[4b-7] 任せてやらねば人は育たず
その馬車は怪しかった。
だが、その怪しさに気付ける者は少なかった。
このトウカグラの街は、夜こそ賑わい、光の洪水の中で狂騒に包まれる。
人通りも馬車も増える……こんな時間に街道を走ってきて密かに街へ入った馬車など、埋没してしまうほどに。
改造望遠鏡を通して街を見下ろすエヴェリスは、それをしっかり追跡していた。
そしてそのままエヴェリスは、遠距離型の
「もしもし、姫様? こっちはチェックインしたよ。
『分かったわ』
「そちらのご様子は?」
『いい頃合いね。助手一号くんの観測データは届いてる?
そろそろ領域展開するわ』
「了解。姫様がそっちを終わらせるまでには、準備を済ませとくね」
通話の相手は共和国北部を観光しに行っている娘……もとい、ルネだ。
彼女は絶対に遂げておくべき復讐のため、今は別行動して共和国北部のトルハに居る。
ルネが仕事を終わらせて戻るまでには、こちらも準備が整う手筈だ。
トウカグラの街は政府によってウィズダム商会から買い上げられ、土地はバラバラに貸し出され、建物もバラバラに売られた。
とは言え、元々はウィズダム商会が作った街だ。彼らが最もよく、この街を把握している。どこに何を隠せば見つからないのかという事も。
基幹インフラなど、街の心臓とも言うべき部分はウィズダム商会が買い戻しているのだが……どうも、そこが怪しい。
ウィズダム商会からナイトメアシンジケートへの支払い……
それは秘すべきものだ。
商会は『銀行に預ける』以外の中で最も安全なやり方で、支払いのための金を一所に集めた。それが、このトウカグラの街の、どこかだ。
全額を一括で払うわけではないようだが、全ては街の真実が明らかになるまでに終わらせなければならない。ナイトメアシンジケートはウィズダム商会を急き立て、積み上がる金の量は増していた。
シエル=テイラ亡国は、それを狙った。
「さて、此度の作戦は『隠密頭』の初陣よ」
「うっひゃー、緊張するぅ」
すぐに折りたたんで隠せるよう、鞄に偽装した
シエル=テイラ亡国における、彼の現在の肩書きは『隠密頭』。
諜報活動や工作活動を行う者……要するにスパイを統括する立場だ。
とは言え、そのための組織はゼロから立ち上げている最中。設計が終わり、最初の部下候補を迎え入れ、教育者の教育から始め……ようやく今、実戦に投入できる水準の者が出始めている。
まだまだ足りぬものばかりだ。それこそ、国家の存亡を賭けた大作戦と言えど、実働部隊として最高幹部二人が出張らなければならないほどに。
だとしても今、第一歩は踏み出された。此度の作戦にはトレイシーの部下である隠密たちも参加することになっているのだ。
「ボクはいろんな人とお友だちになってきたつもりだし、助け合うこともあったけど、他人を使って仕事を任せたことはあんまり無かったかな」
「そう、私らは部下を使わなきゃならないの。
自分より無能で、自分より失敗し、時には意思疎通に齟齬が生じる……そんな部下を使わなきゃならない。
それでも任せることを覚えなきゃ、組織は大きくできないのよ。
『1+1』が『2』とは限らない。だけど足さなきゃ永遠に『1』のままだから」
「そーだよねえ。
そう言う魔女さんは何千万って数の魔物を従えてたこともあるんでしょ?
何かアドバイスとかある?」
「諦めが大事……かしらねえ。
大事なのは失敗を許して、しかし繰り返させない事ね。後は部下の尻拭いを迅速にやること、かな。あくまで私流は、ね」
そして、そう述べてから、言い訳っぽくエヴェリスは付け足す。
「これは慈悲や寛容じゃなく、冷徹に組織の最高効率を求めると、結局そうなるのよ」
「単純に優しいんだと思うよ、魔女さんは。
どうして平然と人を殺せるのか不思議なくらい」
「そう?」
エヴェリスは意外そうだったけれど、トレイシーの言葉は掛け値無しだった。
彼女はどんなに酷いことでもケラケラ笑いながらやってしまうが、それを傍で見ていてもトレイシーの印象は変わらなかった。
どこがどうとは言えないが、根本的な部分が奇妙に真っ当なのだ。筋道が通っていて道理をわきまえていると言うべきか。
骨の髄まで邪悪、というわけではない。
まるで、一度は人として真っ当な形に完成していながら、肝心な部分を欠落させてしまったかのようにも思われた。……ルネにも通じる話だが。
もちろんそれはトレイシーの勝手な感想でしかなくて。
深く立ち入って掘り下げるべき事でもないように思われて。
トレイシーが全ての意味を知るのは、まだ遥か先の話だった。
*
夜も更けて、トゥーダ・ロイヤルホテルの地下カジノはさらに賑わう。
赤と黒の怪しくも落ち着いた内装のカジノは、チップの積まれる音に、回るルーレットの音に、カードの切られる音に、一喜一憂する客たちの歓談に満ちていた。
種々のゲームテーブルが並んだカジノには、一般的に『賭場』という言葉から連想される、猥雑で荒んだ雰囲気は微塵も無い。
イカサマは許されず、ディーラーもイカサマをしない。
負けが込んでも娘を売られるようなことは(……少なくとも直接的には)無い。
違法薬物の売人がホールをうろついていることも無く、客も刹那的な荒くれ者でなく概ね紳士淑女。むしろ、どこぞのお屋敷の夜会めいた雰囲気を感じさせる。
そういう意味で、ここは非常に上等な賭場だった。
そんなカジノの、ルーレットのテーブルの一つにて。
「黒」
小さく柔らかそうな見た目の手が、チップをぱちりと叩き付ける。
ルーレットに投じられた銀玉は、果たして、カラカラと転がった末に黒の15番に転がり込んだ。
「どう? これで三連勝よ」
高く調整した席の上で得意げになっているのは、人間の外見で言うなら12歳ほどの少女だった。
……否、少女ではない。
丸っこい耳と、細く小さくともはち切れんばかりに引き締まった身体。彼女が斧を持って地下坑道をうろついていなくても、注意深い者であれば彼女がドワーフだと気付くはずだ。
ドワーフは男女ともに、低身長で筋肉の塊みたいな身体をしている。さらに女性は幼い姿(人間の基準ならローティーン程度)で成長を止めるのだ。その事と関係あるか分からないが、男女問わず人間より長命でもある。
翡翠のような色の目に、艶やかな薄桃色の長髪。
天地逆にした炎の花みたいに、裾が思い切り広がった深紅のミニドレスを着ている彼女の名は、マドリャ・ダドルヴィックという。
堂々として美しい彼女の姿は、その小ささを感じさせず、カジノホールでもどこか異彩を放つものだった。
「……あのー、警部? 僕ら、こんなところで遊んでていいんでしょうか」
そんなマドリャの隣には、別の意味で異彩を放つ人間が居た。
年齢は三十歳前後の男だ。いかにも共和国の役人らしい、着古して風合いが出たダークスーツ姿。目も、短く整えた髪も黒いが、東国人ではなさそうだ。
平均的な身長で、太っているとも痩せているとも言い難い、平均的すぎる体格。
無料でサービスされる酒のグラスを持つ手もぎこちなく、誠実と小心が同居する佇まい。そも、この高級ホテルの中で堂々と胸を張る度胸は彼に無いらしい。
男の名は、スティーブ・クロックフォードという。
スティーブの正論一直線な指摘を受けて、マドリャは翡翠の目を不満げに細めた。
「キミ、今回の出張がなんだか分かってる?」
「新興都市の警察機動部隊に、本庁より武術指南を……」
「そんな表向きの理由は分かってるの。
一日や二日の特訓で大して変わりはしないわよ!
我らが
そのための手駒の一つが私ってコト。こんなバカみたいな出張、役得の二つや三つ無くちゃ耐えられないわ」
貴族が存在しないファライーヤ共和国では、他国においては領主の元に編成される『衛兵隊』が行う犯罪捜査や警備を、警察が担っている。
二人はファライーヤ共和国の警察庁に勤める警察官僚だ。
才能ある者が鍛えれば、オーガと力比べできるような超人となる。
……そんな超人どもが犯罪組織の中にも当然存在するのだ。
そして時には魔物退治に駆り出される事もある。
故に各国の警察組織は、よく組織された武力を持ち、さらには修練を積んだ超常の
二人が所属する『機動警備課』は、そういった警察機動部隊を統括する部署。
その中でもマドリャは自ら武術指導を行う教官としての役割を持っている。もっとも、より正確に表現するなら、強すぎて手柄を上げすぎて出世するしかなかった叩き上げが、適当な仕事を与えられて飼い殺されていると言う方が実態に近いのだが。
ともあれ仕事は仕事、お役目はお役目であり、今こうしてトウカグラの街まで来ているのも、そのためだ。
「私の下で仕事をするなら、私のやり方に慣れなさい」
「そもそも、どうしてまともに戦えもしない僕があなたの部下になったのか……」
「そりゃそうよ。上層部は私を人材のゴミ箱だと思ってて、あなたは左遷されたんだもの」
「う゛っ」
歯に衣着せぬマドリャの物言いに、スティーブは何かが喉につっかえたような声を上げた。
「いいじゃない。私の
「ひとつだけ巨大な問題があるんですが」
「あら、なあに?」
「…………いえ、言うのはやめておきます」
「相変わらず慎み深いんだから。『うんめいのひと』に対して遠慮は要らないのよ?」
からかうようにニヤリと笑ったマドリャに対し、スティーブは苦い顔で身をよじって頭を抱える。
「もおおおお! その話はやめてくださいよ!」
「うふふふ……あの時の私、もう30歳だったのよね。人間に換算しても成人だわ。
覚えてるわよ、あなたの
「ど、ドリンク! ドリンクください!」
丁度近くを通りかかったウェイターから酒を受け取り、スティーブは一気にそれを呷った。
二人は幼なじみだった。
と言うかスティーブは一方的に幼なじみだと思っていた。
時々遊んでくれた近所のお姉ちゃんが、自分より遥かに年上だと純情なスティーブ少年は知らなかった。
そして……まさか、故あってこの歳で遅咲きの新任国家公務員となった自分が、任官早々
「身体ばっかり大きくなって。人間の男なんて、てーんで頼りないんだから」
「ううう……」
自分の胸くらいまでしか背丈が無いマドリャに肘で突かれ、スティーブは重たい溜息と共に顔を覆うことしかできなかった。
「失礼、隣をよろしいですか」
そこに声が掛かる。
すらりと背が高く、尖った高耳と緑髪が特徴的な、白木のような肌の男が居た。エルフだ。
全く訛りが無い人間語を話す彼は、燦然と黒い燕尾服を身に纏っていた。
エルフはスマートで洗練された種族という
「いいわよー」
マドリャが軽く応じると、エルフの男は二人の脇に座った。
「話を聞くでもなく聞いてしまったのですが、警察のお方ですか」
「一応そういう事になってるらしいわね。あなたは?」
「こちらに御滞在中の奥様にお仕えする身です。今は休憩時間なんです。
……ああ、失礼。では私は赤に」
ディーラーに視線で促されたエルフは、チップを一枚、赤に賭けた。
銀玉がルーレットに投入されて、カラカラと回る。
「森生まれの方ですか?」
何気ない風でスティーブが問うと、エルフは気を悪くした風でもなく笑った。
「ははは、よく聞かれますが……『街エルフ』はファライーヤ共和国に固有のものではありませんよ。
私は
私は、子どもの頃は森番の父のもとで育ちましたから、全く森を知らないわけではありませんが、人間社会の中で生きてきたエルフです」
「そうですか、これは失礼しました」
そのまま数度ルーレットが回される間、お喋りなエルフは特にどうという事もない会話をして、チップが尽きたところで去って行く。
そのほっそりした後ろ姿を、スティーブはじっと見ていた。
「……警部。今のエルフ、怪しくありませんか」
「どうして?」
ルーレットの銀玉は赤に落ち、黒に賭けていたマドリャのチップは没収された。
今回の投稿でやっと100万字を超えました。
今後も頑張って参りますのでよろしくお願いします。