ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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第40話

 

 特別試験、五日目の八月五日。

 いつもと同じ時間に意識を覚醒(かくせい)させたオレは、しかし昨日までのそれとは違い寝室から出ることはなかった。

 その代わりに、すぐ傍で寝息を立てている洋介(ようすけ)……の、枕元に置いてあるマニュアルに手を伸ばす。

 一通り目を通したとはいえかなり大雑把(おおざっぱ)だったから、確認を込めて読み直したいと前々から思っていたのだ。

 特別試験の概要や追加ルール、ポイントで購入出来る道具類(アイテム)や食材などのカタログを吟味する。

 この前オレは、この特別試験の内訳を、『守り』八割、『攻撃』二割だと判断した。

 この考えを改めることはない。ルールを熟読すればする程に、オレの推測が的を射ていることを確信していく。

 それでは『守り』と『攻撃』とは何なのだろうか。まずはこれをしっかりと定義(ていぎ)する必要があるだろう。

 今回の特別試験に()いて、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そのためにはクラスメイトとの協力が必要不可欠だ。故に、クラスの統率力が高い程にこの『守り』はより強固(きょうこ)なものになる。

 しかしこれだけではこの特別試験は勝つことが出来ない。どのクラスも必要最低限やる事だからだ。

 故に『攻撃』にこそ勝敗を握る(かぎ)がある。

 それでは『攻撃』とは何なのか。

 ここまで聞けば(おのず)ずと答えは出るだろう。『攻撃』とは他クラスのリーダーを的中させること。言い換えれば、『()()()()():()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 エクストラポイントを獲得することが出来るか、あるいは、他クラスがペナルティを負うように誘導するかが、最終的な結果に繋がる。

 

 BクラスとDクラスは正式に同盟を結んだために相互攻撃することはないが、A、そしてCクラスは可能だ。

 しかしそれすらも一筋縄(ひとすじなわ)ではいかないだろう。

 Aクラスは隠密性(おんみつせい)が極めて高い洞窟(どうくつ)を拠点に定めているし、Cクラスは大半の生徒が試験そのものを脱落(リタイア)しているために『攻撃』を仕掛けようにも相手がいない。保護している伊吹(いぶき)に聞いても有益な情報は摑めないだろう。

 特別試験は今日を入れて残り三日。いや、最終日は朝の点呼が終わり次第浜辺に集合するため、実質的にはあと二日と視た方が良いだろう。

 ──少し急ぐ必要があるかもな……。

 本音を言えば独りで行動したい。櫛田(くしだ)と、元々、行動を共にする予定だったとはいえ、二人だと行動範囲に制限がついてしまう。

 それが女の子だったら尚更だ。彼女は女性の中では運動神経は比較的良い位置にいるが、流石に、男性には勝てない。

 これが高円寺(こうえんじ)(けん)、洋介だったら文句なしだったんだが、まあ、こればかりは仕方がない。皆、自分がやるべき事をしっかりと(まっと)うしているのだ。不満を言ったところで意味はないし、それは彼らに対する冒涜(ぼうとく)だろう。

 マニュアルを読み進めていくと、何も書かれていない、空白のページに辿り着く。最初は五ページあったこれには切り取られた(あと)がいくつか残っていた。

 

「──あれ……、もう起きていたんだね」

 

 隣で寝息を立てていた洋介が目を擦りながら起き上がった。

 目が合うと爽やかなイケメンスマイルをオレに向け、「おはよう、清隆(きよたか)くん」とこれまた爽やかに小声で挨拶をしてくる。

 オレもまた小声で「おはよう、洋介」と挨拶を返した。

 彼は意識を切り替えることをすぐに成功させたようで、オレが抱えている分厚い書物に気付き、訝しげな視線を送ってきた。

 

「何か気になることでも書いてあった?」

 

「いや、改めて、ルールとか購入可能なものを確認しておこうと思ってな」

 

「ああ、なるほど。基本的には皆が目に付く場所に置いているからね。じっくり見ようと思ったら今の時間くらいしかないよね」

 

 マニュアルは、いつ、誰でもが確認出来るようにベースキャンプの中心部である焚き火近くに設置したテーブルの上に保管されている。

 何か困ったことがあったらすぐに閲覧出来るようにという配慮がされているわけだ。

 しかし暗黙の了解というか、これには制限時間があったりする。長い時間その場に居たら、拠点で洗濯やら食器洗いやらと雑事をこなしてくれている生徒から「あいつ何してんの」という目で見られるのだ。

 それはオレの望むことではない。これ以上の悪目立ちは回避したいところだ。

 ぱたんと閉じてから、オレは洋介にマニュアルを返した。

 

「あれ、もう良いのかい」

 

「洋介が起きる前から読んでいたからな。それだけの時間があれば充分だ」

 

「ああ……なるほど。清隆くんは暇な時間があればいつも読書してから、読むのがひとより早いのかもしれないね」

 

 言われてみればそうかもしれない。

 高度育成高等学校に入学する以前も読書はしていたが、現在は比較にならないくらいに本を読む機会に恵まれているな。

 一般的な学生よりは、オレが制覇した書物の数は多いだろう。

 

「全校生徒の中でも、かなり上位に位置すると思うよ」

 

「なら、椎名(しいな)は最上位に近いだろうな」

 

 彼女程の読書中毒者は中々居ないと思う。

 乗船する際に配られたパンフレットによると豪華客船には簡易的ながらも図書館があるようだった。椎名のことだ、きっと既に訪れているだろう。

 オレも気になるから、試験が終わったら誘ってみるか。

 

「清隆くんは、椎名さんのことが余程大切なんだね」

 

「……どうなのかな……」

 

「意識してないかもしれないけれど、きみは彼女のことを特別視しているよ。間違いなくね。僕にはそれが分かるんだ」

 

 洋介はそう言って、オレに優しく微笑み掛けた。

 何故だか無性に恥ずかしくなったオレは、友人の目線から逃れ、適当な方向を向いてしまう。

 目を泳がせるオレに、彼は言葉を続けた。

 

「……クラスメイトたちは変わりつつある。四月とは別人だと思えるようなひともいる」

 

 やや大きな(いびき)をかいている、嘗ての不良少年をオレたちは真っ先に見た。

 あれ程嫌っていた勉強にも意欲を出し始め、バスケットのプロを目指して日々努力している。クラスに馴染めなかった──馴染もうとしなかった男の姿はそこにはなかった。

 

須藤(すどう)くんだけじゃない。皆、ゆっくりと自分のペースで良い傾向に変化が生じている。けど僕は清隆くん。きみが一番変わったと思っているんだ」

 

「……」

 

「嘘じゃないよ。こんなことで嘘は吐かない。少なくとも僕はそう思うんだ」

 

「……どうしてそう思うんだ……?」

 

 静かに問い掛けると、洋介は困ったように方頬を掻いた。

 しばらくして、オレの友人は(かつ)ての胸中の想いを打ち明け始める。

 

「きみと初めて会った時、僕はきみに対して親近感を勝手に抱いたんだ」

 

「親近感?」

 

 思わず首を傾げてしまう。

 オレと洋介に、そのような共感出来るものは特になかったはずだ。

 逆にオレは、率先してクラスを纏めあげようと臆することなく挑戦する彼に尊敬の念を覚えた程だ。

 今でこそオレたちは対等な友人関係を築けているけれど、四月の時点では対等とは縁遠いものだった。

 それも当然のことだろう。

 片方は性格が良く爽やかなイケメン、もう片方はただただ根暗い影が薄い一般生徒だ。

 あの時のオレたちに似通った部分は一片たりともなかった。

 訝しんでいる間にも洋介の告白は続く。

 

「何て言ったら良いのかな……今の『平田(ひらた)洋介』は本来の僕じゃないんだ」

 

「……二重人格とでも言うつもりか?」

 

 二重人格とは一人の人間が全く違う別々の人格を二つ所持していること。

 二重人格の代表として挙げられるのは、1885年に執筆され、翌年の1886年にロバート・ルイス・スティーヴンソンが著した『ジーキル博士とハイド氏』だろう。通称は『ジキルとハイド』だろうか。

 物語を簡略的に説明すると──医者のヘンリー・ジキルは病んだ父親のため、何より、人類の幸福と科学の発展のために『人間の悪と善を分離する薬』の研究を進め、ある日、彼は薬の開発に成功した。しかしセント・ジュード病院の最高理事会のメンバーである上流階級の面々に神への冒涜であると批判され、人体実験の申し出を断られる。 婚約者との婚約パーティーの帰り、彼はとあるパブで美しい娼婦(しょうふ)と出会い、たった一つの解決策を見出した。

 ──薬を自分で試す。

 ジキルは『人間の悪と善を分離する薬』を己自身に投与(とうよ)した。

 実験は成功し、ヘンリー・ジキルという一人の人間の身体には、『善の人格であるヘンリー・ジキル』と『悪の人格であるエドワード・ハイド』という、相反(そうはん)する二つの人格が芽生えた。ちなみに、エドワード・ハイドの『ハイド』とは英語の"hide"が掛けられているという。

 ジキルからハイドに変身した男は、最高理事会のメンバーを躊躇うことなく殺し始める。

 主人格であるジキルの支配も揺らぎ始め────

 洋介は小さく首を横に振り、オレの懸念を否定した。

 

「二重人格なんて、そんな大層なものじゃないよ。──昔の僕がきみに似ているんだ。昔の僕はクラスの中心的人物なんかじゃなかった。どらちかというと、日陰の存在だったんだ」

 

 そこまで聞いて、オレは洋介が言う、『親近感』の正体を知った。彼は多分、オレを通して嘗ての自分を視ていたのだろう。

 

「日陰の存在だった僕だったけれど、不満な点は何も無かった。むしろ当時の僕は、いわゆる、『リア充』なんてものには未来永劫なれないなと思っていたくらいだったんだ」

 

「……でも今のお前はそうなっている」

 

「うん、そうだね。狙ってやったこととはいえ、僕自身、ここまでやれるとは思ってなかったかな」

 

 つまり、何らかの『切っ掛け』があったのだと考えるのが妥当だろう。

 日陰に居て満足していた者が陽射しを浴びる者になろうする理由。

 女子から注目されてモテたいとか、そんな理由ではきっとないだろう。

 洋介は言った、嘗ての平田洋介(自分)綾小路清隆(オレ)は似ていたと。

 なら導き出されるのは一つだけ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「何があったんだ……?」

 

 尋ねると、洋介はひどく辛そうな表情を浮かべた。

 悔悟(かいご)、後悔、負い目、罪悪感──数々の自責の色がありありと彼の顔に(いろど)られ、そこには、柔和な笑みを常に携えている好青年の姿はどこにもなかった。

 

「僕は、僕は────」

 

 自らが犯した罪が断罪されるのを恐れるように、あるいは──期待しているように──少年は震える唇をおもむろに動かし始め……

 音が紡がれる直前、外界から怒鳴り声が伝わってきた。

 

「ちょっと男子! 今すぐに起きて!」

 

 オレと洋介は会話を中断させ、口を閉ざして無言で互いの顔を見合った。

 声主は女性だろうか。声音からして怒っていることが窺えるが……状況が全くもって分からない。

 

「早く起きなさいよ!」

 

 二回目の怒声。今度は彼女の声に従って、他の女性の声も投げられてきた。そのどれもが起床を催促するためのものであり、どうやら彼女たちは仮設テントから出ることを所望しているらしい。

 

「うっせぇなー……!」

 

「まだ起きるには早いだろ……」

 

「なななな何だ!? 地震か!? 天変地異なのか!?」

 

 クラスメイトたちが不平不満を言いながら(まぶた)を開け始める。

 熟睡中に無理矢理起こさせられたのだ、皆、とても気が立っていた。

 

「皆はここで待っていて欲しい。僕が事情を聞いてくるよ」

 

 言うや否や、洋介は身嗜みを軽く整えてから仮設テントを飛び出して行った。

 ちらりと覗いた横顔はとても強張っていた。

 

「いったい何なンだよ……まだ眠たいのによ……」

 

「分からないな。まずは洋介を待つとしよう」

 

「お前はこんな時でも落ち着いてンな……」

 

 健が感心したように言った。

 

「慌てたところで何も好転しない。なら最初にやるべき事は平常心を持つことだろう」

 

 オレは他のクラスメイトにも聞こえるよう、やや大きめな声を出した。愚痴を漏らしていた生徒や、混乱していた生徒はオレの言葉に納得したようだった。

 慣れないことをするものではない。少し痛めてしまった喉に手を当てて調子を戻していると、健がオレの水筒を渡してきた。

 

「ありがとう」

 

 礼を告げてから唇を湿(しめ)らせる。

 室内は異様な静寂に包まれて行った。状況を摑むため、外で女子生徒と話しているだろう洋介の動向を知るために耳を澄ます。

 

「どうして──そんな────有り得ない!」

 

「でも──平田くんは──安心して────連れてきて!」

 

 

 しかしどれだけ集中しても、断片的な音しか拾うことが出来そうになかった。というのも、女子生徒たちの声が幾重(いくえ)にも重なっていて、彼女たちが何を言っているのか聞き取れなかったからだ。

 現状分かっていることといえば、何故だが知らないが多くの女子生徒たちが怒り狂っていることだけだ。

 

「これ、やばくね……」

 

 誰かがそう、小さな声で呟いた。

 何が具体的にやばいのか、内容はさしたる問題ではない。ただオレたちは、時間が経つにつれて事態が只事(ただごと)ではないことを知覚していく。

 数分後、地面を踏み締める音が近付いてきた。

 ゆっくりと外界に通じる入口が開かれ、一瞬、眩い閃光(せんこう)がオレたちを刺す。

 点滅した視界が正常になると、そこには予想通り、洋介が立っていた。

 

「……皆、今すぐに外に出て欲しい」

 

 洋介の顔付きはとても険しいものだった。

 それだけでオレたちは確信する。事態は一直線に最悪に進んでいることを。

 

「分かった。平田がそう言うンなら……」

 

 健が真っ先に彼の指示に従った。

 誰もが躊躇して怖気付くなか、彼だけは違った。自らが仲間を先導するように、彼はそれ以上言葉を言うことなく、光の先へ姿を消していく。

 

「俺も行く……」

 

「俺も……」

 

 健につられるようにして、他のクラスメイトたちも腰を上げて外に出る。

 最後に残ったのはオレだった。洋介と目が合い、一度頷いてから、オレもまた処刑場へ向かっていく。

 Dクラスの面々が集ったのは拠点の中心部である焚き火広場だった。

 どうやら洋介はオレたちの前にもう一つの男子テントに声を掛けていたようで、既に全員が揃っていた。

 いや、それは違う。

 クラスの女王である軽井沢(かるいざわ)と、彼女の従者的立ち位置に居る二人の女子生徒の姿が見られない。さらには櫛田も居ないようだった。

 嫌な汗が首筋に流れた。

 

「僕が最後だよ」

 

 ベースキャンプを一周した洋介が、そう、報告した。

 Dクラスは男と女という対立の構図に分かれているようだった。()()()()()()()()()()()()()()

 洋介だけが彼我の中点に居ることを許されている。

 

「ど、どうしたんだよ……そんなふうに俺たちを(にら)んでさ」

 

 無言の圧力が堪えきれなくなった池が、声を震わせながらも尋ねた。

 普段の彼らしからぬ、他者を気遣い、自分が下手に出る行動。

 ところが女子たちはそんな彼の行動が気にくわなかったのか、ますます、オレたちを強く睨んでくる。

 彼女たちの瞳には侮蔑と──明確な敵意が灯っていた。

 篠原(しのはら)が一歩彼我の距離を詰め、洋介を除いた男子全員を睥睨(へいげい)してから、憤怒に染まり切った表情でこう言った。

 

「今朝、軽井沢さんの下着が()くなってたの。これが何を意味するか、分かる?」

 

 分からないとは言わせないと、篠原の表情が雄弁(ゆうべん)に語っていた。

 先に聞いていただろう洋介は別として、オレたち男子生徒の間に、小さなどよめきが広がっていく。

 それは時間が経つにつれて肥大化し、収まりがつかない業火(ごうか)に変貌した。

 喧騒に包まれるオレたちに、篠原はさらにもう一歩足を踏み出して糾弾の姿勢をとる。

 

「男子のなかに犯罪者がいるのよ!」

 

 オレたちは絶句した。

 篠原の言ったことが分からなかったわけではない。頭の中ではそうだろうとも思っていた。

 しかし言葉にして口に出すと、朧気だったものは途端に現実味を帯びてくる。

 犯罪者──下着泥棒。

 軽井沢恵の下着が、朝、消失していた。下着を入れていた鞄……スクールバッグは仮設テントの出入り口付近の外に置いていた。荷物を中に入れると、すぐに室内が一杯になって生徒が睡眠をとれないから、このような処置をとった。

 当然ながら、男子テントには男子の荷物が、女子テントには女子の荷物が置かれていた。

 つまり性別を狙うことは可能であり、また、夜中に起きて鞄の中を漁り盗むことも充分に可能だ。さらにはスクールバッグにはアクセサリーがついているものも多々あり、逆説的には、個人を特定することも不可能ではない。

 

「軽井沢さん、今、テントの中で泣いてる。櫛田さんたちが慰めているけど……」

 

 篠原は軽井沢たちが居るだろう女子用の仮設テントを一瞥してから、再度、敵と定めた男子を睨んだ。

 彼女だけじゃない。多くの女子たちも同様だった。

 例外は王美雨(みーちゃん)佐倉(さくら)()(かしら)といった、クラスでも大人しい性格の持ち主のみ。

 男子も当然、ずっと黙っていられるわけがない。心当たりがない罪を糾弾されているのだから不愉快になるに決まっている。

 

「俺たちはやってない!」

 

「そうだぜ! そんなことをやる程馬鹿じゃねえよ!」

 

「お、俺知ってる……! これ、冤罪って言うんだぜ!」

 

 外村(博士)が誰かの口調を真似たのか、普段の口調を捨て去ってそう叫んだ。

 多分、アニメに出てくる登場人物(キャラクター)が物語の中で言った言葉なのだろう。

 それは兎も角として、冤罪、という言葉は男子たちに天啓を与えたようだった。

 

「冤罪だ!」

 

「冤罪だ!」

 

「冤罪だ!」

 

 冤罪だ! 冤罪だ! デモンストレーションを行進する民衆のように、男子たちは結束して憎き女子たちに抗議する。

 さしもの彼女たちもこの逆襲には怯まざるを得ないようだった。

 現在分かっていることといえば、軽井沢の下着が昨夜から今朝の間盗まれたことだけだ。

 男性が女性の下着を盗む、というものが一般的な下着泥棒の認識だろうが、それはあくまでも先入観に縛られているに過ぎない。

 あるのは確立した証拠ではなく、状況証拠だけだ。

 

「皆、まずは落ち着いて……!」

 

 洋介の制止の声も届かない。

 それどころか業火の波は拡がるばかりだ。

 今の状況では誰が何を言っても意味はなさない。

 Dクラスがゆっくりと育んできた絆に亀裂が入ったのを、オレは幻視した。

『暴力事件』、そして『無人島生活』。

 これら二つの出来事で積み重ねてきたものが音を立てて崩落していく。

 これが他クラスだったらどうだろうか。

 酷い惨状を視界に収めながら、そんなことをふと考えた。

 一之瀬(いちのせ)でも猛々しく燃える(ほむら)を鎮静化させるのは難しいだろう。葛城(かつらぎ)も苦労するだろう。

 龍園(りゅうえん)だったら、意外にも、易々と対処出来るかもしれないな。絶対的な『力』の前には何人たりとも逆らえない。

 破滅への一途を辿る中、オレは一人の女子生徒を観察する。

『彼女』は女子の群れの後方にいた。そして口では男子を非難していたが、隙間から一瞬覗いた表情はひどく億劫(おっくう)そうだった。

 

 ──特別試験は折り返し地点を経て、終盤戦に移行する。

 


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