感じ取れるようだ。
それは傲慢か、あるいは、それに見合っただけの実力が一之瀬帆波という少女にはあるのか。
彼女の持つ本来の実力はまだまだ推し量れそうにない。
「綾小路くん、既に耳に入れていると思うけど、今回、同盟は適応されない手筈になっているよね?」
「そうだな。堀北からはそう聞かされている」
正午になったタイミングで、Dクラスのグループチャットに、堀北から一つのメッセージが投稿された。
それは干支試験中でのBクラスとの同盟について。両クラスから代表者が集まり、協議の末、今回は適応されなくなった。
とはいえ、より正確には、各グループの判断に任せる、というものらしい。ただしどのような結果になろうとも自己責任の扱いになるようだ。
しかし何故この話を持ち出してくるのだろう?
訝しむオレに、一之瀬はこう提案してきた。
「綾小路くん、クラスとしてではなくて、今回、個人的に私と協力しない?」
「……なるほど。それはまた魅力的な提案だな」
一之瀬を味方に出来るのはとても心強い。彼女が活躍すればするほど、オレの噂もそろそろ落ち着いてくるだろう。
そして恐らく、今回の試験に於いて、オレと彼女がとる手段はほぼほぼ同じだろう。彼女の暴走は、それをオレに陰で告げるための茶番でしかなかった。
だが安易に了承するわけにもいかないだろう。
実はブラフで、彼女は『優待者』なのかもしれない。その線が完全に捨て切れなければ協力することは出来ない。
それに一之瀬と共闘すれば、彼女にオレの情報がある程度は漏れるのは避けられない。
堀北の見立てでは彼女は星乃宮先生からの刺客。つまり、オレがとった行動がBクラスの担任に伝わる可能性は高いと言わざるを得ないだろう。
答えは決まったな。
「悪いが、丁重に断らせて貰う」
一之瀬はオレの返答を予想していたのだろう、驚きはしなかった。
だがしかし、彼女は驚かなかったが、次の瞬間、オレが驚くことになる。
というのも、オレに携帯端末を翳し、見せてきたからだ。目を逸らせと本能が訴えるが、オレの瞳孔は固まったままで梃子でも動かない。
「どういうつもりだ……?」
画面が表示しているのは『身の潔白』を証明するもの。朝、学校から送られてきたメール。
そこにはオレと完全に一致した文面が記載されていた。
「安心して、誰かに言うつもりは一切ないよ」
「オレは理由を聞いている」
目を細めて尋ねると、一之瀬は視線を逸らすことなく、堂々と言った。
「私から提案しているんだから、これは当たり前のことだよ。『信頼』されるためには、まずは、それ相応の『対価』が欲しいよね」
彼女はさらに言葉を続けた。
「どうかな? これでも私の申し出を断る?」
オレは思案する。
オレがここで頷く義理はないし、義務もない。
全ては彼女が勝手にやったことだ。
──だからオレは『否』と口にすべきなのだろうか?
いいや、それは違うだろう。
今後のことを考えれば、他者との繋がりはより多く、より強いものにした方が良い。
「分かった。干支試験、一緒に攻略しよう。ちょっと待ってくれ、オレも見せる」
「いやいや! それは駄目だよ!」
一之瀬の言葉を無視し、『契約』の証として、オレも自身の『身の潔白』を彼女に提示する。
しかし彼女は目を閉じて見ようとしない。
「『信頼』されるためには、それ相応の『対価』が欲しいんだろ? オレは一之瀬を『信頼』する。だから一之瀬にも、オレを『信用』して欲しい」
「……そう言われると、弱いなあ」
彼女は苦笑いしてから瞼を開け、オレの携帯端末に顔を近付けた。彼女の美貌がすぐ目の前にある。
これが天然か……。
「まずはどこのクラスに『優待者』がいるのかを絞り出そうと思うんだ」
「賛成だな。場はあと五回設けられる。そこまで焦る必要はないだろう」
「私は浜口くんと別府くんが『優待者』なのかそうじゃないのか知らないんだ。綾小路くんはDクラスのひとたちのを知ってる?」
「いや。悪いな、あの三人とは仲が良い方じゃないんだ」
「そ、そうなんだ」
一之瀬の苦笑いが見ていて辛い。
そこから軽く雑談に入り、オレたちは別れた。廊下を渡りながら、オレは思考する。
一回目のグループディスカッション、他のグループがどうかは知らないが、『兎』グループは『混沌』の一言に尽きるだろう。
だがしかし、それはさしたる問題ではない。
いま、オレが一番気になっていることは、一人の生徒の不可解な行動だ。
だがそれはオレの勘違いかもしれない。
だからこそ、あと数回は様子見。
判断し、踏み込むのはそれからでも問題ないだろう。
自分の部屋に向かっていると、上衣のポケットにしまっていた携帯端末が一度震えた。
ロックを解除すると、一件のメッセージが届いていた。送り主は平田からだった。
『すぐにラウンジに来て欲しい。龍園くんをはじめとしたCクラスが──』
そこまで目を通し、オレは方向転換をする。目指す先は一階のラウンジ。
どうやら『王』も大々的に動き始めるようだ。