アメブロ上のニュースによると、日本のミュージシャンが旭日旗を連想させるMVをリリースして、一悶着あったのでしょうか?


旭日旗は敗戦前に使われていた旗ですから、日本軍に侵攻・占領された経験を持つ国々から見たら、当然「反省はして無いんだな」と受け取られるでしょう。


日本人の間では、加害者意識は薄くなってきましたし、被害者の訴えと違う説を言い続ける事で、過去を変える事が出来ると思っている節が有ります。


日本人の認識では、負けた事や犯罪事実が明るみに出た事が過失と言う事で、倫理的な反省を示し、調査や公開、記録保存を行う事は受け入れられないと言う事でしょう。


ですから、主権者であった天皇は責任を取らず、戦死者以外は入れないと言う神社である靖国神社は、宗教施設として残り続けました。


靖国神社は、戦死者だけが入れる、戦死を称賛する為の神社です。死を崇拝しているのです。

日本人の精神文化に於いて、死の崇拝と、その為の命の軽視は、他文化と比較しても顕著な特徴です。


以下は日本人の死の称賛の事例です。

・死を桜が散る様に例え美しいと捉える感性。

・桜花と名付けられた自爆攻撃用の兵器。

・それ以外にも沢山の自爆攻撃用兵器…人間魚雷、人間機雷、自爆用でない航空機での自爆攻撃、地雷や爆弾を抱えた歩兵の自爆攻撃、その他諸々。

・日本人の魂である武士道の奥義は「死ぬ事と見つけたり」。

・作法が細かく整えられた切腹…戦中は勿論、戦後も小説家等がやってました。今でも責任を取って辞職する事を詰め腹を切ると言いますね。昔の責任の取り方の名残です。


ざっと書いても、これだけ出てきます。もっと有るでしょう。死の飽和状態です。とにかく死によって何事も動かそうと言う文化なのです。


ですから、他の文化に触れた時も、自分達の感性で理解する事になります。しかし、知識ゼロでの類推は単なる自己の投影でしかありません。


実際どうあれ普通は、死ではなく生命を肯定する側に属する認識を基底にもつ文化圏の方が広範囲でしょう。

それをデス・ワーシップの人々が自分達の感性で把握するのですから、最初から変なバイアスがかかり誤解ばかりです。


結局、他の文化に複雑な感情を抱きながら、しかし理解せず、自分達の文化ばかり分かって貰おうとし、結局文化どころか一番大切な、自由をはじめとした人権、民主主義さえ捉え損なったのが近代日本です。


死を崇拝しているのですから、死に支配されています。

死に支配されているのですから、滅びに至る道を爆走する以外ありません。


これが民族の伝統と誇るのならば本当に可哀想な事です。

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