pixivは2021年5月31日付けでプライバシーポリシーを改定しました。
我妻善逸は入学当初から美術教師である宇髄天元になにかと用事を申し付けられていた。 いくら嫌がっても拒否しても無視しても校内放送では呼び出し、善逸が最も弱いとする女子を使って準備室に来るように仕向けてくる。 挙句の果てには、ある日脱兎の如く逃げて帰ったら家にまで電話され保護者である爺ちゃんに「善逸くんに頼んでいた作業のことで美術準備室に来るようにお願いしたのですが、本日帰宅されてしまったようで…。どこか具合でも悪いのでしょうか」と態と心配するような素振りをされた。案の定、爺ちゃんにはしこたま怒られてその時のたんこぶの恨みを俺は今でも忘れちゃいない。 それから二年が経ち、もうこうやって放課後美術準備室に来るのはとっくに体に沁みついてしまっていた。 今日もいつも通りにこの部屋で、善逸専用のコップにその辺のココアよりもちょっと高いプレミアムココアを淹れて飲んでいる。
「ん~っ! 美味しっ! やっぱ飲み物でもココアって最強だと思わない? ココア最強説を唱えたいね! しかもこのプレミアムココアは普段買えないから、より一層美味しく感じる~。宇髄先生ありがと!」 「どういたしまして。けどコーヒーのが最強だろ」 「いーや! ココアですね! 考えてもみてよ、オレンジジュースもコーラもホットにしたら不味いでしょ? なのにココアはどう!? アイスにしても良し、ホットにすると尚良し!」 「だったらやっぱコーヒーと紅茶もありじゃねぇか」 「かーっ! 分かってないなぁ! ココアはね、スイーツ代わりにもなるんですよ! 生クリームに合うのはコーヒーより紅茶よりココアに決まってるでしょ! なにより女の子がホットココアを飲む姿は世界一可愛い!」 「お前そのココアに最初は牛乳と砂糖入れて更に甘くしようとしてたよな。どんな舌を持ってんだよ」 こんな小競り合いも日常茶飯事。それに宇髄という人間が口が悪いながらも、本当はとても優しく情に厚い人間だということをこの長くも短くもない二年間で理解していたのだ。 今飲んでいるココアだってそうだ。これは雑用の休憩中に善逸が飲むために宇髄が買っておいてくれたもの。普通の市販にしてはお高い美味しいココア。 これはある時、そうあれは二年生の夏にいつものココアから新商品が発売されていることを知った日。 *** 「ねぇ知ってます? 今ってプレミアム〇〇って、普段よりちょっとお高いものでも売れる時代じゃん? このココアにもプレミアムココアってのが出たらしいですよ! でもこれ普通よりも千円も高いんだってぇ~。普通のでも十分美味しいけどさ、どんな味なんだろうね。今度一回だけ思い切って買ってみようかな。そしたら宇髄先生にも一杯飲ませてあげますね!」 すると翌日にはそのココアが善逸専用のコップの横に置かれていたのだ。 「えっ!!?? これっ…プレミアムじゃん! プレミアムのココアじゃん! どうしたんですか!?」 「ああ、だって飲みたかったってお前言ってただろ? それにあのココアもあと二杯ぐらいだったから丁度次の買おうとしてたんだよ」 「まじっすか!!! でもこれ高いのに…。ののの、飲んでいいの!?」 いつもは宇髄に対して失礼なぐらい図々しい善逸も、流石に我が我がとはいかなく躊躇する。だがそれを聞いた宇髄は少し苦笑しながら善逸の頭に手をポンと置いてきた。 「お前以外で誰がそれ消費できんだよ。責任持って飲みきれ」 「くっ…。イケメンからの顔と言葉の暴力! 一語一句モテるセリフ!!」 「で、どうなんだ? 美味いか?」 「…………んんん~~~っ!! コクが違う! 濃厚! 少し苦みが効いているのに口どけは柔らか! 正にプレミアム! いやぁ、こんな大人の味覚えちゃったらもう安いのに戻れないなぁ。な~んちゃって! うぃっひひ」 「…んじゃ、これからはそれにするわ」 *** そんなことがあったのが去年の夏。あれから俺の飲み物ストックには必ずプレミアムココアを買っておいてくれている。値段が値段だけに最初は断ったのだが、「記念だからこれがいい」と訳の分からないことを言い出し、そもそも俺のお金ではないのだから無理に説得することも叶わなかったので好きにさせている。その分俺は前以上に雑用に精を出すようにした。 だが、今思い返してみるとそこからの気がする。 なにがそこからなのかと言うと、宇髄先生が俺に物を与える癖がだ。 そしてそれを俺は今の今まで気付かずにいた。 話は遡る。 プレミアムココアを買ってきてから数日。俺はその日クラスの女子がキャッキャッと騒いでいた流行のお菓子に興味津々で、宇髄先生にも教えてあげていた。 「マリトッツォって言うらしいよ、マリトッツォ! イタリア発祥のお菓子でね、今すごい人気なんだってマリトッツォ。あ、これ! この写真のです! マリトッツォ!」 「お前マリトッツォって言いたいだけなんじゃねぇのか。…あーこれか。イタリア行った時になんか見たことある」 「さらっと旅行自慢されました。二駅先にね、イタリアのお店の日本支店ができたらしいですよ。でも人気でいつも売り切れなんだってさ」 「ふぅん」 するとその翌日、準備室の冷蔵庫にはマリトッツォ。 「えっ、これどうしたんですか? 誰かに貰ったの?」 「いや? 善逸に買ったんだけど?」 「は…? いつ?」 「午前中に授業一コマ空きで暇だったから散歩がてらな。善逸の言ってた通り、人気の店なんだな。残り三つだったから全部買った」 「嘘でしょ!? いいの!? いや、その前に授業空きがあったならそこでこの雑用する時間あったでしょーに! そしたら今日は帰れたじゃねぇかっ!?」 「あぁ? そしたらお前ここ来ねぇだろうが」 「やだ、当たり前じゃん…。まぁ今日はマリトッツォに免じて許してあげますよ! うわぁーい! これがマリトッツォかぁ。先生も食べるでしょ?」 「一口ちょうだい。後は全部善逸の」 俺が少し齧ってしまったマリトッツォを渡す。反対部分のまだ口を付けていない箇所を手前に渡したのに、先生はわざわざ俺の食べかけをあんぐりと口にした。 え、人の食べかけとか普通避けない?フレンドリーにも程があるでしょ。 「先生…それ女子にはやらない方がいいよ。アンタ大変なことになるよ…」 「は? 誰がやるかよ気持ち悪りぃ」 心底意味が分からないって顔をされて、まるで俺がおかしいような視線を向けられた。 結局残り二つは帰りに炭治郎の家に行っておすそ分けした。炭治郎もお店でマリトッツォを出そうか考えていたらしく、一度食べてみたかったんだととても喜んでくれた。 また別の日。宇髄先生は修学旅行の下見メンバーに選ばれてしまい北海道に行くことになった。下見のためのパンフレットと簡単なしおりを覗くと、蟹やら帆立やらイクラやら。本場のコーンスープにじゃがバター、他にも美味しそうなスイーツだらけ。 それを見ながら、あれも美味しそう!これも食べてみたいよね!と話していたが先生は「ふぅん」と一言。 だがなんと数日後に北海道から冷凍直送便で届いたのは毛蟹とイクラとウニと鮭。そしてジャガイモとメロン。 俺と爺ちゃんは何事かと驚きを隠せない。もしかしてこれがあの有名な送り付け詐欺!?なんて思って送り主を確認したら、そこには『宇髄天元』の文字。俺は初めて漫画でよく見る、目が点になるというのを体験した。 宇髄先生が下見から帰ってきたのでどういうことなのか説明してもらおうと朝イチで美術準備室に殴り込みに行くと、 「善逸! 来てくれたのか。ただいま」 「ふぇ!? あ…、えっと、お…お帰りなさい…?」 「うん。ただいま」 なんだこのキラキラの音と、トロトロの甘い顔と、ポワポワなピンクの空気は! あまりの予期せぬ雰囲気に呑まれそうになったが負けじと踏ん張る。 「っあ、あの! いきなりあんなに送りつけてどういうつもりですか!? 蟹とか鮭とか! もしかして宇髄先生が引き取りに来るまで保管しとけってこと!?」 「は?? 何で俺が引き取んだよ?」 「じゃあなんなのさ!」 「だって善逸が食べてみたいって言ってただろ? あ、そうだ。あとこれもお土産な」 手渡されたのは北海道で有名な生チョコ。それとホワイトチョコのラングドシャ、レーズンバターサンドとじゃがいものスナック。しかも全部大箱買い。 「うあー! このレーズンバターサンド! 前に食べたことあって超美味しかったんだよねぇ。嬉しい! このじゃがいものはね、爺ちゃんも好きなんですよ!」 「そっか。じゃあ買ってきてよかった」 「ありがとう先生!」 「おう。じゃあ授業始まるからまた放課後な」 「はーい! 宇髄先生ほんとにありがとね!」 いやーこの分だと当分おやつには困らないね。パンフレット見て食べたいって言ったの全部あるじゃん!ホワイトチョコのはお昼に炭治郎と伊之助にもあげよう! ………………あれ?俺何しに先生の所に朝イチで行ったんだっけ。 また別の日。俺は北海道から強制的に送られてきた大量のジャガイモをどうするべきか悩んでいた。鮭だって俺と爺ちゃんだけじゃ中々減らない。 悩んだ挙句、これは宇髄先生の責任でもあるんだから彼にも協力させようとお弁当を作ることにした。中身は鮭も入っているがジャガイモのオンパレード。しかも前もって約束なんかせずにいきなり渡すのだ。せいぜい困ればいい。俺だってジャガイモ料理にもうウンザリしてきている。 お昼休みに突然訪問した俺がお弁当を差し出すと、宇髄先生は一瞬固まったかと思うとすぐにお弁当箱を広げ小刻みに震え出す。 しめしめ。どうだ、迷惑だろう。しかし本気で困らせるつもりは元からないので、冗談ですよとお弁当箱を取り上げようとしたらその手を強く掴まれ阻止される。 「俺に作ったんだろ。じゃあもう俺のものだ」 「宇髄先生?」 綺麗に両手を合わせ「いただきます」と、まるでこの世の全ての食材に感謝をするようにゆっくり丁寧に挨拶をする。 「最高。肉じゃがもポテトサラダも鮭とポテトのチーズ焼きも全部美味い」 「ジャガイモばかりで嫌でしょ…」 「作ってくれるなら明日も明後日もジャガイモでいい」 え、この人そんなにジャガイモ愛だったの?それならそれで消費してくれて助かるんだけど。 それからしばらくは本当にジャガイモまみれのお弁当をたまに作って渡していたが、宇髄先生はとても美味しそうに、って言うか幸せそうに噛みしめながらいつも綺麗に完食していた。嫌がらせのつもりだった俺の目論見は外れたというわけである。 更に別の日。愛用していたワイヤレスイヤホンを電車の中で落として失くしてしまった。 お小遣いを貯めて買ったので高校生なりにもそこまで安くはない代物で、俺は結構なショックを受けていた。宇髄先生の前でうだうだと嘆いてしまうほどには。 「善逸にとってはイヤホンは生活する上で欠かせないもんな。次も同じの買うのか」 「ううん…。お金貯めて買わなきゃだから、しばらくは昔使っていた安いやつで我慢します。性能とかあまり良くないけどさ…」 「ふぅん」 二日後のお昼に校内放送で美術準備室に呼び出された俺は、宇髄先生の分のお弁当を持って向かっていた。 大量のジャガイモのノルマは達成したが、あれからもたまにこうやってお弁当を作っている。爺ちゃんからもあんなにお土産を貰ってしまっていつもお世話になっているのだから、善逸の手作りを美味しいと言ってくれるなら作ってあげなさいと言われた。それにまるで幼稚園児が遠足のお弁当タイムに鳴らす、弾む可愛い音で嬉しそうに食べる宇髄先生を見るのが俺も好きだから。 コンコンコン 「宇髄先生ー。我妻でーす。来ましたよー」 「おう、入って」 「はいこれ、今日のお弁当…つっても昨日の夜の残りだよ?」 「ありがとな。へぇ、今日は中華か! 俺、青椒肉絲大好き」 「そっ…それは手作りだけど、春巻きとかは冷凍ですからね!」 「でも善逸が詰めてくれたんなら十分」 そんな些細なことをそんな笑顔で言われると困ってしまう。最近気付いたのだがなんだか妙な雰囲気になりそうなのだ。これっていつからだっけ? 俺は臆病だからそれがなんなのか突き止めるのが怖くてすぐに話を変えてしまう。 「ところで今日はなんの呼び出しですか? 放課後の雑用そんなにあるの?」 「あぁ、渡したいもんがあって。ほらこれ」 「なに?」 ラッピングされた箱を空けるとそこには最新のワイヤレスイヤホンが入っていた。 へー、新しく買ったんだ。これカッコいいなぁ。高性能だし、たしか耳掛けがあるから外れにくいやつじゃん。防水機能もついてるし、さすが宇髄先生だね。俺も早く金貯めようっと。 「…どうだ?」 「すごくいいと思います。宇髄先生の髪の色と同じ綺麗なシルバーでアンタにピッタリじゃん! 似合いますよ」 「なんで俺? 善逸のだけど?」 「ゼンイツノダケド?」 前回目が点になるのを経験した俺は、今度は日本語が分からなくなると言うのを体験した。当然目は点だ。 「ゼンイツノダケド」ってどういう漢字と平仮名を書くのだろう。善逸ってたぶん俺。だから、「善逸野田家度」これじゃますます意味不明。 「善逸の抱けど」これじゃなんか変態チックだな。 「善逸のダケド」………「善逸のダケど」……「善逸のだけど」 はいはい、なるほど。「善逸のだけど」ってことですか。 「あれ? 善逸のだけどって言いました?」 「善逸のだけどって言ったな」 「善逸のなの?」 「善逸のなの。自分のこと善逸って言うの可愛いな」 甘い顔してそう言われた俺は瞬時に茹蛸状態になる。 いや、そうじゃねぇ。そうじゃねぇよ。今は赤くなるとか可愛いとかどうでもいいの! 俺が俺を見失うなよ! 「はぁぁっ!? なんでこれが善逸のなの!?」 「可愛い」 「あらやだ間違えたっ! なんでこれが俺のなんだよ!?」 「だって新しいの欲しいって善逸が言ってただろ?」 「言ってたけどっ! そうだけども! なんでアンタが俺に買ってくるの!? プレゼントしちゃってんの!?」 「したかったからだろ? なんか変か?」 嘘でしょ、変すぎるよ。なんでそれに自分で気付いていないの? この人今までもそうやって生きてきたの? 「アンタ、人が何か欲しいって言ってたらなんでもかんでもプレゼントしてんの…?」 「はぁ? そんなのやって俺に何のメリットがあんだよ」 「いや、じゃあこれはなによ。つーか、どういう経緯か知らないけどこんな高いもんを俺受け取れないからね」 「……なんで」 拗ねないでよ。イケメンが拗ねたらどうなるか分かってんのかよ。ただの可愛いだからな! なんかこの人、心配になってきたなぁ。私生活とか大丈夫?女の人に貢いでない? 「貰う理由がない。以上です」 「でもお前欲しいって……。そうか、じゃあ理由があればいいんだな」 「理由だけじゃないですけど…」 「弁当のお礼。俺に作ってきてくれるだろ。そのために早く起きてくれるのと材料費と弁当箱洗ってくれる、これら全てへの対価だ」 いや、対価だとしても貰いすぎだわ。 それでも俺が頑なに拒否すると、それならこれからお弁当の回数を増やしてほしいと言われた。今は週一で作るペースを週二。もし善逸が忙しくなければ作れる時は週三でとお願いをされた。 本当にこれで承諾してしまっていいのだろうかと、まだ己と戦っている俺を見抜いていた先生は最後にトドメのイケボをお見舞いしてきた。 「善逸にはシルバーのをしてほしいって、色も同じシルバーの中でこれだって思うまですごい悩んで決めたんだ。他の奴にやったんじゃ意味がない。それでも気が引けるなら、俺から借りてるってことでもいいからさ。な? 善逸、お願い」 そんな顔でそんなことを言われて断れる人間が地球上に存在するのだろうか。 俺は、ぐぬぬ…と歯を食いしばりながら渋々受け取ることとなった。 次は半年以上前のバレンタインの話。 今回もチョコの個数が校内ぶっちぎりで一位となった宇髄先生。俺は常日頃のお礼もあり、自分もあげることにした。 と言っても俺もチョコは大大大好物なので、あげる名目だが自分が食べたいチョコをあげて一緒に食べちゃおうということだ。値段だってそこそこするやつにした。 それを渡した時の先生の蕩けるような笑みといったら! そして自分の太ももをグーで叩きながら、「卒業までは手は出さねぇ。我慢だ我慢。我慢我慢我慢我慢我慢我慢」とお経のように呟いている。 「え!? 卒業までそれ食べない気なの? いくらチョコでも腐っちゃうよ! それに俺も一緒に食べたくてそれにしたんですけどぉ」 「いや、その我慢じゃねぇよ。これは今食べようぜ。さすがに今日はココアは止めるか?」 「素人はこれだから困るぜ。ココアを飲みながら更にチョコレートなんて、こんなの贅沢の極みでしょうが! プレミアムココア一丁~!」 ぷははと笑いながら先生が用意してくれたココアと共に少し苦めのチョコを二人で食べた。 そして一ヵ月後のホワイトデー。 俺は今回は、開いた口が塞がらないと言うのを体験することになる。 ほい、と渡されたのはシュークリーム。これは先週末に俺がいつものように宇髄先生との何気ない会話で漏らしたお店のシュークリームだった。 「でね、そこのシュークリームが超超超美味しいんだってさ! でも人気だからもちろん売り切れになるんだけどそれが何時に売り切れになると思います?」 「お昼とか?」 「チッチッチ。甘いね、先生。シュークリームより甘いわ。なななんとっ! 十時開店で三十分後には売り切れるんだって! すごくない!?」 「へぇ。んじゃ、一時間前には並ばないとなんだな」 「チッチッチ! 先生もまだまだだねぇ。なななんと朝七時には既に並んでいるのが普通なんですよ! すごいよね、そんなの食べれたら奇跡だよねぇ!」 「ふぅん」 ………と言う具合に話していたシュークリームである。 それがなぜ目の前に。 「先生、これ…あのお店の…?」 「そ。だって善逸が食べてみたいって言ってただろ?」 「よ、よく買えたね? コネでもあった? あ、たまたま行ったら残ってたとか?」 俺は記憶にあるこのパターンに頭痛を覚える。この後に続く宇髄先生の言葉が怖くて、なんとかコネであれ。汚い大人世界のやり取りであれと祈っていた。 「朝買いに行った。やっぱ行列すごかったわ」 「ち、ちちち、ちなみに何時に…」 「今日は朝授業なかったし善逸が七時にはもう並んでいるって教えてくれたから、六時に行ったら前から三番目だったな。教えてくれてありがとな」 ここです。開いた口が塞がらないと言うのをここで体験しました。 朝六時に並んだ?宇髄先生が?これ買うために?なんで? そしてなんでか今、俺にお礼言ったよね?普通逆でしょ?ねぇなんで? 全ての事柄に頭が混乱してしまった俺は何故だか涙が溢れてきてしまった。自分が今どんな感情を抱いているのか分からない。 「…ひっ…ふぅっ…」 「ぜんいつ!!? なんだどうした!? 腹でも痛いのか!? 待ってろ、珠世先生呼んでくるからな! あっもしかして違うのが食べたかったのか!? ごめんな。明日それ用意するから教えてくれ」 珠世先生を呼びに走り出そうとした宇髄先生を必死で引き留め、嗚咽で上手く言葉が発せられないながらも、「このシュークリームがずっと食べたかった。嬉しい」と伝えることができた。宇髄先生はホッとした様子で俺の涙を白衣の袖で優しく拭ってくれた。 だがホワイトデーのお返しはこれだけでは終わらず、先生は引き出しからラッピングされた長方形の箱を取り出す。嫌な予感しかしない俺はもうこれが何なのかさえ聞くことを止めて、受け取るとそのまま包みを開ける。 そこには英語で俺の名前が刻まれている、誰がどう見ても上質なブランドの高級ボールペンが入っていた。 「いつも善逸が風紀委員の服装検査とかでボールペン使っているだろ? 毎日使うものなら手にフィットする書きやすい良い物にした方がいいと思って」 この日俺は人生初の卒倒を体験したのだ。 目が覚めた時には結局珠世先生のいる保健室にお世話になっていたのである。家まで送ると言って聞かない宇髄先生を珠世先生に任せた俺は、帰るとその夜熱を出してしまったので翌日の学校は休むことになった。 そんなこんなで宇髄先生からの理解不能なプレゼントに俺は毒されながら慣れてしまっていくようになる。 今は炭治郎と伊之助と三人でのお昼時。 三年生の秋となった今日もまた、宇髄先生が実家に帰った時のお土産だと言ってお菓子を俺たちのいるところまで持ってきてくれた。ちなみに実家は同じ都内でここの三つ隣の地区。県も跨いでいないのにお土産とはこれ如何に。 中身は上流階級御用達の印が押された最中だったので、はしゃぎながら炭治郎たちにも分けていた。伊之助は一気に三つも口に詰めすぎて口内の水分を全部もっていかれたようで、焦って牛乳をがぶ飲みしている。そしてまだ足りないのか、アオイに何か貰ってくると言って走って行ってしまった。 炭治郎は手の中に収まる最中をじっと凝視し俺と最中を見比べて、何やら重い口を開く。 「…なぁ善逸。前々から思っていたのだが、善逸は宇髄先生の何か弱みでも握っているのか?」 「なにそれ、ウケる! あの人の弱みなんて握ってたらすぐに雑用を止めさせてるわ」 「他人の俺から言うのもなんだが、宇髄先生は善逸に物を与えすぎだと思うぞ。何と言うか……貢がれていないか?」 「みつが…?」 「きっと善逸は感覚が麻痺してしまったんだな。今まで買い与えられた物をしっかり確認してほしい。普通に考えたら、一教師と一生徒でそんなのはあり得ないと思う! この最中だって善逸がいなければ俺と伊之助には買ってこなかったはずだ。先月の善逸の誕生日なんて何を貰ったか理解しているか?」 「誕生日は…メロンショートケーキと……洋服…」 「善逸は知らないのかもしれないがあのメロンショートケーキいくらすると思う? あれは有名なホテルのもので一ピース四千円はするんだ! それをホールで貰ったんだぞ!? 洋服ってこの前遊んだ時に着てきたカーディガンだったよな。あれは有名なブランドのものでしかもカシミアじゃないか!」 「一ピース…四、千、円………」 一ピース四千円をホールで…?あれ、なんか計算ができなくなってきた。って言うか計算するのが怖くて脳が拒んでいる。 カーディガンだってこれ肌触り極上じゃんとは思っていたのだ。ブランドのロゴが入っていたのは分かっていたが、俺はもうそんなのを気にするのも馬鹿らしくなっていた。 …………いやいやいや!!!!何考えてんの俺!!?ダメじゃん俺!!! あっぶねぇぇぇ~~~!!これじゃあヒモだわ!俺もう少しでダメ人間街道突き進むことになるとこだった!つーか半分もうなってたよね!? 「そうだよね炭治郎! やっぱこれオカシイよねっ!!?」 「気付いてくれたのか!」 「俺も前まではオカシイとちゃんと思ってたんだよぉぉ! でもあの人に何言っても理由付けされて正論な顔で返されちゃって、あれこれって普通なのかなって段々思うようになっちゃったの~!! つーかあのケーキそんな高いの!? やだもう怖いよぉぉぉ! 俺一ピース四百円感覚でペロリと食べちゃったじゃんかぁ! この最中もなんなのぉぉ!? 都内なのに実家に帰ったお土産でこんな高級なの買ってくる神経理解できないよぉぉぉ」 俺は泣き喚きながらマリトッツオぐらいからの宇髄先生の俺に物を与える癖を炭治郎に洗いざらい話した。中には炭治郎にも話していない事案もたくさんあり、その度に「まだあるのか…っ!?」と驚いている。 第三者に口に出すことによってより一層、俺がどれほどあの人に貢がれていたのか思い知らせる。これって俺が知らず知らずのうちに要求してたってことなのかな!?脅していたのかな!?先生はなんだかんだ言って優しいからそれを無下にすることはできなくてしょうがなく相手をしてくれてたのかも。 なんつー強欲で卑しい男なんだよ俺はっ!炭治郎どうすればいい!?卒業と同時に今までの金額請求されちゃう!?裁判所から書類とか届いちゃう!? 俺を見捨てないでくれよたんじろぉぉぉぉぉぉ! 「落ち着くんだ善逸! 俺には宇髄先生の方から喜んで貢いでいるように見えるし、さっきだって先生からは嬉しそうな匂いがしていたぞ!」 「その貢いでるって表現止めてくれよ! 俺がものすっごく悪女…あれ、男だから悪男? だと思われるじゃんかぁ」 「だが実際そうじゃないのか? 善逸が一言欲しいだとか食べてみたいと言えば数日後にはそれを用意してくれるんだろう?」 「うぐっ…。でっでもさ、雑用だって三年間きちんとしているわけだからそれに対してのご褒美的な意味もあるんじゃないかな…? あ、それにボランティア精神が強いのかも! 炭治郎が宇髄先生の前で言わなかっただけで、欲しいとか言った人みんなにもしているかもじゃね? 人にプレゼントするのが好きな人っているじゃんか!」 「う~ん……。たしかに俺は宇髄先生の前でそんなこと言ったことはないが…」 「だろ!? ほらだから別に俺だけにこうなんじゃないはずだよ」 だがそもそも宇髄の前でそんなこと言える環境、つまり二人で雑誌を見ながら話したり今日一日のことを談笑する距離にいる人物は善逸以外いないのではと炭治郎は考える。 宇髄は誰彼構わずにそんな隙を与えるような人物ではないのだ。 そこであることを提案してみる。 「こういうのはどうだろう。宇髄先生の目の前でいつものように何気なく何かを欲しがるんだ。しかもイベントもなにもない普通の日だ。金額だってお菓子(それでもめちゃくちゃ高価ではあったが)とかじゃなく、とても高いものにしよう! おおよそ、ただの生徒としては考えられないものに。もしそれでその願いを叶えてきたら、善逸は宇髄先生に貢がれているのを認めるんだ! そしてどうしてこんなことをするのか真意を確かめて、これまでの金額を後に善逸へ請求しないように念書も書いてもらうぞ!」 「えぇ~? よく分かんない策だけど上手くいくかなぁ…。俺宇髄先生には嫌われたくないよぉ…」 「大丈夫だ。宇髄先生からは一度だって、善逸のことを嫌いだとか避けるだとかそういう匂いはしたことがないぞ。善逸が恥を晒した時に軽蔑した匂いを何度か嗅いだことあるだけだ!」 あ、軽蔑はあるのね。しかも何度もなのかい。 ただの生徒からでは考えられないほど高いものねぇ。あの人派手好きだし太っ腹だからこっちもド派手に考えなきゃな。なに生意気言ってんだクソガキが、ぐらいで笑って済ませてくれるかなぁ。勘違いすんななんて思われて嫌われないかな…。 でも炭治郎の言うように、もし貢いでくれているとしたら真意はなんなのか確かめたい気持ちもある。俺は一晩考えて翌日の放課後に「ただの生徒からでは考えられないほど高いもの」を口にした。宇髄先生は「ふぅん…」といつもの反応だが、何かを思案するように口数が減りその日は終えた。 その日から先生は一人で集中して調べものをしたいからと、俺は一週間雑用に来なくていいと告げられてしまった。 ああ、これは俺やってしまったかな。ちょっと我儘な生徒として目を瞑れる範囲を超えてしまったかなと。だって今までテスト期間でもないのに一週間も美術準備室に行かないという日はなかったのだ。 様子を窺いたくて部屋の前まで行っても中からは誰の話し声も聞こえず、一定のリズムでパソコンを叩く音だけだった。だから本当になにかやらなければならないことがあるのだなとは思ったのだが、もしこれが一週間後も続いてこれから先ここに来ることはなくなってしまったら。来なくていいと言われてしまったら俺はどうすればいいのだろうと、一人奈落の底へ落ちていく気分になっていく。 一週間後には本当にまたここに足を踏み入れてもいいの?宇髄先生がまた来ていいと切っ掛けを言ってくれなければ、俺からは怖くて動けないだろう。 こんな思いをするくらいならあのままの俺と先生でいれば良かった。あの人から貰った物はなんでも嬉しかった。恥ずかしくてくすぐったくて、少しやり過ぎで引いた時もあるけれど。 でも先生は、俺がそれを食べる時とても楽しそうな音を出す。 俺がそれを使う時とても嬉しそうな音を出す。幸せな音が溢れ出るのだ。 だから俺も嬉しくなるんだ。 二人だけでいれる空間と空気感が大好きだ。恋しくて堪らない。でももう戻れないのかもしれない。目からは自然と涙が零れる。もうあの時のように白衣で拭ってくれる日々には戻れないなのかもしれない。 俺は何も出来ずに美術準備室の前から静かに引き下がる。 …………なんて感傷に浸っていたのに、これどういうこと? 俺は今とある温泉旅館に来ている。というか連れ去られた。 誰に?ってそんなの一人しかいないだろう。 雑用には一週間来なくていいと言われてからピッタリ一週間後の金曜の放課後に校内放送で美術準備室に来るように言われた。善逸は嬉しさと緊張、ほんの少しの恐怖を味わいながら部屋をノックする。そこでいきなり告げられたのは、「明日の昼に家まで迎えに行く」とだけで早々に家に帰されてしまった。 この男は一体なにを言っているのだと、そこから宇髄が高そうな車で本当に迎えに来る直前まで善逸の頭の中は宇宙を彷徨っていた。 「それでは善逸くんをお預かりします。明日の夜までには必ず無事に家へ送り届けますので」 「よろしく頼みます。善逸、先生に迷惑をかけるでないぞ。言う事をよく聞くんだぞ」 「はい?」 大人二人の会話は一人を除け者にしてスムーズに進行していった。 あれよあれよという間に車に乗せられて都内を出る。目的地らしい周辺の観光地や温泉街を一通り堪能している間も宇髄は楽しさを文字に表したままの、正に「るんるん♪」という音を鳴らしているが、善逸の脳内は一向に「??」だ。 そして今に至る。 されるがままに温泉旅館の一室に通されたのだが、この旅館が物凄かった。部屋は離れの造りになっていて一棟まるごと客室。当然露天風呂付き、庭園あり、眺望も最高、食事は部屋に運ばれ専属の仲居さんが付く。だがこちらが呼び出さない限りは棟には近付かないお忍びの宿。ベットルームもあれば和室の寝室もありそこには布団も敷かれていて、和洋に対応している。 チェックアウトは遅めの明日十四時らしく、何から何まで至れり尽くせりだ。 ……チェックアウト? 「え? なにこれ。なにが起きてんの? チェックアウトってなに? 俺今日ここ泊まるの?」 「日帰りがよかったか? まぁ善逸が帰りたくなったらいつでもいいから言えよ。すぐ車出すから」 「え? えっ…………とぉ、うんとぉ……、まず俺はなんでここにいるのでしょう。こんな場違いな超高級旅館に」 「だって善逸が行きたいって言ってただろ? 一週間雑誌やネットで調べたらここの評価が一番良かったんだよ」 はい、出ましたー。宇髄先生お得意の「だって善逸が」。 もうそんなのに騙されねぇからな!一から十まで全部説明させてやるからな! 「はぁぁん!? 俺がいつそんなこと言ったんだよ!?」 「おい、忘れたのか? たしか一週間ぐらい前に昼に最中を渡した次の日ぐらいじゃなかったか?」 「はぁ!?? そんなこと言った覚えっ…」 …………あるね。めちゃめちゃあったわ。炭治郎からの提案に乗ってめちゃめちゃ考えて、「ただの生徒からでは考えられないほど高いもの」を言ったわ。 「なんか季節的にさー、温泉とか行きたいですよねー! しかも誰にも気兼ねなく露天風呂でのんびりって良くないですか? 俺一度でいいから五つ星の高級旅館でお忍びの離れみたいな部屋でさ、静かな音の中誰にも邪魔されずに露天風呂に入ってゆっくりしたいんだぁ。それでさ、ご飯も部屋で高級懐石料理のコースなんかでね! お肉も和牛で口の中で溶けちゃうの! そしたらまた露天風呂に入ってね、次の日の朝も庭とか散歩しながらダラダラ部屋で過ごしてね、またいつか来ようねって大好きな人と二人っきりを満喫して手を繋いで旅館を出るんです!」 …………って言ったわ。途中から本気の願望になっちゃって興奮して止まらずに喋ってたじゃん俺。 え、それがこれ?あの時の俺の言葉が現実化してるわけ? なんでどうして?俺にこんなことする理由なんてアンタないでしょ?意味が分からない。 「な…。なん、で…」 「ん?」 「なんでこんなこと、するの…? どうし、て…いつも、いつも、俺のしたいこと叶えてくれるの…」 「いや、だって善逸が…。つーか好きな奴の願いなら何でも叶えてやりたいと思うだろ」 「は…、なに…? 宇髄先生って…おれのこと、好き、なの…?」 俺はとりあえず正直な疑問をぶつけてみた。すると先生は眉を顰めてとんでもなく心外だという顔をする。 「あぁ? 今更なに言ってんだ。さすがの俺もキレるぞ」 「ひっ! だだ、だってそんなの…」 そんなの知らないよ、聞いたこともないよ。そんな大事なことなんで言ってくれなかったんだよ。先に言ってくれてれば、俺だって…俺だって……。 「でっでも! さすがにこれはやり過ぎではないでしょうか! 今までのだって大概だったけど、一泊の温泉で、ししししかも二人っきりで同じ部屋って…。こういうのは…恋人と来るもんで…」 「だからお前と来てんだろ? ただでさえ普段は教師と生徒って関係なんだから、たまには周りを気にせず善逸と恋人らしい時間を過ごしたいって俺だっていつも思ってんだよ」 「先生……。…………ん? あれ?」 おや?危うく流されるところだったが、今聞き逃せない日本語がなかった? こういう所は恋人と来るもんでって俺が言ったら、宇髄先生はー…「だからお前と来てんだろ?」。おやおや? 「たまには周りを気にせず善逸と恋人らしい時間を過ごしたい」おやおや?おやや? 「待って、おれと宇髄先生って……恋人なの…?」 「あ゛ぁ? だから今更だろうが! さっきからなんなんだよ! お前変だぞ? 俺善逸の気に障ることした?」 「違っ…! や、だって、こい、びと…? 俺と先生が…? いつから!?」 「いつからってお前なぁ…。………は。え、待てよ。だってお前…。え、俺たちって恋人だろ…」 「そういう妄想をしてらっしゃるのではなくて?」 「は」 「え」 時間にすればおよそ五分といったところだろうか。 善逸と宇髄はお互い目を合わせたまま五分間停止した。外の鈴虫の鳴く声だけが二人のすれ違いを嘲笑っているかのようだった。 振り絞るような声で宇髄が、ちょっと話の擦り合わせをしようと頭を抱えながら胡坐を掻いている。 まず宇髄の言い分としては俺たちは付き合っている。これは譲れないらしい。しかも高校二年生の夏から。 やだ!身に覚えのない!と善逸が叫ぶと、ギロリと睨まれたからとりあえずすぐに黙った。 「どどどういう経緯でそうなったんですか!?」 「はぁ~。んっとに覚えてねぇのかよ…。お前にさ、ちょっといいココア買ってきただろ?」 「プレミアムココア?」 「そうそれ。そん時に言ったじゃねぇか」 *** 「で、どうなんだ? 美味いか?」 「…………んんん~~~っ!! コクが違う! 濃厚! 少し苦みが効いているのに口どけは柔らか! 正にプレミアム! いやぁ、こんな大人の味覚えちゃったらもう安いのに戻れないなぁ。な~んちゃって! うぃっひひ」 「…んじゃ、これからはそれにするわ」 俺の回想はここまで。それを伝えたら、その先が重要なんだろ!!って怒鳴られた。怒らないでよぉ。頑張って思い出すからぁぁぁ! *** 「…んじゃ、これからはそれにするわ」 「ほんとにっ!? やったぁーー! 今度から雑用でこき使われても先生の悪口を炭治郎に言うの少し減らすことにするよ!」 「へぇ。今までは散々言ってたってことか…」 「やったねー! ありがと宇髄先生! よっ太っ腹! 大好き!」 「調子いい奴。……俺と付き合ったら毎日これ飲めるし、これ以上の物も食わせたりあげたりできるぜ?」 「はー! イケメン滅びろや! じゃあ俺! 俺が付き合う! 俺もイイ思いしたいぃぃ!」 「言ったな…? それじゃあ決定な。最高にイイ思いさせてやるよ」 「やっほーい! うぃひひ~!」 *** コレノコトデショウカ…。このノリと勢いで口走ったこれでしょうか…。 はっ!そうか、だから先生はあの時「記念だからこれがいい」って言ってずっとあのココアを買ってたのか!付き合った記念ってことかよ!なんだよ、乙女じゃねぇか! うわぁー…、俺ちょっとこの人の顔見れないかも…。 ギギギ…と錆びたネジを回すように俺は宇髄先生の方に首を向ける。 「思い出したみたいだな」 「いや…思い出したことは思い出したんですが…。これって何て言うか、言葉遊び的な…」 「っあ゛ぁ?」 「ひぇぇぇ!!!」 その日から宇髄は善逸と付き合っていると判断していたらしい。その結果食べてみたいと言った物も、欲しいと言った物も余すことなく贈り続けていたというわけだ。しかもそれが楽しくて、朝から行列に並ぶのだって苦じゃなかったと言う。 善逸の反応がいちいち新鮮で、同様に耳の良い宇髄は善逸の心から喜んでいる音を聴くのが大好きなんだと。だからなんでも贈りたくなる。笑顔を見たくなる。驚く顔が見たくなる。大事に使ってくれているのを見ると嬉しくなる。もっともっとしてあげたくなる。俺の力で善逸に幸せな音を奏でさせたい。 今まで付き合った彼女にももちろんプレゼントはしてきたらしい。でも徐々にそれが当たり前のようにされて、こっちも何も感じなくなってしまった。 例えば少しでも意にそぐわない物だったら不満の音がしてくるし、デートをしていても明らかに狙ったような店に入られ遠回しに次の品の要求をしてくるのだ。付き合いきれなくてウンザリすると、今度はご機嫌を取るかのように甘く誘ってくる。 自分の体にどれほどの自信があるのだこの女はと宇髄は思い、価値のない誘惑に吐き気がしてすぐに別れるのだと言う。 だが善逸は違った。そんな打算的なもの一切なくていつも初めてのように嬉しがって、時にはどういうつもりだと怒ってさえくる。善逸の感情一つ一つに心を奪われてしまうのだ。 そして何より、俺はお前に貢いではいないと言い切った。貢いでいるのではなく、純粋なプレゼントだと頑なに。 無意識って一番質悪いよねと善逸は思う。 宇髄からの初めての赤裸々な告白に善逸は耳まで真っ赤になる。 対する宇髄は、善逸の言い分を聞くと真っ青だ。 そりゃそうだ。コッチとしては付き合ってもいない、ちょっと他者より打ち解けている教師からいきなりのプレゼント責めにあっていたのだ。 しかも長時間並ばなければいけないスイーツから、北海道からの大量のクール便。高級ボールペンにカシミアカーディガンに最新イヤホンに、果ては信じられない値段のホールケーキ。 「おれ派手にやべぇ奴じゃねぇか…」 「まぁたしかにやべぇ奴だとは多少感じていましたね」 「多少どころじゃねぇよ。ただの教師と思っている相手からこんなことされたらドン引きだろ…。キモすぎんだろ…。お前よく訴えなかったな」 「訴える? なんで? だって俺嬉しかったんだよ。あのね、俺にも聴こえてきたんだ宇髄先生の音が。先生から貰った物を俺が食べたり使ってたりすると、先生からも幸せの音が鳴ってたよ。それを聴くのが大好きなんだ」 「ぜんいつ…」 宇髄先生が何かを言おうとすると同時に部屋の内線が鳴る。どうやらいつの間にか夕飯の時間になっていて、俺たちも一先ず旅館の浴衣に着替えて休戦となる。 運ばれてきた食事は俺の希望通りの高級懐石コースで、和牛のすき焼きはやはり口の中で溶けた。せっかくだからと順番に露天風呂にも入って後から出てきた宇髄先生がタオルで髪を乾かしながら戻ってきた。 部屋のふかふかローソファで膝を抱えながら高級お茶菓子を食べていた俺を見て、ふぅと溜息を吐いた先生は隣にドッカと腰を下ろす。 「あー…善逸? 悪かったな…。訳も分からず無理矢理連れ回しちまって。お前の爺さんには前もって今日のことは伝えていたんだ。流石に二人だけで泊まるとは言えなかったから都合の良い理由は付けちまったけど。……思い返したんだが、やっぱあん時に言ってた「付き合う」はその場のノリだったよな。や、今なら分かるんだけどあん時はチャンスだと思ってそれしか考えらんなくて舞い上がってたわ…。今までのプレゼントも、その、無理に使わなくていいから、な。困ってんなら返してくれてもいいから」 どうやら宇髄先生はお風呂に入りながらあの始まりの日からを整理してきたらしい。 だがしかし、俺だって同じようにお風呂で整理していたんですよね。 今まで肝心なことは言わずに突っ走ってきた先生なのに急に及び腰。散々俺の脳内をかき回しておいてそれはあんまりじゃない? だから今度は俺が、振り回してあげることにしたんだ。 「先生は本当にそれでいいの? さっきの俺の話ちゃんと聞いてた? 俺は嬉しかったんだよ。先生が俺のことを考えながら色々買ってきてくれるのが。宇髄先生の音を聴くのが大好きだって言ったでしょ?」 「ぜんいつ…」 「付き合うって軽々しく言っちゃったのは俺も悪かったかなって少し思ってる。先生がそんな気持ちでいたなんて知らなかったから…。でも俺、先生から何も言われてないんだよ? 肝心なこと何も言われてない。付き合う云々の前に俺に対してハッキリさせることがあるんじゃないの!?」 「……言っていいのか?」 だから今更! あんなに蕩けるような顔でプレゼント攻撃してきたくせに、この期に及んで何を言い悩むことがあるのだろうか。 「とりあえず言ってみなさいよ」 「俺、告白したことないから…派手にカッコよくできるか自信ないんだけど…」 はぁ?自慢かよムカつくわー!でもなんか可愛いかも。いや、やっぱムカつくわ!! 「言う気ないのなら俺帰ります」 「待て、言うからっ!! ……好きだ、善逸。一年の頃から好きで…たぶん拗らせてた。善逸のことが好きだから、喜ぶ顔が見たくて色々してきたんだ」 俺は宇髄先生に寄り添うように体を預け、この人らしからぬドキドキと高鳴る胸に顔を埋める。 「俺さ、いつも宇髄先生に貢がれて…じゃないんだっけ? プレゼントなんだっけ? ふふっ。いつもたくさんプレゼントしてもらってたでしょ。だからね、今度は俺があげたい。宇髄先生は何が欲しい…? 高い物はまだあげられないけど他なら何でもあげるよ」 「俺は…これからもお前の側にいられるなら、今はそれで…」 曖昧な返答に業を煮やした俺は先生をこちらに強く引き寄せ、そのままローソファに俺が下になる形で倒れ込んだ。 宇髄先生の首に手を回し、額と額が触れ合う距離にまで顔を近付ける。 「それだけでいいの? 俺のこと、欲しくないの…?」 「……………欲しい。善逸が欲しいよ…。くれるのか…?」 「うん、いいよ…。全部あげる。その代わり俺にもアンタをちょうだい?」 「…とっくにお前のもんだけどな」 「ふひひっ! じゃあ俺のお願い聞いてくれる?」 「なんなりと」 「今、もらって? 俺の全部今もらって…」 「……卒業までは手出さないって決めてんだけど」 「そんなのやだよぉ…。先生…俺のお願い聞いてくれないの…?」 ぐるぅっと獣のような喉を鳴らした宇髄は苦しそうな表情で眉間に皺を寄せている。 善逸はその眉間に人差し指で触れながら皺を伸ばそうと柔く摩っていると、目の前の人物からドゴォンッ!!という爆発音が生まれた。 「一つ約束してくれ。俺以外には絶対に「お願い」はするな。欲しい物やしたいことは全部俺が叶えてやるから、他の奴の前では「お願い」は使うなよ」 「? よく分かんないけど分かった」 でも炭治郎と伊之助にならいいよね?あと玄弥と煉獄先生と何気に優しい不死川先生と…、と善逸は自分の中だけで勝手に人数を増やし自己完結をする。 そんなことは知らずに安堵した宇髄が、善逸の前髪を上げて額にキスをしてくる。 「欲しいもんもらえるってこんなに嬉しいんだな。ありがとう善逸。好きだよ…」 「俺も…好き、せんせ……ぁッ…ンン…」 結論から言うとこの日は最後までできなかった。解せなかったのが、この人がローションをちゃっかり持参していたこと。 なぁにが卒業までは手出さないだよ!?アンタあわよくばヤル気満々じゃねぇかっ!! しかし男同士なのだから性行為がとんとん拍子に進まないのは当然と言えば当然だ。 それでもどうしてもシてほしかったので泣きながら大丈夫だからと頼んだのだが先生には、「そしたらクリスマスプレゼントにもう一度くれるか? それまでは他の部分を嫌と言うほどもらうから」なんて甘い声で囁かれた。 他の部分って言うのがなんなのかまだ分からなくて、「全部あげるってばぁ…! いつでも好きにしていいから…!」と熱に浮かされた頭で返事をしてしまった。これは後々最大の後悔になることを、俺はまだ知らない。 翌朝も俺の願望そのままに、 「そしたらまた露天風呂に入ってね、次の日の朝も庭とか散歩しながらダラダラ部屋で過ごしてね、またいつか来ようねって大好きな人と二人っきりを満喫して手を繋いで旅館を出るんです!」を実現してくれた。 当たり前だが露天風呂には一緒に入った。 「クリスマスにまた二人で来ような、善逸」 「……う、うん…」 「ははっ! 今更照れてどーすんだよ。今度は爺さんにもしっかり挨拶に行かなきゃな」 「挨拶?」 「ああ。本当は俺たちの新居が決定してから行こうと思ってたんだけど。まっ、遅かれ早かれ挨拶はしようと思ってたからちょうどいいか」 あれ、また聞き逃せない日本語がなかった?俺たちの新居?? 冷や汗を流し始めた俺に対して宇髄先生は車のキーを指に引っ掛け回しながら一人ご機嫌だ。 「先生…、新居とは……」 「だって善逸が前に言ってただろ? 「いつか小さくてもいいから一戸建てを買うのが夢なんだぁ! そこには爺ちゃんがいつでも泊まりに来れるようにバリアフリーの部屋も作ってさ。縁側から庭を見渡しながら、大好きな人と休日はそこでまったり過ごすの! キッチンは二人で料理したいから広めに作って。あ、お風呂も広めにしなきゃね! うひひっ! ベッドは一つでいいかなぁ~」…って。候補はいくつか絞ってあるから、今年中に内見行こうな」 この日俺は人生初の、白目を剥いて泡を吹きながら意識を失うという体験をしたのだった。
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【追記】
・2021/09/11~2021/09/17 ルーキーランキング 81位
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