代々木ゼミナール南平寮よ永遠に!
以前このブログで代々木ゼミナール南平寮のことを書いた。
そのときに、南平寮が無くなってしまったことを知った。
青春の一時期を過ごした南平寮が無くなってしまう。
それからずっと気になっていた。
その後、あの建物はどうなっているのか。
建物は取り壊されてしまったのか?
それとも寮とは別の用途として使われているのか?
というわけで行ってきました、南平。
代々木ゼミナール南平寮のかつての寮生たちがこのページを訪れ、
なつかしく思ってくれたらうれしいです。
南平駅
駅から南平寮(北野街道)方面
南平寮に向かう途中、なつかしい店を見つけた。
『ホームラン軒』
見た目キレイになってたが、ここはよく食べにきた。
たしか「オム丼」とか「ホームラン丼」とかあったような・・・。
店で食べてたら、すぐ近くにある中大体育寮の学生が、
マイどんぶりを持ってきて、お店で中味を入れてもらって、
テイクアウトしていったのをはっきり覚えている。
そしてやって来ました代々木ゼミナール南平寮。
左奥にはテニスコートがあるんです
何年ぶりだろうか。
こうやって近くでこの建物を見るのは。
最初、まだ寮として使われているのかな?と思った。
寮の部屋にはカーテンがかかっているし、洋服も干してあるのが見える。
玄関の前には車が止まっているし、人の出入りもある。
門のところからちょっと中に入ったら、おじさんがいた。
はじめ警戒していた感じだったけど、
「昔、この寮に住んでいたことがあるんです」と言ったら、
いろいろと気さくに話をすることができた。
そしておじさんから色々と教えてもらうことが出来た。
(おじさん、ありがとうございました!)
おじさんの話によると、
このおじさんの会社が、今月からここを借りているそうです。
(たぶんトラックなどで有名な『H自動車』かその関連の会社だと思う。)
たぶんその会社の寮として使われていくのでしょう。
そして建物すべてではなく、借りたのはA・B・C棟だけで、E棟は借りてないそうです。
入り口の道路に面した看板にあった『代々木ゼミナール南平寮』の文字は
ちょっと前にはずしたそうです(上の写真を見ると看板がのっぺらぼうになってる)。
そして門のところの石の表札はまだ残っていたけれど、間もなく外すと言ってました。
表札を外す前に間に合ってよかった。
この表札も間もなくなくなります
あのころ俺はいつも何を考えていたのだろう。
あのころ、その先に、どんな人生を描いていたのだろう。
長い間、たくさんの地方出身の浪人生たちを育んだ
代々木ゼミナール南平寮は、その歴史に幕を閉じたのです。
ありがとう。
隣の部屋だった山口出身のW田君、クラスも一緒だったB棟のK森君、
地元が同じで授業のあとよく映画館通いしてたH君、
いつも一緒にいることが多かったシャワー付きのE棟の秋田出身S田君、
みんな元気だろうか?
あのころさぁ、
たのしかったね。
そのときに、南平寮が無くなってしまったことを知った。
青春の一時期を過ごした南平寮が無くなってしまう。
それからずっと気になっていた。
その後、あの建物はどうなっているのか。
建物は取り壊されてしまったのか?
それとも寮とは別の用途として使われているのか?
というわけで行ってきました、南平。
代々木ゼミナール南平寮のかつての寮生たちがこのページを訪れ、
なつかしく思ってくれたらうれしいです。
南平駅
駅から南平寮(北野街道)方面
南平寮に向かう途中、なつかしい店を見つけた。
『ホームラン軒』
見た目キレイになってたが、ここはよく食べにきた。
たしか「オム丼」とか「ホームラン丼」とかあったような・・・。
店で食べてたら、すぐ近くにある中大体育寮の学生が、
マイどんぶりを持ってきて、お店で中味を入れてもらって、
テイクアウトしていったのをはっきり覚えている。
そしてやって来ました代々木ゼミナール南平寮。
左奥にはテニスコートがあるんです
何年ぶりだろうか。
こうやって近くでこの建物を見るのは。
最初、まだ寮として使われているのかな?と思った。
寮の部屋にはカーテンがかかっているし、洋服も干してあるのが見える。
玄関の前には車が止まっているし、人の出入りもある。
門のところからちょっと中に入ったら、おじさんがいた。
はじめ警戒していた感じだったけど、
「昔、この寮に住んでいたことがあるんです」と言ったら、
いろいろと気さくに話をすることができた。
そしておじさんから色々と教えてもらうことが出来た。
(おじさん、ありがとうございました!)
おじさんの話によると、
このおじさんの会社が、今月からここを借りているそうです。
(たぶんトラックなどで有名な『H自動車』かその関連の会社だと思う。)
たぶんその会社の寮として使われていくのでしょう。
そして建物すべてではなく、借りたのはA・B・C棟だけで、E棟は借りてないそうです。
入り口の道路に面した看板にあった『代々木ゼミナール南平寮』の文字は
ちょっと前にはずしたそうです(上の写真を見ると看板がのっぺらぼうになってる)。
そして門のところの石の表札はまだ残っていたけれど、間もなく外すと言ってました。
表札を外す前に間に合ってよかった。
この表札も間もなくなくなります
あのころ俺はいつも何を考えていたのだろう。
あのころ、その先に、どんな人生を描いていたのだろう。
長い間、たくさんの地方出身の浪人生たちを育んだ
代々木ゼミナール南平寮は、その歴史に幕を閉じたのです。
ありがとう。
隣の部屋だった山口出身のW田君、クラスも一緒だったB棟のK森君、
地元が同じで授業のあとよく映画館通いしてたH君、
いつも一緒にいることが多かったシャワー付きのE棟の秋田出身S田君、
みんな元気だろうか?
あのころさぁ、
たのしかったね。
この記事へのコメント
僕は2004年度の寮生です。
去年の暮に寮友達と見に行ってきましたよ。
H自動車の寮になっていて入口の看板はのっぺらぼうでしたが、建物の上に掲げてあった大きな赤い看板はそのままでした!テニスコートは駐車場になっていました。
寮での過ごした時間は本当に大切な1年間です
私は、1989年年度に寮生だった者です。
たしか、B棟の住人だったと思います。
そうですか、寮は無くなりましたか。
今度、私も見に行ってみます。
代ゼミの寮では無くなったことは残念です
当時の仲間とは年に一度ほど集まって
温泉(主に府中)に行くこともあり
勉強以外にも大切なものを得た寮生活でもありました
でも人がいる感じがしてあれ?と思ったのですが、そういうことだったんですね。
わずか10年程でなくなってしまうとはあの頃ちっとも思いませんでした。
もう、南平に行くこともないでしょう。。。
日野自動車も、撤退するみたいですね。
ありがとうございました。
あの頃、あの場所の全てが懐かしいです。
浅川、駅前のダイクマ、サンエブリ、正門正面のコピー屋さん、ジョナサン、南平緑地、南平高校・・・。
列挙したらきりがありません。
あの頃の思い出と共に、代ゼミ南平寮は永遠に僕の中に残り続けます。
http://www.tama-towns.jp/past_s_4.1.htm
自分は、1992年にお世話になっていたと思います。E棟の階段の目の前の部屋でした。
サンエブリで、よくかつ丼弁当を買って食べてました。
あとは、近くに雑炊が美味しい喫茶店みたいなお店があって、テーブルゲームがあったのを覚えています。(花札とかだったような)
寮の食堂の料理長さんが、笑点の楽○郎さんに酷似していたのが強烈でした。寝巻にサンダルで、ジョナサンに行ったりもしましたね~
とにかく、濃い1年間でした。
なくなってしまったのは、さびしいですね・・・。
帰って来たヨッパライが流行った年です。(古い?)
部屋から紙ヒコーキを飛ばしたり、裏の動物園にみんなで遊びにいったり、当時駅周辺にはなにも無かったのに賑やかな町になったんですね。そりゃそうですよね。いやー懐かしい。ありがとうございました。
あの頃、携帯電話を持ってなかったので、
当時のメンバーとは連絡取り用もなく。。
山梨、秋田、富山、徳島、和歌山など本当に色々な地域から同期が来ていて楽しくさせてもらいました。
チューターさんが司法試験浪人で受付の中で勉強してました。夜中に抜け出したり問題児でしたが、当時の思い出は本当に宝物です。
立川校でしたので多摩モノレール使ってましたが最初は運賃の高さに驚きましたね(笑)
本当にいい思い出です。
ハルピンのスタミナ丼がもう一度食べたかったなぁ。
本当にいい思い出です。20年経った今でも昨日の様に思い出せます。
何人かはたまにしか会えないけど今でも親友です。
本当に有難う南平寮!!
上京して、早稲田合格という目標を持って夢に満ちた一年でした
全国各地にも友達が出来ました
B棟には幽霊が出ると、いろんなところで噂になってましたね
ありがとうございます。
当時の仲間とはたびたび会ってます。
若気の至りでチューターに怒られたり・・・
いい思い出でした。
特にドンキの方が滞在時間は長かった。
1998年に在籍していました.当時,皆が代々木に通っていたのに対し,自分は立川に通い,結構ストイックな日々を送っていました.寮では個性ある仲間たちに巡り会え,束の間の息抜きになりました.その後,遠方の大学に入学し,仲間たちとも疎遠になってしまいましたが,またいつか会えるといいなと思います.同窓会?とかあるといいですね.
南平の個人的な思い出は,番屋のラーメン,駅前のパン屋(夕方には安売り),小僧寿しの特売日,線路を渡ったところにあるゲーセン,でしょうか.あと,川のほとりで,よく仲間たちと将来のことを語り合いました!大晦日には寮を抜け出して,花火してカウントダウンしたのを覚えています.
三浪であとがなく、友達も作らず秋から代ゼミにも行かず1日10時間以上勉強しました。
その甲斐でなんとか薬学部に合格しました。あの合格通知の来た日は、夕飯が一番うまかったです。今でも時々夢で試験が出来ない夢をみます。人生の一番の大勝負でした。ありがとう南平寮。孤独な浪人時代でしたが、永遠に不滅です。
大学に入学しました。ここでの思い出は、何もありません。友人は一人も
作らずに勉強をしていました。甘えていた自分が少し現実に気が付いた
場所でした。ぶち込んでくれた母親に感謝: