行いが報道を変える マスメディアは社会の鏡
宗教者や宗教団体による「社会貢献活動」に宗教界の関心も深まる中、先般の「宗教と社会」学会学術大会で「マスメディアの宗教的社会貢献活動の報道」という発表が行われた。東京工業大大学院の青木繁氏の研究で、新聞やテレビなどメディアが一般に伝える宗教者の社会貢献活動の内容、宗教者側からの情報発信、そしてメディアの宗教に対する姿勢の違いで起きる情報内容の差異についてそれぞれ分析した。
世論調査などから見ると、「宗教に日頃あまり関わりを持たない人たちはメディアから宗教者の活動を知ることが多い」という。宗教者の活動が社会にどのように受け取られるのかは、メディアの報道によるところが大きいので、宗教界側にとっても気になるところだろう。
発表ではメディアの宗教への対応が問題にされ、特に新宗教が対象の場合は奇異な事象を扱うような姿勢、センセーショナルな報道も見られると指摘。一方で阪神・淡路大震災や東日本大震災では宗教者の活動が目覚ましく、技術的にも組織的にも内実に大きな進歩が見られ、それが報道されることによって社会の人々はより肯定的に受け止めるようになり、その結果として行政や社会福祉協議会と宗教団体との協力関係が進んでいるとする。
だが最近の事例として、氏が2019年10月に多くの犠牲者を出した台風19号について分析した結果は違った。例えば長野市では、仏教、キリスト教、新宗教からイスラームまで28の宗教系団体が支援活動に入ったにもかかわらず、報道されたのは地方紙での1件だけだったという。
これは、災害の規模や期間とメディアの報道の量が比例しており、その中で宗教への取材は同じように少ない割合であるということの結果だ。つまり、善しあしとは関係なく、総体としての一般のマスメディアは、こと宗教に関しては世間一般の関心をそのまま反映する、いや世間のレベルそのものということ。それはマスコミ人全体の資質にも起因するが、要はメディアは宗教を映す社会の姿見の鏡であり、それ以上でも以下でもないと見るべきだろう。
だから、都合の悪い記事も掲載することのあるメディアを「興味本位。無理解だ」とステレオタイプになじるだけでは、メディアリテラシーの欠如と言える。口先の批判ではなく、東日本大震災の諸報道で見られたように、宗教者の行いこそがメディアを動かし、そこにいる報道人を教育し、そして世間の見方を変える重要な道だ。