ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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第42話

 (いけ)寛治(かんじ)への処罰はひとまず見送られた。

 それもひとえに堀北(ほりきた)の弁護の成果と言えるだろう。

 彼女が提示した三つの可能性は、①池寛治が犯人である、②Dクラスの生徒の誰かが犯人である、③伊吹(いぶき)(みお)が犯人であるというものだった。

 生徒たちは①と③の可能性が高いと判断したようだった。

 まず①の、池寛治が犯人であるというものは、篠原(しのはら)佐藤(さとう)を含めた大半の女子生徒がそうだと信じて疑っていないようだ。間抜けで愚かな池が衝動的に犯罪を犯したと、彼女たちは主張している。

 逆に大半の男子生徒とほんの僅かな女子は③の、伊吹澪が犯人であると考えていた。他クラスの生徒である彼女は、Dクラスの妨害をするために龍園(『王』)から送られてきた『スパイ』で、片頬にある『怪我』も、同情心を抱かせるためのフェイクなのだと彼らは主張している。

 

『単刀直入に聞くけれど、伊吹さん、あなたが犯人なの?』

 

『いや、私じゃない』

 

 堀北は伊吹に、そう、尋ねたけれど、当たり前だが、伊吹は罪を認めなかった。

 その時彼女は堀北の瞳を臆することなく直視していたから、彼女を擁護する者曰く、『嘘を吐いているようにはとても見えない』とのことらしい。

 

「何度も言わせないで! だから池くんが──!」

 

「いや! 伊吹が──!」

 

 お互いに一歩も引かない。

 これ以上は時間の無駄だろう。話し合いの範疇(はんちゅう)を超えているのだから当然だ。

 理性的な部分は双方ともに残っておらず、本能が命じるままに、感情をそのまま吐き出している。これでは獣だ。

 オレはちらりと隣の洋介を一瞥(いちべつ)した。そしてオレはここまでかと目を伏せる。

 今の洋介は『先導者である平田(ひらた)洋介』とは、とてもではないが言い(がた)いだろう。

 ──計画はまだ早かったかもしれないな……。

 心の中で、そう、呟いた。

 オレはため息を吐いてから、言葉の攻撃が交わっている戦場に身を投じた。

 

「提案したいことがある」

 

「……なに、綾小路(あやのこうじ)くん」

 

「このままだと日が暮れる……は流石に言い過ぎだが、時間が勿体ないだろう」

 

「何が言いたいの」

 

 視線がオレに収束していった。

 篠原はオレを警戒しているようだった。

 無理もないだろう。彼女からすれば、オレという人間はこの特別試験中で幾度も彼女に対して否定的な構えをとってきた。

 流石に居心地悪く感じたので、オレは咳払いをしてから、このように言った。

 

「どこかで折衷案(せっちゅうあん)を出すしかない。まずだが、男子用テントと女子用テントの間に境界線を引いて、不可侵条約を結ぼう。次に、池には悪いが随時誰かが彼を監視する。最後に、伊吹の監視だ」

 

 すると篠原は露骨なまでに渋面を作った。

 彼女も馬鹿じゃない。

 オレが彼女たちに最大限譲歩しているのが分かっているのだ。断りたいが断れない、そんなところか。

 

「……軽井沢(かるいざわ)さんがそれで良いって言うなら……」

 

「もちろんだ。被害者だからな、彼女の要望を叶えるのは当然のことだろう」

 

「……ちょっと待ってて……」

 

 篠原はそう断りを入れてから軽井沢が居る仮設テントに向かった。

 程なくして彼女は戻ってきた。櫛田(くしだ)や軽井沢の友人もここでようやく合流する。

 

「軽井沢さん、了承してくれたから。ただ……暫くは一人で居させて欲しいって」

 

「……そうか。兎に角、今日のところはここで一旦お開きにしよう。それで構わないだろうか」

 

 こうして、皆、沈んだ面持ちで解散していく。

 堀北や健たちは早速『スポット』の占有に赴くようだ。少しでも多くのボーナスポイントを得ることによって、クラスに活気を与える作戦らしい。

 上手くいくかは兎も角として、何もしないよりはマシだろう。

 オレは兼ねてより計画していた他クラスのために『攻撃』を開始するため、櫛田を呼ぼうとして……やめておいた。

 

桔梗(ききょう)ちゃん、相談したいことが──」

 

「櫛田さん、相談したいことが──」

 

 男女問わず櫛田は頼られている。

 今のDクラスには、彼女こそが最も必要な人材だといえる。

 今の洋介や軽井沢は『使える』とはお世辞にも言い難い。ここは戦線に復帰するのを待った方が良いだろう。

 となると、単独行動が無難なところだろうか。

 じっと櫛田を見つめていると、目線に気付いたのか、オレの方をちらりと見た。

 

『ごめん、無理かも……』

 

 口の動きでそう伝えてくると、彼女は次の生徒の相談を受け始める。

 一之瀬には怒られるだろうが……これは言い訳を考えておく必要があるな。

 オレは単独行動を決行することにした。動こうとしたところで、オレを呼び止める掠れた声が背中に届いた。

 

「綾小路……」

 

「池か……。悪いな。ああするしかなかった」

 

 頭を下げると、彼は「謝んなくて良い……」と言ってくれた。

 普段の快活な表情はすっかりとなりを潜めている。

 池は今、絶望の(ふち)に立たされているのだろう。日頃から仲を良くしていた男子生徒も彼には近付かず、傍に居るのは沖谷(おきたに)山内(やまうち)の二人だけだ。

 それはつまり、彼のことを心から心配しているのが彼らだけ──櫛田や(けん)が居ればもう少し増えてくるだろう。しかしそれも誤差だ──であることを意味している。

 

「堀北が居なかったら俺……、問答無用で犯罪者扱いだったんだよな……」

 

 ぽつぽつと彼は言葉を紡ぐ。

 オレは姿勢を正して傾聴することにした。相槌(あいづち)も打たず、返答もしない。ただ黙って彼の嘆きを聞くだけ。

 

「どうして……俺は……本当に盗んでないのに……」

 

「……」

 

「ちくしょう……誰がこんな事を……」

 

「…………」

 

「……なぁ綾小路……」

 

「なんだ」

 

「俺が日頃から馬鹿なことを言っていたから……こうなったのか……? もう少し物事を考えて行動していたらさ、こうはならなかったのか?」

 

 オレはその問いに答えるべきか迷った。

 逡巡してから、彼に残酷な事実を告げる。

 

「あまり言いたくないが……、その側面は少なからずあるだろうな」

 

「……ッ! へへっ……なら、自業自得じゃねえかよ……!」

 

 そう言うと、池は静かに泣き始める。沖谷が優しく背中を擦ると、彼の慟哭(どうこく)は大きくなっていった。

 男子生徒も、女子生徒も、泣き崩れる池を見て何も言えなかった。

 やがて彼は自分の仮設テントの中に姿を晦ませた。沖谷と山内が付き添っていく。そして中からは嗚咽の声が漏れてきた。

 程なくして、その二人も苦々しい表情で出てくる。軽井沢と同様、一人で居る時間が欲しいのだろう。

 嫌な空気が充満する。

 この場の殆どの人間が特別試験のことなどもはやどうでも良く思っているだろう。

 クラスの結束なんてものは失われたと、誰もが思っている。

 

 ──『敗北』の二文字がすぐそこにある。

 

 今のDクラスには全てが足りない。

 クラスの中核を担う生徒の強制的な戦線離脱によって生じる戦力不足。いくら堀北でも、ここからの立て直しは厳しいだろう。

 極め付きには仲間を疑う疑心暗鬼の状態。もしかしたら隣に居る奴は下着泥棒なのかもしれない。そんな、極限の状況。

 

 ──何よりも、『勝つ』気概が欠片も見受けられない。

 

 一学期の間、オレたちDクラスは様々な騒動に直面してきた。

 今年のDクラスは一味違うと、誰もが思っていることだろう。

 予兆として『一学期中間試験』。Dクラスは二位を獲得した。A、Bクラスといった上位クラスを押し退けてだ。

 次に『暴力事件』。須藤(すどう)健を救うため、生徒たちは協力して目撃者Xを捜した。そして結果的には事実上の勝利を得た。それがたとえ仕組まれていたことであっても、何かを成し遂げたという『成功体験』は『自信』になる。

 個々としての成長は見られる。堀北や健、佐倉(さくら)といった生徒たちはその(きざ)しがある。

 だが──クラス闘争はあくまでも団体戦。いくら個人の力が増加したところで、それが全体に反映されなければ意味がない。

 昨日までのそれとは違い、静寂に包まれた焚き火広場をオレは見渡してから、今度こそ動き始めた。

 まずは生徒の住居からやや離れた所に建てられている教員用テントに赴き、外から担任を呼ぶ。幸いにも茶柱(ちゃばしら)はすぐに出てくれた。

 

「どうも」

 

 軽く挨拶をすると、彼女は表情をやや引き締めたものに変えた。

 

「どうかしたか綾小路」

 

「注文したいものがあります。頼めますか」

 

 用件を手短に告げると、茶柱は無言で注文表をオレに手渡してきた。

 品名や個数など、意外にも記入項目はそこそこあるらしい。

 オレはすらすらと迷いなくボールペンを走らせる。

 紙を提示すると、彼女は悩ましげな表情を浮かべた。

 

「出来ませんか?」

 

「……いや、出来ないことはない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ただしある程度は時間が掛かるだろう」

 

「構いませんよ。遅くても今日の夜には受け取れれば良いです」

 

「分かった。正式に受理しよう。代償として15ポイント差し引かれるがな」

 

 高いと視るべきか、それとも安いと視るべきか。

 どちらにせよオレの答えは変わらない。

 

「ええ、大丈夫です。宜しくお願いします」

 

 了承の旨を伝え、背を彼女に向けると、茶柱はオレを呼び止めた。

 

「待て」

 

「何でしょうか」

 

「お前は『それ』を使って何をする気だ……?」

 

「学校側は想定していたのでしょう? なら、先生方の想像通りになると思いますが」

 

 話を終わらせ、オレは茶柱の元から立ち去った。

 ベースキャンプを離れる前に、ある生徒に声を掛ける。

 

「沖谷、ちょっと良いか」

 

「あ、綾小路くん……」

 

 沖谷はオレに呼び止められると気まずそうな表情を浮かべた。

 どうして……と思ったところで、そう言えばと思い出す。

 池とは違い、沖谷とはまだ仲直りをしていなかったな。これまでは間に誰かが居なかったから問題はなかったが、面と向かって話すことに引け目を感じている……そんなところだろうか。

 

「ご、ごめんね、僕──」

 

「いや、気にしないでくれ」

 

 彼が何かを言う前に、オレは先回りして謝罪を受け入れた。

 元々喧嘩をしていたわけじゃないからな。

 

「それよりも、一つ聞いても良いか?」

 

「うん、何でも聞いてよ」

 

 オレは沖谷に尋ねる。

 彼はオレの意図を測りかねているようだったが、それでも快く教えてくれた。

 

「ありがとう」

 

「これで綾小路くんの助けになるのなら良いかな」

 

 別れようとすると、彼はオレを引き止めた。

 どうかしたのかと聞くと、沖谷は苦虫を噛み潰したような表情でオレに言う。

 

「寛治くん、大丈夫かな……」

 

「どうだろうな。オレたちは彼の持ち前の明るい性格に頼ることしか出来そうにない」

 

「……僕の所為(せい)だよね。他クラスのひとを疑いもせずに連れてきたから……」

 

 伊吹が『スパイ』で軽井沢の下着を盗んだ犯人なら、間接的には、沖谷や山内が池を傷付けているとも考えられる。彼はそう考えたようだ。

 心情は察せられるが、オレはそうは思わない。

 確かに彼らの行動は些か軽率だと言わざるを得ないが、以前述べたように、普通の人間なら、怪我をしている伊吹を見たら助けようと思うだろうし、実行に移すはずだ。

 それを彼に告げたところで意味はないだろうと考え、オレは先程のお礼を込めてこのようにアドバイスした。

 

「そう思うなら、出来るだけ池の傍に居たら良いんじゃないか? どの道監視はしないといけないし、今の彼には沖谷のような理解者が必要なはずだ」

 

「僕が、理解者……?」

 

「オレはそう思う」

 

 これはオレの主観だが、池がDクラスの中で最も気を許しているのは沖谷だと思う。

 山内とも仲は良いが……、どちらかと言われたら沖谷じゃないだろうか。

 その証拠に、彼はわざと突き飛ばされた友人のためにAクラスを相手に物怖じせず対峙している。

 やがて彼は決意を固めたようだった。

 

「うん、僕、やってみるよ」

 

「なら良かった。じゃあオレは行ってくる」

 

「気を付けてね」

 

 友人に見送られ、オレは今度こそ拠点をあとにした。

 

 

 

§

 

 

 

 個人的な寄り道と、Bクラスへの訪問を終えた後──一之瀬(いちのせ)には単独行動の件について怒られた──、オレは森の中を移動していた。

 目指す先はAクラスのエリアだ。同盟を結んでいるBクラスとは違い、敵対関係であるAクラスの生徒ともし遭遇したら面倒な事になるだろうが、それは仕方がないと割り切ることにする。

 Aクラスは洞窟を拠点に構えているわけだが、ここで兼ねてより疑問だった点を解消しておこうと思う。

 そう、『スポット』である洞窟の利点だ。

 Bクラスの『井戸』やDクラスの『川』のように、どの『スポット』も基本的には目に見える利益を(もたら)すものが多い。

 しかし『洞窟』は? と聞かれると、第一に挙げられるのは雨風を凌げるという点だろう。

 だがはたしてそれだけで『スポット』に選ばれるだろうか。

 無論、雨風を凌げるというのはとても魅力的だ。だが弱い。つまり、目には見えない利益を齎してくれるのではないかと、視点を変えれば答えは出てくる。

 

 ──『洞窟』の一番の魅力は場所そのものにある。

 

 試験開始時、何故葛城(かつらぎ)はここを押さえたのか。いや、違うな。()()()()()()()()()()()()辿()()()()()()()

 答えは簡単だ。それは五日前、特別試験という概念が真嶋(ましま)先生から発表される前に遡る。

 つまり、豪華客船が上陸する寸前の時だ。

 あの時生徒たちは、艦内放送によってデッキに誘われた。その内容はこうだ。

 

 ──『生徒の皆様にお知らせします。お時間がありましたら、是非デッキにお集まり下さい。間もなく島が見えて参ります。しばらくの間、非常に意義ある景色をご覧になって頂けるでしょう』──

 

 注目すべき点は、『非常に意義ある景色を──』のところだ。生徒に無人島を見させるためには、こんな回りくどく言う必要は皆無だろう。

 察しが良い生徒はこの『奇妙な艦内放送』が流れた瞬間、無人島には何かがあって、学校側はヒントを与えようとしているのだと解釈出来る。

 事実、オレや椎名(しいな)は違和感を覚えたし、一之瀬や高円寺(こうえんじ)も同様のようだった。だからこそ、高円寺六助(自由人)は珍しくも集団の中に交じっていた。

 そして決定的なのが上陸する直前の出来事。客船は島の周囲を一周した。大半の生徒は気分が高揚(こうよう)していたがために気が付いていなかったが、あれは、無人島の構造──言い換えれば、『スポット』がどこにあるのかを教えていたのだ。その証拠に、客船は速度を落とすことをしなかった。もしそうしたら多くの生徒が流石に気付くだろう。さらには、観光としてはあまりにも不自然だ。

 

 葛城康平(こうへい)()()()()()()()()だった。

 

 だからこそ慣れない土地での探索なのにも拘らず、迷うことなく洞窟への最短ルートを通ることが出来た。

 ここまでが葛城の迅速(じんそく)な行動の説明となる。オレと高円寺も近道をしたが、出発に時間が掛かってしまった。故に、重要な拠点を逃してしまった。

 ここまで聞けば、さらなる疑問が浮上するだろう。

 何故数多ある『スポット』の中から洞窟を選んだのか? という疑問だ。『洞窟』以外にも数箇所、『スポット』と思われる建物はあった。

 慎重な男が迷うことなく占有を踏み切る理由が、この場所にはあるとしたらどうだろう。

 この五日間、オレはかなりの頻度で森の中を探索をしてきた。そしてその過程でいくつかの『スポット』を発見している。

 オレは辺りに誰も居ないことを確認してから、地図を覗き込む。黒丸が『スポット』を指していて、それらは地図上に散らばっている。

 

「やっぱり(かたよ)りがあるか……」

 

 呟き、オレは確信した。

 浜辺寄りよりも森の中の方が明らかに『スポット』は散在しており、そして──洞窟周辺の数は明らかに多い。

 それはつまり、効率良くボーナスポイントを獲得出来ることに直結する。

 今から行く場所が、地図を完全なものにする。

 

「確か……こっちだったか……」

 

 地図を頼りに森の中を移動していると、ある所で、耳がある音を拾った。

 神経を研ぎ()まして正体を探る。風音ではない。オレの想像通りなら──

 足早になりながら発生源に一直線に突き進むと、オレは森を抜け出て海岸に出た。

 崖の上から落ちないよう注意を払いながら、オレは上半身をやや傾け、自然の雄大さを目に焼き付ける。

 大海。

 オレは思わず憂いを帯びた吐息を漏らしてしまった。

 

「絶景、だな……」

 

 カメラがあればこの景色を撮りたいと思わせるくらいには素晴らしい。

 オレはその後三分程見入ってから、行動を再開した。

 

「……この下だったはずだけど……」

 

 洞窟周辺には『スポット』と思われる施設が多く散らばっているのは述べた通りだ。

 崖に沿ってゆっくりと歩いていると、一見、死角になりそうな場所に梯子が掛けられているのを見付けた。力を入れて強く握ってみると、びくともしない。念入りに打ち付けてあるのだろうと推測する。落ちたら大怪我じゃ済まないだろうからな。

 島に上陸する前にみつけないと、まず、辿り着けない場所だな。

 梯子を降り終え、オレはそのまま目星を付けていた場所に足を進める。数分後、視界に小さな小屋が映った。

 間違いなく『スポット』だろう。そのまま近付く。

 外周を一周して、窓から誰も居ないことを確認してから、オレは扉を開けて室内に入った。この時、閉め忘れることはしない。

 足を踏み入れると、まず目が引かれるのはやや大型な装置。言わずもがな、『スポット』の占有に使う機械だ。予想通り、液晶画面には『Aクラス ─3時間28分─』という文字が表示されていた。

 隣にはガラスケースが置かれていて、中には、釣りに使うと思われる道具類が保管されていた。四桁の数字のダイヤル式ロックで、開けられないようになっている。

 恐らく、キーカードを翳して占有したら、数秒だけ暗証番号が明示されるのだろう。

 

「次、行くか──」

 

 と、オレは閉口した。

 ギギィ……と扉の開閉音が響いたからだ。

 オレが何かしらの反応をする前よりも早く、

 

「ここはAクラスの占有している場所だぜ」

 

 唯一の出口で立ち塞がるのは二人の男子生徒。

 恐らくはAクラス所属の生徒だろう。

 片方は金髪で、見た目だけだったら如何にもなヤンキーだ。もう片方は黒髪のロングヘアーで、高校生とは思えない風貌(ふうぼう)をしている。

 運悪く遭遇してしまったか。

 ──さて、どうしたもんか……。

 悩んでいると、金髪の男が機械に近付き画面を覗き込む。『スポット』の確認だろう。もちろん、もう一人の人相の悪い男は唯一の脱出路を塞ぐことを忘れていない。抜け目がないな。

 

「やっぱ駄目だな。まだ占有権が切れてないから、こいつがリーダーなのかは分からないぜ」

 

 金髪の男は仲間にそう報告するが、その仲間はオレを監視することのみに専念していて、話を聞いていないようだった。

 けれど彼は怒ることもせずに笑みを携え、なんと、オレに手を差し出してきた。

 

「俺は一年A組の橋本(はしもと)正義(まさよし)。こっちは──」

 

「……」

 

 橋本は話を振るが、もう一人の男は無言で佇むだけだった。

 

「──こほん。……同じく、一年A組の鬼頭(きとう)(はやと)だ」

 

 お前の名前は? 目で尋ねられ、オレは答えた。

 

「一年D組、綾小路清隆(きよたか)だ」

 

 名乗った瞬間、室内の空気が一変した。

 鬼頭は目を細め、橋本は面白そうに唇を三日月型に歪める。

 

「……そうか。お前が綾小路か」

 

 値踏みするように橋本はオレをじろじろと観察してきた。

 居心地が悪いことこの上ないが、形勢は明らかにこちら側が不利だ。密閉された小さな部屋、さらには数も向こうの方が多いとなると、下手に動くのは決して得策ではない。

 

「一人か?」

 

「……まあ、そんなところだ」

 

「へぇー……」

 

 橋本は真意が摑めない表情でオレを見つめてから、やがて、大きなため息を零した。

 瞬間、またもや空気が一変する。緊迫とした空気は静かに霧散して行った。

 オレの横を通り抜け、釣り道具がガラスケース、そのダイヤル式ロックを解錠し、橋本が三本の竿を取り出す。

 一本を鬼頭に投げ渡し──彼は慌てることもなくキャッチした──、次に自分の分を取ってから、最後に、オレに無言で差し出してきた。

 ──え……? 

 戸惑うオレに彼はにやりと笑いながら、

 

「どうだ、綾小路。お前も一緒にやらないか」

 

「……本気で言っているのか?」

 

「もちろんだぜ。鬼頭は寡黙で何も喋らないからな、毎日、この時間はとても退屈なんだ」

 

 鬼頭はまだ一言も声を発していない。

 オレは橋本から視線を外し彼を観察する。かなり鍛えていることが羽織っているジャージの上からでも察せられた。いや、彼だけじゃなく橋本もか。橋本の場合はいわゆる細マッチョという奴だろう。

 黙っていると、橋本は竿の先端を自らの右肩にぽんぽんと当てながら、

 

「いくら敵同士だからといって、俺たちは高校生だろ? 苦楽を共にする仲間なんだ、たまには学校の理念なんてものは捨てて遊ぼうぜ」

 

 似たようなことを、随分前に池か山内のどちらかが言っていたな。

 オレは熟考の末……軽く頷いた。それは了承の意を示すもの。

 橋本はオレの肩に手を回しながら笑った。

 

「そうこなくちゃっな! いっぱい釣ろうぜ!」

 

「……」

 

「……」

 

「なんだよお前ら! 元気ねぇな! そんなんじゃモテないぜ?」

 

 お、おう……凄いハイテンションだな。

 

「あっ、けど綾小路には椎名ちゃん? だったっけ? 兎に角、彼女が居るんだっけか。羨ましいぜ」

 

 どうやらAクラスの方にも正しくない情報が流れているようだ。

 

「いや、彼女じゃないけど」

 

「またまた、冗談を言うなよ。嫌味に聞こえるぜ!」

 

 オレは橋本のペースに戸惑うばかりだ。

 池や山内に近い雰囲気を感じるが……それは違うだろう。

 当然だが、この男は計画無しにオレを釣りに誘ったわけではない。

 貼り付けた笑顔も、行動も、言葉も、全てが打算の上に成り立っている。さしずめ『道化師(ピエロ)』といったところか。

 橋本正義。鬼頭隼。

 彼らが『どちら側の人間』なのかを知ることが出来れば、オレは王手を指すことが出来るだろう。

 

「こっちに行くと穴場があるんだ。沢山釣れるんだぜ」

 

 竿を肩に担ぎ、橋本は歩いていった。機嫌が良いのか、鼻歌を歌っている。

 オレはそんな彼の背中を追い掛け、オレの後ろを鬼頭がついて行く。

 逃げるつもりは毛頭なかったが……、オレは警戒を怠らないことを改めて心に誓った。

 彼らは恐らく、Aクラスの中でもかなりの実力者だろう。

 それはつまり、学年の中でも事実上のトップに位置しているということだ。

 

「ここだ」

 

「……良い場所だな。波が立っていないし、風も気持ち良い」

 

「おっ、分かるか」

 

「いや、クラスメイトが教えてくれたんだ」

 

 この五日間、Dクラスの毎度の食事には、主菜として川で釣り上げた魚が出されていた。副菜として、森の中で採ってきた野菜や果物などが挙げられる。

 しかしそれだと栄養面が心配なため、一日に一回は学校側に栄養食を注文していた。

 川の水を飲むことも、被験者としてオレや幸村、篠原たちが誰も体調の悪化を申し出なかったことから、全員が飲むことに合意。ポイントの出費削減に成功した。

 そう考えると、Dクラスはかなり特別試験に適応していたと言えるだろう。

 その一番の要因は、大量のクラスポイントを得るという決意……も、当然あるだろうが、これまでのDクラスの生活習慣に起因するかもしれないな。

 五月一日からオレたちDクラスの生徒は貧乏生活を余儀なくされている。もちろん、自業自得なために弁護することは出来ないが、しかしそれでも、得るものはあったんじゃないだろうか。

『我慢』を()いられるこの特別試験で、Dクラスは最もその耐性があった。むしろ試験中の方が豪華な食事だと豪語する者も居るくらいだ。

 だからこそ、現在進行形で加速しているDクラスの失墜は残念極まりないなと思ってしまう。

 

「綾小路。お前、釣りはやったことあるか?」

 

「いや、一度もないな」

 

「なら良く見ておけよ。こうやってやるんだ」

 

 橋本が餌を針に括り付け、ひょいと軽く振って、海面にウキを浮かせる。

 鬼頭も彼に続く。

 オレはただただ舌を巻いた。オレが経験のない初心者、だというのもあるだろうが、初心者目から見ても、二人の動作は無駄がなく綺麗だった。

 Dクラスだったら、池と良い勝負が出来るだろう。

 

「ほら、やってみろよ」

 

「あ、あぁ……」

 

 オレは彼の催促に従い、たどたどしくも準備を始めた。

 橋本と鬼頭の真似をする。

 

「餌を多く取り付け過ぎだ。もっと少なくても良いぞ」

 

 注意を受け、オレは要所要所飛ばされてくる指示に従った。

 高円寺から空間移動を師事(しじ)した際は動かすのは自分の身体だけで良かったため簡単だったが、こちらは熟練の技が必要なようで、マスターするには時間が掛かるだろう。

 特別試験が終わったらこれを使う機会には恵まれないだろうが、新しい知識、新しい技術を身に付けるのは久し振りなため新鮮だな。

 結局、オレは一時間程橋本たちと釣りに興じた。

 

「悪いな、綾小路。全部貰っちまってよ」

 

「いや、気にするな」

 

 釣った魚はAクラスに全て譲渡することにした。敵に塩を送る行為だけれど、魚は鮮度が大事だからな。Dクラスのベースキャンプに戻る時には、この厳夏のことだ、腐っているかもしれない。それにこの場所は元々Aクラスが押さえていた場所だ。その方が良いだろう。

 

「そうだ、夏休み、一緒に遊ばないか。その時には飯を奢るぜ」

 

「分かった。それで頼む」

 

「おうよ。楽しみだな。鬼頭はどうする?」

 

「……」

 

「行くそうだ」

 

 ──……どうして鬼頭は無言なのに、橋本は分かるんだろう。これが慣れって奴なのか。

 兎にも角にも試験終了後の予定が決まった瞬間だった。

 それなりの収穫があったために良しとしよう。

 

 

 

§

 

 

 

 夕食前にベースキャンプに戻ると、オレはピリピリと緊迫とした雰囲気を感じ取った。

 一日経てばある程度は鎮静化すると思っていたが……、流石にそんな上手くは行かないか。

 

「はい、綾小路くん。夕ご飯だよ」

 

 佐倉が王美雨(みーちゃん)と一緒にオレの夕食を持ってきてくれた。

 料理班は料理部の篠原をはじめとして、彼女たちも入っている。夕食の時間になると、彼女たちが配ってくれるわけだ。

 

「ありがとう、二人とも。──あー……、男子にはオレが配ろうか」

 

 男女の仲が決裂している状況では不用意な異性との接触は控えるべきだろう。

 現に、配給してくれているのは彼女たちだけ。班長である篠原は女子の分だけ配り、男子のものは触ろうともしなかった。

 現在は軽井沢の傍に待機して、虚ろな目になっている彼女を懸命に慰めている。そして時折、男子陣営の方を向いては、恐ろしい剣幕で睨むことに一所懸命になっていた。

 まあ、最低限の役割は果たしているから、弾劾は出来ないだろう。個人的には思うところがないわけではないが……。

 ところが、二人はオレの申し出に対して首を横に振り、みーちゃんがこのように言った。

 

「ううん、大丈夫だよ。これ以上の悪化は駄目だと思うから、私たちが繋ぎ止めることが出来れば良いかなって愛里(あいり)ちゃんと相談したんだ」

 

「そっか。なら、二人の行動にはちゃんと意味があると思う」

 

「うん、ありがとう」

 

 と、みーちゃんはオレに一歩近付き囁いてきた。

 

「平田くん、大丈夫かな……?」

 

「みーちゃん、どういうこと?」

 

 

 佐倉が小首を傾げると、みーちゃんは浮かない顔で言った。

 

「うん……、朝から平田くんの様子が変に思えて……」

 

 男子と女子の間に壁が生まれている中、洋介だけはその高い絶壁を越えることが赦されていた。

 交際相手である軽井沢の下着が盗まれたのだ、彼氏である彼はその権利がある。女子も文句はないようだ。

 洋介は一見するといつも通りに見えるけれど……人間観察に長けている人間なら気付くだろう。

 ──まだ無理か……。

 胸中で呟いてから、

 

「……どうかな。情けない限りだけど、オレには分からない」

 

「綾小路くんで分からないなら、きっと、誰にも分からないよね……」

 

「そんなことはないんじゃないか。実際、みーちゃんは洋介の変化に気付いたんだろ?」

 

「で、でも……確証は持てないし……」

 

 そのまま語尾を小さくしていく。

 オレは友人としてみーちゃんを励まそうと思い……やめておいた。

 これは彼女の問題だ。

 相談されたのなら兎も角として、今は、彼女がどのような決断をするのかを見守るべきだろう。

 彼女たちに再度礼を告げてから別れた。

 いつもなら健と食べているけれど、彼は沖谷や山内の所に行き、死んだ顔をしている池の元に居る。

 

「寛治くん、元気だして!」

 

「……」

 

「堀北先生がきっと犯人を捕まえてくれるからさ、安心しろって! そしたら篠原たちに逆襲しようぜ! な?」

 

「……」

 

「寛治……俺はお前を信じるぜ」

 

「……」

 

 友人たちが必死に声を掛けるが、池が応えることはなかった。

 無言で箸を動かし、焼き魚を口に運ぶ。普段の彼だったら、「女の子の手料理だ! 最高だぜ!」と言うものだが……。

 オレが行ったところで池の助けにはなれないだろう。

 そう判断し、オレは手頃な石の上に一人で、腰掛け、久し振りに一人で夕食の時間を過ごすことに決めた。

 両手を合わせ、

 

「いただきます」

 

「隣、良いかしら」

 

「お前な……せめて返事を聞いてからにしろよ」

 

 オレは堀北に苦言を呈したけれど、彼女は華麗にスルーした。

 これみよがしにオレはため息を吐くが、それでも堀北はどこ吹く風で、勝手に夕食を食べ始める。

 まあ、オレも堀北には用があったから、都合が良いと思うか。

 美味しいご飯を食べ終え、暫し、オレたちは無言の時間を共有した。

 時間を見計らって、オレは彼女に短く尋ねた。

 

「堀北、体調はどうだ?」

 

「お陰様ですっかり元通り……とは流石にいかないけれど、かなり回復したのは事実ね。ええ、お陰様でね」

 

「言い方に棘を感じるぞ」

 

「何を言っているのかしら。平田くんが昨日あの提案をしたのは、綾小路くん、あなたが彼にそう指示したからでしょう」

 

「何のことやら」

 

 両肩を竦めると、堀北は無言で睨んできた。

 すっかりと覇気が戻っているな。

 

「平田や軽井沢はもう機能しないだろうな」

 

「……私から見ても、今の彼らは充分な戦力とは言えないでしょうね」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 オレは彼女に向き合い、瞳を覗き込んだ。

 そして堀北は迷うことなく即答する。

 

 

 

「当然よ。私は希望を信じる。私は──私たちは『勝利』を摑める」

 

 

 

 彼女は言い切った。

 オレはさらに尋ねる。

 

「『勝利』のためならどんなこともするか?」

 

()()()。卑劣な手段は選ばないわ。私は正面から敵と戦い、完全勝利を手に入れる」

 

「そうか。なら堀北、オレはお前に『勝利』の道筋を教えることが出来る」

 

「聞かせて頂戴。一筋の光を摑み、手に入れる方法を」

 

「分かった」

 

 オレは周囲に誰も居ないこと、そして聞き耳を立てている者が居ないことを確認してから彼女に語った。

 Dクラスが『勝つ』ための方法を。

 全てを聞き終えた堀北は、暫し言葉を失っていた。

 そして、静かに聞いてくる。

 

「綾小路くん、あなた……正気?」

 

「もちろんだ。Dクラスが『勝つ』ためにはこうするしかないとオレは思う」

 

「……そうね。それに私もあなたの策を却下出来る程の妙案なんてものはない」

 

「なら、全て納得してくれるってことで良いんだな?」

 

 言いながら、オレは右手を堀北に差し出した。

 彼女もまた右手を伸ばし、二人の手が繋がる。

 こうして『契約』は交わされた。

 

 

 

 高度育成高等学校、五日目の八月五日。

 

 ・各クラスの残存ポイント(但し、ボーナスポイントは含めない)。

 Aクラス──? 

 Bクラス──175ポイント。

 Cクラス──? 

 Dクラス──135ポイント。

 

 


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