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ズレて、ズラして、ズラされて――時代と価値観からのスピン・オフ (古本の読み方1)

ズレて、ズラして、ズラされて――時代と価値観からのスピン・オフ (古本の読み方1)

書物蔵

■古本の買い方ならぬ読み方
 古本読書術というお題は成立するだろうか。古本の「買い方」本には意外と「読み方」が書かれていない。それらは、買い方+自分がオモシロいと思った古本の紹介、というパターンがほとんどで、「なんで自分がその本をオモシロいと思えたか」「どうしてその本がユニークだと気づけたか」といったメタな記述、つまり、購書術ならぬ読書術はあまり見当たらないのだ。気づいた結果は書いてあるのに、なぜ気づけたのか、プロセスがないのは、無意識的な動作だからだろう。
 そこで改めて考えてみた。

■古本とは、時代のズレを楽しむ本のこと
 購書術の中の「掘り出し」をする説明に、手がかりが少し示されている。例えば、唐沢俊一は『古本マニア雑学ノート 2冊目』(ダイヤモンド社, 1998)でこういう。
 たまたま行った地方の古本屋で名著の初版本を見つける、なんてことは「絶対にない」から、逆に「今から将来を見越した本集めを」(p.44)せよ、という。というのも「時代と共に、価値のある本が変わっていく」からと。これを敷衍すると、未来にせよ過去にせよ、時間的ズレ、正確には、それに伴う価値観のズレを楽しむのが古本だと思えてくる。
 それは秋山正美が『古本術。』(夏目書房, 1994)でいうような「〔自分の〕少年時代にそろえることのできなかったあこがれの本」(p.190)をはるかに超えて、自分の生まれる前まで拡張していくべきで。岡崎武志も『古本道入門』(中央公論新社, 2011)で「その人の古本人生を考える時、たぶん一つの分水嶺となるのが自分の生まれる前に出た本を買うことだ」(p.65)と指摘する。
 古本にはセカンドハンド(セコハン本)であるという意味と、古い本であるという2つの意味がある。初心者は安く買えるという値段から古本趣味に入門するが(ブックオフが典型だろう)、古本固有の楽しさとは、時代のズレを楽しむ点にあるのではなかろうか。

■ズレとは、読み手がつくるズラシのことでもある
 「あなたの紹介文を読んでとても面白かったので、原文が読みたくなり、手に入れて読んでみましたが、さっぱり面白くありませんでした」という手紙を唐沢俊一はもらうことがあったという(『古本マニア雑学ノート』ダイヤモンド社, 1996, p.178)。
 実は私も早稲田の古書現世さんに同じことを言われた。「書物蔵さんのブログで紹介された本を自分で見たら、そう面白く感じられないのは、紹介の仕方が面白いからでは」と。
 自分では素直にオモシロがっていただけなので、現世さんに言われて「あゝそうか」と気づいた。楽譜が同じでも演奏家によって演奏が異なるように、本が同じでも読み手によって読み取りが(実は)異なってくるのだ。
 唐沢は「(その古本の)価値は自分で作り出す」ものだと要約しているけれど、私が思うに、時間的ズレから生じる価値観のズレにつけこんで、つまりは自分の現在ただいまの興味から出発しながらも、ズラシた読みを積極的にやることが、その古本の価値を自分なりに作り出すことになる。
 などと、抽象的に言ってもわからないと思うので、事例に即して説明してみよう。

■(事例)日本は図書分類法でさきの大戦に勝利した……のか!?
 学生時代、絶版文庫や図書館情報学の本を蒐集していたのだが、古本趣味を復活させた2005年に、西部古書会館(高円寺)でこんな本を買った。ズラさずに紹介すると、この本はとある染織化学者の、研究一般論である。
 ・稲村耕雄『研究と動員(日本評論叢刊 ; 5)』日本評論社, 1944
 なぜ拾ったのかというと、もともと愛書家の司書に稲村徹元という人がいて――斎藤昌三の弟子――親戚かと思われたから(結果、違かった)。本をひらいたら、2章ほど図書の十進分類法について書いてあったので驚いた。
「研究の組織化にはカードが、あまりバカにできない役割をもつてゐる。カードを生かさうとすると問題になるのは分類である。現在わたくしが直接戦力増強のために全力を注いでゐるのも実はこの分類法の完成である」(p.81)
 昭和19年は大日本帝国いまだ聖戦完遂中にて、なにもかもが勝利のために総動員されていたわけであり、稲村さんも染織を通じて勝利に向かっていたわけだが、この人、たまたまフランスへ留学中に、研究方法論などに触れ、当時最先端の国際十進分類法(UDC)の知識を仕入れたのだった。UDCは単行本だけでなく、論文や著者(の専門)ですら厳密に分類可能な精緻なものであり、そこで稲村さんは科学文献、科学者の軍事動員にUDCが使えることに気づいたのだった。まさに、「直接戦力増強のため」である。日本のマンハッタン計画か?
 稲村さんのUDC普及は結局、上手くいったのだろうか? って上手くいかなかったから負けちゃったのか……*。
 戦後の我々は、図書館が栄えると平和が達成されるかのようなイメージに生きている。現に、昭和23年にできた図書館の親玉、国立国会図書館は「日本の民主化と世界平和」が使命だと法定されてもいる。しかし、その4年前、昭和19年の稲村さんは、戦争遂行、戦力増強にこそ、図書館事業が役立つと言っている。まるで逆さでオモシロい。
 稲村著を拾った後わたしは、読みようによっては図書館学書にも読めるものを「仮性図書館本」と呼んで、蒐集領域が広げ、大いに集めることになった。

■(読み方)体制変換をまたぐとオモシロい
 これは戦前と戦後に生じた(政治的)価値観の大転換を利用して古本を楽しんでいる例である。最近はすっかり戦前モノに集中してしまったのは、価値観の大転換があった敗戦前のものだと、大抵、オモシロいことが体得されたからである。
 もちろん日本なら1945年以前にも、1868年に変換があり、それ以前の本はさらにオモシロいだろうが、しかし江戸期和本は、くずし字を読めないといけないのと、古書会館の週末古書展でも陳列される会は限られるので、ちょっとやりづらい。しかし、旧漢字旧仮名の活字なら、慣れればわりとすぐ読めるようになるはず。

■(読み方)拡張概念で、自分の読みたい本を過去の方向へ殖やす
 1945年の体制変換は国家レベルの話だけれども、こちら、つまり読書者側の問題として、その事物をどれだけ知っているか、という問題もある。自分の仕事、自分の趣味の事柄であれば、現在の通説、当たり前を――言語化はできずとも――わりと広く知っているし、細かいことや、からくりもある程度わかるはずだ。旧漢字旧仮名への「慣れ」も、自分がすでに知っている事柄――それは『坊っちゃん』といった小説でもよい――を読んで慣れるのが、いちばんの近道でもある。
 ここで重要なのは、既存の興味を拡散させずに、むしろ貫きつつ、体制変換前や、周辺的な雑著をどう視野に入れて読むか、ということである。
 私の場合、すでに一通りの知識と本を持っていた図書館学ジャンルを、さらに「仮性図書館本」という言葉で拡張して集め出したことで、正統的な学史ではフォローされない周辺現象や在野活動が視野入るようになった。
 それはちょうど横田順彌が、英語のSF新作が読めない自分が作家仲間に自慢するために「古典SF」なる言葉を造語し、『炭素太閤記』など、普通なら珍奇、「その他」としか言えない雑著を発掘できたことに通じる。「古典SF」という概念の発明で、SF概念がない時代の本をSFとして拾えるようになったわけである。
 「仮性〇〇本」とか「古典〇〇」といった、ちょっとした言葉のアヤで、自分の興味を貫きつつ、一見、関係ない本を拾えるようになるのだ。

*書物蔵「カードと分類で大東亜戦争大勝利!:もうひとりの稲村さん、国際十進分類に挺身す(あったかもしれない大東亜図書館学; 6)」『文献継承』(22) p.11-16 (2013.4)

書物蔵
本格的古本歴は15年ほど。興味は日本図書館史から近代出版史へ移行し、今は読書史。
共書に『本のリストの本』(創元社、2020)がある。

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