藤:『ゴールデンカムイ』には、一言で本質を突くような「実」がある台詞がたくさん出てくる。生きることは食べることだというのも、やっぱり「実」に裏打ちされた哲学だよね。
食べものの好き嫌いなんてものは、平和な国で暮らす恵まれた人々しかいえないワガママですよ。これがもし飢餓状態なら、自分が生きるために他人の食べものを奪ってでも食べる。昔、ソマリアの紛争地で食事をしていたら、いつの間にか難民たちが集まってきてね……。仲間の一人が、彼らに肉の一切れを与えたんですよ。そうしたら、ウワ~ッと大勢が群がって一切れの肉を奪い合い、大変な乱闘騒ぎになってしまった。砂だらけでも、汚れていても、どうにか自分の口に入れようとして……。
あのとき、僕は本当の「飢え」というものを知りました。人間の生きることへの執着はすごいですよ。そういう人間の姿を、ほとんどの人は実際に見たことがないでしょう。そういうときの空気感……死の匂いというのかな。そういうものを感じ取れるように、僕は幼い頃から武道の鍛錬を通じて「気」を呼び覚まし、震い立たせ、眠らせないようにしているんです。
武道というのは気を練る訓練、「気練」なんです。気を練る、気を殺す、気を消す、気を入れる、気を抜く。病気、狂気、元気。すべて「気」という文字が入っているでしょう。この「気」を感じる力は、本来、人々に備わっている当たり前のものだった。このように日本人が最も大事にしてきた「精神」や「気」の文化を、野田先生は漫画を通じて発信しておられる。
――杉元佐一も「俺は不死身だ!」と「気」を張ることで、己を奮い立たせていますね。
藤:人が危機的状況に陥ったとき、その生死を分ける最後の要素は、やはり心の持ち方です。僕も『藤岡弘、探検隊』シリーズで多くの修羅場を巡ったけども、「絶対に、ひとりだって隊員を死なせずに連れ帰る。親父や師から受け継いだすべての知恵と経験を以って、彼らの命を全力で守る!」と決意をしたら、自分のなかに眠っていた力がどんどん湧いてくるんです。人が誰かのために戦おうとすると、そういう奇跡のような力が沸き上がるものなんですよ。不思議だけれど、本当なんです。
愛する誰かを守ろうとするとき、肉体の五感すべてがそれに応えようとするんですよ。「気」をまわしはじめるんです。難民の子どもたちと出会ったときにも、それを実感しました。「なんとしても、この子どもたちを救いたい!」と強く思うと、もう死の恐怖も忘れてしまって、いろんなことができるようになる。ただ、現代の日本ではこうした人間の本当の力を、ほとんどの人が使いこなしていない。
――使いこなすためには、どんな方法があるのでしょうか?
藤:毎日、意識して神経を研ぎ澄ませてください。これは積み重ねで、そのときだけでは駄目なんです。私は常に危機感を持ち、感覚を研ぎ澄ませています。武道で過酷な訓練をしたり、多くの修羅場を経験してきたおかげで、自分の肉体や五感をコントロールできるようになりました。
――危機を意識して、研鑽していくことが大切なんですね。
藤:以前、テレビ番組で御嶽山に登ったとき、僕は熊の匂いを感じたんです。スタッフたちは「熊なんて出るわけありません」と笑ったんですが、一緒にいた弟子は僕を信じているから、足を止めて周囲を調べた。そうしたら、50メートルほど先に一頭のはぐれ熊がいてね。地元のコーディネーターもその場所で熊を見るのは初めてで、「どうしてわかったんですか!?」なんて驚いていました。
僕は、野生のにおいに敏感なので今までの経験からわかったんですよね。