渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ヤマハXSR700 新型

2022年01月08日 | open






ヤマハXSR700が開発され欧州で
発売直前、このモデルを作った
開発総責任者の山本達郎さんから
連絡を貰った。イタリアからだっ
た。開発経緯を直に伺った。
そして、帰国の際にはどうしても
私に会いたいとの事で、浜松本社
と広島の中間地点の大阪で会った。
初めて会ったが、意気投合し、
二人で痛飲した。
オートバイの話と日本刀の話で
あっという間に1日が過ぎた。
大阪から最終間際の新幹線で
私は帰還した。ワインもビールも
焼酎も、二人で何本空けたかわか
らない。
爾来、日本とイタリアに離れてい
ながらも、まるで大昔からの旧友の
ような昵懇の知己となった。
ヤマハXSR700の誕生には、日本刀
の存在が大きく影響している。
開発者山本達郎さんも斬鉄剣康宏を
一口発注してくれて、その刀は打ち
上がり登録を済ませ、研ぎと拵も
完成し、山本さんの手に渡った。
ご家族とイタリア在住なので、
国外持ち出しの手続きは所有者本人
が税関を通す手続きをする。

XSR700誕生のコンセプトとして
は、それまでの性能重視でまるで
道具のように酷使されて乗り捨て
られる事もあった公道用の速度
重視のレプリカオートバイではな
く、日本人が後世に伝え残した
日本固有日本刀のように親から子
へ残し伝えたいオートバイを作る
事を目指したのが第一議にあった
のだと山本さんは私に語った。
そして、そこに私の存在があったの
だとXSR700を作り出した開発総
責任者本人が言う。「重ね重ね
申し上げますが、最初から最後ま
でヒントを貰いました」(ママ)と。
XSR700はまず英国で発売され、
続いてヨーロッパで発売された。
爆発的人気を博した。
複雑な諸事情から日米での販売は
2年以上誕生から後だった。

XSR700のシルエットのエッセンス
見て、私が「もしかしてRZの1型
もイメージにありました?」と問う
その通りだとの事だ。
山本さんは大学工学部時代にRZ
が好きで全バラしてOHして組み
立てて完調にする事をやっていた。
また、映画『大脱走』でマックイーン
が駆ったトライアンフにも造形の
イメージを重ねたという。
彼が作りたかったオートバイは、
その機種が乗り手の深い相棒となり、
長くずっと乗り続けて行きたくなる
ような二輪車を作りたかったのだ
との事だった。
生みの親であるご本人もXSR700
に乗っている。銀のタンクの1型に。
それでイタリアを走っている。
山本さんは国立大学卒業後に新卒
でヤマハ発動機に入社したが、
オートバイで世界各地を走破した
経験も持っている。
「どこまでも走って行ける。どこ
までも共に走りたくなる。そんな
オートバイ」がXSR700の開発の
根底にあり、そして、「次世代に
まで残し伝えたいオートバイ」で
ある事が製作コンセプトの中心幹
としてある。
良いオートバイだと思う。
何か忘れかけていた、オートバイ
と人の接点の原点をふと思い出さ
せてくれるような。
そして、日本に日本刀というもの
があり、それを私たち日本人が
大切に残し伝えている文化があっ
たからこそヤマハXSR700はこの
世に誕生した。
日本刀とオートバイ。
切り離せない見えない絆。日本人
として持つ心の背骨。その文化の
歴史。
ヤマハXSR700は、そんな日本人
の歴史と文化をカタチにしたオート
バイなのである。



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