第16話
人と触れ合うのが苦手だ。
人と目を合わせて話すのが苦手だ。
人が集まっている所で過ごすのが苦手だ。
人と触れ合う勇気がない。
人と目を合わせて話す勇気がない。
人が集まっている所で過ごす勇気がない。
何を考えているのか分からない。
──目の前で共に笑い、共に泣いているあなたは、本当はどんな気持ちなんですか?
そう、考えるととても怖くて。
いつからこんな風になったのかは覚えていないけれど。
漆黒の闇に覆われた、
いつか本物の『絶望』を味わう気がして。
気付いたら私は、哀れで醜い
だから、今日も私は独りで居る。
ただ一つ言えることは、『人は独りでは生きていけない』ということ。
どれだけ孤独を愛そうと。
どれだけ孤独を受け入れようと。
私という一人の人間は、『誰かとの繋がり』がなくては生きていけない。
臆病者はある一つの方法を思い付いた。
偽りの仮面を被り、本当の自分を隠すこと。この時だけは人とコミュニケーションが上手く取れた。『向こう側』の人たちはいつも私を褒めてくれる。称賛してくれる。持て
けれど……ふと、我に返ると感じる──私と『私』に付き纏う
前も、後ろも、右も、左も、上も、下も──頼りになる『光』は視えない……。真っ暗な
世界は決して綺麗なことばかりじゃない。『光』もあれば『闇』がある、そんな当たり前のことを……だけど、私はどこかで認められない。
現実だと受け止めることは簡単だ。その勇気が私にはないだけ。たったそれだけのこと。
──嗚呼。
────今日も私は、『私』になる。
最悪なタイミング、って言うのが世の中にはあると思う。
自分が願ったわけではないのに起こった……
それをたまたま偶然視界に収めてしまう理不尽さを、人生で一度は体験したことがあると思う。
その時人はどうするのだろうと、
放課後に独りで特別棟に入り、自撮りポイントを探していた私が見付けたのは、目的の場所とは程遠いものだった。
予想外にも程がある──事件現場。体が縮んだ
事件現場と決め付けるのはまだ早計だった。事件らしい事件は、まだ起こっていなかったのだから。緊迫とした雰囲気から私が誤ってそのように感じただけ。
幸いにもまだ『話し合い』にはなっていた。
「おいおい、こんな時間に何の用だよ。この後は自主練で忙しいンだ、早く終わらせろよな」
真っ赤な髪色が特徴な男子生徒が
私のクラスメイトの
彼と対面しているのは三人の生徒。少なくとも、私たちが所属しているDクラスの生徒ではない。
交友関係が絶望的にない私ではどこのクラスかは判別出来なかったけれど、それでもこんな人目に付かない場所、そして放課後の時間から、『喧嘩』が起きるであろうことは、いくら私でも簡単に想像出来た。
「って言うか、話は部活についてじゃないのかよ。何で部外者が居ンだよ、
「彼は俺たちの友達の
「ああ?」
「おいおい、早速顔に出ているぜ? ちょっとのことで怒る須藤を警戒するのは普通のことだろ」
空気が一段階重くなった。
鋭い視線のぶつかり合い。
私に向けられているわけじゃない。それどころか須藤くんたち四人は第三者の私が盗み聞きしているとは到底考えてないだろう。
逃げたい。
一目散に床を蹴って、寮のベッドに飛び込んで枕を抱いて、今日のこの出来事を忘れ去りたい。
けれど私の体は動かない。どうして、どうして……。恐怖で震える私を助けてくれるのは誰も居ない。
「石崎が居ンのは分かった。だったら早く用件を言えよ。この後先輩と自主練を──」
「そこだよ、そこ。須藤お前さぁ……今度の夏の大会、レギュラーとして迎え入れられんだって?」
「は? どうして石崎、お前が……ああそっか。こいつらから聞いたのか」
「バカでもそれくらいは分かるんだな。まずは須藤、レギュラーおめでとう。なんでも小宮と近藤が言うには、一年生で選ばれたのはお前だけなんだろ?」
「それがンだよ」
須藤くんの返答を、石崎くんは鼻で笑った。
「Dクラスの『不良品』のお前が大会に出る? ハハハッ、笑わせるなよ! 学校の
一瞬、石崎くんが何を言ったか分からなかった。
それは私だけではないようで、当事者の須藤くんもそうだったようだ。
彼は
それでも彼は留まっていた。湧き上がる怒りをなけなしの自制心で抑え、衝動に駆られそうになる自分を抑制していた。
私はそんな彼を見て、彼のこの数週間の『変化』に驚嘆していた。
教室で席が近いから彼のことは一方的ながらも程々には知っている。
最初の一ヶ月は学校を遅刻して、授業に参加すると思ったら居眠りを繰り返しと、生活態度は最悪の……絵に書いたような不良少年。
クラスのリーダー的立ち位置に居る
私が彼のことを知っていたのは、絶対に近付きたくないという意思に従ったものだった。とはいえ、そうでなくとも、彼は不良生徒として名を馳せていたから自然と耳に入っていただろう。
そんな、人として底辺な彼が成長の
まず、授業に真面目に……とはお世辞にも言えないけれど参加するようになった。というのも彼は授業中は他のこと──机の引き出しからプリントを取り出し、それを一生懸命に取り組んでいた。
彼だけじゃない。
これは後で知ったのだけれど、彼らが真面目に向き合っていた物の正体は、
そして決定的に変わったのが、中間テストが返却された翌日からだった。
彼は些細なことで暴力を振るうことを止めた。もちろんカッとなった時は衝動のままに手を出してしまっていたけれど、それでも素直に謝罪を口にするようになった。……少なくとも彼は、『理不尽な暴力』を止めることを決意したらしい。
一時期Dクラス内で取り上げられた程だ。
「……レギュラーって言ってもな、あくまでも候補でしかない。実際に、大会に出場出来るなんて分からないンだぜ。お前らだってそれくらいは分かってンだろ」
「だとしても、だ。『不良品』のお前が選ばれることに問題があるんだよ」
「ハッ。だとしたらおかしいじゃねえか。この学校は実力至上主義なんだろ? ならこれも実力のうちじゃねぇのか?」
「須藤……付け上がるなよ」
双方睨み合う。
私はこの時、些細な違和感を抱いていた。違和感は次第に大きくなり、確信に変わっていく。
須藤くんと敵対しているのはあくまでも小宮くんと近藤くんのはずで、石崎くんは万が一の保険……言い換えれば、用心棒であるはずだ。
けれど、二人は最初に口を交わした後はずっと唇を閉ざし、部外者の石崎くんに全てを任せている。
彼らが問題に取り上げているのは、『不良品』である私たちDクラスの生徒が、公式戦に出場すること。
なのにどうして、舞台に上がっているのは石崎くんのだけなのか──。
「二人から聞いたんだけど、須藤、お前は本気でバスケのプロを目指しているんだってな」
「あ? それがンだよ」
「おいおい、本気で言ってたのかよ! てっきり嘘だと思ってたぜ! 傑作だな! お前のような底辺の人間がなれるわけないだろうが! ──いっそのこと、部活辞めろよ。その方がお前の為になるぜ」
「……ッ!」
睨み合いは殺意へと
ヘラヘラと笑いながら須藤くんを煽る石崎くん。それに付き従う小宮くんに近藤くん。
私は分からなった。どうして石崎くんたちがそんな酷いことを面と向かって言えるのかが。
──これ以上は見ちゃいけない。逃げないと……!
けれど私の足は動かない。思うように力が入らず、壁に重心を預け、立っているのがやっとな状態だった。
「言いたいことはそれだけか……?」
「おぉ〜、怖い怖い。そんなにも顔を真っ赤にしてよ。俺たちを殴って喧嘩でもするか?」
「ハッ──上等。後悔すんなよ」
売り言葉に買い言葉。
頭の沸点が超えた須藤くんは鍛えている身体能力を総動員して廊下の床を蹴り、石崎くんに
喧嘩なんて非日常から離れて安穏な生活を送っている私からでも一目見ただけで分かる程に須藤くんの動きに無駄は無かった。
きっとそういった荒事に普段から慣れているのだろう。
軽薄な笑みを浮かべていた石崎くんたちも、目の前に迫りつつある災厄には、固く目を瞑るしかないようだった。
私も彼らと同じように目を閉じる。
襲いかかってくるであろう痛みに備え、彼らは身構える──
「…………えっ?」
しかしその苦痛はついぞ彼らを打たなかった。
聞こえ、そして拍子抜けたその言葉に私は恐る恐る目を開ける。
瞼をこじ開け、バレないように細心の注意を払いながら顔を出して確認する。
私は今、とても困惑の表情を浮かべているだろう。
想像していた最悪の光景は映らず……。
須藤くんは手を振りあげてこそいるが、それでも顔面に当たる直前の所で、踏みとどまっていた。
「お前を殴りたくてしょうがねえ。──けど、ダチに言われたからな。『暴力』で物事を解決するのは良くないって。良かったな石崎、怪我を負わなくてよ。おおかた俺を挑発して喧嘩騒ぎを起こす、そんな腹積もりだったようだけどな」
須藤くんは冷静だった。瞋恚に燃えていた紅い炎は鎮火され、対峙する者全てを凍てつかせる。
そしてどうやら彼は、石崎くんたちの『狙い』にも感付いてる様子だった。
お世辞にも私は頭が良いとは言えない。小学校、中学校と、これまで受けてきたテスト結果は赤点でこそないけれど、それでも良いか悪いかを聞かれたら『悪い』部類に入る。
次世代、日本を先導していく若者を育成するという理念を掲げる、この東京都高度育成高等学校にどうして私が入学資格を得られたのか、それはこうして在籍していても分からない。入試テストの成績は悪かっただろうし、面接なんて目も当てられないだろう。
私が出来損ないの
そんな私でも、考えることは出来る。
須藤くんの推測通りだと仮定すると、石崎くんたちは『暴力沙汰』を引き起こすことが狙い?
でもいったい何のために?
「俺はレギュラー候補から自分から降りることも、部活を辞めることもしねえ。お前らが何をしようと勝手だが、俺を巻き込むな」
須藤くんは石崎くんたちを見下ろしてそう告げると、ゆっくりと彼らに背を向けた。
そして彼はやや小走りで廊下を移動する。
刹那、私の心拍数は今までのそれとは段違いに跳ね上がり、心臓は脈打つ。当然だ。私が隠れている所に彼が接近しつつあったからだ。
私たちが居る場所は特別棟。本校舎とは違い、この特別棟の造りは比較的シンプルだ。というのも、この棟には理科の実験室や家庭科の調理実習室といった、火器を扱う教室がいくつかある。
自然災害や事故が起こった場合、円滑に避難をするためにこの棟は単調な造りになっていた。
何が言いたいのかというと、特別棟から出るルートは限られている、ということ。私のすぐ傍にある階段から降りるのがセオリーだ。
「…………?」
須藤くんが僅かに戸惑いの声を上げる。私の存在に、彼の研ぎ澄まれた気配察知能力が発動したのだろう。
体は自由を取り戻したけれど、私は蛇に睨まれたかのようにまたもや動けなくなる。彼と相対するまで五秒にも満たないだろう……。
真っ赤な髪の毛が現れる──
「チッ、仕方がない。小宮、近藤、プラン変更だ。
──直前に、そんな声が廊下に反響した。
「おい、今なんつった」
須藤くんのドスの効いた声。
彼は動かしていた足を止め、通った道を戻る。
──今度こそ逃げないと。
それが正しい選択のはずだ。これ以上ここに居たら、厄介事に巻き込まれてしまうかもしれない。……既に巻き込まれているけれど、それでも、今ならまだギリギリ間に合う……。
「何だよ須藤。お前にはもう用はないから、帰って良いぞ。先輩と自主練すんだろ?」
「いいから言え。綾小路がなんだって?」
「あいつは俺たちのクラスの椎名と仲良くしているからなあ……」
「ンことは聞いてねえよ。知ってるしな。──お前ら、今度は俺じゃなくてあいつに喧嘩売るつもりか」
「喧嘩を売るなんて、勝手なことを言うなよ。決め付けは良くないぜ。ちょっと話をするだけさ。まあ、成り行き如何ではお前の言う通りになるかもな」
ニヤニヤと嗤う石崎くんたち。彼らは須藤くんを取り囲んだ。
退路が絶たれたことに須藤くんは脂汗を浮かべる。流石の彼でも、一対三では勝ち目が薄い。
私はそんな情景を、気付けば震える手を動かし、カメラのレンズで捉えていた。無音で切られるシャッター。
そこでようやく私は、本格的にここから一刻でも去るべく、地獄から抜け出せる唯一の脱出口に動き出した。
震える体。上下左右に、焦点が合わない
階段の
階段を半ば程降りたところで怒鳴り声が聞こえた。
それが誰の声なのかは分からない。
須藤くんかもしれない。石崎くんかもしれない。小宮くんかもしれない。近藤くんかもしれない。
徐々に遠のいていく災禍。
上で何が起こったのか。
須藤くんは無事なのか。
石崎くんたちの目的は何なのか。
気になることはいくつかあったけれど、私はそれらを強引に、目覚まさせてはならない怪物として厳重に鍵を掛ける。
──今はただ、一刻も早く寮に帰りたかった。
今回の話から要所要所で、東京都高度育成高等学校に在籍している生徒のデータベースを載せたいと思います。
氏名 綾小路清隆
クラス 一年D組
部活動 無所属
誕生日 十月二十日
─評価─
学力 C+
知性 C+
判断力 C-
身体能力 C-
協調性 C-
─面接官からのコメント─
積極性に欠け、将来の展望も持ち合わせておらず、現段階では期待の薄い生徒と評価するしかない。何故当校を志望したのか甚だ疑問である。
面接の受け答えには特にこれと言った問題は見受けられなかったが、それでも予め『用意した』ような言い方であり、喋る機械と会話をしているような錯覚に襲われた。
また特別な資格が何も無いことも評価としてはあまり芳しくなく、別途資料から、Dクラス配属が適任だと思われる。
教師との関係及び、親しい友人が出来ることをまずは望む。
─担任のコメント─
入学当初、彼はクラス内での友人作りに失敗したようで、心配していました。しかし現在はある程度の友人を作り、学生生活を楽しんでいるようです。
特に同学年のCクラスに在籍している椎名ひよりとはとても仲が良く、放課後は時間を共有しているようです。お互いに好いているのでしょう。彼らは図書課の先生から話題に挙がる程に図書館を利用しており、休み時間や昼休み、自習の時間には本を読んでいる姿がよく見られます。
Dクラス内では須藤健、堀北鈴音といった生徒と仲が良く、最近は平田洋介とも関係を深めているようです。
中間テストの際は学友と共に試験勉強をし、見事乗り越えました。テスト結果は彼の努力が反映されており、入試試験のそれとは大きく異なっています。
これからも担任として見守りたいと思います。