出所③:殺人稼業で大儲け!? 徐裕行、ヨットを買う | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)


テーマ:
波紋を呼ぶ「徐裕行のブログ」



オウム村井事件への反省のなき態度、背後関係の隠蔽を曝した徐裕行。
その中でも不自然だったのは、徐裕行の私生活だった。

そして2012年9月8日。ブログに異変が起きた。



とうとう船を買いました。

2012-09-08 08:20:58
テーマ:ブログ
このところ、船を探すことに集中していて何も手がつかずにいた。

船は車と違って、市場に出回っている数が圧倒的に少ないため、ぼくのような貧乏オーナーにとっては手が出せる予算の範囲内で自分の志向にあった船を探すのは極めて難しい。

まずはサイトを通じてめぼしい中古艇を探し、販売業者に連絡して装備や状態について細かく問い合わせた上で現地に赴き現物を細かく確認する。



実際にぼくは20を超える船を問い合わせし、8つの船を見に行き、その度に床板を引っぺがし、船底を見たり、エンジンやセイル、ロープ類の状態を確認したりしながら、さらに細かい質問をして買うかどうかを決める。

ぼくにとっては安い買い物ではないだけに、悩みも多い。



最終的に買うことに決めた船にしろ、消耗品の交換や装備の追加を考えると、少なく見積もってもさらに100万以上の金はかかりそうだ。
なにぶん予算が少ないだけに、自分ができることはすべて自分でやる。お金の話だけではない。海上で故障が発生したときに自分で処理ができなければ、命にかかわることになる。そのためにも、普段からなんでも自分でやるように心がけねければならない。



外洋に出るには、やっぱり33フィートくらいは必要だと思い、これに決めた。本当は35フィートはほしかったんだけどね。土曜日に金を払って正式に契約書を交わしてきた。



ヨットを乗り回す徐



徐裕行は勝浦を拠点に、手に入れたヨットで日本の海を駆け巡った。
徐裕行のあまりに不自然で贅沢な生活。中間所得層以上の暮らしぶりに閲覧者たちは動揺した。
徐は殺人と引き換えに膨大な金を手に入れたのでは…。村井秀夫刺殺事件に、新たな謎が生まれた。


徐裕行の借金の謎

徐裕行のの身辺を確認すると、他にも
元前科者とは思えない暮らしぶりが窺える。

・妻子持ち
・戸建住宅所有
・自家用車・原付きオートの保有
・韓国旅行・フィリピンなどの渡航歴
など、前科者としては考えられない暮らしぶりが窺える。
釈放から短期間に何があったのか。

徐裕行の不自然な生活

村井秀夫刺殺事件前の徐は2300万円の負債を抱えていた。
1992年10月、徐が経営していた催事企画会社「イベントダイヤル」が倒産。
資本提携していた経営者に対し、300万円未払いのまま行方をくらませた話もある。

世田谷区の貸家に身を寄せた時期に、羽根組関係者から韓国人ホステスとの偽装結婚を依頼され、そこで150万円程は稼いでいたとみられる。
仕事としては古紙回収業、宅配ヘルス業、闇金融の手伝い、山口組本部の駐車場警備を経験している。借金返済が切羽詰まった状況ではなかったせいか、友人とカラオケ店やスナック店で酒を飲む程度の余裕はあった。
羽根組員の妻G夫人の証言では徐は残務整理で広島に月1、2回向う状況だったという。

この状況から、徐は一部の企業に借金返済はしていたものの、踏み倒した会社もあったと考えられる。

刺殺事件直線に不審な女性とラブホテルで合流しから100万円を受け取ったとされるが、詳細不明のため考察から排除する。

次に獄中の刑務作業について触れる。
徐裕行は12年服役していたので50万円以上は稼いでいたと考えられる。
しかし、これでも2000万円返済するのは困難である。

2007年の出所後、徐は大型免許とけん引免許を取得し、トレーラーの運転をしていたようである。
もしここで大型トレーラーの運転手として就職していたならば、月収30万ほど稼げるようになる。
ただし、衆人環視のもと殺人を犯したこと、年齢が中年であることを考慮すると、就職活動は絶望的である。

しかし、2010年の時点で徐は結婚しており、妻を養える経済力を有していたことになる。
(徐の妻は、祖国では裕福な一族だったらしい。)
ブログを開設した2011年末まではアパート生活をしていたようだ。
2007年から結婚までの空白の3年間、徐は何をしていたのだろう。

ここで浮上するのが、徐裕行を支援する勢力である。
一橋文哉氏
の文献によれば、徐は指定暴力団弘道会にたどり着いたとされる。

徐裕行の私生活を観察すると、入れ墨を彫った者や在日朝鮮人など、堅気に見えない取り巻きが登場する。

さらに、徐が社会復帰後「徐裕行君を励ます会」を企画した人物は民族派活動家である。
この人物は2013年10月に71歳で死亡しており、「22、3年前からのおつきあいだった」ことから、
上峯憲司とは同年代にあたる。

となると、徐裕行が裕福な生活を手に入れたのも新右翼・暴力団の援助があったため、と結論づけることができる。


暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律

第三十条の五  公安委員会は、指定暴力団員が次の各号のいずれかに該当する暴力行為を敢行し、刑に処せられた場合において、当該指定暴力団員の所属する指定暴力団等の他の指定暴力団員が、当該暴力行為の敢行を賞揚し、又は慰労する目的で、当該指定暴力団員に対し金品等の供与をするおそれがあると認めるときは、当該他の指定暴力団員又は当該指定暴力団員に対し、期間を定めて、当該金品等の供与をしてはならず、又はこれを受けてはならない旨を命ずることができる。ただし、当該命令の期間の終期は、当該刑の執行を終わり、又は執行を受けることがなくなった日から五年を経過する日を超えてはならない。

徐が出所したのは2007年1月、ヨットを買ったのは2012年9月頃
あっ・・・(察し)


オウム逃亡犯逮捕



2011年12月31日。東京都霞が関の警視庁正門前に、背の高い男が出頭して来た。
男は立番をしていた機動隊員にこう告げた。

男「特別手配されている平田信です。出頭してきました」
機動隊員は悪質ないたずらだと判断し、いい加減な対処をした。
機動隊員「近くに丸の内署や交番があるから、そこに行くように」

男は仕方なく、皇居の堀に沿いながら650m離れた丸の内署まで移動。
指紋などで確認を受け、翌年1月1日に逮捕された。

門払いした機動隊員は不手際を指摘され、ひっそり退職した。



逮捕された平田信の髪は長く伸び、髭だらけに変貌していた。


更に2012年6月3日、「菊地直子に似ている女性を見かけた」との目撃情報が警視庁に寄せられた。
警視庁捜査一課が担当刑事を潜伏先と思われる相模原に派遣し、張り込みを行った。



潜伏先の住宅に女性が帰宅したのを確認して任意同行を求めようとした所、女性は菊地に似ていなかった。しかし、平田のように逃がしてしまうのも問題である。念入りに照合作業を行った結果、女性が菊地本人であることが判明。”走る爆弾娘”は殺人及び殺人未遂容疑で逮捕された。
愛人で同居していた高橋寛人も犯人蔵匿罪で逮捕された。



菊地逮捕が報じられた6月4日、最後のオウム信者、高橋克也は逃亡を再開した。
警察が高橋が暮らしていた川崎市の社員寮に踏み込んだのは3時間近く経過した後だった。

最後のオウム逃亡犯高橋克也。警視庁は高橋の新たな顔写真・似顔絵を公開し、
生放送のテレビ番組に情報提供を呼びかけた他、懸賞金について報じるなど大規模な捜査を行った。この期間、関東県内の駅前に警官が待機する光景が見られた。

市民から情報が寄せられ、逃亡から11日後の6月15日、潜伏していた東京都大田区西蒲田の漫画喫茶『コミックガーデン』で店員の通報を受け、ついに逮捕された。



高橋の顔もサリン事件当時とは異なる風貌になっていた。


この騒動から、メディアは再びオウム事件を報道するようになり、麻原彰晃や上祐がテレビに流れるようになった。


ちょうどその頃、ブログもアクセス数が急上昇しているのを見た徐裕行はある計画を思いついた。
この流れに乗じてマスコミを利用してやろう。




徐裕行は新たな動きに出る。
その背後に新右翼活動家、鈴木邦男、蜷川正大、後藤忠政組長らの姿があった。