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「総ルビ」や「著者略歴」の効用――古本を分析書誌してみる(古本の読み方3)

「総ルビ」や「著者略歴」の効用――古本を分析書誌してみる(古本の読み方3)

書物蔵

 

 初回、前回と、価値観のズレを読んだり、観点をズラして「読み替え」たりした。今回は真正面から戦前古本のテキストを読んでみる。即物的な読み方、あるいは「分析書誌」と言ってもよいかもしれない。

■戦前本は造りのルールが違う――例えば、パラルビvs.総ルビ
 戦前本には、今の我々が知らない共通ルールがいくつかある。例えば、新聞紙夕刊は記載発行日の発行でなく、前日の(夕方)発行だったり、大正期まで辞書はイロハ引きだったり、ページ付けなども1冊の途中で何度も1から始められていたり。
 ここでは、ふりがなのルールについて見てみる。

パラルビと総ルビ 書籍ならその書籍を出すとき、対象とする読者の智能程度によつて、ふりがなをつける。このふりがなを、ある幾つかの、むづかしい字だけにつけるのはパラルビと云ひ、漢字の殆んど全部につけるのを総ルビと云ふ。(編集者同志会 編『編集から出版まで』創文社, 1949)

 想定読者の「智能程度」でふりがなを付け分けるとある。今でいう「リテラシー」だろう。高ければパラルビ、低ければ総ルビにする。戦後は義務教育が中学までと高くなったので、出版物はみなパラルビがデフォルトとなった(だから、現在は「パラルビ」という言葉自体、ほとんど聞かない)。しかし戦前は9割方が小学校卒だったので、学術書でない一般書、通俗書、雑誌なども総ルビであるのが普通である。

 例えば大正期の代表的「赤本」(通俗的児童書)だった「立川文庫」(1911-ca.1923)は、当たり前だが総ルビである。「〔立川文庫の〕主な読者は大阪の丁稚だった。彼らは集金に行ってもすぐにお金をもらえないから、待たされる間に貸本屋で借りた立川文庫を読んだ。〔略〕そうしてふりがなでどんどん難しい漢字を覚え、丁稚の中から高度の読み書きと語りを身につけた人が出てくる」(鶴見俊輔『読んだ本はどこへいったか』潮出版社、2002)。ちなみに手塚治虫のデビュー作『新宝島』(1947、育英出版)は大阪の赤本だった。

 このように、一般には小学校卒業後の社会教育に功があったとされる総ルビだが、これをうまく使うと、いろいろわかることがある。

■総ルビの本で固有名の読みがわかる
 手元に総ルビの本がある。これは大阪の赤本問屋だった「松要さん」*こと、松浦貞一(1886-1953)の追悼録(古書業界語でいう「まんじゅう本」)である。
・堀勝彦編『松要さんの思ひ出』(全国出版物卸商業協同組合、1955)

 昭和28年に逝去した赤本業界の名物男で「奇人」の松要を偲んで、業界人30名以上が追悼文を寄せているのだが、これがまた、私にとっては大助かりだったのは、各回想の断片情報(意味内容)もさりながら、即物的に役立ったのが総ルビである。

 たとえば戦前、「数物」**で最大手スジだった問屋に「酒井淡海堂」があるが、この「淡海堂」の読みが(私には)わからなかった。国会図書館の名称典拠では「タンカイドウ」と読んではいるが、この読みは根拠が不明とある***。淡海堂は「オウミドウ」と読めなくもない。同時代の業界人になら疑問にすら思われないことが、現在わからない。

 このまんじゅう本を読んでいくと、これまた有名な業界人・小川菊松の回想文中で、松要が大阪方面の特価本販売を一手に引き受けることになったという話の中に「河野氏を始め酒井淡海堂やその他の東京の特価本」(p.18)という形で本文中に出てくる。この本は総ルビ本なので、ちゃんと「さかいたんかいどう」とルビがあった。

図1 『松要さんの思ひ出』p.18

■近代本の分析書誌はまだこれから
 この技はもちろん、人名など他の固有名などにも応用できるし、戦前の新聞紙でもできる。ただし、いくつか注意点もある。総ルビ本でも、ルビがつかない部分がある。タイトルページ、奥付、項目、執筆者名欄、その肩書などである。ルビが間違っていることもあるので一箇所だけに頼るのはリスキーである。ルビには促音(ちいさい「っ」など)がない。だから「発禁」にルビがあっても「はっきん」か「はつきん」かわからない****。

 昭和初期に日本書誌学が出来た時、研究対象を前近代の本に限定してしまったために、近代本の分析書誌的な解説ないし研究は、まだ十分になされていない。近年、ふりがなについては、ネットで青空文庫を情報源にした「ふりがな文庫」という検索サイトがあって、便利である。いま「淡海」を引くと、次のような結果を返してくれる。
 たんかい 27.3%
 あふみ 18.2%
 タンカイ 18.2%
 おうみ 18.2%
 あはうみ 18.2%

■「奥付」の著者名欄ふりがなは?
 いまもあるが、西洋書が書誌事項をすべて本文の先頭、つまり標題紙とその裏面に集中させているのに対し、日本の本は書誌事項の多くが本文最終ページに記載されている。明治23年の出版法その他近代法令では、著者などの表示義務はあったけれども、その位置、たとえば「本文の末尾に記載すべし」といった法文はないので――実際、翻訳本に特色があったサイマル出版会は奥付を標題紙裏に記載していた――位置だけについて言えば、江戸時代からの慣例が続いていると言ってよいだろう。

 この奥付の記載事項は、やはり歴史的に変遷があるのだが、やはり一番の読みどころは「著者略歴」欄だろう。どんな経歴の人が自分がゲットした――あるいは買おうとしている――本を書いたのか、ということは、実は本文よりも重要かもしれない。しかし、これもまた、歴史的にある時点――昭和18年――から奥付に付加されるようになった情報なのである。出版業界の慣例かと言えば、実は戦時統制の余沢なのである。日本出版文化協会が、「読者が編著者又は訳者の略歴を知ることが出来れば、其の書籍の内容と特質とを概念的につかんで其の選択に便宜」なのと、当時の「国民読書」運動の指導にも役立つので各出版社に掲載を要請したのだった(「書籍に編著者又は訳者の略歴掲載について」『出版文化』43号p.7 1942.12.21)。

 それ以前の書籍には、背文字に「文学博士坪内逍遥」といった麗々しい肩書をつけたり、あるいは序文・跋文で著者の肩書、人となりに触れられることはあったが、明確な形での著者略歴欄はなかった。

 著者名欄にふりがなをつけるようにせよ、と言ったのも協会だったらしい。戦後、協会が解体され、著者略歴欄は慣例として残ったが、著者名ふりがなは一旦、途絶えることになった。それが半世紀以上の時をへだてて復活したのは、1990年代末くらいかららしいのだが、誰も調べた人がいないようである。

* 松浦貞一なのに、なぜ「松貞」でなく「松要」なのかと言えば、反故問屋だった先代が松浦要助で、その屋号を受け継いだからである。
** 「かずもの」とは、書籍市で同タイトル1冊しか出ない古本に対し、数があるもの。「残本」「見切本」と言われたものが再販されずに書籍市に出ると、こう呼ばれた。
*** https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00264905 「出典」欄に読みの根拠が記載されていないので、そう解釈する。国会図書館がこういった固有名の読みを管理しているのは、カード目録時代にカードをキーワード(著者、書名、件名)の読み(それをさらにカナやromaziに翻字する)で並べる必要があったからである。
**** 「発禁」は「発行禁止」でなく「発売頒布禁止」の略語なので「はつきん」と戦前には発話されていた。ローマ字にすれば、Hakkin でなく Hatsukin。



書物蔵
本格的古本歴は15年ほど。興味は日本図書館史から近代出版史へ移行し、今は読書史。
共書に『本のリストの本』(創元社、2020)がある。

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