8月7日。長かった無人島生活がようやく終わりを迎える。
試験終了時間とされていた正午になったが、周囲に教師たちの姿はない。
『ただいま試験結果の集計を行なっております。暫くお待ち下さい。既に試験は終了しているため、各自飲み物やお手洗いを希望する場合は休憩所をご利用下さい』
そんなアナウンスが流れ、生徒たちが一斉に休憩所として設けられている仮説テントへ集まっていく。
そこにはテーブルや椅子も用意されており、十分な休憩が取れるようになっていた。
「綾小路君、お疲れ様。この一週間いろいろありがとう」
平田が労いの言葉と共に、2つ持っていた紙コップのうち1つを綾小路に渡した。
「礼を言うのはこっちだ。平田が表立ってクラスを引っ張ってきたんだ。お前こそおつかれ」
「ううん、僕だけの力じゃないよ。後半は櫛田さんが頑張って纏めていたし、それに……」
平田はそこで心配そうに船の方を見る。
「黛君がいなかったら……きっと無事にここまでくることは出来なかったと思う」
彼は昨夜リタイアした柚椰のことが気にかかっているらしい。
夜の点呼の際に、茶柱先生の口から柚椰がリタイアしたということがクラスに伝えられた。
それを聞かされたとき、クラスは大いにざわついた。
リーダーを担う柚椰の突然のリタイア。
前日のこともあってか彼の真意が読めないクラスメイトは混乱していた。
結局明確な答えは出ないまま日は明け、試験終了を迎えたのだ。
「綾小路君、黛君は……」
「あぁ。アイツのことだ。別に気にしてないからって言いそうだな」
「そうだね」
「なぁ、お前ら何の話してんだ?」
「そうそう、黛がどうしたって?」
二人の会話が聞こえてきたのか、須藤と池が寄ってきた。
その声が思いの外大きかったからか、他のDクラスの面々も平田の方へ視線を向ける。
「綾小路君」
平田は隣にいる綾小路の顔を伺ったが、彼が頷いたためクラスメイトを見渡す。
「黛君はリーダーとして、文句無しの働きをしてくれてたってことだよ」
「平田君どういうこと?」
女子の中から疑問の声が上がるが、それに対して平田は微笑みを以って応える。
「もうすぐ分かると思うよ。それにしても……Cクラスは彼女一人みたいだね」
平田は唯一残っているCクラスの生徒である伊吹の方へ視線を移した。
伊吹もちょうど彼らの方を見ていたのか、視線がかち合うや否や不敵に笑って近づいてくる。
「よう。お互い無事に終わってよかったな」
伊吹は休憩所で貰ってきたと思われるスポーツドリンクの入った紙コップを片手に白々しくそんなことを言う。
昨日起きた放火の犯人が目の前の女子だと疑っているDクラスの面々は近づいてきた彼女を睨んでいる。
「もう気づいてると思うけど、私はお前らの中にいるリーダーを探るために潜り込んだスパイさ。どうやって潜入してやろうかと思ってたけど、そこの馬鹿のおかげて楽に潜り込めたよ。ありがとな」
伊吹はチラリと山内を流し目で見ながらDクラスを嘲笑した。
暗に山内の所為だと教えるような口ぶりに一同の視線が山内に集中する。
クラスメイトが山内を責めるより先に、平田が伊吹と向き合った。
「つまり君は初日の夕方から昨日の夕方まで、ずっと僕たちを探ってたってことかい?」
「あぁ、その通りだ。リーダーはアンタか櫛田、それか堀北じゃないかって読んでたんだけど……昨日黛から教えてもらったのさ。Dクラスのリーダーが自分だってな」
衝撃の発言にDクラスは困惑した。
伊吹の言っていることが本当ならば、柚椰は自分から彼女にリーダーの情報を渡したということなのだから。
「ちょっと待ちなさいよ! じゃあなに? 黛の奴、クラスを裏切ったってわけ!?」
一昨日から柚椰に対して悪感情を抱いていた軽井沢はヒステリックに喚く。
彼女だけでなく、他の面々もどういうことかと混乱している。
「私も正気か疑ったよ。でも、アイツはそうせざるを得なかった、ってことさ」
「どういうことよ!?」
「ちょうどいいタイミングだからお前らに教えてやるよ」
伊吹は彼らを見渡すと、ニヤッとした笑みを浮かべて真実を口にする。
「一昨日の朝に起きた下着泥棒の件。あれやったの私だから」
「「「──!?」」」
またしても放たれた爆弾発言に一同は衝撃を受ける。
このタイミングで真犯人が明かされたのだから無理もない。
「お前らを混乱させてリーダーを探りやすくするためにやった。尤も、最初に下着を忍ばせたのは黛の鞄じゃなくてソイツの鞄だったんだけどな」
伊吹は池を指差しながら笑った。
自分に罪を着せようとしたのが伊吹だと分かり、池は彼女を睨む。
「これが黛の提示した条件さ。リーダーの情報を教える代わりに、私がやったことを告白する。鼻で笑うような条件だったけど、アイツにとっては重要だったんだろ。どっかの誰かさんたちが勝手に自分たちの退学を賭けてたんだからな」
「「─っ!」」
その言葉に平田と櫛田は息を呑んだ。
つまり柚椰がこんな取引を持ちかけた要因は自分たちにあるのだと理解したのだ。
「じゃ、じゃあ、黛君は平田君と櫛田さんを守るために取引した、ってこと……?」
篠原が震える声で呟く。
その呟きに伊吹はおかしそうに笑った。
「泣ける話だよな。クラスの為にはそこの二人を退学にするわけにはいかない。要はアイツはお前らDクラスの為に冤罪どころか本当の罪を背負ったわけだ」
その言葉に一同は俯いた。
この結末を叩き出したのは柚椰だが、そうなってしまったのは結局のところ自分たちの所為なのだと言われたのだから。
「尤も、アイツも
「? 伊吹さん、それはどういう──」
平田の言葉は拡声器のスイッチが入る音によって遮られた。
音の発生源に生徒たちの視線が向けられると、そこには拡声器を持った真嶋先生が立っていた。
慌てて列を作ろうとする一年生たちを先生は手で制止させる。
「そのままリラックスしていて構わない。既に試験は終了している。今は夏休みの一部のようなものだ、自由にしてもらって構わない」
真嶋先生がそう言っても、生徒たちには緊張が広がっており既に雑談する雰囲気ではなかった。
「この一週間、諸君らはよく頑張った。クラスによって取り組み方は様々だったが、総じて素晴らしい試験結果だったと我々は思っている」
その言葉に生徒たちから安堵が漏れる。
ようやっと試験が終わったのだと実感が湧いてきたのだろう。
「ではこれより、特別試験の結果を発表する。尚、試験に関する質問は一切受け付けていない。各々結果を真摯に受け止め、分析し、次へ活かしてもらいたい」
「よかったな。アンタらDクラスは黛のおかげで命拾いしたんだぞ」
「どういうことかな?」
伊吹が小声で囁いた言葉に平田が反応した。
「アイツはなにも、ただ体調を崩してリタイアしたわけじゃないってことだよ」
「──っ!? それってどういう」
「結果が出れば分かるさ」
各々自分たちのクラスの結果が気になっている中、真嶋先生の声が響く。
「ではこれより特別試験の順位を発表する。最下位は──Cクラスの50ポイント」
「ふん……」
最下位という結果を受けながら、伊吹はなんでもないように鼻を鳴らしている。
真嶋先生は淡々と発表を続けていく。
「続いて3位はAクラスの70ポイント」
その発表にどよめきが起こる。
誰もが予想していなかったでろう順位、そしてポイント。
最も驚いていたのはAクラスの頭である葛城だろうか。
彼は計算していた数値との誤差に戸惑いを隠せていなかった。
そして残るはBクラスとDクラスだが、ここで真嶋先生の動きが硬直した。
しかしすぐに言葉が再開される。
「2位はBクラスの230ポイント。そして1位は……Dクラス。252ポイントだ。以上で結果発表を終わる」
この事態に誰より混乱していたのはDクラスの生徒たちだろう。
驚いていないのは事情を知っている平田と綾小路だけだった。
「どういうことだよ葛城!」
Dクラスがいる休憩所とは反対側の方から怒号が飛んできた。
見ればAクラスの生徒たちが葛城を取り囲んでいる。
「何かがおかしい……どういうことだ……」
葛城も状況を飲み込めていないのか、頭を抱えて顔面蒼白といった有様だ。
そんな彼を伊吹はつまらなそうに見ていた。
「ふん、アイツも所詮はあの程度か……」
最早ここにいる意味はなくなったとばかりに、伊吹は船の方へ向かってさっさと歩き出してしまった。
Dクラスも結果に対して混乱している中、平田がなんとか宥めて船へと誘導するとその場を離れた。
「まさかDクラスが1位とは。今回は大白星、かな?」
船の中でモニター越しに結果を見ていた柚椰はカラカラと笑っている。
彼がいるのは船内にあるカフェの一角。
そこでコーヒー片手に試験結果の中継を見ていた彼はこの結果に満足そうにしていた。
「やってくれたな黛」
柚椰がいるテーブルにやってきたのは昨夜リタイアしていた龍園だった。
彼は配下を連れてやってくるや否や、空いている席にどっかりと腰掛ける。
周りにいる取り巻きは椅子が空いていないからか立って待機してた。
「やぁ龍園クン、試験お疲れ様。まぁお茶でも飲んでゆっくりしていくといい」
柚椰はウェイターを呼ぶと龍園の分のコーヒを追加で頼んだ。
数分と経たずにコーヒーが運ばれると、龍園はグイッと飲み干した。
「テメェは読んでやがったってことか。俺がテメェのカラクリに気づいて伊吹にリーダーを変えることを」
龍園は試験結果からおおよその予想を立てていた。
Cクラスの結果が50ポイントだったことが決定打だったのだろう。
「正解。俺がリーダーだと知れば、君は必ず洞察するだろう。そしてルールの穴を突けばリーダーを変えることが出来るということに気づく。仕掛けに気づいた君はDクラスを標的から外し、逆にこちらを出し抜く為に同じ方法で伊吹にリーダーを変えるはずだ。君が俺のやってくることに気づいたように、俺も自分の仕掛けに
「リーダーは俺か伊吹の二択。テメェは後者に賭けたってわけだな」
「そういうことだね」
「だが解せねぇな。Aクラスのポイント結果を見る限り、テメェはBクラスにも情報をリークしてやがった。これは俺との契約違反じゃねぇのか?」
龍園はニヤニヤと笑いながら柚椰の行いを指摘したが、それに対して柚椰はカラカラと笑った。
「いいや? 俺はBクラスと取引をしていないよ。ただ雑談をしていた流れでうっかり口を滑らせてしまっただけさ。つまり君から得た情報を対価とした取引はしていないから、君との契約にも違反していない」
その返答が予想通りだったのか、龍園は別段苛立つこともなく腕を組んだ。
「まぁいい、Aクラスが無様を晒したのは葛城の自業自得だからな。俺には関係のねぇ話だ」
「君も大概悪い男だね」
「テメェには言われたかねぇな」
互いにニヤッとした笑みを浮かべて笑い合う二人。
その光景に龍園の取り巻きたちは身震いした。
「俺はもう行くぞ」
「おや、もういいのかい?」
「テメェと仲良く茶を囲むのは御免だからな」
龍園は席を立つと、取り巻きを連れてその場を去ろうとした。
「じゃあな。次はもっと楽しい取引を望むぜ」
「こちらこそ。今後ともご贔屓に」
最後に言葉を交わし、二人は別れた。
試験は終了となり、解散となった一年生たち。
船は2時間後に出発となるらしく、海で遊んでいくも、船で休むも自由となった。
「やぁ諸君。1週間の無人島生活はどうだったかな?」
船のデッキでDクラスの生徒たちを出迎えたのは、ドリンクを片手に持った高円寺だった。
「てめ高円寺! お前のせいで30ポイント失ったんだからな! 分かってんのか!」
「落ち着きたまえ池ボーイ。私は体調不良で寝込んでいたのだ。仕方ないだろう?」
ツヤツヤした肌でいかにも健康的な状態でそんなことを言っても説得力は皆無だ。
一層男子たちはやいのやいのと高円寺を責め立てる。
そんな中、同じくリタイアしていた柚椰が一同の前に現れた。
「皆、お疲れ様」
「ありがとう。黛君もお疲れ様」
先んじて平田が柚椰へ礼を述べる。
それによって先ほどからの疑問がクラスから噴き出した。
「つーかマジでどういうことなんだよ! なんで俺らが1位なわけ?」
「そうそう! 一体どういうわけか全く分かんねぇ」
「ねぇ、さっき伊吹さんが言ってた……」
「保険って……まさか」
「多分それは黛君が答えてくれるよ。そうだよね?」
「うん、流石にここで説明しないと皆納得してくれないだろうからね」
平田から話を振られた柚椰は仕方ないというようにクラスを見渡す。
「今回俺がやったのは大きく分けて二つだ。一つは他クラスのリーダーの把握。そしてもう一つは一昨日の事件の真相を明かすこと。ここまではいいかな?」
「うん、さっき結果発表の前に聞いたよ……柚椰君、私と平田君のために伊吹さんと取引したんだよね……?」
「事件が有耶無耶になったら僕たちが責任を取るって勝手に言ってしまったから、黛君はなんとしても伊吹さんに自白させなければいけなかったって.....」
柚椰にそんなことをさせた責任を感じているのか、櫛田と平田は俯いていた。
「クラスの中心である二人が抜ければ、今後上のクラスに上がることはおろか他クラスから好き放題に狙われる可能性があったからね。まぁ俺も自分の無実を証明する為にもこれは仕方のなかったことだから気にしていないよ。問題はこの後だ。伊吹にリーダーを教えてしまったら、Dクラスはリーダーを当てられてマイナス50ポイントのペナルティを受けるはずだった」
「そうそれ! なんかポイント増えてるしマイナスになった感ねぇんだけどどういうことよ?」
池の問いに一同も頷く。
「これは簡単なことさ。リーダーを変える方法が一つだけあったということだよ。リーダーは正当な理由なしに変更はできない。でも、リーダーが試験続行不可能になれば、必然的に他の誰かがリーダーをやらなければならないんだ」
「──っ! なるほど、リタイアは正当な理由になるってことだね?」
平田の言葉にクラスメイトたちは目を見開いた。
隠されていた奥の手を知り、それにいち早く気づいた柚椰に驚いている様子だ。
「そう。リーダーを当てられればマイナス50。でもリタイアすればマイナスは30で抑えられる。差にしてたった20でも、伊吹に渡した情報によるデメリットは僅かに軽減できるんだ」
「しかも情報を渡した相手のCクラスは、リーダー当てを間違えてマイナス50のペナルティ。一見すると裏切り行為に見えたそれは、むしろCクラスに仕掛けた罠だったってことかしら?」
柚椰が対価として情報を与えたと推理していた堀北はようやく合点がいったような顔をしていた。
彼女と同じように、他の女子たちも柚椰の行動の真意に気づいたようで潤んだ瞳を向けている。
「そういうことだね。あとは俺が残しておいたAクラスとCクラスのリーダーの情報で得られるボーナスが100ポイントあった。マイナス要因は高円寺と俺のリタイア、そして初日に購入した物資の分と合わせて170ポイント。残っていた130ポイントにリーダー当てのボーナス100と占有ボーナスを足せば、最終的なポイントは252ポイントになる。結果、見事に全クラスを抑えて1位。大勝利だね」
「何から何まで全て柚椰君がやってたってことなのね……」
「いや、俺一人ではここまでの結果にはならなかったよ」
堀北の言葉を否定し、柚椰はクラス全員に目を向けた。
「鈴音や桔梗や平田は勿論、健や池と山内も俺を信じてくれたんだろう? 他の皆も俺を信じている彼女達を信じることで纏まってくれた。これは俺にも予想外な展開だったよ。元々は俺が犯人だと全員に信じ込ませて、俺という敵を前に団結させることで強引に残りの日数を乗り切らせるつもりだったからね」
「見縊らないでほしいわ。私が柚椰君を犯人だと思うわけないじゃない」
「そうだよ! 柚椰君のことはよく知ってるもん」
「黛君がクラスを想ってくれていることを、僕たちはちゃんと知ってる。だから君が犯人じゃないってことも、必ず真犯人を見つけてくれることも信じることが出来たんだ」
「つーか馬鹿にすんなよ。俺らもお前を犯人にして丸く収めるような奴じゃねぇ」
「ほんとほんと。つか、マジでサンキュな? あのとき黛が助けてくれなかったら俺が変態扱いされてたんだし」
「確かに寛治だったら信じる信じない以前にそのままお縄だったもんな」
「春樹テメェ! 俺のこと犯人だって真っ先に疑ったの忘れてねぇからな!?」
「日頃の行いが悪いからだろうよ!」
「お前に言われたくねぇんだよ!」
気がつけば二人で言い争いを始める池と山内。
しかしその表情は穏やかで、一目でじゃれ合いだとわかるものだった。
普段と変わらないやり取りに周りの雰囲気も幾分か柔らかくなる。
気がつけば彼らは互いに笑い合い、勝利を称えあっていた。
こうして波乱万丈だった特別試験はDクラスの勝利で幕を閉じたのだった。
「これで満足してもらえたと思っていいですかね」
「そうだな。黛を協力者として選んだのは最善の選択だ。結果も申し分ない」
クラスの喧騒から抜けた綾小路は、今回の成果について茶柱先生と話していた。
二人がいるのは人気のない船の後端。この会話は誰にも聞かれていない。
「一つ、聞かせてください。『あの男』がオレの退学を要求した話は本当ですか」
綾小路は目の前の教師と取引をした際に言われたことを思い返した。
彼が今回から本気を出さざるを得なくなった一番の要因がそれであったが故に。
茶柱先生はその問いに対して思わせぶりに空を見上げた。
「……その話が本当だと言い切れる根拠はあるんですか?」
「私がお前のことを詳しく知っている。それが何よりの理由だろう? 他の教員達はお前の本当の実力を知らないし疑ってすらいないだろう」
彼女の言う通り、入試問題の違和感から綾小路を疑っている教員は彼女以外にいない。
現段階で確証はないが、綾小路は彼女が自分にまつわる何かを握っていることは理解できた。
「有名な神話の話はお前も聞いたことがあるだろう。イカロスの翼」
「それがどうかしたんですかね」
「イカロスは自由を得るために幽閉された塔から飛び立った。だがそれは父であるダイダロスが作らせた翼によってだ。その翼も、飛び立ったのもイカロス一人の為したことではない。皮肉な話だとは思わないか? 自由を求めているがその実、親の力を借りなければイカロスは飛べなかった。まるでどこかの誰かにそっくりだな」
「理解できませんね」
「あの男……いや、お前の父親はこう言っていた。清隆はいずれ、
こちらを見透かすような物言いに対して、綾小路は背を向けた。
これ以上話すことはないという意思表示だろう。
背を向け去っていく彼に対して茶柱先生は問いかける。
「これからどうするつもりだ?」
「先生も知ってるでしょう。イカロスはダイダロスの忠告や助言を守らない」
それは暗に父親の予言を無視するという、覆すという意思表示だった。
「試験結果は確認してくれたかい?」
「えぇ、先ほどメールにて確認しました。ご苦労様です、黛君」
船内に設けられているカラオケルームの一室で柚椰は誰かと連絡を取っていた。
この会話を聞かれては困るため、彼はわざわざこの部屋を取ったのだ。
「しかし君も怖い女の子だ。まさか
「ふふっ、以前お話しした通りですよ。元々私は好機さえあればいつでも葛城君を蹴落とすつもりだったんですから」
柚椰が通話している相手はAクラスのリーダー格の一人、坂柳有栖だった。
「
「残しておいたポイントの内殆どを、彼は他クラスからの攻撃と自身の自爆によって失ってしまった。今後Aクラスは荒れるだろうね。なにせ君が不在の間に彼はAクラスを危険に晒してしまったのだから」
そう、何を隠そう柚椰は坂柳から依頼を受けてこの試験に臨んでいたのだ。
目的は単純にして明快。葛城率いるAクラスを敗北に導くこと。
その為に坂柳は自身の配下である神室真澄を柚椰へ情報を流す橋渡しとして当てがった。
初日の段階で柚椰は彼女からAクラスのリーダーの情報を得ていたのだ。
後はBクラスとCクラスにも情報を流し、全クラスで以ってAクラスのリーダーを当てにいく。
150ポイントのマイナスを喰らったことは試験結果を見れば一目瞭然。
葛城がリーダーを守れなかったということはすぐに分かるだろう。
そうなれば彼への信用と信頼は大きく落とされることとなる。
坂柳の狙いはそこだったのだ。
彼女は自分のクラスの勝利よりも、対抗馬である葛城を蹴落とす事を選んだのだ。
「約束の報酬はこの後すぐに振り込ませていただきます。リーダー当ての失敗による追加報酬も加えさせていただきますね」
「いいのかい? 元々かなり高額の報酬だったはずだけど」
「いえいえ、これは黛君の実力への正当な評価です。今後とも、貴方とは良い関係を続けさせていただきたいですね」
「こちらこそ。俺はAクラスのリーダーは君以外いないと思っているからね」
「ありがとうございます。では、またいずれ」
「あぁ、ちょっと待ってほしい。君に良いお知らせがあるんだ」
「なんですか?」
柚椰なニヤリと笑みを浮かべると、その先を口にした。
「綾小路が動き出したよ。彼は自身の身の安全を対価として、Aクラスに上がろうとしている」
「……なるほど、面白いですね」
「彼は退学させられることをなんとしても避けたいんだろうね。まさか彼がこの学校を選んだ理由が俗世から隔離されることだったとは。彼がそうまでしてここに拘る理由に君は何か心当たりがあるかい?」
「えぇ、一つだけ。彼がこの学校に逃げてきた理由に覚えがあります」
「まぁいいさ。理由はさておいても、彼がどう動いていくのかは俺も興味がある。君も見たいんだろう? 彼がこの実力至上主義の世界でどう足掻くのか」
「ふふっ、そうですね。綾小路君が本気になってくれれば、私も少しは楽しめそうです」
「じゃあまた、今後ともご贔屓に」
「えぇ、では」
そこで通話は切れ、一瞬の静寂が室内に広がる。
数分後、ポイントが振り込まれたことを確認した柚椰は室内に居た
「さて、では君にも報酬を払わなければいけないね──」
「──澪ちゃん」
「……ほら、私の番号。さっさと振り込めよ」
声をかけられた相手、伊吹澪は端末を取り出すと自分の番号を表示させて柚椰に渡した。
彼はそれを確認すると、事前に交わした契約通りにポイントを振り込んだ。
「君が最終的なリーダーを教えてくれたおかげで、Dクラスはさらにポイントを稼ぐことができた。尤も、Cクラスはポイントを半分失ってしまったが」
「たった50ポイントだ。それくらい後でいくらでも巻き返せるだろ。じゃなきゃ龍園も所詮はその程度だったってだけの話だ」
彼女の返答がおかしかったのか柚椰は微笑みを浮かべながら座席に身体を預ける。
「君は見定めるといい。彼がこれから先、坂柳有栖を喰い殺せるだけの器なのかどうか。尤も、件のお姫様は一人の男にご執心のようだが」
「アンタも坂柳も、随分と綾小路を買ってるんだな。それほどの男なの?」
「僕の想定では、今学年の最終的な局面は坂柳有栖と彼の一騎打ちになるだろう。それは彼の実力を考えてもそうだが、彼が自分の居場所を守る為にはそうするより他にない。Aクラスに上がることが目標であるならば、いずれ二人が衝突することは明白だ」
「アンタはどうするつもりなの? アンタのことだ。単なる三つ巴にもっていくわけじゃないんだろ?」
「君は聡いね。いや、僕のことを理解してくれていると考えたほうがいいかな?」
「心底不本意だけどな」
不愉快そうに顔を顰める伊吹に対して柚椰は心底楽しそうだった。
「僕がやることは二人を取り巻く環境を最大限掻き回すことだ。坂柳の方はそう遠くないうちにAクラスを束ねて女王になるだろう。綾小路の方は……少なくとも、今の環境に留まらせるつもりはない。顔のない英雄などという形で生き残れるほど、この箱庭は単純には出来ていないのだから。必ずどこかで尻尾を掴まれ、民衆の前に引き摺り出されるだろう。大衆の目に晒されたとき、彼はどのような顔をするのか。実に興味を唆られる」
「龍園も言ってたけど、やっぱりアンタはクソ野郎だよ」
「君に彼の存在を教えたのもそのためだよ。他のクラスのリーダー格にも彼の存在はそれとなく匂わせてある。一之瀬帆波も、龍園翔も……いずれ綾小路清隆という眠れる獅子に辿り着く。そうなったとき、果たして彼はどう動くのか。実に面白い演目だと思わないかい?」
その問いに伊吹は何も言わない。
「心配は要らないよ。契約通り、君のことを匿えるだけの用意はしておこう。万が一君が今のクラスにいられなくなったとしても、君が学校中を敵に回したとしても、最終的には勝ち馬に乗せてあげよう。それが仕事をこなしてくれる君への対価だからね」
「……まさかアンタとこんな風に関わることになるとは思わなかったよ」
「僕は嬉しく思っているよ。まさか君とこういった関係になれるとは。実に喜ばしいことだ」
「私はもう行くからな。龍園に感づかれると面倒だ」
伊吹は座席から立ち上がるとそのまま部屋を出ようとドアの前まで歩いていく。
「また何か頼むことがあれば連絡するよ。あぁ、一応確認しておくが、僕との通話やメールの履歴はその都度削除しておくことだ。君と僕との関係を知られるのはまだ望ましくない。連絡先は先ほど覚えただろうから、何かあれば君の方からかけてきても構わないよ」
「ふん……」
柚椰の軽口を鼻で笑い、伊吹は部屋を出て行った。
伊吹が出て行ってから数分後、再びカラオケルームの部屋のドアが開いた。
室内に入ってきたのは柚椰に呼び出された櫛田だ。
「どうしたの柚椰君。わざわざこんなところに呼び出して」
「クラスの人間に聞かれるとまずいこと、と言えば分かるだろう?」
「あぁ、そういうことか」
事情を理解した櫛田は柚椰の向かいの席に腰掛ける。
「まずはお疲れさま。今回君は誰よりも良い仕事をしてくれたよ」
「ありがとう。でも、私にとってもメリットが大きかったしwin-winじゃない?」
「そうだね。じゃあ一応聞いておこうか。クラスの方はどんな状況だい?」
その問いに櫛田は心底おかしそうに笑った。
「計画通りだよ。あのムカつく女は完全にその地位を失った。女子はほとんどが私の方に鞍替えしてる状態かな。本当、馬ッ鹿みたい! 皆私が気遣ってあの女を一人にしてあげたと思ってたよ! アイツを徹底的に孤立させるのが目的だって知らずにさ!」
「彼女のプライドの高さが功を奏したね。プライドの高い彼女があの局面でクラスメイトに頭を下げるはずがない。振り上げた拳は下ろせず、振りまいた敵意は引っ込めることは出来なかったんだろう」
「あえて声をかけて敵意を私や池たちに向けさせたのもラッキーだったよ。声をかければ自分も何か言われるかもって思えば誰もアイツに声をかけないもんね」
「結果、女子の力関係は完全に桔梗の独走状態になった。それどころか、男子たちも俺の意図に気づいた君と鈴音を信頼するようになったはずだ」
「まさか堀北が私のアシストをするとは思わなかったよ。それほどあの女にムカついてたってことかな?」
「聡明な鈴音なら俺の自白が穴だらけだということにはすぐに気づくと読んでいたからね。俺が自分の意思で罪を被ったことを男子全員が知っている以上、鈴音がその可能性に行き着いた時点で彼らは彼女を信頼するだろう。そして同じく、俺を信じるという方針を取った君にも彼らは全幅の信頼を置く。結果、今回の試験で君と鈴音はクラスメイトから信頼されるポジションを確立できたわけさ」
「全部が全部、柚椰君と私が仕組んだ予定調和。でもびっくりしたよ。まさかあのとき、もう柚椰君は伊吹さんが犯人だって気づいてたなんてね」
櫛田は5日目の朝、柚椰が自分に囁いた言葉を思い出した。
彼が伝えた言葉、それは『下着を盗んだのは伊吹だ』というもの。
つまり彼はあの時点で犯人の見当をつけていたのだ。
「一番可能性が高かったのが彼女だったからね。尤も、もしも別の人間が……それこそDクラスの誰かが真犯人だったとしても、俺は伊吹を犯人に仕立て上げるつもりだったよ」
「どういうこと?」
「伊吹の目的を達成させられるのは俺だけだ。つまり俺がキーカードを渡すことを条件に彼女が罪を被ることを強いることも出来たということさ」
「──! そっか、どの道伊吹さんにそれを拒否する選択肢はないもんね」
「その通り。そして今回の事件で、俺は大きなメリットを得ることが出来た」
柚椰が言うメリットとは何かを櫛田は既に分かっていた。
それを証拠に、彼女はニヤッと口角を上げる。
「柚椰君はクラスのためには自分が犠牲になることを厭わない人だってイメージを
「そう。下着泥棒の汚名を背負ってでもクラスを纏めさせようとした。加えて君と平田というクラスの軸となる存在を守るために裏切りという罪さえ背負った。そして結果としてDクラスを勝利に導いたのは、その裏切り者と思われた俺だった。これで俺もDクラスの中で確固たる地位が築かれたというわけさ」
「本当、私なんかよりよっぽど怖いよ柚椰君は……」
ここに至るまでの全てを目の前の男は計算尽くでやってのけた。
その事実と恐ろしさに櫛田は改めて彼が規格外の悪人だと理解した。
「ここから先、もし俺が不穏な動きを見せていたとしても、悪行が露見したとしてもクラスの人間は疑う。『もしかしたらまた彼は誰かの罪を被っているんじゃないか』、『もしかしたらクラスのために何かしているんじゃないか』、『彼が本当にクラスを裏切るわけがない』、『彼が悪い人間のはずがない』と、知らず知らずのうちに俺を容疑者から外してしまう。たとえ目に見える決定的な証拠であっても疑ってしまうようになるのさ。無意識の信頼。根拠のない信用が蔓延した環境は俺にとって実に動きやすい」
一通り語り尽くした後、彼は天を見上げた。
「これから先、もっと面白いことになると思うよ。火種は向こうからこちらにやってきてくれるはずだ」
柚椰は静かに笑い、櫛田に語り聞かせる。
「あとはそれを好き勝手に、四方八方に放り込んでやればいい。敵味方関係なく、例外なく火種は撒き散らされる。火の海と化した環境で、彼らがどう行動し、何を魅せてくれるのか──」
「──考えただけで、とてもワクワクするじゃないか」
あとがきです。これにて無人島編終了です。
次回からは優待者当て編ですね。