「今まで、もう中さんの小道具を作ってきたのは私です。いわばゴーストライター的な立場でした。制作者を明らかにしてくださいと何度もお願いしたのに……」
“もう中”こと、もう中学生(38)をこう告発するのは、同じく芸人のツクロークン(48)である。
もう中学生は吉本興業所属のお笑い芸人。長野県の農業高校卒業後、2001年にNSC(吉本総合芸能学院)東京校に入学した。
当初は4人組だったが、程なくピン芸人に。段ボールなどで工作した小道具と、独特のワードセンスで10年頃にブレイク。『爆笑レッドカーペット』(フジ系)などテレビに多数出演した。
「だが、その後は活躍の場がなく、19年頃には地元長野でローカルタレントになるか悩んでいた」(スポーツ紙芸能デスク)
しかし20年頃から再ブレイクの兆しが。きっかけは、有吉弘行のラジオにゲスト出演したことだった。
「有吉に気に入られ、『有吉の壁』(日テレ系)などにたびたび出演。小道具を用いて笑いを取っていた」(同前)
昨年4月の『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレ朝系)には、寿司屋のカウンターを模した小道具を、駅弁販売のように首から提げた姿で登場。この妙なおかしみを誘う小道具こそ、もう中学生の真骨頂といえる。
10月には冠番組『もう中学生のおグッズ!』(テレ朝系)もスタート。そして「2021年ブレイク芸人ランキング」(オリコンニュース)では、堂々の首位に輝いたのである。
もう中学生の“口止め”
しかし、そんなもう中学生を悶々とした思いで見つめる人物がいた。冒頭のツクロークンだ。
ツクロークンはもう中学生より10歳年長だが、吉本では6年後輩にあたる。
愛知教育大学で美術を専攻後、サラリーマンになったが、エンタメへの憧れが募り上京しNSC入学。テレビ出演経験は少ないが、美術の腕を活かし、『おはスタ』(テレ東系)で工作を披露したこともある。
ツクロークンが語る。
「もう中さんとは14年頃、先輩の紹介で知り合いました。私は元々芸人仲間の小道具制作を請け負っていたこともあって、もう中さんの小道具も作ることになったんです。当初は1点あたり5000円程度の報酬でした。手間を考えると割には合いませんでしたが……」
もう中学生がメールで手描きの指示書やフリー素材のイラストを送信。ツクロークンがそれを段ボールなどで再現し、もう中学生の自宅に届けることもあった。
もう中学生はツクロークンに対し、ある条件を提示していた。
「作っているのは自分だと言わないでほしい」
ツクロークンがその理由を尋ねると、
「『もう中は後輩に作らせている』と先輩にいじられるのが嫌だから」
ライブの手伝いにも「来ないでほしい」と言われたという。
その後も請け負い続け、徐々にクオリティも向上。制作費の値上げも行い、最高で3点5万円になった。
「小道具を外注すると1点10万円かかることも。それに比べれば格安で、材料費込みの価格でもあり、即答でOKできないこともありました。でも、もう中さんは『いつか割に合うお仕事を引っ張って来るから』と。それならばと思い、続けてきました」(ツクロークン)
だが、「工作」を芸人としての柱にしたいと考えていたツクロークンは、自らが作った小道具が“もう中学生の作品”として世間に受け入れられている状況に、徐々に違和感を抱き始める。
麒麟の川島明は、ツイッターで〈もう中学生が誕生日プレゼントということで『キャベツ太郎がかぶっている帽子』をプレゼントしてくれました。手作りだそうです〉(16年2月)と紹介。19年5月の単独ライブの際には、劇場のSNSに巨大な信玄餅の蜜容器を持ったもう中学生が登場、「#手作り」と紹介された。しかしこれらはツクロークンの制作だという。
「20年2月にもう中さんが『長野で個展を開く』と言い出したんです。ところが新たに何点も私が小道具を制作する必要があった。そこで、『スタッフの一人としてクレジットを入れてほしい』とお願いしたんですが、『それはできない』の一点張りでした」(同前)
しかしコロナの影響で個展の計画自体が頓挫。すでに出来上がっていた小道具もあったが……。
「『ギャラは払えない』『僕だって劇場の出番がなくなってる』と泣いて逆ギレされました。このままだと私の名前がいつまでも明かされないのではないかと怖くなりました」(同前)
そして21年2月、ライブのために1万円で「跳び箱」の制作を依頼された。自分の存在をなかったことにされるのを恐れたツクロークンは完成品を届けた際、再度尋ねた。
「名前はどういうふうに出してくれますか?」
だが、もう中学生の答えは変わらなかった。
「そのことなんだけど、今回はナシで」
ツクロークンは言う。
「その頃には私が自分のネタのために作るものについて『もう中さんの二番煎じだよね?』と言われるように。その状況に耐えられなくなり、名前を出すように強く抗議しました」
その結果、もう中学生はライブ後、ツイッターで初めて跳び箱がツクロークンの作だと明かした。しかしそれ以外の、これまでツクロークンが作った約70点には言及しないままだった。
工作教室を主催して生計を立てようとしていたツクロークン。だがコロナ禍でそれもままならなくなり、ピンチに立たされていた。もう中学生はLINEで、
〈キャスティング件(ママ)が僕にある!!のとかが来たら、タッグ組みたいね〉
などと取りなすも、ツクロークンは、
〈もう中学生さんが大変なときは後輩として我慢し、いい状況になってきたかと思い提案しても、いい返信はもらえませんでした〉
と返答。これを最後に、ツクロークンがもう中学生の小道具制作をすることはなくなった。
ツクロークンは昨年12月頭、弁護士を通じて制作者を明かすようもう中学生に通知。慰謝料については当初は盛り込んだが、名前を明かしてもらうことが1番と考え撤回したという。
その間も年末の『秘密のケンミンSHOW極』(日テレ系)や『かりそめ天国』で、ツクロークンの作った被り物で登場していたもう中学生。この事態についてどう考えているのか。
1月9日、お弁当とコーヒーを持ちながら自宅に戻ったもう中学生に訊いた。
――ツクロークンとの件について……。
「今日は仕事休みの日でして、会社を通していただいてもよろしいでしょうか」
――すれ違っている部分もある?
「そうですね、なので丁寧に話し合いをしているので」
――ツクロークンの名前を公表したくない?
「今はしようとしているので、それを弁護士さんを通じ伝えているところなので」
吉本興業に質問状を送ると、以下の回答があった。
「弊社所属のもう中学生の小道具は、一部を外部の制作会社や個人に制作発注しておりますが、ほぼ自作によるものです。本件については、現在、双方の弁護士を介して協議中であり、所属芸人、タレント、及びコンテンツ制作の全てにおける制作過程については回答を差し控えます」
もう中学生じゃない二人、大人の感情のもつれはかくも解きほぐすのが難しい。
source : 週刊文春 2022年1月20日号