逝く支度🐬🌹

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2021-11-02 17:18:16

性癖フレンズなフォロワーさんの誕生日に僭越ながら書かせて頂きました。

未練たらたらのまま別れたふたりが、リドルくんが左腕だけになって、やっとやり直すお話。最後はお互い幸せですが、全体的に薄暗いのでお気をつけて。それから、きささん誕生日おめめと🎉

 恋人と別れてから半世紀ほどが経ったころ、ジェイドの元へ、ひとつの左腕と手紙が届けられた。実に人間らしく皺が深まった腕で、皮膚も衰えていたけれど、薬指に嵌められていた指輪だけは、ぴかぴかと一等星みたいに輝いていた。
 それは、かつての恋人のものであった。

▽▽▽

親愛なるジェイド・リーチ

 この手紙をキミが読んでいるということは、きっとボクは死んだのでしょう。人魚のキミにとっては違和感を覚えるかもしれませんが、人間のボクは天寿を全うしました。ですから、ボクは、キミとの約束を果たそうと思います。薬指に嵌められている指輪は、キミがくれたものです。
 キミは、覚えているでしょうか。あのとき、ボクはキミから指輪を受け取って「これさえあれば、もし不慮の事故で命を落としたとしても、もし片腕だけになろうとも、キミの元へ還ることができる」と言いました。対してキミは、「ええ、帰ってきて下さい。必ず」と言いました。
 約束と言えるようなものではなかったのかもしれません。あるいは、キミにとって、今やどうでもいい記憶に成り下がっているのかもしれません。
 これは、ただのボクの自己満です。この腕を、迷惑で不穏なものと思うのなら、燃やすなり、切り刻むなり、道端に捨ててくれても大丈夫です。
 でもボクは、身体から腕を削ぎ落としたとき、これでキミに逢えるのかと思うと、どうしようもなく嬉しいと感じました。右腕だけで手紙を書き綴る今でさえも、この文字たちがキミの瞳に触れることになるのかと思うと、全身が歓喜するようです。
 加えて、好都合だとも思っています。なにせ、腕だけになったボクは、もうあの頃みたいに、ウギウギ怒ったり、感情に任せてキミを傷つけたりしません。この腕は、キミがよく無理やり手を繋いできた、キミが優しく口付けてきた、キミに愛されただけのものです。ボクの左腕は、世界一しあわせな腕でした。
 唯一、心残りがあるとすれば、キミが家を出て行ったとき、追いかけなかったことです。なぜ、ボクの脚は動かなかったのでしょう。キミのために譲れないものなど、何もなかったはずなのに。ずっと後悔してます。今でも、ボクはキミを愛しています。いっときでもキミに愛されて、世界一しあわせな人間でした。
 どうか、キミもしあわせに生きて下さい。

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤリドル・ローズハート
 
▽▽▽
 ふたりの別れの理由は、ひとつひとつを掻い摘めば瑣末なもので、その全てを纏めれば、ちりも積もればなんとやらであった。結婚、子ども、居住地。特に、リドルが先立ったあとのジェイドの余生については、ジェイドは後追いするの一点張りで、リドルはそれを許さないの平行線であった。
「そんなバカなことばかり考えるようなら、キミとはやっていけないよ!」
 そして遂に、たった一言、リドルの言葉が引き金になった。なら、僕じゃない人間と幸せになればいいじゃないですか! だの、キミこそボクなんかに構っていないで、人魚の恋人を探したらどうだい! だの、売り言葉に買い言葉。お互い、意地になっていたと言える。
 今振り返れば、一般的な夫婦が離婚を選択するには十分なもの。けれど、ジェイドがリドルを手放すには不十分なものであった。
 ジェイドは、自分の視界の奥から雫が流れていることに気づくまで、幾ばくか時間がかかった。あの頃のリドルが流していた、透き通る宝石のような美しいものではなく、花にすらやれない、ただのしょっぱい水であった。人魚の涙は真珠だなんて、ひどい迷信であった。
 自分のことなんか忘れて、とっくに別の誰かと、幸せに暮らしているものだとばかり思っていた。別れてから、半世紀も経っている。なのに、薬指に嵌められた指輪はいっとう綺麗で、毎日かかさず、手入れが施されていたのだろう。
 とても健気で、いじらしくて、「リドルさん、貴方は、毎日、磨き続けていたのですか」と言葉とも呼べない嗚咽で問いかけることしかできなかった。自分の手元には、何も輝くものがない。ジェイドはこの指輪を捨てることも、眺めることもできなくて、引き出しの奥底で錆び付かせていたのだ。
 嫌われてしまったのだと臆病風に吹かれてなんかいないで、すぐに貴方の元へ帰るべきでした。あるいは、連絡くらいするべきでした。なのに僕は、貴方からの連絡が来ないことに落胆したくなくて、携帯すら変えてしまった。この様子じゃ、貴方は何度か連絡をくれていたかもしれないのに。何度謝ったところで、その嘆きはリドルに届かない。
 ジェイドとて、リドルのために譲れないものなんて、何もなかったはずなのに。

 その日の夜、ジェイドは引き出しから錆びた指輪を取り出し、身につけ、リドルの腕を大切に抱き抱えながら眠った。腕はひんやりと冷たく、人魚のジェイドには心地のよい温度であった。
 リドルの腕には強力な防腐魔法がかけられており、腐敗の心配はなかった。おかげで冷蔵庫にしまっておいたり、ドライアイスの中へ鎮座させる必要もない。
 ジェイドは、もう片時もリドルと離れたくなくて、腕の形に合わせた特注のアタッシュケースを用意し、どこへ行くにも、行動を共にした。不自然ではなかった。周りから見たら、ジェイドはどう見ても普通の人間には思われない。(そしてその通り、普通の人間ではない。)ケースの中は、死体か薬物だと実しやかに囁かれ、その真偽を問うような勇気のあるものはいなかった。
 加えて、ジェイドにとって周りの反応は何の意味も持たず、失った時間を少しでも取り戻すことの方がずっと大切であった。錆びた指輪の色は戻らないけれど、リドルの腕にはめられた指輪は必ず毎日磨いた。
 窓際には花瓶を飾った。一緒に暮らした頃、リドルが花の手入れをして楽しんでいたからだ。しかし、花瓶には、花ではなく、ただの夕陽がさされているだけであった。ジェイドは、自分ではリドルほど上手に花の手入れができないことを知っていたからだ。
 そんな日々を過ごす中。いつも通り、寝室でリドルの腕と眠っていると、パタパタとリビングの方から足音がした。直感でリドルだと分かった。驚かさないように、慎重に腕を抱き抱え、リビングの扉を開く。
 出会った頃の容姿、NRCの制服を着た愛らしいリドルがこちらを見ていた。左腕だけを失っていたが、なかなか歳を取らないジェイドですら、横に立つのは憚られるほどの麗しさであった。
「いらっしゃっていたのですね。リドルさん」
 ふわりと微笑んで、消えてしまった。次に姿を見せたのは、その翌日の朝だった。今度はハーツラビュルの寮服を着ていた。勿論、左腕は欠けたままであったが、気にする様子もなく、全身が透き通ったリドルは自分の出立ちをくるりと回ってジェイドに見せた。
「ふふふ、学生時代の貴方でご登場とは。なんだか犯罪者にでもなった気分ですね」
 ジェイドが、一緒にいた頃とまったく変わらない言葉で揶揄い、口角をあげれば、リドルは、ふん、とでも言いたげにそっぽを向いて消えてしまった。彼は自分の思い描いた容姿や格好で現れることができるというのだろうか。
 ジェイドは試しに、[僕のシャツを着ていらっしゃる、いわゆる彼シャツをなさったリドルさんが見たいです。下は何も履かないで下さい。]と書き置きをして、腕と共に仕事へ出かけた。
 帰宅すると、リドル自身は口元をへの字にしながら、ダボダボのシャツを着ていた。正真正銘、ジェイドのシャツであった。
「流石です。とてもお似合いです。下、何も履いてないか確認させて頂いても?」
 セクハラ発言への抗議か、すぐさまジェイドのシャツが投げつけられ、リドルは消えてしまった。本当に下に何も履いてなかったのだとしたら、このシャツを脱ぎ投げつけてしまった彼は、今一体どのような格好をしているのだろう。考えるだけで、ティーンエイジャーみたいな興奮を覚えてしまう。
 そんな風に、リドルの幽霊と、腕と、楽しく暮らした。時折、薔薇七本と白百合の花束を買って帰った。世話はリドルに指示を仰ぎながらした。これは学生時代、リドルによく贈っていたものだ。律儀に飾っていてくれたのだと知ったのは、付き合ってから随分あと、部屋を訪ねたとき。密かに花言葉も調べていたらしい。あの頃から、リドルはずっと健気で、いじらしかった。なぜ、もっと早くに気づけなかったのだろう。

▽▽▽

「遺言には、貴方の懺悔と謝罪が書いてありましたね」
 紅茶を淹れてもリドルは飲まないが、香りを楽しんだように嗅ぐ仕草はするし、何より満足そうに微笑むので、ジェイドはよく神聖な儀式みたいに注いだ。
「謝るべきは、僕の方です。僕は、貴方と暮らしていた家を出るべきではありませんでした。他の方と幸せになればいいと言いましたが、大嘘でした。貴方からの遺言を読み、貴方がずっと僕を愛して下さっていたことに、安堵しました。酷いでしょう? 貴方が孤独で死んだことに、喜んでいたのです」
 リドルは喋らない代わりに、唇を動かした。
(キミも孤独だったじゃないか。でもボクは、それを喜んだ。酷いと思うかい?)
「いいえ、喜んで下さらないと困ります」
(なぜ?)
「今でも、貴方を愛しているから」
 リドルは、そっとジェイドが注いでくれた紅茶のカップに顔を近づけたまま、動かなくなってしまった。かと思えば、ふにゃふにゃと朧げに姿を消してしまう。心なしか、耳や頬が赤くなっていたように見えた。
 その夜、今まで頑なにリビングにしか現れなかったリドルが、ジェイドのシャツを着て寝室にやってきた。そっと腕に触れて近くに引き寄せようとすると、意図を察したらしく、リドルは重力なくベッドに横になった。チラリとシャツを捲れば、下着も何もつけてない。
(キミが履くなと言ったんだろう)
「ええ、世界一の彼シャツです。触れてもよろしいですか?」
 そう許可を取る前に、シャツのボタンをひとつひとつ外していった。そして、ベッドの中では素敵な時間を過ごすことができた。セックスというものは概念である。概念のセックス、とは、例えば、心を射精させることだ。これに勝る快感も深い多幸感も存在しない。
 ふたりは満たされていた。目が覚めても互いがそばにいる、その事実に。
「おはようございます、素敵な朝ですね」
(もうお昼だ。しっかりおしよ)
 精神的な性交。それをしたことがあるカップルは、この世に一体どれほどいるのだろうか。ジェイドは一般論にあまり興味がないが、これほどの幸福をリドル以外の誰かが、誰かに与えられるとは思えなかった。
 唇に唇を触れさせる。感触はなくとも、これだって概念的にはキスだ。

 数年、数十年とふたりは幸せに暮らした。しかし、腕の防腐魔法は歳月とともに衰えていった。少しずつ、魔力が薄れていく。同時に、幽霊のリドルの姿も、少しずつ欠けていった。あるいは、現れる時間が短くなったり、姿を見せない日もあった。百年が経とうとした頃、(ボクは、もう消えるよ)とリドルはぽつり、口を動かした。
「なら僕は、貴方の墓へ、左腕を届けようと思います」
 防腐魔法が解けてしまえば、腕は腐敗の一途を辿るばかり。それよりは、不徳だろうとも墓を掘り起こし、棺の中へ添えてやるのが最良と考えたのだ。リドルは、肯定も否定もせずに、じいっと一点だけを見つめて、姿を消した。悩ましげな、不安そうな、あるいは何か決意したような表情だった。

▽▽▽

 その反応の理由が分かったのは、墓を訪れてからだ。

 リドル・リーチ。
 生涯、たったひとりの人魚を愛し、ここに眠る。

 聞くところによれば、隣の墓はすでにリドルによって、夫婦墓として買われていた。リドルと姓を分け合った覚えはない。結婚もしていない。結婚の話をしたときに、リドルは反対していたからだ。ボクが死んだあとキミが別の人を愛さない保証はないだろうと言って。
 リドルが一度言い出したら、意見を簡単に変えない男であるのは、よく知っている。それなのに、まるで撤回するように墓が用意されているのは、なぜだろう?
 ジェイドはふと、遺言に書かれていた"キミのために譲れないものなど、何もなかったはずなのに"というリドルの言葉を思い出した。
 つまりリドルは、本当に、ジェイドに譲ってくれていたのだ。死しても尚、このような形にして。まるで償いのように。
 涙が溢れた。悲しみなのか、後悔なのか、幸せなのか、わからない。リドルの遺言を読んで以来の、雫。その雫でひとしきりの海をつくりながらも、ジェイドはリドルの墓を掘り起こし、棺を開け、左腕と薔薇七本と、白百合を添えた。遺体は原型を留めておらず、すっかり土であったが、なぜかリドルは笑っている気がした。

 余生ジェイドは、世界中を旅しながら過ごした。後追いするわけには、いかなかった。ジェイドだって、リドルのために譲れないものなど何もなかったのだと、伝えかった。その愛の証明のためだけに、生きた。
 だから、これは、リドルの元へ還るための旅である。たくさんの景色を見て、たくさんの思い出をつくって、あの世で子守唄みたいに聴かせてあげたい。全てリドルの土産になる風景だと思うと、とても楽しい旅路であった。
 そうしてジェイドは、天寿を全うした。墓は勿論、リドルの隣。墓標には「生涯、たったひとりの人間を愛し、ここに眠る」と刻まれた。

 彼は、世界一しあわせな人魚であった。


【逝く支度】


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